1 :生徒もろきみ!φ ★:2012/10/04(木) 15:04:32.89 ID:???
 江戸後期の「大塩平八郎の乱」で知られる大坂町奉行所の元与力大塩平八郎が、乱の二年前に私塾の門人に宛てた手紙の原本が 見つかった。学問を志す者の心得を説き、仲秋の月に触れた漢詩も取り上げるなど、儒学者らしい一面を示している。大塩研究が進むこと を期待する声も上がっている。 

 杏林大総合政策学部の松田和晃(かずあき)教授(58)=日本文化史=が、二十年ほど前に京都市の古書店で入手した資料を今年に入り整理していて発見。筆跡を鑑定して最終確認した。 

 手紙は一八三五(天保六)年のものとみられ、日付は八月十六日(旧暦)。門人で徳島藩士の秋田静吉にあてている。九五(明治二十八)年発行の雑誌に手紙が転載されているが、原本の行方は不明だった。 

 内容は秋田に勉学に励むよう勧め、大阪の塾に立ち寄るよう呼びかけるもの。前夜の十五日、塾生らと仲秋の月を見ながら詠んだとみられる七言絶句の漢詩も添えられている。 

 「偶会同朋是仲秋 
 簾(れん)前桂影謾西流 ……」 

 松田教授によると、志ある者は名月を観賞するときも、ただ眺めて風情を楽しむのとは異なる受け止め方をすべきだとの意味の詩で 「世に不満を感じていた大塩の門人への期待が伝わってくる」と指摘する。 

 手紙の原本発見について、相蘇(あいそ)一弘・元大阪歴史博物館副館長(68)は「雑誌の転載文は誤植が多かった。大塩研究が さらに進む」と評価する。筆まめだった大塩の書簡は二百点弱が知られており、原本が残っているのは約百三十点という。 

 <大塩平八郎(1793~1837年)> 与力を務める傍ら、儒教の一派である陽明学者として私塾「洗心洞」を開く。38歳で奉行所辞職。天保の飢饉(ききん)翌年の1837年、幕府の腐敗を批判し、乱を起こした。門弟や農民ら300人を引き連れて挙兵、豪商を襲撃したが、密告などもあって失敗、自害した。 

写真=発見された大塩平八郎の門人宛て手紙 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2012100402100136_size0.jpg 
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2 :やまとななしこ:2012/10/04(木) 15:16:51.23 ID:uKJYtR6G
大河ドラマ化決定! 
老中水野忠邦とW主人公 

3 :やまとななしこ:2012/10/04(木) 15:35:17.01 ID:Wmfe0Wnh
大塩があまり評価されない風潮なのは、いつの時代も体制側からしたら一番怖い事だからだろう 
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