1: 無名武将@お腹せっぷく 2008/11/17(月) 22:17:56
三国志に負けず劣らず変なやつがいっぱいでてくる
五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づくものであり、実際の国の数は16を超える。後漢末期から北方遊牧民族の華北移住が進んでいたが、西晋の八王の乱において諸侯がその軍事力を利用したために力をつけ、永嘉の乱でそれを爆発させた。
4: 無名武将@お腹せっぷく 2008/11/17(月) 22:37:11
教科書だとこの時代はバサっと省略され気味だな
濃い時代なのに
春秋戦国は諸子百家もいるし、結構触れるけど
濃い時代なのに
春秋戦国は諸子百家もいるし、結構触れるけど
203: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/22(月) 12:51:26
司馬炎全国統一司馬炎死去八王の乱劉淵が漢を建国、李雄が成建国、張軌が涼建国劉淵が皇帝を名乗る劉淵死去漢の劉聡が晋(西晋)を滅ぼす司馬睿が晋(東晋)建国劉曜が漢を趙(前趙)に変更、出自が異民族であることを告白石勒が趙(後趙)を建国後趙石虎により前趙滅亡李寿が成を漢(成漢)に変更石勒華北をほぼ統一、皇帝を名乗る慕容【皇光】が燕(前燕)建国石勒死去後趙の冉閔により後趙を滅す前燕が冉閔(冉魏)を滅す苻洪(蒲洪)が秦(前秦)を建国苻建が秦皇帝を名乗る
5: 斯波民部少輔 ◆BMWhZ4BQa6 2008/11/17(月) 22:37:55
この時代のあまりのキチガイっぷりに正直ドン引きした
それだけに大唐帝国の偉大さには感服せざるを得ない
それだけに大唐帝国の偉大さには感服せざるを得ない
6: 無名武将@お腹せっぷく 2008/11/17(月) 22:41:11
北魏の前に前秦が華北統一してるんだけど、それに触れられてる教科書は見たことが無い
前秦が華北統一→シ水の戦い→諸国が独立してまたもや乱世に→北魏が台頭
の流れは重要だと思うんだけど
前秦が華北統一→シ水の戦い→諸国が独立してまたもや乱世に→北魏が台頭
の流れは重要だと思うんだけど
12: 無名武将@お腹せっぷく 2008/11/17(月) 23:44:46
>>6
前秦の最盛期の領土は魏+蜀+長江より北のほとんどであり、統一前夜の隋や西晋に匹敵する。
よくこれで負けたものだ。
前秦の最盛期の領土は魏+蜀+長江より北のほとんどであり、統一前夜の隋や西晋に匹敵する。
よくこれで負けたものだ。
31: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/18(土) 20:38:15
>>12
成蜀は桓温が制圧したと思ってたが…いつ前秦が侵攻したんだろ?
成蜀は桓温が制圧したと思ってたが…いつ前秦が侵攻したんだろ?
10: 斯波民部少輔 ◆BMWhZ4BQa6 2008/11/17(月) 22:46:38
趙匡胤さんもすごいね
でも趙さんの元主君のなんとかさんの手柄も無視しちゃいけないと思うんだ
でも趙さんの元主君のなんとかさんの手柄も無視しちゃいけないと思うんだ
趙匡胤(ちょう きょういん)は、北宋の初代皇帝(在位:960年2月4日 - 976年11月14日)。廟号は太祖。
19: 無名武将@お腹せっぷく 2008/11/18(火) 15:18:15
>>10
柴栄な。
制度的な功績であれば、劉徹、王莽、劉秀、曹操も結構なものだと思う。
三国志を知ってから中国史全体を知っていくと、
漢魏の制度は目新しい改革とは映らないせいか蔑ろにされがちだけど。
柴栄な。
制度的な功績であれば、劉徹、王莽、劉秀、曹操も結構なものだと思う。
三国志を知ってから中国史全体を知っていくと、
漢魏の制度は目新しい改革とは映らないせいか蔑ろにされがちだけど。
柴 栄(さい えい)は、五代後周の第2代皇帝。五代で随一の名君とされる。柴栄の後を継いだのはわずか7歳の息子・柴宗訓であった。しかし五代の先例に漏れず、すぐに軍内の兵士たちによる実力者擁立の動きが出てくる。それが柴栄に最も信頼された殿前都点検・趙匡胤である。軍部の推戴を受けた趙匡胤は柴宗訓より禅譲を受け、北宋を建てる。殺伐とした戦乱の時代である五代十国時代では、前王朝の皇帝は殺されるのが通例であったが、柴宗訓は手厚く保護され、柴氏は南宋の滅亡まで実に400年の間、勅命により優遇された。
23: 無名武将@お腹せっぷく 2008/11/22(土) 15:07:26
>>19
王莽ってなんか新制度つくったか?
旧態前の昔の律令持ち出して国内混乱させただけじゃね?
王莽ってなんか新制度つくったか?
旧態前の昔の律令持ち出して国内混乱させただけじゃね?
26: 無名武将@お腹せっぷく 2009/02/09(月) 23:54:19
>>23
王莽は昔の律令は全く持ち出してない
周の制度とされるものを理想として模範にはしたが、中身はどれもオリジナルだ
そして天子七廟、天地や神々への祭祀、五行相克などの各種制度から、効率的な簒奪方法まで、後世に受け継がれたものは多いよ
王莽は昔の律令は全く持ち出してない
周の制度とされるものを理想として模範にはしたが、中身はどれもオリジナルだ
そして天子七廟、天地や神々への祭祀、五行相克などの各種制度から、効率的な簒奪方法まで、後世に受け継がれたものは多いよ
29: 無名武将@お腹せっぷく 2009/03/12(木) 22:50:47
符堅の大敗ぶりは異常
苻 堅(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝(大秦天王)[2]。漢人の王猛を重用して華北統一に成功し、前秦の全盛期を築く。中国統一を目指したが、大軍を南下させたところを淝水の戦いで大敗し、以後諸部族が反乱・自立して前秦は衰退して苻堅もかつての部下姚萇に殺害され、前秦は実質的に滅亡した。
100: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/04(月) 21:30:16
>>29
「酒は百薬の長」とか
言ってるし
五胡十六国皇帝の名言とかキャッチコピーある?「貧乏人は麦を食え」みたいなやつ
前秦の「光武帝なら中原に鹿を追う」しか知らないや
「酒は百薬の長」とか
言ってるし
五胡十六国皇帝の名言とかキャッチコピーある?「貧乏人は麦を食え」みたいなやつ
前秦の「光武帝なら中原に鹿を追う」しか知らないや
103: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/04(月) 22:21:41
>>100
竹馬の友かなあ
桓温たんの
竹馬の友かなあ
桓温たんの
105: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/04(月) 23:03:05
>>103
桓温ひとりで
「断腸」(母ちゃんの息子を思う気持ちは、腸が捻じ切れるほど烈しいものなのだ。)
「竹馬の友」(あいつはガキの頃、いっつも俺の後塵を拝しておったわ。)
「臭を万に残すべし」(歴史に芳名を残すことが出来ぬのであれば、せめて悪名を残してやろう。)
三つも稼いでるからな。
苻堅は、「投鞭断流」・「草木皆兵」・「風声鶴唳」があるけど、どれもネガティブすぎる。
祖逖の「先鞭つける」・「聞鶏起舞」はカッコいいね、生き様と完全にマッチングしてる。
桓温ひとりで
「断腸」(母ちゃんの息子を思う気持ちは、腸が捻じ切れるほど烈しいものなのだ。)
「竹馬の友」(あいつはガキの頃、いっつも俺の後塵を拝しておったわ。)
「臭を万に残すべし」(歴史に芳名を残すことが出来ぬのであれば、せめて悪名を残してやろう。)
三つも稼いでるからな。
苻堅は、「投鞭断流」・「草木皆兵」・「風声鶴唳」があるけど、どれもネガティブすぎる。
祖逖の「先鞭つける」・「聞鶏起舞」はカッコいいね、生き様と完全にマッチングしてる。
104: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/04(月) 22:43:30
>>100
世説新語あたりにいっぱい載ってる。
好きなのは、石勒による断罪の一言シリーズかな。
「天下を滅ぼしたのは、てめえ以外ほかに誰がいやがるってんだ!」(王衍)
「てめえなんぞ生かしておいて、天下のためになるわきゃネーだろ!」(王浚)
悪党度合いではお互い大差ないはずなのだが、どうしてここまで自信満々に断罪できるんだか。
嫌いじゃないけどね。
世説新語あたりにいっぱい載ってる。
好きなのは、石勒による断罪の一言シリーズかな。
「天下を滅ぼしたのは、てめえ以外ほかに誰がいやがるってんだ!」(王衍)
「てめえなんぞ生かしておいて、天下のためになるわきゃネーだろ!」(王浚)
悪党度合いではお互い大差ないはずなのだが、どうしてここまで自信満々に断罪できるんだか。
嫌いじゃないけどね。
34: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/27(月) 22:10:00
劉裕は化け物
劉裕(りゅう ゆう)は、南朝の宋の初代皇帝。劉裕は漢の高祖劉邦の弟である楚の元王劉交の子孫を自称していたが、元来は東晋の下級官吏の出身であり、実際の出自は不明である。成長した劉裕は気性が大変激しく、しかしその一方で器量も大きく、身分不相応な大望を持っていたという。学問には全く興味を示さず知っている文字は4つか5つほどしかなく、好きなものは博打という無頼の徒も同然だった。
125: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/09(土) 19:37:00
宴会の席で酒に酔って上機嫌になり、皆の前で詩を詠もうとしたら、
主君に恥をかかせちゃいかんと慌てて側近が代作したという逸話のある劉裕さんね。
主君に恥をかかせちゃいかんと慌てて側近が代作したという逸話のある劉裕さんね。
126: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/09(土) 21:34:03
字の汚さを指摘されて、大きく書くと綺麗に見えると言われたから巨大な字を書いたことでも有名。
127: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/09(土) 23:00:45
劉裕さんカッケー
128: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/10(日) 00:59:39
なんか可愛いなw
35: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 00:34:13
冉魏こそ最強
冉魏(ぜんぎ、拼音:Rǎnwèi、350年 - 352年)は、中国の五胡十六国時代に漢族の冉閔によって建てられた国。国号は単に魏だが、複数の時代に魏を国号とする国があるために、冉閔の魏を冉魏と呼んで区別する。国都は鄴。後趙の混乱に乗じて建国した。しかし、後趙石氏政権が、連年にわたって漢人を虐待したことへの反動として、漢民族至上主義に基づく、漢族のみの国家を目指したため、異民族の勢力圏にあった華北地方においてはその勢力基盤は脆弱で、支配領域は鄴周辺のわずかな地域に限定され、また後趙の残存勢力との争いにも国力を割かれることになり、後趙を滅ぼすことには成功するものの、建国のわずか3年後に前燕の慕容儁らにより滅ぼされた。あまりに早く滅亡したため、「五胡十六国」の一つには含まれない。
38: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 16:13:24
三国志の子孫が意外と出てこなくて寂しい(いることはいる)
日本だと島津家とか伊達家とかずっと出てくるのに
日本だと島津家とか伊達家とかずっと出てくるのに
40: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 16:35:11
>>38
中国では、盛族は王朝が交代すると没落することが多いからね
ただし、いつの時代でも血の繋がりはなかれど士大夫(知識人階級)が権力を握ることに変わりはない
日本では公家→院→武家と権力の移り変わりがあったけど、
中国はずっと士大夫
中国では、盛族は王朝が交代すると没落することが多いからね
ただし、いつの時代でも血の繋がりはなかれど士大夫(知識人階級)が権力を握ることに変わりはない
日本では公家→院→武家と権力の移り変わりがあったけど、
中国はずっと士大夫
47: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 11:40:27
>>40
士大夫→知識階級と言えるのは最低でも科挙が成立して以後でしょ。
それまではほぼ貴族が権力を握ってる。
少なくとも後漢から魏晋南北朝の士大夫→知識階級とは言えない。
士大夫→知識階級と言えるのは最低でも科挙が成立して以後でしょ。
それまではほぼ貴族が権力を握ってる。
少なくとも後漢から魏晋南北朝の士大夫→知識階級とは言えない。
48: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 12:52:51
>>47
後漢代は既に士大夫=知識階級と言っていいように思うがな。
太学の定員が大幅に増えて三万人に達していて、太学出で中央にコネもある曹操すら、
思った地位につけず、さらに郡国学などの地方教育機関もあったから、
一定階級以上はほぼ基礎教育のある状態と見ていいだろう。
さらに、それに加えてより知性を誇るための私塾ブームが起きていたわけだし。
そんな中、寒門の中から清代にいたるまで重要視される大儒の鄭玄が登場しているわけで。
後漢代は既に士大夫=知識階級と言っていいように思うがな。
太学の定員が大幅に増えて三万人に達していて、太学出で中央にコネもある曹操すら、
思った地位につけず、さらに郡国学などの地方教育機関もあったから、
一定階級以上はほぼ基礎教育のある状態と見ていいだろう。
さらに、それに加えてより知性を誇るための私塾ブームが起きていたわけだし。
そんな中、寒門の中から清代にいたるまで重要視される大儒の鄭玄が登場しているわけで。
45: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 22:35:32
>>38
王叡や王雄の一族が大いに栄えてるでしょう
王叡や王雄の一族が大いに栄えてるでしょう
41: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 16:50:02
永嘉の乱で中央の名家は殺され尽くしたんじゃないだろうか
しらんけど
しらんけど
42: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 16:56:20
>>41
南に逃れて最上位の貴族になってるよ。それも隋の統一で没落したけど
そういえば、長く続いてる戦国大名家のルーツはだいたい鎌倉、室町幕府に封建された功臣が土着化したもの
中国史では、土着化する前に粛清されるか戦乱で淘汰されるから伊達や島津のような存在が生まれない
南に逃れて最上位の貴族になってるよ。それも隋の統一で没落したけど
そういえば、長く続いてる戦国大名家のルーツはだいたい鎌倉、室町幕府に封建された功臣が土着化したもの
中国史では、土着化する前に粛清されるか戦乱で淘汰されるから伊達や島津のような存在が生まれない
43: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 17:15:39
よく旧呉の土豪がすんなり受け入れたな
抵抗しなかったのか
抵抗しなかったのか
46: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 23:17:40
>>43
旧呉の権豪たちが東晋の政権運営を壟断できる可能性はかなり高かった。
むしろ、どんな名政治家がいようが十中八九、北方貴族による政権の独占は
不可能だったと言っても良い。
王導という怪物がそれをやってのけたわけだが、調整型の政治家としては世界史級、
中国史なら他の追随を許さないレベル
個人的には、人間味のある謝安の方が好きだ。
旧呉の権豪たちが東晋の政権運営を壟断できる可能性はかなり高かった。
むしろ、どんな名政治家がいようが十中八九、北方貴族による政権の独占は
不可能だったと言っても良い。
王導という怪物がそれをやってのけたわけだが、調整型の政治家としては世界史級、
中国史なら他の追随を許さないレベル
個人的には、人間味のある謝安の方が好きだ。
王導(おう どう、276年 - 339年)は、中国の五胡十六国時代の政治家。字は茂弘。西晋及び東晋に仕え、彼の働きによって琅邪王氏は六朝時代の南朝を代表する名門貴族となった。子に王悦、王洽など。東晋の大将軍王敦は従兄、書家の王羲之は従甥に当たる。
47: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 11:40:27
>>46
南方の土豪は実権ある地位に就き辛かったはずだけど。
朝廷では北方の言語を使って南方語と馬鹿にされてたし。
あ、そういう状況を王導が作り上げてみせたってことか
江南豪族の分断とかかなりの切れ者だよな
南方の土豪は実権ある地位に就き辛かったはずだけど。
朝廷では北方の言語を使って南方語と馬鹿にされてたし。
あ、そういう状況を王導が作り上げてみせたってことか
江南豪族の分断とかかなりの切れ者だよな
47: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 11:40:27
>>43
抵抗して仲間割れしていれば北から侵略されるだけ。
南方の土豪にとっても北府の軍や皆をまとめる晋っていう大義名分が必要だった。
荊州ではひと悶着あったみたいだけども。
抵抗して仲間割れしていれば北から侵略されるだけ。
南方の土豪にとっても北府の軍や皆をまとめる晋っていう大義名分が必要だった。
荊州ではひと悶着あったみたいだけども。
44: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/28(火) 17:38:24
呉出身は排斥されてなかったっけ>南朝
49: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 17:26:06
王導ほどの政治力を誇る人物は三国志にはいない
三国志の名将以上の戦上手がごろごろいる
なのに人気は三国志以下
悲しいよね
三国志の名将以上の戦上手がごろごろいる
なのに人気は三国志以下
悲しいよね
51: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 18:26:40
>>49
構造的に全体を一つの話にはし難いしね。
一つのラインのある五代の方がストーリーは立てやすいぐらいで。
構造的に全体を一つの話にはし難いしね。
一つのラインのある五代の方がストーリーは立てやすいぐらいで。
50: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 17:56:12
その時代のスーパースターのフ堅が曹操はおろか劉備にすらイメージで負けてる
実際はともかく無理もないだろう
統一してたら曹操なんかとは比較にならないとかいう儲がでまくりだろうけど
せめて自分の代で滅亡とかしてなければ・・・
実際はともかく無理もないだろう
統一してたら曹操なんかとは比較にならないとかいう儲がでまくりだろうけど
せめて自分の代で滅亡とかしてなければ・・・
53: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 19:03:26
符堅は王猛が死んだのは確かに痛いけど
ポストが出てこないほど人材難だったのかね?
曹操は郭嘉が死んだって他にも参謀がたくさんいたじゃない
ポストが出てこないほど人材難だったのかね?
曹操は郭嘉が死んだって他にも参謀がたくさんいたじゃない
54: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/29(水) 19:14:41
符堅は最後、裏切された部下にくびり殺されてるからな
かっこ悪すぎる
信長の最期みたいなミステリアス性があれば少しはマシだったかもしれんが
かっこ悪すぎる
信長の最期みたいなミステリアス性があれば少しはマシだったかもしれんが
55: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/30(木) 09:09:09
前秦は各部族を征服したばっかりだったからねぇ
符堅は焦ったのか、お人よしだったのか
符堅は焦ったのか、お人よしだったのか
57: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/30(木) 20:59:09
曹操がいなかったら五胡はあんなに栄えなかったというのに、石ロクの酷評は酷いよね
60: 無名武将@お腹せっぷく 2009/04/30(木) 22:33:30
石勒のその評価は多分どっちかって言うと、紳士ぶって様子窺いながら
前王朝の名分に寄生し続けた(ようにみえる)ことに
「すっきりしねえ奴等だな!」
「男なら真っ向から反逆しろよ!」
つってキレてるだけかと。
前王朝の名分に寄生し続けた(ようにみえる)ことに
「すっきりしねえ奴等だな!」
「男なら真っ向から反逆しろよ!」
つってキレてるだけかと。
石勒(せき ろく)は、五胡十六国時代の後趙の創建者。石勒自らは字が読めなかったが、他人に書物を読ませて聞くのを好み、漢人士大夫を登用して律令・官制を整えた。『趙書』などの史書を編纂させたといわれる。仏教を崇拝し、仏図澄を信奉したことでも知られる。また、過去の群雄について、「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」と評した。
65: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/01(金) 16:58:23
>>60
そういう石さん自身、野盗まがいのことやって天下とったんだから、曹さんや司馬さんも、奴にだけは言われたくねーだろうな
そういう石さん自身、野盗まがいのことやって天下とったんだから、曹さんや司馬さんも、奴にだけは言われたくねーだろうな
63: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/01(金) 12:11:58
南朝に陳って王朝があるんだが、そこの皇帝は陳って名字なんだよ。
名字が陳だったから王朝の名前も陳だったのか?
名字が陳だったから王朝の名前も陳だったのか?
64: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/01(金) 12:48:55
>>63
古代中国では、滅亡した国の王族がその国号を姓とするパターンが多々見られた
陳覇先はいわゆる寒門だったんだが、自分の陳という姓に権威をつけるために
古代の陳の後継者を自認して国号を陳にしたのかもしれない
古代中国では、滅亡した国の王族がその国号を姓とするパターンが多々見られた
陳覇先はいわゆる寒門だったんだが、自分の陳という姓に権威をつけるために
古代の陳の後継者を自認して国号を陳にしたのかもしれない
68: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/01(金) 23:36:27
桓温よりも劉裕の方が強い
と思うのは俺だけ
と思うのは俺だけ
75: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/02(土) 09:10:31
>>68
桓温による地ならし(土断、軍人の地位向上、簒奪を容認する世論の醸成)が
なければ、劉裕の宋建国はまず有り得なかっただろう。
戦場での勇猛さ、軍事手腕は確かに劉裕が上かもしれないが、政治家としての
能力も加味してくると、桓温の方が圧倒的に上
仮に(桓玄ではなく)桓温が相手であった場合は、劉裕は「輿望」という点で全く
相手にならず、叛乱は失敗に終わっていたと思う。
桓温による地ならし(土断、軍人の地位向上、簒奪を容認する世論の醸成)が
なければ、劉裕の宋建国はまず有り得なかっただろう。
戦場での勇猛さ、軍事手腕は確かに劉裕が上かもしれないが、政治家としての
能力も加味してくると、桓温の方が圧倒的に上
仮に(桓玄ではなく)桓温が相手であった場合は、劉裕は「輿望」という点で全く
相手にならず、叛乱は失敗に終わっていたと思う。
73: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/02(土) 01:11:06
桓温は慕容垂にボコられた事以外は、結構凄い戦績残してるよね。
特にこの時代は漢人の名将が少ないから、尚更その凄さが際立つね。
特にこの時代は漢人の名将が少ないから、尚更その凄さが際立つね。
桓 温(かん おん、312年 - 373年)は、中国・五胡十六国時代の東晋の政治家・軍人。字は元子。軍事的成功により東晋を牛耳り、禅譲を目論んだが周囲の反対に逢い失敗した。父は桓彝(かんい)、弟に桓雲、桓豁、桓祕、桓沖。子に桓玄。
75: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/02(土) 09:10:31
>>73
と言うよりも、枋頭での撤退戦で敗れる直前までは、前燕は崩壊寸前だったのだが。
湖陸の戦い、林渚の戦いで前燕の防衛ラインは完膚なきまでに破断されている。
桓温が失敗したのは、後方支援態勢が「短期戦」のそれを想定したものであったのに
対し、前燕の首都を間近に控えて、敵の内部崩壊を待つべく長期戦への作戦転換に
色気を出してしまったことだろう。
(前燕は対王猛戦で見せた総兵力40万の大動員を、対桓温戦では実行に移す
余裕すらなかった。)
慕容徳が桓温の強気に押し負けずに、兵站線の打撃を実行したことは賞賛に値する。
慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。
と言うよりも、枋頭での撤退戦で敗れる直前までは、前燕は崩壊寸前だったのだが。
湖陸の戦い、林渚の戦いで前燕の防衛ラインは完膚なきまでに破断されている。
桓温が失敗したのは、後方支援態勢が「短期戦」のそれを想定したものであったのに
対し、前燕の首都を間近に控えて、敵の内部崩壊を待つべく長期戦への作戦転換に
色気を出してしまったことだろう。
(前燕は対王猛戦で見せた総兵力40万の大動員を、対桓温戦では実行に移す
余裕すらなかった。)
慕容徳が桓温の強気に押し負けずに、兵站線の打撃を実行したことは賞賛に値する。
慕容垂も名将と言えば名将だが、枋頭の戦いの寸前まで、何の有効策も打ち出せて
いない時点で、兄貴や桓温に劣ると言わざるを得ん。
77: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/02(土) 14:20:52
厨臭い強引なランク付けだが、この時代の人物たちを評価するならば
1:石勒(後趙高祖・明帝)
2:桓温(東晋大司馬)
3:苻堅(前秦世祖・秦天王)
4:劉裕(劉宋高祖・武帝)
5:慕容恪(前燕太宰・太原王)
6:王導(東晋司徒)
7:慕容垂(後燕世祖・成武帝)
8:王猛(前燕丞相)
9:劉曜(前趙皇帝)
10:拓跋珪(北魏道武帝)
個人的には、劉裕ぐらいまでが曹操に比肩するレベルだと考えている。
軍事手腕のランク付けだと、また微妙に変わってくるが。
1:石勒(後趙高祖・明帝)
2:桓温(東晋大司馬)
3:苻堅(前秦世祖・秦天王)
4:劉裕(劉宋高祖・武帝)
5:慕容恪(前燕太宰・太原王)
6:王導(東晋司徒)
7:慕容垂(後燕世祖・成武帝)
8:王猛(前燕丞相)
9:劉曜(前趙皇帝)
10:拓跋珪(北魏道武帝)
個人的には、劉裕ぐらいまでが曹操に比肩するレベルだと考えている。
軍事手腕のランク付けだと、また微妙に変わってくるが。
79: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/02(土) 16:52:12
中国人が評価した、曹操や慕容垂、慕容恪などの能力値
ttp://www.hksan.net/main/article.php?articleid=182
ttp://www.hksan.net/main/article.php?articleid=182
80: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/02(土) 20:58:58
>>79
なぜ慕容の方々は、鷹と一緒なんだろうか。
なぜ慕容の方々は、鷹と一緒なんだろうか。
81: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 00:54:11
>>79
慕容恪が凄まじく強いな。
他の人物の能力も見れるのだろうか。
慕容恪が凄まじく強いな。
他の人物の能力も見れるのだろうか。
82: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 01:13:27
>>79
五胡厨すぎて萎える
五胡厨すぎて萎える
83: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 11:14:04
>>79
三国志の部分で一番冗談じみてるのはここだな。
知力 政治 魅力
諸葛亮 100 100 100
趙雲 80
諸葛亮はもう存在がおかしい。お前帰れ。
趙雲が馮異と同じ知力というのはどういう了見よ。
政治
康煕帝 89
徐庶 90
賈詡 90
OKOK、有名な時代と人物、そして五胡以外を過小評価してるのはわかった。
何の冗談だよ。
曹操だけは魅力以外は納得。魅力はもっと高いだろう。
三国志の部分で一番冗談じみてるのはここだな。
知力 政治 魅力
諸葛亮 100 100 100
趙雲 80
諸葛亮はもう存在がおかしい。お前帰れ。
趙雲が馮異と同じ知力というのはどういう了見よ。
政治
康煕帝 89
徐庶 90
賈詡 90
OKOK、有名な時代と人物、そして五胡以外を過小評価してるのはわかった。
何の冗談だよ。
曹操だけは魅力以外は納得。魅力はもっと高いだろう。
84: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 14:04:36
>>83
多分孔明と曹操は演義だろう
そのブースト分を見ても魅力100は高杉だが
趙雲が高井というか馮異が低い
康熙帝、趙匡胤はひどすぎて笑った
多分孔明と曹操は演義だろう
そのブースト分を見ても魅力100は高杉だが
趙雲が高井というか馮異が低い
康熙帝、趙匡胤はひどすぎて笑った
93: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 22:40:57
>>79
この人宋が嫌いなのかな。
趙普が政治80とか有り得ないだろ。
文天祥に至っては知力1とかwwww
この人宋が嫌いなのかな。
趙普が政治80とか有り得ないだろ。
文天祥に至っては知力1とかwwww
94: うんぴ ◆BMWhZ4BQa6 2009/05/03(日) 22:59:29
>>93
なんか中国人って総じて宋を過小評価してる気がする
偉大な文化が花開いた時代なのに、軍事的に弱かったっていう理由だけで嫌ってるっていうか・・・
異民族の遼とか金、元にボッコボコに虐められたのが余程気に入らないのかも・・・
そのぶん岳飛とかめちゃくちゃ評価されてるしね
なんか中国人って総じて宋を過小評価してる気がする
偉大な文化が花開いた時代なのに、軍事的に弱かったっていう理由だけで嫌ってるっていうか・・・
異民族の遼とか金、元にボッコボコに虐められたのが余程気に入らないのかも・・・
そのぶん岳飛とかめちゃくちゃ評価されてるしね
85: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 14:18:23
評価は誰でもできるから
とんでも評価があってもおかしくはないな
中国人が評価してるって聞くと日本よりちゃんとしてんじゃないかって印象を持っちゃうけど
一般中国人より中国史オタの日本人のほうが詳しそうだw
とんでも評価があってもおかしくはないな
中国人が評価してるって聞くと日本よりちゃんとしてんじゃないかって印象を持っちゃうけど
一般中国人より中国史オタの日本人のほうが詳しそうだw
87: うんぴ ◆BMWhZ4BQa6 2009/05/03(日) 14:50:09
李世民さまの能力値が非常に気になる
90: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 17:31:52
>>87
統率 武力 知力 政治 魅力
94 66 88 95 100
統率 武力 知力 政治 魅力
94 66 88 95 100
91: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 18:44:35
魅力100は無いと思うが他の数字はそこそこ的を射ている・・・のか?
92: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/03(日) 21:42:29
>>91
まぁ的を射ているんじゃないかな。
魅力は劉秀や姫昌、姫旦も100なんで、まぁ要するに統一事業に功績大きく
粛清は少なくかつ内治にも功績の大きいタイプかな。
…康熙帝はやっぱ異民族だからかなぁ…
その割に五胡の北方異民族とかやたら高評価だが…
まぁ的を射ているんじゃないかな。
魅力は劉秀や姫昌、姫旦も100なんで、まぁ要するに統一事業に功績大きく
粛清は少なくかつ内治にも功績の大きいタイプかな。
…康熙帝はやっぱ異民族だからかなぁ…
その割に五胡の北方異民族とかやたら高評価だが…
95: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/04(月) 01:49:31
遊牧民族最盛期なんだから軍事力整えてたって喧嘩すりゃボコボコにされてたのにな
112: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/07(木) 15:09:32
石ろくより劉裕のほうが戦は強いとオモ
113: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/07(木) 21:08:28
>>112
石勒は、基本的に戦争には強くない。
載記読めば分かるけど、この時代の群雄・君主の中でも敗戦・撤退の記述が
かなり多い方、軍団の崩壊は306年と311年の2回確認できる。
(飛龍山の戦いも冀州攻略頓挫のきっかけとみるならば、手痛い敗戦のひとつ)
「名将」や「猛将」という評価は、かなりイメージ先行という感じがする。
まあ、周囲の群雄から見れば、叩いても叩いても絶対に死なないで復活してくる
気味の悪い化け物って感じだったんじゃないかな?
異常なまでの頑強さと回復力としか言いようがないほど捲土重来しまくってる。
五胡~南北朝含めても、石勒に勝利を収めれる将軍は結構いるかもしれない、
ただし、二戦目、三戦目は絶対石勒が巻き返すという構図に持ち込まれる、
単純な強さで測れない部分こそ、石勒の本当に恐ろしいところだと思う。
ゴキブリ並みの生命力という言葉は、こいつのためにあると言っても過言ではない。
石勒は、基本的に戦争には強くない。
載記読めば分かるけど、この時代の群雄・君主の中でも敗戦・撤退の記述が
かなり多い方、軍団の崩壊は306年と311年の2回確認できる。
(飛龍山の戦いも冀州攻略頓挫のきっかけとみるならば、手痛い敗戦のひとつ)
「名将」や「猛将」という評価は、かなりイメージ先行という感じがする。
まあ、周囲の群雄から見れば、叩いても叩いても絶対に死なないで復活してくる
気味の悪い化け物って感じだったんじゃないかな?
異常なまでの頑強さと回復力としか言いようがないほど捲土重来しまくってる。
五胡~南北朝含めても、石勒に勝利を収めれる将軍は結構いるかもしれない、
ただし、二戦目、三戦目は絶対石勒が巻き返すという構図に持ち込まれる、
単純な強さで測れない部分こそ、石勒の本当に恐ろしいところだと思う。
ゴキブリ並みの生命力という言葉は、こいつのためにあると言っても過言ではない。
118: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/08(金) 23:59:12
>>113
さすがは高祖大好きっ子だな。
さすがは高祖大好きっ子だな。
114: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/08(金) 00:07:43
石勒は息子がキチガイなのが玉に瑕
115: 無名武将@お腹せっぷく 2009/05/08(金) 21:30:02
石虎のキチガイぶりは誇張されすぎだろう
敬虔な仏教徒だったんだろう?
敬虔な仏教徒だったんだろう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/石虎
武帝の治世は武帝自身の暴虐非道な性格を反映して、乱世である五胡十六国時代の中でも最も非道が罷り通る時代と評されている。中でも次々に大宮殿を造営したり、統治下の漢民族から馬、美女、物資などありとあらゆるものを徴発し続けた結果、漢人の10人に7人が破産し、妻を取られて自殺する者も後を絶たなかったという。しかし凶暴な性格ではあるが、仏教に対しては寛容であり、仏図澄を国師待遇していた。
179: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/16(火) 01:28:26
石勒はなぜ石虎のような基地外を可愛がったのだろうか
181: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/16(火) 21:40:36
>>179
石虎の軍功が抜群だからだろうな。
耄碌してから惨敗の繰り返しだったが、少なくとも石勒の片腕として働いていたときは、
幽州での段部攻略を筆頭に、青州、徐州、豫州そして劉曜敗亡後の関中併合と
凄まじい活躍のしすぎ、ぶっちゃけ夏侯淵や杜預なんて格下と言っても良いくらいだ。
後の時代を見ても、慕容兄弟ですら石虎の獲得した領土は切り取れていないんだから、
この時代のトップクラスの猛将として扱ってやって然るべき。
簒奪後の駄目っぷりとロリコンは擁護しきれないが。
石虎の軍功が抜群だからだろうな。
耄碌してから惨敗の繰り返しだったが、少なくとも石勒の片腕として働いていたときは、
幽州での段部攻略を筆頭に、青州、徐州、豫州そして劉曜敗亡後の関中併合と
凄まじい活躍のしすぎ、ぶっちゃけ夏侯淵や杜預なんて格下と言っても良いくらいだ。
後の時代を見ても、慕容兄弟ですら石虎の獲得した領土は切り取れていないんだから、
この時代のトップクラスの猛将として扱ってやって然るべき。
簒奪後の駄目っぷりとロリコンは擁護しきれないが。
180: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/16(火) 07:48:35
徐光が石虎は危険だから誅殺するように、との意見も無視したしね
石勒も一応死ぬ前に釘さしてるけど
石勒は親征あまりしなかったから、身内で使える石虎は大事だったのかも
石勒も一応死ぬ前に釘さしてるけど
石勒は親征あまりしなかったから、身内で使える石虎は大事だったのかも
182: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/16(火) 21:55:12
石虎は切り札的に考えていたんでないか、石勒としては。自分なら制御できるという自
信があったからかも。
信があったからかも。
183: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/16(火) 21:58:53
劉曜もスゲーよ
白髭に赤目、神射と呼ばれる弓の達人
アル中で戦の最中でも呑んだくれ
石勒との決戦の時も飲み過ぎで酩酊、敗れる原因に
白髭に赤目、神射と呼ばれる弓の達人
アル中で戦の最中でも呑んだくれ
石勒との決戦の時も飲み過ぎで酩酊、敗れる原因に
劉 曜(りゅう よう)は、五胡十六国時代の前趙(漢)の第5代皇帝。『晋書』劉曜伝によると、身長は9尺3寸、5尺の髭、白い眉、赤い瞳を持っていたという。漢を興した光文帝劉淵の従子で昭武帝劉聡の族弟。幼い頃に父・劉綠が亡くなり、従父の劉淵に引き取られ養われた。剛胆かつ文武に秀で、劉淵からは「劉家の千里の駒」と呼ばれた。
204: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/22(月) 23:18:04
劉曜ただの馬鹿だろ
205: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/23(火) 14:07:42
馬鹿と言えば
王猛の「攻めるなよ」を
ダチョウ倶楽部的に理解した苻堅
王猛の「攻めるなよ」を
ダチョウ倶楽部的に理解した苻堅
248: 無名武将@お腹せっぷく 2010/03/05(金) 06:01:48
祖逖て化け物だろ
祖 逖(そ てき、266年 - 321年)は、西晋から東晋にかけての武将。字は士稚。東晋初期の名将として知られている。石勒は祖逖と連戦して敗れ、彼の武威を恐れた。そのため後趙領内にある祖逖の祖父の墓地を修理して墓守を置いたりした。また祖逖の部下が罪を犯して後趙に逃れて来た際には匿わずにその首を斬って送り返すなど、常に祖逖の意を迎える事に務めたという。朝廷の権力独占を図っていた王敦にとって目の上の瘤は祖逖だったが、その祖逖が死んだ事に喜んで以後ますます野心を露骨にし出したという。祖逖が死ぬと、予州の民はこぞって涙を流し、彼のために祠を建てる事が続いたという。
249: 無名武将@お腹せっぷく 2010/03/05(金) 13:02:09
五胡の連中を調べてみると、三国の連中って本当戦下手だな~と思う
251: 無名武将@お腹せっぷく 2010/03/06(土) 02:12:08
>>249
いやそら単純に、戦術は常に進歩してるわけで…
三国末に登場し当時としては画期的でその後陣のスタンダードとして晋代に学ばれる諸葛亮の八陣も
唐代には学ぶべき「「古典」として扱われたりするわけで
三国時代の連中が五胡十六国時代の人に比べて戦術に劣るのは当然
いやそら単純に、戦術は常に進歩してるわけで…
三国末に登場し当時としては画期的でその後陣のスタンダードとして晋代に学ばれる諸葛亮の八陣も
唐代には学ぶべき「「古典」として扱われたりするわけで
三国時代の連中が五胡十六国時代の人に比べて戦術に劣るのは当然
253: 無名武将@お腹せっぷく 2010/03/06(土) 15:35:43
>>249
五胡の連中も勝ったり負けたりだろ。
しかもちょっとした流民集団や、前線に孤立した西晋の遺臣にすら手を焼いてたり。
むしろ三国時代より劣化してる印象。
五胡の連中も勝ったり負けたりだろ。
しかもちょっとした流民集団や、前線に孤立した西晋の遺臣にすら手を焼いてたり。
むしろ三国時代より劣化してる印象。
254: 無名武将@お腹せっぷく 2010/03/06(土) 17:05:27
>>253
「軍隊」というシステムはかなり劣化した印象を受けるな、まあこれは三国時代
(と言うか後漢末の群雄割拠のときか)も似たり寄ったりだが。
兵戸なんて、こいつらどんだけ悲惨なんだよ、って思わず同情しちまうわ。
士気・戦闘技術という点では、古代の徴兵制度の方が優秀だったわけだし。
変わりに封建的な軍集団が登場してきて、そういう意味では中国史っぽくない、
そこが実に面白い。
姚氏集団は清河県摂頭に所領を拝領して代々後趙政権に忠節を尽くしていた
わけで、もしかしたら中国でも封建制が成り立つ可能性があったのかもねえ、と
思わずにはいられない。
「軍隊」というシステムはかなり劣化した印象を受けるな、まあこれは三国時代
(と言うか後漢末の群雄割拠のときか)も似たり寄ったりだが。
兵戸なんて、こいつらどんだけ悲惨なんだよ、って思わず同情しちまうわ。
士気・戦闘技術という点では、古代の徴兵制度の方が優秀だったわけだし。
変わりに封建的な軍集団が登場してきて、そういう意味では中国史っぽくない、
そこが実に面白い。
姚氏集団は清河県摂頭に所領を拝領して代々後趙政権に忠節を尽くしていた
わけで、もしかしたら中国でも封建制が成り立つ可能性があったのかもねえ、と
思わずにはいられない。
258: 無名武将@お腹せっぷく 2010/03/21(日) 16:24:11
羊 献容たんの人生劇場(女の花道)
羊 献容(よう けんよう、286年 - 322年)は、西晋恵帝の2番目の皇后、のち前趙の劉曜の皇后。泰山県南城郡の人。祖父は尚書右僕射の羊瑾(羊祜や景献皇后のいとこ)、父は尚書右僕射の羊玄之(字は宏献)、母は孫旂の娘。八王の乱、それに続く永嘉の乱に翻弄され、波乱に富む一生を送った。 獻文皇后。
286年 生まれる
↓
300年 14歳で恵帝の皇后となる
↓
301年 司馬倫が皇帝位簒奪→皇后廃位
↓
301年 司馬倫あぼーん→復位
↓
304年2月 廃位
↓
304年7月 復位
↓
304年8月 廃位
↓
304年11月 復位
↓
305年4月 廃位
↓
305年11月 復位
↓
305年11月 廃位
↓
306年6月 復位
↓
306年11月 恵帝死去。皇后位を去る
↓
311年 洛陽が前趙の劉曜らの攻撃を受けて陥落 → 無理やり劉曜の嫁にされる。3人の子をもうける。
↓
316年 長安が陥落して西晋アボーン
↓
318年 劉曜が皇帝に即位。皇后に立てられる。
劉曜「俺と恵帝と比べてどう?」
羊「あなた最高よ。ワイルドな男って素敵!あなたに逢えて良かったわ。ああん、幸せ!」
↓
322年 享年36。劉曜マジ泣き。立派な墓を建てる。
260: 無名武将@お腹せっぷく 2010/04/11(日) 15:44:23
>>258
>無理やり劉曜の嫁にされる
これはラッキーだったと思うけどな。
301年~310年頃なんていつ殺されてもおかしくなかった。
>無理やり劉曜の嫁にされる
これはラッキーだったと思うけどな。
301年~310年頃なんていつ殺されてもおかしくなかった。
261: 無名武将@お腹せっぷく 2010/04/30(金) 22:58:20
>>258
劉曜は自らの容姿に結構コンプレックスがあったみたいだし、
劉聡以外の一族からの評価も低かったようだから、皇帝即位以前は、現在ほどの
評価は受けていなかったと見た方がいいと思う。
(宮崎市定先生は割かし高評価だったけどね。)
羊献容はそれこそ人間扱いなんかされていない、完全にモノだ、モノ
皇太后の座をゲットしようと画策して頓挫する場面なんか見てらんない。
バックも全滅しているから、実害なしと見積もられて生きながらえているし、
ここまで扱いの悪い(と言うか軽い)元皇后も珍しい。
人外扱いの堅物と道具扱いの小娘、異色ではあるがお似合いのカップルだな。
劉曜は自らの容姿に結構コンプレックスがあったみたいだし、
劉聡以外の一族からの評価も低かったようだから、皇帝即位以前は、現在ほどの
評価は受けていなかったと見た方がいいと思う。
(宮崎市定先生は割かし高評価だったけどね。)
羊献容はそれこそ人間扱いなんかされていない、完全にモノだ、モノ
皇太后の座をゲットしようと画策して頓挫する場面なんか見てらんない。
バックも全滅しているから、実害なしと見積もられて生きながらえているし、
ここまで扱いの悪い(と言うか軽い)元皇后も珍しい。
人外扱いの堅物と道具扱いの小娘、異色ではあるがお似合いのカップルだな。
275: 無名武将@お腹せっぷく 2010/08/01(日) 13:26:31
王猛って石虎とか冉閔の時代は何してたんだろう?
王 猛(おう もう、325年 - 375年)は中国の前秦の苻堅に仕えた宰相。字は景略(けいりゃく)。苻堅の覇業を全面的に補佐した賢臣で、華北統一に貢献した。
280: 無名武将@お腹せっぷく 2010/08/09(月) 18:21:35
>>275
猛勉強の傍ら、畚(もっこ)を作り売り歩いて食い繋いでいた。
(典型的な上昇志向旺盛な寒門漢人)
当時、後趙の帝都に赴いても誰からもまともに相手をされなかった。
(まあ、何のコネも無い若造を引き立てるほうがどうかしているとは思うが。)
後趙の侍中まで登りつめた人物鑑定の名家であった徐統という人からは、その才能を
見込まれて登用されそうになったが、固辞して華陰山まで逃亡、隠遁生活に突入する
次第となる。
自分が仕えるに足る人物を捜し求めて隠遁していたようだが、桓温に失望してから
苻堅に仕えるまでの過程が納得いかないんだよな。桓温も一世の英傑であり、
苻堅のような甘ちゃんなんかより、ずっと覇者・天下人って感じなんだがなあ。
本人にしか納得いかない、譲れない部分があったんだろうな。
猛勉強の傍ら、畚(もっこ)を作り売り歩いて食い繋いでいた。
(典型的な上昇志向旺盛な寒門漢人)
当時、後趙の帝都に赴いても誰からもまともに相手をされなかった。
(まあ、何のコネも無い若造を引き立てるほうがどうかしているとは思うが。)
後趙の侍中まで登りつめた人物鑑定の名家であった徐統という人からは、その才能を
見込まれて登用されそうになったが、固辞して華陰山まで逃亡、隠遁生活に突入する
次第となる。
自分が仕えるに足る人物を捜し求めて隠遁していたようだが、桓温に失望してから
苻堅に仕えるまでの過程が納得いかないんだよな。桓温も一世の英傑であり、
苻堅のような甘ちゃんなんかより、ずっと覇者・天下人って感じなんだがなあ。
本人にしか納得いかない、譲れない部分があったんだろうな。
281: 無名武将@お腹せっぷく 2010/08/09(月) 22:14:01
>>280
桓温≒曹操
苻堅≒劉備
ってことなら分かる
本当に才能があり、自分に自信がある人物なら、全てを委ねてくれる主君を選ぶ
桓温≒曹操
苻堅≒劉備
ってことなら分かる
本当に才能があり、自分に自信がある人物なら、全てを委ねてくれる主君を選ぶ
201: 無名武将@お腹せっぷく 2009/06/21(日) 01:22:04
全体がわかりにくので、誰か歴史マンガにしてほしい
転載元
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1226927876/
中国史のゲームを集めるスレ
呂布とか三国志の武将ってどんなご飯食ってたの?
卑弥呼と魏ってどうやって意思疎通してたの?
古代ローマの文化とか歴史でおもしろい話ない?
中国史における奇策「二桃三士を殺す」
苻堅と王猛: 不世出の名君と臥竜の軍師 (祥伝社文庫)
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