1: ☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 2010/12/08 12:44:09
★土佐藩役人 竜馬暗殺を克明に記録「定説より詳細な部分もあり興味深い」

・坂本竜馬と親しく、幕末の京都で「徒目付(かちめつけ)」として政治情勢の内偵活動 などをしていた土佐藩の下級役人・樋口真吉が、竜馬暗殺の様子を日記に記していた ことが高知県の歴史家らの調査で分かった。簡潔でいて詳細な記述が、事件を ひもとく史料として注目を集めている。

 日記は「日新録」と題され、慶応3(1867)年から約1年間、京都周辺で起きた事件 などを記録。剣豪としても知られた樋口は同郷で20歳年下の竜馬を少年期から 目にかけ、竜馬も隠れ家の手配を依頼するなど信頼を寄せていたとされる。

 日記では同年11月15日午後10時ごろ、竜馬の下宿先だった京都の近江屋で 「賊二人」が、それぞれ「才谷梅太郎」「横山勘蔵」と変名を使っていた竜馬と 中岡慎太郎に襲いかかった、と記録。中岡は刀を隣の部屋に置いていたため 短刀で応戦、一方、刀を取る暇なく切られた竜馬は立ち上がり「横山兄  如何(いかが)」と中岡を気遣いながら絶命した、と記している。

 暗殺の様子を記した史料はほかにも多く存在し、「午後8時ごろで刺客3人が襲撃」  というのが定説。中岡の刀がどこに置いてあったかはこれまで知られていなかった。

 幕末の歴史に詳しい霊山歴史館(京都市)の木村幸比古学芸課長は「徒目付の 仕事を通じ、事件直後に現場に駆け付けた志士などの情報をまとめたものと  みられる。定説より詳細な部分もあり興味深い」と話している。

 http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20101208025.html

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94: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 15:38:10 ID:BMfNSn+j0
そもそも命狙われてるのになんでたった2人で堂々泊まってたの? 
素直に通り渡って土佐藩邸にいりゃよかったじゃん。
なお、近江屋と土佐藩邸の位置関係は、河原町通りを隔てた真向かい(数メートル)であった。





27: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:05:54 ID:esedbzlhO
警戒感がない所を見ると顔見知りの犯行しかないんじゃないか?

8: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 12:53:28 ID:QcDZtDSU0
暗殺者は土佐藩だな、だから詳細な記録も書ける



土佐藩の藩内抗争が根源にあったという新説。
当時の土佐藩は佐幕派と公武合体派、倒幕派が混在していた。そして、大政奉還時には土佐藩京都藩邸には、これらの派閥の藩士が混在し、実情は倒幕派よりも徳川家を中心とした公武合体的な派閥や佐幕派が多かった。そして、大政奉還当時、佐幕派と公武合体派は薩摩と長州と結びついて倒幕に動いていた郷士の坂本龍馬と中岡慎太郎の存在が大きな問題だった。二人が土佐藩の郷士の中心となって大政奉還後に倒幕に走るのを上層部重役の多くが嫌い恐れてもいた。これは実質的な土佐藩の支配者、山内容堂の意でもあった。
そのため、京都土佐藩邸の最高幹部である寺村左膳(山内容堂の側用人)と寺田典膳らが密かに会津藩の手代木直右衛門や佐々木只三郎と謀議して、近江屋にて危険な二人を暗殺した。暗殺の対象は龍馬だけでなく中岡慎太郎の二人という黒幕説である。この論拠は寺村左膳日記の新たな分析や当時の土佐藩内の保守派がクーデターを起こす動きなどからの分析で、詳しくは中島信文著『龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた』(彩流社)に論じられている。





13: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 12:57:03 ID:OoGcy9Ck0
>>8
あらゆる事件は警察が犯人だな。
だから詳細な調書も書ける。


32: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:08:27 ID:c3tk7hsE0
土佐藩説は一番ありえない。 
竜馬というパイプなしじゃ土佐は薩長とまともに交渉できないから。 
維新後、土佐閥が冷や飯喰いだったのも竜馬と中岡を失ったことが大きい。

36: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:13:57 ID:OrYTCnTd0
>>32 
竜馬も西郷の使いっ走り程度だろ

40: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:22:06 ID:c3tk7hsE0
>>36 
武市を殺しちゃったから他に人脈がないのよ。 
薩長の人間と交渉を持とうにも。 
だから竜馬の脱藩許して海援隊を認めたわけ。 
西郷のつかいっぱしりてのが最も重要なんだよ。 
薩摩の中枢にいる人間とコネクトできるんだから。

56: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:44:18 ID:V3KecqdyP
>>40 
坂本は 

武市とお友達 
土佐勤皇党の会員ナンバー9 
江戸の人気剣術、北辰一刀流免許皆伝 
海軍操練所塾頭 
久坂玄瑞とお友達←NEW 

単なる走狗にしては人脈が豪華すぎる 
幕末のネトウヨの中では大物

70: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:07:52 ID:xgK+qTTU0
>>56 
松平惷嶽や横井小南と云った大藩の藩主や当代の名士の知遇を得ているというのもポイント高いよ。 
どちらも、勝の紹介があっての事だろうけどね。 
新知識や分析力もあるから論戦負けはしないけど、あえて論戦はせず損得で説得するなんてニクイ。
108: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 20:16:47 ID:cgfH5pxT0
薩摩藩の人が黒幕と違うの?
西郷隆盛、大久保利通らを中心とする薩摩藩内の武力倒幕派による陰謀だとする説。
松平春嶽や勝海舟から影響を受けた龍馬は諸侯会議による新政府の設立を説いており、大政奉還を受け入れた徳川慶喜をそこに含めることを想定していた。そのため、武力倒幕と旧権力の排除を目指していた西郷隆盛と、新体制への穏健な移行を説いていた坂本との間に、慶喜の処遇をめぐる意見の相違が生じた西郷、大久保らは新政府のあり方について意見の異なる龍馬の動きを看過できなくなり、故意に幕府側に坂本の所在を漏らすなど暗殺に関与したとする。この武力倒幕派の暗躍という説は、佐々木多門の書状や近江屋の女中たちの証言(現場に駆け付けた海援隊士中島信行が女中に聞いたという話。ただし、当時中島はいろは丸の件で長崎におり、現場に駆け付けるのは不可能だったと一蹴されている)などの資料が影響を与えている。
しかし、龍馬自身が幕府大目付である永井尚志と談合するなど憚りのない行動を取っており、それを周囲に警告されているような状態では、たとえその様な情報は無くとも京都見廻組が龍馬の所在を難なく突き止められたであろうと考えられる。また、中岡慎太郎も武力倒幕派であり、薩摩藩家老である小松帯刀も大政奉還を慶喜に迫っているなど様々な矛盾が生じる。そのため、大政奉還路線と武力倒幕路線の対立を必要以上に強調しすぎたきらいがあるというのが、歴史学上ではおおむね統一した見解となっている。薩摩藩陰謀説が成り立たないことを政治史的な観点から主張したものに、在野の歴史研究家桐野作人「龍馬遭難事件の新視角-海援隊士・佐々木多門書状の再検討- 第1回・第2回・最終回」(『歴史読本』第51巻第10号・第51巻第11号・第51巻第12号、2006年)がある。
テレビ・小説などではこの説を採用することが多く、旧来の歴史学上の多数派の主張とは異なり、一般では近年この説を支持する人が多い傾向にある。






63: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:58:21 ID:qCBSiYfW0
横山? 
中岡の変名は石川では?


14: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 12:58:01 ID:J19wUDw20
瀕死でもちゃんと偽名を使って呼んだんだ。
えらいね。
殺害状況については様々なことが小説などで描かれているが、確証のある史実は余りなく、あくまでも推測の域を出ない。司馬遼太郎の作品「竜馬がゆく」を中心にして下記のような殺害状況が多く語られている。
「夕刻に中岡が近江屋を訪れ、三条制札事件について話し合う。夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後ろから斬られた(1日後に死亡)。大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入した。そして龍馬は額を斬られた(この他、浪士達が二人を斬る前に名刺を渡してから斬ったという説などいろいろな説がある)。龍馬は意識がもうろうとする中、中岡の正体がばれないように中岡のことを「石川、太刀はないか」と変名で呼んだという



65: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:04:10 ID:F7JPNbSs0
二人とも死んで、犯人もわかってないのに 
なんで、竜馬の最後の言葉がわかるの?

67: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:05:28 ID:6DsO1+k80
>>65 
中岡が即死じゃなかったから

80: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:16:52 ID:F7JPNbSs0
>>67 
生きてたんだね。

71: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:07:57 ID:JQ3z/lmP0
>>65 
中岡は翌日まで生きてた

78: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:15:31 ID:xgK+qTTU0
中岡はチャーハン好き
近江屋で坂本龍馬と一緒に襲われたが、彼は即死せず二日間生き延びて、刺客が「こなくそ」といいながら襲ってきたと話している。また、焼飯(焼きおにぎり)を食べたいとも話したらしい。











18: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 12:59:42 ID:V3KecqdyP
やっぱり新選組かもなあテロップ的にはw

慣れてるやつじゃなきゃムリだし
見廻り組は暗殺経験が無いし、新選組は内ゲバも含め経験豊富

新選組の、もしくは新選組の隊士の犯行とする説。いくつかの証言や物証を根拠としており、事件当初は有力な説だった。事件当時の現場に残された鞘などの物証や、3日後に暗殺された伊東甲子太郎の同志(御陵衛士)らの証言から新選組の原田左之助によるものと推定されたが不明。北辰一刀流の達人である龍馬を殺害できるだけの実力のある人物となると斎藤一ではなかろうか、と推定する説もある。事件後、11月26日に幕府から取調べを受けた新選組局長の近藤勇は関与を否定している。
『刺客が「こなくそ」と伊予弁を話していた』とされ、伊予出身の新選組の原田左之助や大石鍬次郎らの仕業とされたりしたが、刺客が「こなくそ」と言ったという話は土佐出身の谷干城の証言以外には無く、新選組の実行犯説は史実的には根拠はない(この記述には遭難の2日後まで存命した中岡の証言と異なることから疑問あり)。


91: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 15:09:30 ID:mVioyz5h0
>>18
おいおい、見廻り組の隊長の佐々木只三郎は清河八郎暗殺しとるぞ
佐々木の兄貴が龍馬暗殺指示したと死ぬ間際に言ってるがや

92: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 15:19:39 ID:V3KecqdyP
>>91
佐々木説も有力なのは知ってるさw
だがテロップが真犯人はさのすけであることを示しているw
清河も北辰一刀流だったなあそういえば

さのすけも佐々木も戊辰でおっちんでしまったから本当のことがわからぬのは残念

あーでも佐々木なら首切って持ってたんじゃないかという気もするから
やっぱりさのすけに3000点
1870年(明治3年)、見廻組隊士だった今井信郎が箱館戦争で降伏し、囚われていたところ、新選組隊士であった大石鍬次郎や横倉甚五郎らの、犯人は見廻組であるという供述により、今井も近江屋事件について取調べを受けた。その際今井は、坂本・中岡暗殺に関与したと自白し、裁判により禁固刑となった。
今井は明治後期以降にも証言を行った他、大正時代には同じく元見廻組隊士の渡辺篤が証言を行っている。ただし、今井や渡辺の口述に食い違う部分(刺客の人数構成、供述による斬った箇所と実際の傷の箇所の相違、現場に置き忘れた鞘の持ち主など)がある。しかし、谷干城は頑なに新選組犯行説を信じており、今井の証言について「お前ごとき売名の徒に坂本さんが斬られるものか」と発言した。
誰が見廻組へ指図したかについては、勝海舟は幕府上層部の指示であると推測している。なお、当時の政局では大政奉還に反対する佐幕派の譜代諸侯が多かった。見廻組は京都守護職・松平容保(会津藩主)の支配下にあり、磯田道史は「佐々木の兄で会津藩公用人であった手代木直右衛門が、松平容保の命で佐々木に実行させた」と推論している。



86: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:27:20 ID:DZ9d7J/B0
テロップってなんのこと?

100: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 16:47:05 ID:oUXMmtbW0
>>86 
<龍馬伝スレよりコピペ> 

平成二十二年十一月二十八日。夜半。 
視聴者は龍馬伝最終回を観ていた。 

この一年間の集大成に、視聴者は心を震わせ画面を見つめていた。 
あとおそらく数分のうちに、福山龍馬は暗殺されるであろう。 

画面では龍馬と中岡が笑い合っている。 
その時。突然刺客が飛び込んできた。「愛媛県知事に中村氏が当確」 

視聴者はその鋭い一刀で、頭部を切り裂かれた。脳漿が噴き出す。 
しかし、視聴者は踏ん張った。驚くべき生命力でこの刺客の攻撃に耐えようとしたのである。 

しかし、第二の刀が視聴者を襲った。弥太郎の死に様である。 
さすがの視聴者もこの刃を受け切れなかった。 
頭部にまたもや傷を受け、これが視聴者の致命傷となった。





98: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 16:43:32 ID:WJlOIFodO
暗殺2日前 スイス銀行に20万$振り込まれた記録があるらしい 
って事は…
武力倒幕により、薩長倒幕側に武器の売り込みを狙った企業体・ジャーディン・マセソン系のイギリス人・トーマス・ブレーク・グラバー、外交官・ハリー・パークス、アーネスト・サトウらにより仕組まれた陰謀であるとの説。加治将一らが主張しており、いわゆる「フリーメイソン陰謀論」に属する。


 

46: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:32:55 ID:xgK+qTTU0
寺田屋事件の指の負傷で龍馬の剣客生命は終わったという説もある。
洋服のボタンが止められないので船長服も着られなかったとか、それなら拳銃があったとしても撃鉄を瞬時に起こせなかったろう。
この時期の龍馬は政治に没頭して、自分で身辺警護の意識はなかったろうから、 海援隊士が自主的に親分の護衛につくべきだったな。
龍馬の死後の次ぎの隊長の時代に海援隊は解散させられ、岩崎は誰も採用しなかった。

寺田屋遭難での龍馬の傷は深く、以後、それが理由で写真撮影などでは左手を隠していることが多いのではないかと指摘する研究者もいる。。 西郷の勧めにより、刀傷の治療のために薩摩の霧島温泉で療養することを決めた龍馬は2月29日に薩摩藩船・三邦丸に便乗してお龍を伴い京都を出立した。


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64: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 13:58:45 ID:Ki1v26mB0
ターゲットは中岡で、坂本は巻き添えだと思ってる
近江屋事件での慎太郎の悲惨な死は坂本龍馬の巻き添えというのが、現在まで通説になっている。しかし近年、近江屋事件は慎太郎も暗殺の対象であったという説も出てきている。大政奉還当時の土佐藩は上士の乾退助(板垣退助)と緊密な関係で倒幕を目指す中岡慎太郎が大きな危惧で排除したい存在でもあった。
当時の土佐藩は佐幕派と公武合体派、倒幕派が混在し大政奉還を進めたが、藩内の上層部はあくまでも倒幕ではなく徳川家を中心とした公武合体的な動きで、特に過激な倒幕派の中岡慎太郎は大政奉還以後には大きな問題だった。龍馬とともに二人が土佐藩の郷士の中心となって大政奉還後に倒幕に走るのを上層部重役の多くが危惧し恐れてもいた。これは実質的な土佐藩の支配者、山内容堂の意向が大きく反映されてもいた。
そのため、京都土佐藩邸の最高幹部である寺村左膳(山内容堂の側用人)と寺田典膳らが密かに会津藩の手代木直右衛門や佐々木只三郎と謀議して、近江屋にて危険な二人を暗殺した。暗殺の対象は龍馬だけでなく中岡慎太郎の二人というものである。詳しくは中島信文著『龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた』(彩流社)作品にて論じられている。




97: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 16:37:41 ID:UnHxwO4FO
この文書は怪しい 

土佐藩邸の藩医の川村盈進によれば龍馬の傷は大小34箇所。メッタ刺しで即死状態。しかも咽喉を二刺しされた龍馬が喋るなど無理。 

ちなみに中岡慎太郎は28箇所の傷。藤吉の傷は7箇所。 

龍馬が標的だったのは確か





112: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 22:02:07 ID:7shsA8zR0
作家の津本陽が彼の剣術の師と共に、当時の現場を再現して検証してる。

致命傷となった一太刀だけが他の傷とまるで違っていて、 これは凄まじい居合いの達人でもなければ付け得ないものだとしてる。

そして部屋の広さから考えると、両名を絶命たらしめた傷は、 一人が一瞬のうちに抜き放った一撃によるものだとも書いてる。

さらにその後かと思われる傷は、上記の一撃を放った人物とはとても思えないほど稚拙なものなのだそうだ。

つまり最初に物凄い達人が踊り込んで二人を無力化し、 後から1~数名が乗り込んで念入りに刺しまくった。

116: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 22:28:05 ID:RYnj6vGA0
>>112
で、その後、その達人は、陸奥出海にフルボッコにされて絶命したんだろ

117: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 22:40:45 ID:xgK+qTTU0
襲撃中は、行灯だかは倒れず灯りはついてたのか、暗闇での乱闘だったのかな。
俺は明るい中で終始一方的な斬り合いで、2~3分程度で刺客たちは去ったと思ってる。
やくざの喧嘩じゃないのだから武士が何十箇所もめった切りするもんだろか。
鞘や下駄を忘れていくのもオカシイ。
定説の根拠の資料も信じられない。

122: 名無しさん@十一周年 2010/12/09 08:29:51 ID:JoHkJuN50
ただ、中岡の刀が隣の部屋にあったというの以外は 目新しくはない。
隣の部屋には書生が数人いたとか、今井ら見廻組の 生き残りの証言のほうが詳細。隣に書生がいたから、 ガタガタ音がしても龍馬は戯れに「ほたえな」と叫ぶ。
と峰吉が軍鶏を買いに行っていたというのは偽証という見方もされてる。






72: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 14:09:55 ID:v/tHeO850
犯人は実際はこんなところだろう。

20代~30代、若しくは40代~50代。
男性若しくは女性と思われる。
人数の特定はこんなだろうが、単独犯か複数犯のどちらか。

93: 名無しさん@十一周年 2010/12/08 15:33:49 ID:+mm9YSel0
もしこの事件が現代だったら犯人すぐわかったんかな?




転載元
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1291779849/l50

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