阿弖流爲・母礼の顕彰碑(京都清水寺)アテルイ(生年不詳 - 延暦21年8月13日(802年9月17日))は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者である。789年(延暦8年)に日高見国胆沢(現在の岩手県奥州市)に侵攻した朝廷軍を撃退したが、坂上田村麻呂に敗れて降伏し、処刑された。
史料には「阿弖流爲」「阿弖利爲」とあり、それぞれ「あてるい」「あてりい」と読まれる。いずれが正しいか不明だが、現代には通常アテルイと呼ばれる。坂上田村麻呂伝説に現れる悪路王をアテルイだとする説もある。
21 :日本@名無史さん:2011/10/12(水) 02:16:22.50
『歴史読本』みたいな本に
アテルイはアッティラと同じだ
と大真面目に述べてる記事を読んだことあるわ。
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