115


1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/22(水) 23:22:37 ID:7QemPERd
戦国時代の浪人はどのようにして暮らしてたのだろうか。
結局はニートみたいなもんだったんのかな?







2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/22(水) 23:34:35 ID:5Dsqrb0s
( ´゚ω゚` )

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/22(水) 23:44:31 ID:wtZV6XUC
つーか、ニートのように親のすねをかじる奴は、
浪人とはいわないのでは。。。

ニート=働かないで遊んでいる=うつけ?、かぶき者?、座敷わらし?
浪人=定職を求めてうろつく人=フリーター?、ハローワーカー?

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/22(水) 23:51:45 ID:OgFgWV1y
金は大丈夫だったのか気になる。
主君滅亡後に裸一貫で家を失い浪人になるとした場合で考えると。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 01:07:12 ID:tlcQQ8jr
特殊な技術を持ってれば転職もできそう

17: 人間七七四年 2007/03/03(土) 09:58:05 ID:dOiZ/H1E
>>5
戦国時代じゃないが米沢蕃出身のうちの先祖は侍やめて
鍛冶屋に転職したらしい。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 01:10:00 ID:VgG66lfC
長宗我部盛親は改易後京で子供に学問を教えてたというから、
きちんと教養があればそこそこ喰えたんじゃないか


33: 人間七七四年 2007/03/11(日) 22:01:15 ID:Y+btBiws
長宗我部盛親は不遇を耐え忍び 
後に1000人を従えて大坂城に入場 
藤堂高虎の軍に壊滅的な打撃を与えた 

どうも真田ばかり目立つが 
この人も凄いと思う 

戦国時代がもう少し続いていれば 再起の可能性があった人だ


7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 01:22:05 ID:2ixPqi9v
でも、それは東証一部上場の社長が場末の塾講師になるってことで、喰えると暮らすは別物じゃないかな。それに最後にはあんなに旧臣が集まったのは有形無形の援助があったことも充分に考えられ


59: Y ◆nzdGjBH722 2007/08/11(土) 02:40:14 ID:YFhn2ZPV
>>6
つ桑名吉成の援助

毛利勝永や宇喜多秀家は四国や八丈島で強制ニート状態だったが、
意外と厚遇されてんだな。宇喜多は現地人と再婚したっけ?



60: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/08/11(土) 02:58:44 ID:yH70LRze
>>59
秀家長男の秀高は八丈島代官奥山縫殿助の娘、次男の秀継は磯織り女と結婚したな。
ただ、秀家に関しては八丈島の女を娶ったと言う証拠は無い。
流された際、阿いという女を従えていることから、この女性が秀家の後妻になったと思われる。

61: 一応評価職人? 2007/08/11(土) 04:46:02 ID:6nDnm3aR
>>60
くわしいですね~
さて浪人といえば後藤又兵衛でしょう
【乞食大将】後藤又兵衛



8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 02:01:40 ID:6KujbB04
佐久間の信盛ちゃんの例とかも見ると、それなりの身分の者が浪人で暮らしていくには
やっぱり援助が必要だったんだと思うね。

郎党も何もいない独り身なら何とでもなるだろうけど

9: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/18(月) 20:18:40 ID:WTBaTt4y
戦国時代になると、全国の戦国大名たちが大量の戦闘要員を必要としており、例え主家が滅びて浪人になっても再仕官する機会は多くあった。
また、後の江戸時代と違って主従関係がルーズで、待遇に不満があれば主君を見限って自ら致仕して浪人になり、実力次第でよりよい待遇を求めて別の大名家に仕官する者たちもいた。
この時代は、浪人になって幾つもの大名家を渡り歩く武士が多く、中には大名にまで出世する者もいた。
藤堂高虎はその生涯に10の主家に仕えている。また、この時代は身分が未分化で武士から商人、農民になることも、その逆も容易だった。

10: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/18(月) 21:06:50 ID:OB/EbWio
明智光秀や真田幸隆、前田利家なんかも浪人生活送ってるな。
生活レベルは人それぞれだが、コネや情報、大義名分目当ての他、
戦があれば純粋に戦闘要員として(引き篭もりたくても)狩り出されるんだし、
就職先と死場にはなんら困らないだろう。

11: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/18(月) 21:58:13 ID:uA/OqNdC
仕官する際に面接みたいなものはあったのですか?

12: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/18(月) 22:08:36 ID:o1PceOsb
時期によるが、戦国期、関ケ原後など結構仕官者を募って面接やらしていた大名家はあるよ。

加藤清正が熊本とかで面接やったりしたのは結構有名じゃね?

15: 人間七七四年 2007/02/17(土) 19:40:03 ID:Q3+jyk6t
>>12
その頃、柳川を没収されて加藤家に居候していた立花宗茂が面接官をした事もあったとかなかったとか。

13: 人間七七四年 2007/02/17(土) 19:09:18 ID:tz9k1+kv
光秀は長い間浪人してたらしいが

14: 人間七七四年 2007/02/17(土) 19:17:07 ID:apm1EAbd
細川藤孝は寺に忍び込んで、油を失敬してたw

>>13
嫁さんが髪の毛を売ってお金に……の逸話は創作でも泣ける。




19: 人間七七四年 2007/03/03(土) 14:32:29 ID:lAGuU3qD
関が原で改易された大名は。。

自力で稼ぐ
長宗我部盛親 京都相国寺ちかくで寺子屋経営
真田       紐工場経営

ニート
立花宗茂    家臣がバイト、雲水、物乞い 
毛利勝信・勝永 旧知の山内に預けられ千石与えれ悠々自適
宇喜多秀家   八丈島で妻の実家の前田家から仕送り  


20: 仙台藩土百姓 2007/03/03(土) 15:44:50 ID:PnfWPuYa
その連中は浪人というより罪人だお( ^ω^)

22: 人間七七四年 2007/03/07(水) 16:13:38 ID:DqL8M46w
なんか立花宗茂は浪人のようで浪人じゃないようなきがするべ。
家臣が食い扶持探すんだからおもしろいね

23: 人間七七四年 2007/03/09(金) 09:05:53 ID:EYVrwtq/
>>22
殿様に職探しは無理じゃね?
頭を下げる生活とかしたこと無さそうだし。

24: 人間七七四年 2007/03/09(金) 23:27:47 ID:Bj0ea6Wb
伊東家の息子さんは酒造りやってたんだっけ。

25: 人間七七四年 2007/03/10(土) 13:43:08 ID:YF0IORck
旧大名が仕官口探しw
誰が雇うことやら。
せいぜい客将扱いかな?前田家の高山右近みたいに

27: 人間七七四年 2007/03/10(土) 15:42:38 ID:DIYd5Dlx
斎藤龍興は雑兵として姉川で朝倉方で戦死したとか。

28: 人間七七四年 2007/03/10(土) 15:52:31 ID:cVhxCG4T
>>27
姉川ではなく刀根坂。事実上越前朝倉家最後の戦いだったりする。

龍興って、信長-義昭上洛後の三好三人衆による本圀寺襲撃にも加わっていたりするんだよなw

29: 人間七七四年 2007/03/10(土) 16:07:21 ID:/S88L11Q
>>28
龍興は、一貫して信長の対抗勢力に加わってるんだよな。
執念というか何というか…美濃失陥後の龍興の足跡を描いたら、かなり面白そう。
大河とかマンガとか小説とかでそういう作品ってないかな。

30: 人間七七四年 2007/03/10(土) 21:28:26 ID:64vtHqQ+
>>29
つセンゴク



35: 人間七七四年 2007/03/19(月) 13:26:14 ID:0mnmfcWF
浪人の食い扶持を得る方法
大きな合戦の際、臨時の兵士として雇われる。
そこそこ金はあるが、防衛力の担い手がいない商家や豪農、寺社等の用心棒として雇われる。
強盗をする。

こんな所か



38: 人間七七四年 2007/03/19(月) 15:06:57 ID:NERKEDrQ
佐久間信盛
中野宗時

浪人になった後に飢死
生活は厳しいのだろうな

39: 人間七七四年 2007/03/19(月) 15:14:03 ID:VvCwEltF
>>38
佐久間信盛は高野山で病没では?
47: 人間七七四年 2007/05/17(木) 11:59:57 ID:jIvPtUxh
佐久間信盛みたいに大身から浪人になると、失意のまま亡くなるってことも多そうだな。

62: 人間七七四年 2007/09/08(土) 16:09:06 ID:O2Vqot9h
>>47 
信盛に従った従者は、僅か二人だったらしいよ・・・。




44: 人間七七四年 2007/04/06(金) 00:22:02 ID:vNNhBOwu
いま就職活動してて、内定来ないし自殺するかって感じだから、
戦国時代の浪人がどうして食っていけてたのか非常に気になる。


46: 人間七七四年 2007/05/06(日) 23:22:22 ID:EajfWbM+
浪人から出世した奴もいるんだから頑張れ




51: 人間七七四年 2007/06/22(金) 21:49:25 ID:zVufaajG
怪しげな文書を記したエセ軍学者とか多そうだな。

52: 人間七七四年 2007/06/23(土) 22:44:19 ID:lq9VmcvY
小幡景憲のことかー!
http://ja.wikipedia.org/wiki/小幡 景憲(おばた かげのり)





71: 人間七七四年 2008/03/02(日) 11:07:07 ID:DuAFmy1/
門地も故地も無ければ兵法者にでもなるしかない。
十三の歳からほぼ四十年、浪人やってた宮本武蔵の例もあるし。



78: 人間七七四年 2008/03/27(木) 17:49:59 ID:oRf7TYD4
士分だと陣借りで仕官を果たそうとするから合戦が始まりそうな所に居を構えて
一族郎党からの援助を貰いつつ機を待つって感じか?

79: 人間七七四年 2008/03/28(金) 16:07:26 ID:QmtWM2qL
陣借りって一人でも出来たのかな?
放浪してる浪人の場合郎党連れてるとも思えないのだが
名も無き浪人が陣借りできたの?
関ヶ原時の武蔵みたいな奴は足軽としてですか?
それじゃ立身は見込めないと思うのだが・・・
でも松倉みたいに同じ陣借りでも手柄立てて大名化した奴もいるんだよね。謎

あと寺子屋の学費って江戸期で月200文ぐらいだったらしい
20人学級として月収4000文
銭4000文で1両だから月収1両
蕎麦が16文で大福が4文ぐらいだったから換算すると1両が大体10万円ぐらい
米だけ食っても年間4両ぐらいかかるので
そう考えると殿様稼業から転落した長曾我部盛親は結構困窮してたんだな
家賃とかはなさそうだけど・・・

82: 人間七七四年 2008/03/30(日) 20:56:46 ID:unSXTwNb
>>79
まともな士分が一人はありえないような……。
観戦武官みたいな客分なら、いざ知らず。

83: 人間七七四年 2008/03/31(月) 16:03:24 ID:JyT5XZOZ
>>82
でも浪人だったら給料払えないから
よほどカリスマがあるとか元大名とかじゃない限り
手下なんて雇えないじゃない?
「給料でないし生活費は自分で稼いで欲しいけど面倒は見て欲しいし合戦になったら郎党になって」って・・・
少なくとも俺はいやだぞ・・



91: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/03(火) 22:53:35 ID:PJV/Wl0l
>>79
江戸時代の1両は平均的な4人家族が借家住まいで普通に1月暮らせたらしいよ
いつ頃の江戸時代か知らんけどね  明治になって1両=一円になったけどね

戦国時代の豪商や豪農は有名な武将を食客にするのを好んだとなんかで読んだな
自慢になるらしい
1人で浪人はあんまり無いんで無いかな?主家が滅んでも親類を頼って仕官したらしいし
元の上役についていったりしたと思う

近くに住んでる家は、小田原の役で主家が滅亡後仕官を求めてこの地に着たが
仕官かなわず帰農したって聞いた

93: 人間七七四年 2008/07/05(土) 14:12:09 ID:MSxhTdI6
>>91
侍大将以上ならこの時代仕官口はたくさんある。
苦しかったのは、推薦状や口添えの無い足軽や小者達、
元主が仕官した時さそってもらえればラッキー、だめなら帰農か職人、商人へ。



88: 人間七七四年 2008/04/02(水) 19:51:13 ID:KP9f0qQ3
元大名はどっかから援助受けられるでしょ
九度山の昌幸とか堂々と無心してるぞ

93: 人間七七四年 2008/07/05(土) 14:12:09 ID:MSxhTdI6
>>88
昌幸と信繁は浪人とは生活が別格。
正室・側室・娘全員+元家臣約20人、総勢数十人で2つの屋敷に住んでいた。
信幸からは常に金と食い物は送られて来るし、大坂の豊臣家臣もよく訪れては差し入れを持ってきた。

89: 人間七七四年 2008/04/03(木) 20:26:08 ID:+HMvUkkd
伊東義祐みたいに行方不明になって行き倒れた奴もいるけどな
こいつの場合は援助断ったらしいけど

90: 人間七七四年 2008/05/10(土) 08:20:33 ID:hPCNnrdQ
wikiで見たけど、伊東義祐は悲惨すぎるな……
でも息子が御家再興できてるから救われてるか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊東 義祐(いとう よしすけ)
最期
祐兵の仕官を見届けた義祐はしばらく播磨国に留まっていたが、天正12年(1584年)祐兵の付けた供の黒木宗右衛門尉と共に中国地方を気儘に流浪し、やがて周防国山口に至って旧臣宅に滞在した。
その後は黒木を撒いて独りで旅をしていたが、病に侵され祐兵の屋敷のある堺へ向かった。しかし便船の中で病衰し、面倒を嫌った船頭に砂浜に捨て置かれた。偶然にもそれを知った祐兵の従者(祐兵夫人らとの説も)に発見され、堺の屋敷で7日余り看病を受けたものの、甲斐無く死去した。享年73。




94: 人間七七四年 2008/07/06(日) 13:34:41 ID:H9NvTI43
長曾我部盛親も2人従者がいた。
彼らもどこかで働いてるから、一家3人手取り月収30万ってとこかな。
ぜいたくをしなければ普通に暮らせる金額だ。

凄いのは、浪人14年たって大坂から戦の知らせが入ってから。
甲冑を身に着け馬に乗り3人で夜こっそりと京を立ったが、どこからとも無く長曾我部残党が加わり、 大坂に着いた時には1000人になっていた。
赤穂浪士なんか問題にならない14年間の浪人暮らし。

96: 人間七七四年 2008/09/14(日) 12:50:55 ID:kcDMkAcB
今さらだと思うが

浪人は、浮浪者の事。

奉公を離れた武士は「牢人」




99: 人間七七四年 2008/11/27(木) 19:22:18 ID:2e6eV8xz
そういえば山名豊国もかつて対立した家臣の子(多分元服済み)を召抱えたらしいね。
親父が死んでから30年ぐらいするからだいぶ長かっただろうな>牢人生活

あと信玄の遠縁に当たるらしいが