1 :日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:07:15.83
武士の鏡、高橋紹運について語り合いましょう。
読みは、高橋紹運(じょううん)が正しいです。
『筑前戦国史』吉永正春 海鳥社; 増補改訂版版

一気に読んで、涙が溢れてきますた。下克上の裏切り、裏切られる戦国時代において、主家にあまりにも忠実だった武士、高橋紹運。
岩屋城決戦に持ち込んだのは、戦略の一つでもありました。単なる犬死ではありませんでした。
通常なら、宝満城か、息子のいる立花城に移り篭城戦を採るでしょう。。




高橋 紹運 / 高橋 鎮種(たかはし じょううん / たかはし しげたね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
岩屋城の戦いの最中、島津方の武将が城方に矢止めを請い「なぜ仏法を軽んじ、キリスト教に狂い人心を惑わす非道の大友氏に尽くされるのか。貴殿の武功は十分証明されました。降伏されたし」と問いかけた時、紹運は敵味方見守る中櫓の上から、「主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。貴方自身も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」と応え、敵方の島津軍からも感嘆の声があがったと言われている。

高橋紹運



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