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転載元
 【熊太郎】河内十人斬り事件(水分騒動)【弥五郎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1125406892/l50

1: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 2005/08/30 22:01:32
河内音頭のそれではなく、事件そのものを日本史の
一部として語りましょう。 もちろん、現代ヤクザ映画の
それじゃないですよ。


河内十人斬り(かわちじゅうにんぎり)は、1893年(明治26年)に大阪府南東部の金剛山麓の赤阪水分(あかさかすいぶん)村で起こった殺人事件。
金銭・交際トラブルによって、名前通り10人殺害されて当時のビッグニュースとなり、小説・芝居にも使われ、大阪の伝統芸能である河内音頭の代表的な演目となった。



23: この事件の詳細 2005/09/10 14:28:44
キボンヌ


47: 1>23 2005/09/23 06:35:25
私なりに調べたのですが、詳細は謎です。 犯人が城戸熊太郎と谷弥五郎という博徒で、二人の享年も被害者たちもわかっています。 ただ、動機が単にカネと女を巡る問題だけとは考えられないとの説も根強いようで。。。


12: 1 2005/09/09 07:18:52
大阪府南河内郡千早赤阪村(中心地は事件があった水分村にあたる大字水分)では今もこの話はタブー。 この村は楠正成と金剛山が売り物だし。 盆踊りの時もこの村では河内十人斬りは無しなんだろうな。


13: 日本@名無史さん 2005/09/09 19:47:51
河内十人斬りは明治26年(1893)じゃなかった?
河内の博徒、城戸熊太郎が愛人の杉本ぬいを松木晋介という男に寝取られ、
挙句晋介の兄である徳次郎に借金を踏み倒されたので怒り心頭に発し、
仲間の谷弥五郎を抱きこんで犯行に走った。

まず松木宅を襲い、父親の伝三郎に斬りかかったものの軽傷で取り逃がしてしまった。
そこで妻、三男、三女を次々と惨殺。さらに分家していた徳次郎宅を襲い、
逃げ出した徳次郎を畑まで追ってズタズタに切り刻むや、内縁の妻、まだ幼い長男、次男、そして生後三ヶ月の三女まで滅多切りにし、内蔵をあたりにぶちまけた。
さらに愛人の杉本宅を襲い、ぬい含む二人を射殺。恨みのあまり、ぬいの顔の皮を剥ぎ取った。

仕上げに谷弥五郎の元愛人、深田つるの家に放火し、金剛山中に逃げ去った。
しかし大規模な山狩りの末逃げられないと悟り、二人ともに猟銃自殺した。

大阪は怖いのう・・・

しかし肝心の晋介は、当日京都の宇治に茶摘の出稼ぎに行っていたため、難を逃れた。
ちゃんと調べておけっての。
事件の発端

この事件の犯人は村民で博打打ちの城戸熊太郎と熊太郎の舎弟の谷弥五郎で、熊太郎の交際トラブルから始まった。熊太郎の内縁の妻おぬいが、村の顔役の松永傳次郎の弟、松永寅次郎と密通していた事が発覚。
熊太郎が激怒して別れ話を切り出したが、おぬいの母おとらが「お前とおぬいが一緒になる時に自分に毎月仕送りをする約束だったのに、全然仕送りを貰っていない。別れるなら払わなかった分を全部払ってから別れろ」と熊太郎をなじった。
仕方なく熊太郎は金を払うことにしたが、博打打ちでその日暮らしの熊太郎には、まとまった金が無く金策に奔走した。そして昔、博打で勝っていた時に、松永傳次郎に金を貸していたことを思い出し、返してくれるように頼んだが、傳次郎は記憶に無いと言い張って、子分を使い熊太郎を袋叩きにした。松永一家に女を盗られ、借金まで踏み倒されて半殺しにされた熊太郎は、舎弟の弥五郎に押されて仕返しを決める。

犯行までの準備

傳次郎に半殺しにされた熊太郎は弥五郎の家で養生して、復讐のための準備をし始めた。傷を治してからまず捨て身の覚悟でやるために自分の墓を用意して、それから京都・奈良・大阪を見物しながら日本刀や仕込み杖、猟銃を買い時機を待った。


犯行当日

明治26年5月25日、刀を差し、猟銃を抱えた熊太郎・弥五郎は雨の深夜を狙って犯行に及んだ。熊太郎の妻おぬいとおぬいの母親おとら、松永一家に乗り込んで松永傳次郎と傳次郎の妻と傳次郎の子供2人、そして傳次郎の長男松永熊次郎の家に乗り込み、松永熊次郎と熊次郎の妻と熊次郎の子供3人と生まれて間もない子供も含め11人を殺害した。
しかし、事件の発端となったおぬいの浮気相手の松永寅次郎は京都の宇治へ行って難を逃れていた。それから乗り込んだ家に火薬を仕込み灯油をまいて放火して金剛山へ逃亡した。





19: 日本@名無史さん 2005/09/10 00:57:38
ただ、怨み真髄の晋介は、当日京都の宇治に茶摘に行っていたために難を逃れているんだな。

20: 1>19 2005/09/10 01:11:00
そのくらい事前にチェックしないのは馬鹿ですよね。 晋介(私が知る名は寅吉)の兄の伝次郎(同、熊次郎)のことはめちゃくちゃに惨殺したらしいですね。 「斬り刻んでも飽きたらんちゅうのはおまえのこっちゃ!こなしてくれるわ、エイッ」て。

21: 1 2005/09/10 11:05:47
熊太郎も気違い。 何故か昔の方が残虐な犯人が多かったような気がする。 社会全体が今と比べて貧しかったからかなぁ。

24: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 2005/09/10 14:55:16
熊太郎は不器用にしか生きられなかった男。


32: 1 2005/09/12 00:51:53
松永一族は村民から憎まれていたらしく、熊太郎と弥五郎に襲撃されて、「ざまぁみさらせ!」と喜んだ人が多かったそうです。
104: 1 2005/11/01 05:35:26
姦通やカネの貸し借りだけじゃなく、 

松永父子に積年の恨みがあったのかも。 

熊太郎は凶暴で怠惰しかもエゴな奴に過ぎかったかもしれんが。

4: 1 2005/09/03 03:51:14
谷弥五郎と妹との別れは何度聴いても目が潤む。


30: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11 21:45:29
谷弥五郎の妹は何歳?

31: 1>30 2005/09/12 00:25:43
事件当時、18歳ぐらいだったと記憶しています。 弥五郎が確か25歳だったかな?
33: 1 2005/09/12 01:03:51
熊太郎もまだ数え年36歳という若さでした。

34: 1 2005/09/19 08:16:44
それでも、まだ数え年25歳(24歳だったかな?)の弥五郎を誘ったことは熊太郎の罪だな。 弥五郎は松永一家に特に恨みもなかったようだし。 弥五郎は随分と殊勝な弟分だ。



36: 1 2005/09/21 05:41:02
この事件とは無関係だが、明治時代の大阪の廓で、間男と駆け落ちした女房の親族数人を人質に取った廓の主のヤクザが、日本刀で人質を虐殺した事件があった。

41: 日本@名無史さん 2005/09/22 13:08:41
>>36

それは堀江の六人斬りだな。犯人は貸座敷の主人だ。
生き残った芸妓の妻吉は四肢切断ではなく、両腕切断だよ。足はあった。
後に尼になり、昭和四十年代まで生きている。
1






















堀江六人斬り(ほりえろくにんぎり)とは、1905年(明治38年)6月21日未明、大阪の堀江遊郭(現在の大阪市西区堀江で発生した大量殺人事件である。 貸座敷・「山梅楼」の経営者が、駆け落ちした妻に対する邪推から家人や抱え芸妓に刀を振るい、5人を惨殺、1人に重傷を負わせた。





38: 1 2005/09/21 06:03:08
犯人のヤクザが廓の主だったか、劇場主・興業師だったか記憶が曖昧。 「知ってるつもり?」で肖像写真を観たが、おっそろしい面したおっさんだった。 翌年、刑死。

45: 1 2005/09/23 01:30:55
大阪堀江六人斬り事件で、たった一人生き残った大石妻吉さんは犯人の養女だったんですね。 「知ってるつもり?」で見た時、あの事件と犯人のヤーさんの写真が異様に恐かった。




43: 日本@名無史さん 2005/09/22 20:19:11
実際の城戸熊太郎はただの凶悪犯

44: 1>43 2005/09/23 01:07:27
それは間違いないと思います。 昔は犯罪者が講談の類でヒーロー化されたことは珍しくなかったですし、町田康の小説「告白」も、熊太郎のキャラクターに関する資料がほとんど残っていませんから、著者が考えたものでしょうし。


46: 1 2005/09/23 01:47:55
千早赤阪村は、楠木正成、金剛山、水分騒動(河内十人斬り)と三つも名物がある。 もっとも水分騒動はいまだにタブーで、皆口が堅く、よその出身者(確か富田林の出身)しか話してくれなかった。



56: らら 2005/09/24 21:09:02
北大路欣也が主演の、やたら火炎シーンがある映画って何んだったかしら?
あれって「河内十人斬り」が題材?
Ιπ・`)

あげたら叩かれゅデチカネ?

57: 日本@名無史さん 2005/09/25 01:09:34
>>56
その映画は「火祭り」だな。モデルの事件は熊野七人殺しだよ。
以下コピペ。

熊野七人殺し(昭和五十五年一月三十一日)

一月三十一日、三重県熊野市近郊の漁村。
四十四歳の男は「気分が悪い」と昼過ぎに帰宅。
突然「親類を集めてくれ」と言い出した。そこで妻が姉夫婦や弟妹達に連絡。
家に一族十人が集まっての親族会議となった。

午後六児頃、突然件の男が手斧を手にして実母、次男、三男に斬りかかり、
逃げまどう親類達にも次々と散弾銃を見舞った。結局七人が死亡、三人が重軽傷。
最終的には犯人自身も警官包囲の中で自殺して果てた。

犯人の男は農業のかたわら農閑期に採石場で働いていたが、
削岩機が原因で白蝋病になり、体調が優れなかった。
さらに母親も体調が優れず次男も肺病で入院。
また、白蝋病を理由に労災の支給金を受け取っていたがその方面で不正をしており、
それがばれたのではないかと気に病んでおり、それらの心労が犯行動機だとされている。

60: 1 2005/09/25 06:09:26
熊野っていうと紀州か。 紀州だけど和歌山県じゃなくて三重県だよね? 旧紀州は和歌山県に編入されるべし。 三重県は伊勢と志摩があるんだから。

61: 日本@名無史さん 2005/09/25 06:56:05
昭和五十五年って…
けっこう最近だな

62: 1 2005/09/25 07:04:49
漏れが12歳前後の頃。 知らなんだ。

64: 日本@名無史さん 2005/09/25 20:05:30
昔々のことじゃ。
貝尾の村に都井の睦夫という引きこもり男がおってな、毎晩毎晩村のおなご衆に夜這いを仕掛けては、
村の衆の顰蹙を買っていたそうな。

睦夫はお婆ヤンに溺愛されて村に閉じ込められ、何の楽しみも無いうちに夜這いに走っておったんじゃが
肺病もちがばれてからというものは一層村の嫌われ者、八分扱いじゃ。

そんな睦夫はついに気がふれてな、昭和十三年五月終わりのある晩に、光る角2本生やした鬼に変身してしもうた。
そして「こらえてつかあさい!」と言いながらお婆ヤンの首を刎ね飛ばして家を飛び出し、
あとは「こらえてつかあさい!」と泣き叫ぶ村の衆を次々と斬り殺し撃ち殺して行ったそうな。
夜が明ける頃には村は血の海、死体の山だったと言うことじゃ。怖いのう・・・

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   ( ´Д`)      i    (・д・) ∧∧::::::::::
  /::: Y i     ,-C- 、( y  (゚Д゚ ) ::::::::
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 |::::: "   ゝ   ヽ__ノ   (__(Д` ) ::
 \:::::__  )//    // っ⊂L∧ ∧
                   ∧ ∧ (  ;;;;;;)
こんな昔話は子供の教育に悪いのお・・・きょうてえのぉ・・・
こらえてつかあさい

3月から貝尾も加茂も津山市なんじゃのお。
名実ともに「津山30人殺し」じゃのお。

65: 1 2005/09/25 21:26:48
たった一人で三十人を殺害した「津山事件」と比べると、二人しかも村田連発銃もあったのに十人しか殺せなかった河内十人斬りはヘボい。 顔の皮を剥いだり、内臓を撒き散らしたり、猟奇ぶりでは上だろうけど。 吉原~人斬りは死者何人だったけ?

66: 日本@名無史さん 2005/09/25 22:06:27
しかし熊太郎はその十人以外に怨みはなかったわけだろ?

都井睦雄は村民全員に妄想的な恨みを抱いていたわけだから。

67: 1>66 2005/09/25 22:13:23
それはわかっているけど、仇敵たる寅吉(晋介)&熊次郎(徳次郎)の親父さん伝次郎を殺し損ねたし(伝次郎は指を吹き飛ばされたが逃走)、弥五郎の恋人だった娘の一家を殺しそこねたし←ただ放火目的だけだったとは思えない。

68: 1>66 2005/09/25 22:22:00
熊太郎にとって残念だったのは寅吉(晋介)が不在で殺せなかったこと、寅吉(晋介)・熊次郎(徳次郎)兄弟に対してほどは憎しみはないとはいえ、その親父さんの伝次郎を殺しそこねたことだろうね。 だから二人は事件後も官憲の包囲を突破して村に寅吉&伝次郎襲撃を試みた。

69: 1 2005/09/25 22:24:45
村に度々潜入したのは親戚から食糧をもらうためでもあったろうけど。 弥五郎も元恋人の一家を殺し損ねて、執拗に狙っていたらしい。
熊太郎・弥五郎の最後

翌日26日に地元の富田林警察署に通報が入り、事件が発覚する。大阪府警本部からの応援も駆けつけ、逃亡したと思われる金剛山に非常線を張ったが、二人はなかなか捕まらず、食料を強奪されたとの報告が来るばかりだった。


 
70: 1 2005/09/25 22:43:54
熊太郎&弥五郎も伝次郎の一家を虐殺するより逃げた伝次郎を追って射殺すべきだった。 女子供は後で良い。 そして熊次郎(徳次郎)の家を襲う←この時は逃げた熊次郎を追って虐殺し、それからその家族を虐殺。



91: 日本@名無史さん 2005/10/27 21:41:29
城戸熊太郎・谷弥五郎に殺された松永熊次郎の
おとっつぁん松永伝次郎は生年不詳。

熊太郎が享年36歳だった以外は知らなかったから、

熊次郎と弥五郎が享年28歳、虎吉が当時26歳だと判っただけでも収穫。

92: 日本@名無史さん 2005/10/27 21:50:25
弥五郎は専業博徒だったとの話と
山仕事をしながらの博徒だったとの話があり詳細不詳。

熊太郎も全く農作業をしていなかったという話と

怠けながらも一応は農作業もしていたとの話もあって謎。

村の人々は口が硬く、城戸のことも松永のこともよそ者たる記者や警察に

なかなか話をしなかったらしく、物語が一人歩きしたようだ。

93: 日本@名無史さん 2005/10/27 22:08:32
明治中期ごろまでの事件はどれも不明な点が多いし、
講談とかで滅茶苦茶に脚色されるからわからなくなるんだよね。
広まった河内十人斬り

大阪の片田舎で起こったこの惨殺事件は、女と金と仁義と様々な要因が絡んだ事件として、多くの新聞が取り上げ、話題をさらった。事件の起こった年に、芝居や小説になった。

そして、富田林署の署長お抱えの人力車夫の初代岩井梅吉(本名・内田梅吉)が、捜査情報を元に趣味であった河内音頭に歌詞をつけようと思ったが梅吉は文字を書けなかった。そこで友達である松本吉三郎(現存する河内音頭の会である岩井会6代目・岩井梅吉の父親、現在は9代目)が河内音頭の平節に歌詞をつけた。そして事件が起きて1ヶ月後の6月に、道頓堀の五座(朝日座、難波座、中座、弁天座、角座の5つ)の中のひとつである中座で『河内音頭恨白鞘』(かわちおんどうらみのしらさや)を講演したところ、たちまち45日間も続く大ヒットとなったのである。

この頃歌われていた音頭は古い題目、すなわち義士ものや、任侠ものが多く歌われていた。そして岩井梅吉が歌った『河内十人斬り』は、実際最近起きた出来事を歌っていて、当時の人からしたら新しいものだったのである。このような実際に最近起きた出来事を音頭にすることは「新聞(しんもん)読み」と呼ばれる。当時は義務教育も普及しておらず、大部分の民衆は文字を書くことはおろか、新聞も読むことが出来なかった。そこで多くの民衆は、この事件の有様を河内音頭で知ることが出来たのである。つまりこの河内音頭が、「読むことを売る」、読み売り瓦版のような役割を果たした。

「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」と河内音頭に歌われ、この演目はヒットして「浪曲」にも残り現代まで伝わり、作家の町田康の小説『告白』の題材にもなった。


101: 日本@名無史さん 2005/10/31 18:18:41
山狩りには軍隊も出動したらしいな、大阪八連隊かな?それにしても情夫への
恨みは恐ろしいな、この手の話は大部脚色されるからな、国定忠治だって名親分
って事になっているが実際は強請りたかりの常習者でろくな人間ではなかったら
しい。

102: 2005/10/31 19:16:28
>>101
村民たちが演習中の連隊に出動を願った
ことは知っていましたが、実際に出動したらしいのですか。
国定忠治は実の叔父と確か甥(甥じゃなくて
叔父の息子=従兄弟だったかな?)まで殺しています。



108: 日本@名無史さん 2005/12/07 09:54:46
城戸熊太郎の収入源は何だったの?

110: 1 ◆.5DV4fMpf6 2005/12/07 14:04:31
>>108
家は小規模な自作農でしたが、熊太郎は全く働かず、酒に溺れる博徒でした。
年老いた両親と弟がおり、三人が働き、熊太郎を食わしてあげていました。
ヤクザの一家に属してもいないければ、正業に就きながら博打を楽しむ手合いでもない、
半端者(?)の博徒も当時はかなりいたようで、熊太郎もその類いだったようです。

食事はたいてい実家で済ませ、飲み代・酒代は踏み倒していたようです。
それでもカネは必要ですから、借金をしては踏み倒したり、強請たかりをしていたらしいです。
ただし、あくまで肩書きは農業です。





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 【熊太郎】河内十人斬り事件(水分騒動)【弥五郎】
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