荒木村重

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    83 :人間七七四年:2009/10/21(水) 18:14:27 ID:VyS7es3V
    区民祭りの図書館本リサイクル(→一律一冊20円で購入)で 森雅裕の「化粧槍とんぼ切り」集英社)を入手したんだけれど、 なかなか評判作だったようで、ラッキーなことだったのだろうか。 (ヒロインは真田信之室の小松殿) 
    文体は軽妙だけれど決して軽いわけでもなく、 虚実の人物と出来事を上手く絡めて畳み掛けていく描写も面白い。 

    自分はこの作者を恥ずかしながら知らなかったんだけど、 東京芸大卒で面白い筆歴の持ち主なんだね。 何かで失敗?して、最近は大手から出していないようなんだけど、 時代小説のほかにも江戸川乱歩賞をとっていたり、 活躍が期待できるのに勿体ないはなしだ。 



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    31arakimurasige


    荒木 村重(あらき むらしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名利休十哲の1人である。 
    天正6年(1578年)10月、三木合戦羽柴秀吉軍に加わっていた村重は有岡城伊丹城)にて突如、信長に対して反旗を翻した。
    羽柴秀吉は村重と旧知の仲でもある黒田孝高を使者として有岡城に派遣し翻意を促したが、村重は孝高を拘束し土牢に監禁した。 

    その後村重は有岡城に篭城し、織田軍に対して1年の間徹底抗戦したが、側近の中川清秀と高山右近が信長方に寝返ったために戦況は圧倒的に不利となった。それでも村重は「兵を出して合戦をして、その間に退却しよう。これがうまくいかなければ尼崎城と花熊城とを明け渡して助命を請おう」と言っていたが、天正7年(1579年)9月2日、単身で有岡城を脱出して尼崎城へ移ってしまった。

    11月19日、信長は「尼崎城と華熊城を明け渡せば、おのおのの妻子を助ける」という約束を荒木久左衛門ら荒木の家臣たちと取り交わした。久左衛門らは織田方への人質として妻子を有岡城に残し、尼崎城の村重を説得に行ったが、村重は受け入れず、窮した久左衛門らは妻子を見捨てて出奔してしまった。信長は村重や久左衛門らへの見せしめの為、人質の処刑を命じた。

    12月13日、有岡城の女房衆122人が尼崎近くの七松において鉄砲や長刀で殺された。



    1 :人間七七四年:2010/12/03(金) 17:41:50 ID:h7Z7C6Ck
    妻子を見捨てて逃亡した彼ですが反省はしていたようです 












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