世界史一問一答

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    115: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/18 22:36:39 ID:pIbauuX20
    ワット・タイラーの乱のとき、一揆軍を鼓舞した言葉。 
    「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が主人であったか」 
    この演説をしたのは誰か 

     
    1
    ワット・タイラーの反乱軍と会見するリチャード2世

    ワット・タイラーの乱(Wat Tyler's Rebellion)は、1381年にイングランドで起きた農民の反乱である。















    116: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/18 22:37:06 ID:tTryBTE+0
    >>115 
    ジョンボール

    121: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/18 22:38:30 ID:pIbauuX20
    >>116 
    正解



    1
    ジョン・ボール(John Ball、1338年頃 - 1381年7月15日)は、イングランドの神父。ワット・タイラーの乱における思想的な指導者とされる僧侶。
    ボールについての前半生は殆ど分かっていないが、ハートフォードシャーのセント・オールバンズに住んでいたとされる。イギリスの神学者でロラード派のジョン・ウィクリフの思想に心酔する狂信的な神父で、ウィクリフの思想の影響から社会的不平等を告発した過激な思想を展開、巡回説教師として各地を回り農民、下層民に大きな影響を与えた。しかしそのあまりに過激で危険な思想を恐れられたイングランド政府に捕らえられ、破門されたうえ、投獄されてしまった。


    1381年、ワット・タイラーの乱が起こると獄中から救出される。ロンドン進撃を前に郊外のブラックヒースにて自らの思想を持って農民軍の士気を鼓舞したと言われている。その際の「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰がジェントリ(紳士)だったのか」という言葉は有名。
    しかし反乱が鎮圧された後、捕らえられて首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処された。 





     
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    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 09:53:52.57 ID:zipcLsxrO
    出し合おう 
      
    1529年、スペイン・ポルトガル間で結ばれた条約。アジア地域での互いの領域を取り決めた。 



    3 : 忍法帖【Lv=11,xxxPT】(1+0:15) :2012/10/10(水) 09:58:18.52 ID:1QeOH9z60
    >>1 
    トルデシリャス条約 

    4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 10:02:02.42 ID:zipcLsxrO
    >>3 
    そちらはアメリカ大陸を分割した条約。もう一つセットで習うのが…… 
      






    6 : 忍法帖【Lv=11,xxxPT】(1+0:15) :2012/10/10(水) 10:07:11.73 ID:1QeOH9z60
    サラゴサ条約かー知らんかった 

    サラゴサ条約
    マゼラン艦隊の生き残りを引き継いだフアン・セバスティアン・エルカーノが世界一周航海をなしとげて1522年にヨーロッパへ帰還すると、新しい疑問が起こってきた。それは地図上に南北に線をひいてスペインとポルトガルの境界をさだめていても、地球が丸いなら不完全なもので、もう一本線をひかなければ分割の意味をなさないのではないかという当然の疑問であった。

    特に両国は当時、東南アジアのモルッカ諸島の帰属をめぐって熾烈な争いを繰り広げていた。モルッカ諸島は当時の貴重品であった香辛料の一大産地だったからである。なお、この時代の「モルッカ諸島」というのは現代でいうところのマルク諸島、ブル島やセラム島を指している。さらにはモルッカ海を囲む島々も「モルッカ諸島」に分類され、香辛料の産地として有名であった。

    こうしてアジアにおける線引きのための交渉がおこなわれ、新たに発効されたのが1529年4月22日に批准された「サラゴサ条約」である。サラゴサ条約はモルッカ諸島の東297.5リーグを通る子午線を第二の境界とした。これは位置的にはブル島の東1425km、東経144度30分の位置にあたっている。この子午線はニューギニア島中央部を通る[1]。ポルトガルはこの条約を結んでアジアにおける地位を保全してもらうかわりに、スペインに賠償金を支払っている。これによってポルトガルのマカオにおける権益が承認された。スペインはオーストラリア全域における優先権を獲得したが、ポルトガルによる調査を禁止した形跡はない。

     



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