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1: わいせつ部隊所属φ ★ 2013/01/27(日) 17:37:46.11 ID:???0
【館山 基地物語(4)】
ゼロ戦の照準合わせた射撃場…本土決戦の準備 人力頼りに
2013.1.27 12:00 (1/2ページ)
州ノ埼海軍航空隊射撃場ではかつてゼロ戦の照準を合わせるための試し打ちが行われていた=千葉県館山市
http://sankei.jp.msn.com/images/news/130127/stt13012712010003-p1.jpg

 フィリピン・ダバオの「神社山」と呼ばれる地域で昭和20年6月8日、海軍第129防空隊は米軍と激しい銃撃戦をした。

■初めて死を意識

 下士官の庄司兼次郎さん(85)=千葉県館山市在住=の隣にいた部下の鶴島友治さんが頭を上げたとたん、
のどを銃弾が貫通した。即死だった

 「米軍と陸上戦闘が始まって初めて死というものを考えるようになりました」

 「国のため」に志願し、戦争へ行くのが死ぬことだとは考えなかった。
ダバオに行く前、横浜で占い師に「元気で帰ってくる」と太鼓判を押された。
同じ言葉をかけられなかった2人は帰らなかったという。

 千人針は戦場の安全を祈るために1000人の女性が縫い込むお守りである。
行き違いで届かなかったときも「いやな感じだな」と思ったくらいだった。

 そんな死生観が変わったのは入隊3年目、18歳だった。

■洲空の疎開は荷車

 少し前の20年2月。館山では、開隊して2年もたたない洲ノ埼海軍航空隊が空襲を避けるために分散して疎開した。
木材を荷車で運んだ。戦略が定まらないまま進められた「本土決戦」の準備は人力が頼りだった。
群馬県出身で洲空(すのくう)にいた男性は館山市の調査へこう回答した。(つづく)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/stt13012712010003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/stt13012712010003-n2.htm

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