1: チーター(大阪府) 2013/02/14 16:56:47 ID:oCuBJ3Op0
(人生の贈りもの)松本零士さん


■終戦1年後に父帰還 夜間飛行の話聞いた

父、強(つよし)が昭和19(1944)年2月に南方に出撃。残された家族は、兵庫・明石から、父母の実家があった現在の愛媛県大洲(おおず)市の、母の方の実家(同市新谷町)に疎開しました。

 4月に当時の新谷国民学校に入学しました。「潜水艦13号」という漫画を画(か)き、川で魚取り、田んぼでフナやタニシを取るといった暮らしにも、やがて米軍機が迫ってきました。呉や広島に向かうB29の大編隊と護衛戦闘機の機銃掃射があり、車体が穴だらけになった機関車を見て、ぼくは戦争の実態を経験しました。

 そして、昭和20(45)年8月15日。川で遊んでいると「戦争が終わったぞお~」とメガホンで叫ぶ声が聞こえました。みんな午後の日差しを受け微動だにせずにうつむいたままで、その影を踏みしめて歩いて帰宅しました。
すると、上がりかまちに正座した祖母(ばあちゃん)が家中にあった先祖伝来の日本刀を抜き身にして打ち粉をして磨いていました。「それでどうするのか」とぼくが聞くと「敵が来たら、これで刺しちがえて死ぬ。お前も侍の子じゃけん覚悟せい」と言った。

いーかーす
http://uramono.org/militarynews/5891.html




155: ジョフロイネコ(西日本) 2013/02/14 23:12:40 ID:cifrqGKqP
中学で習った爺さん教師 
米軍機を銃で狙って撃っても当たらないから、ダムダム弾〈マグナム弾の事か?〉で米軍機の先の方向に撃ってみたら当たって、撃ち落としたら褒められたらしい

156: スミロドン(福岡県) 2013/02/14 23:18:12 ID:mrAdwB0v0
>>155 
銃って高射砲だよな 
少なくとも小銃なんかだとどんな弾で撃っても米海軍機も陸軍機も絶対に落ちやしないぞ 
1

こんな状態でも帰ってくるんだぜ(´・ω・`)

157: ベンガルヤマネコ(空) 2013/02/14 23:25:57 ID:2DdXCfho0
>>156 
小銃で航空機撃墜は第二次大戦時には結構あるぞ

168: 猫又(福岡県) 2013/02/15 00:53:50 ID:2z+jQ3Ot0
>>157 
ほんとだ、調べたら機銃照射しに降りてきたP40のパイロットに命中して 
撃墜した人とかおるな 
すげえw


【戦争が終わって、オヤジが復員してきたときは、家は貧乏だったけど本当に嬉しかったよね(´・ω・`)】の続きを読む