幕末

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    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/29(月) 20:09:49.81 ID:eVRBDJl40
    今からおよそ160年前── 
    黒船来航から始まった「幕末」の動乱期。 

    渦中である京都に「人撃ちガトリング斎」と呼ばれる志士がいた。 



    修羅さながらに人を撃ち、 
    その弾丸を以って新時代「明治」を撃ち拓いたその男は、 
    動乱の終結と共に人々の前から姿を消し去り 
    時の流れと共に「最強」という名の伝説と化していった。

     


    そして浪漫譚の始まりは、明治十一年東京下町から── 






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    61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 18:08:00
    のう!おてんとう様頼むき! 
    わしの首が宙に舞って、真っ赤な血がふきだしたら 
    この黄色い花で覆い隠しちゃってくれ。 
    赤い血も黒い土も、この先の世の中が光で満ち溢れちゅうがのごとく 
    この黄色い花で覆い隠しちゃってくれ! 




    62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:19:43
    土佐っぽ乙じゃねや! 
    おまん、なかなかやるじゃいかw 

    63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:10:06
    >>62 
    これ劇団新感線の舞台「IZO」でのラスト、打ち首直前の以蔵の独白台詞だよ。 
    ついでに>>61の前の台詞コピペ 


    わしは上を見すぎたのう。 
    天ら見ず山を見ちょったらよかったがじゃのう。 
    犬じゃと言われて人になりたがり、人になれれば武士を望み…
    けんど、誰に何を言われようとわしはそもそも人やったがじゃ。 
    天まで昇れるはずのない人、やったがじゃ。 
    ただ地に足をつけて、山を見ちょったらよかったがじゃのう。 
     
    あほじゃのうわしは。 
     
    犬のごとくあほじゃのう。 
     
    山にはあんなに光のごとく黄色い花が満ちちょったに。 
    山は決して動く事なく黄色い花を満たしちょったに。 
    >>61へ 


    武市切腹の後、お白州にいく途中に花びらの舞う中で涙流しながらのこの独白は圧巻だったよ 




    64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 01:13:20
    「IZO」レポ㌧!想像しただけで感動したぜ・・・。 
    以蔵って小説作品より舞台のほうが感動する気がする。 
    考えるより感じさせるキャラだからかな。 


     
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    1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/07(月) 19:51:08.66 ID:lEdVB++A0
    伊藤博文は、鹿鳴館を作った井上馨とは若い頃からの付き合いで、 
    井上が体調を崩し臥せていた時、伊藤は彼の元に駆けつけ、膝枕でアイスを食べさせた。 


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    みたいな食に纏わるエピソードって他にないもんですかね? 
    教えて下さい。偉い人 





    7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/08(火) 18:49:42.02 ID:8RFeP+Pa0
    幕末の幕府外国人接待役の奉行か何かが常に食事時に欧米人の家を訪問してハムに食らいついていたという話があるな。 


     
     
    9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 01:27:29.15 ID:oBPXMy8M0
    米国から漂流帰りの通訳がハリスの家へ行って肉を食いまくるので困ったという話もあったな。 








     


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          河井継之助

     
    1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 09:43:05
    河井 継之助(かわい つぎのすけまたはつぐのすけ、 
    文政10年1月1日(1827年1月27日) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日))。 
    継之助は幼名・通称で、諱は秋義、号は蒼龍窟。 
    幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣で、知行は120石。 
    役高加算があったためか150石となる。 
    その後、漸次出世をしていたので、 
    たびたび役高加算があった可能性もあるが、 
    これが支給されていたか否か決め手となる史料は、存在しない。 
    長岡藩の一代家老であれば、1,000石であるところを、 
    藩政改革により自ら減知して、 
    最終的な役職・家禄は筆頭家老・軍事総督・120石。 






    47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/09(木) 19:01:06
    西軍に一時的でも一敗味あわせたのは河井だけだろ。 






     


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    42souseikou

    毛利敬親

    家臣の意見に対して異議を唱えることが無く、常に「うん、そうせい」と返答していたため「そうせい侯」と呼ばれ、一部に政治的には賢明な藩主ではなかったとの評価もあり、幕末の四賢侯にも数えられていない。藩政は家臣任せだったが、重要段階では必ず自ら決断した。 



    1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 16:19:09.68 ID:dYD1ftaf0
    そうせい侯を語りましょう 




     


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