金剛三昧院 多宝塔(国宝)
7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 12:04:05.33 ID:o9mfuTSl0
【空腹は】 兵 糧 攻 め 5ヶ月目 【甘え】
4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/25(火) 11:51:28.95 ID:Hqh5nlZz0
越後の軍勢が毎年のように略奪遠征してきて辛い
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『信長、謙信に降伏する!?』手取川で織田軍を叩き潰した謙信は新谷源助を使者として、信長に「北近江辺りにて正々堂々と一大決戦をしよう!」と申し入れた。この申し入れに信長、「謙信殿の弓箭は摩利支天の所業に似て、日本国中、これと比肩するものはない。本心で謙信殿が上洛されるとあらば、この信長は路地まで出むかえ扇を一本腰にさし一騎で乗り込み、信長めにござる。降参つかまつると申し、都の案内を致したならば、いくら謙信でもこの信長が骨身を砕いて取った天下を取り上げることもなかろう。さすれば、信長は西国、謙信は東国を治められ、両旗で禁裏を守護つかまつることに致そう」
と返答を返した。 (北越軍記)
高橋 紹運 / 高橋 鎮種(たかはし じょううん / たかはし しげたね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
岩屋城の戦いの最中、島津方の武将が城方に矢止めを請い「なぜ仏法を軽んじ、キリスト教に狂い人心を惑わす非道の大友氏に尽くされるのか。貴殿の武功は十分証明されました。降伏されたし」と問いかけた時、紹運は敵味方見守る中櫓の上から、「主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。貴方自身も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」と応え、敵方の島津軍からも感嘆の声があがったと言われている。
高橋紹運