102






  
1 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/13 15:51:00
なんか遠洋航海とかだと死亡率70%だったとか 
食料とか一日に食べれる量も限られてただろうし 
水とかもね。想像以上に過酷なものだったんだろぉか 

でも怪物やらモンスターがいるとか、伝説もいろいろ 
あったのだろぉし、まあRPGのやりすぎでつけど 
なんかそういう意味では、昔の人も好奇心くすぐられて 
おもろかったんでしょうかね 












 

 

61 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/16 07:56:00
中世の旅はふたたび家に帰ることを前提としていないんだよね。 

 
 

7 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/13 20:37:00
なんか水溜りで溺れて氏ぬる旅人も居ったそうな。ソースは世界史板。 




8 : 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM : 投稿日:2004/04/14 00:36:00
トラベルの語源はトラブルだと文化人類学者が書いていた気が。納得出来ますが。 




9 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/14 18:02:00
>>8 
漏れが前に読んだ本だと、カンタベリー大聖堂(聖トマス・ベケットのベケット・ウォーターがお目当て)に巡礼に来たフランス人たちが「トラブル、トラブル(疲れた、疲れた。)」と言っていたのが語源だ、となっていました。 
まあ、そういう説もあるということで。 




11 : 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM : 投稿日:2004/04/19 01:03:00
>>9 
いずれにせよ楽なものでは無かったようですね。観光を楽しめるようになっ 
たのは70年代からかな。 





14 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/19 16:08:00
歩きだと平均一日20キロ進むのが限界だった 
十字軍は一日10キロ程度しか進まなかったが 



218 : 世界@名無史さん : 投稿日:2007/04/03 01:55:14 0
日本の江戸時代とかだと一日30~50キロぐらいみたい。 
普通の旅行者でそんぐらいだから旅慣れた人だともっと速いんだろうね。 



219 : 世界@名無史さん : 投稿日:2007/04/05 12:24:18 0
道も悪いが関所も多い。 
道を通れば「はいお金」、門を通れば「はいお金」、橋を通れば「はいお金」。 
金もかかるし時間もかかる。 

一日20㌔も進めれば良い方なんじゃ? 



 

17 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/30 00:05:00
そもそもの旅に出る目的は、 
侵略、巡礼、行商、謁見(外交官)、郵便配達(飛脚)、 
他に何があった? 




18 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/30 00:30:00
学問。遠国の大学に入るための旅。 




19 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/30 00:37:00
騎士って武者修行してたんじゃないの? 



97



41 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/06/15 21:27:00
>>32 
城を持っている領主の子弟の場合、次男以降は自分の城を得る為に城付きの姫を探して、武者修行をしながら各地を廻ります。 
 
戦に参加したり、馬上試合に参加したりして、武功を立てる事が出来るともしかしたら婿に・・・と所望してくれる貴族がいるかも・・・と言った具合です。 
 
次男どころか跡取りの長男も旅に出る事も珍しくありませんでした。 
領主以外の成人男子の自由人が城にいる事はあまり好ましく思われていなかったからです。 
 
親が富裕な場合は、旅費をたっぷり持たせたので危険は相対的に少なかったのですが長男の旅費もケチるような財政状況の場合、次男以降はほとんど死出の旅路みたいなもんだったとか。 

デュビーの『中世の結婚』は騎士の武者修行による嫁探し(=城探し)も書いていて 
面白いですよ。 




40 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/06/04 23:32:00
>>19 
嫁探しの旅に出ることがしょっちゅうだったらしく、 よその親戚の貴族のとこにいくと、 その貴族が歓迎の宴を開くもんで、 領内の農奴の家一軒一軒から鶏を1羽謙譲させて大変迷惑などというお話があったとか無かったとか。 
岩波の何かの本にかかれてた。 




22 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/30 01:11:00
乞食の大道芸の旅。 



159 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/11 03:11:35 0
乞食が巡礼者のふりをして、修道院でウマーなので、 
巡礼の証明書が必要となった。 




37 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/05/10 20:09:00
職人が親方になる前の修行の旅(遍歴) 




46 : 世界@名無史さん[ ] : 投稿日:2004/08/08 06:43:00
中世前期の石工はかなり移動が多かったよね 



47 : 世界@名無史さん[age] : 投稿日:2004/08/09 13:36:00
建築ラッシュは盛期中世だよね? 
橋建てたりしてたのかな?<石工の移動 







33 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/30 23:41:00
近世になれば娯楽で旅をする人増えるんだがなぁ 
シーボルトは日本に来て、旅行者の多さに驚いてたらしいね 






39 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/05/10 23:21:00
RPGみたいに 
パーティー4,5人単位の 
極端に少ない旅団も多かったのですか? 


98
『五人のランツクネヒト(Die fünf Landsknechte)』Daniel Hopferによるエッチング。



42 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/07/31 09:42:00
護衛を雇い仲間を募り知り合いを訪ね略奪なんかもしながらならある程度は旅できるかも。 
貴族ではない平民、しかも金のある商人でないなら、旅は自殺行為かと。 



43 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/07 20:34:00
>>42 
それでも巡礼の旅は庶民にも大人気。 
仲間を募ってはいたけど、護衛まで雇う余裕は、 
庶民の巡礼にはなかった。 


7




44 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/08 00:16:00
>>43 
そこでテンプル騎士団の登場です。 
街道の警備から金融業務まで、巡礼者が必要とするあらゆるサービスを提供してました。 




45 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/08 00:47:00
テンプルは、手形扱ってたんだよね<金融業務 
今で言ったらトラベラズ・チェック(?)W 



48 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/09 15:27:00
フランスの南の町に行ったとき、 
1100年の歴史を持つ旅行会社って看板を見た。 
興味本位で中を覗いて会社案内のパンフレット見たけど、 
エルサレムだのローマだのの聖地巡礼ツアー(?)を 
テンプル騎士団登場前から「商売」としてやっていたみたい。 




49 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/09 23:25:00
通貨ってどれぐらい通じたんだろうね。 
両替のレートで苦労する中世風ファンタジーとか 
あんまり見ないけど。 
まずい国王の顔が刻印された金貨なんぞ使おうものなら 
軽くて投獄、なんてことはなかったのかな? 
ヘンリー7世刻印の1ポンド金貨1枚で 
各国の酒場の安酒が何杯飲めたか、みたいな庶民的なデータはないもんだろうか? 




50 : 世界@名無史さん[age] : 投稿日:2004/08/10 19:57:00
どうなんだろうねえ? 

「各国の酒場の安酒が何杯飲めたか、みたいな庶民的なデータ」は知りたいけど。 
地域ごとの使用データになるんじゃないかな? 

>通貨ってどれぐらい通じたんだろうね。 
については。 
6世紀ころからはビザンツのノミマス硬貨が、基幹通貨として広域に流通してたけど。 
イスラム圏の伸張以降は、ヨーロッパ地域で金貨の流通量は減っていって。(ビザンツへの金の流入量が減ったそうだ) 
貨幣は物々交換の補助手段になった、とか言うよね。 

フィレンツェのフローリン金貨は比較的広域に流通したらしいけど。 
庶民の生活にはあまり関係なかったらしいし。 

ヨーロッパで硬貨の一般的な地位が回復に転じるのは、やはり十字軍の時期以降なんじゃないかな? 




51 : 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM : 投稿日:2004/08/10 23:50:00
>49 
>両替のレートで苦労する中世風ファンタジーとか 
1170年代に英国の田舎からロンドン経由でパリへ行ってパリ大学で学んだ僧ネッカムによれば、彼はフランスへ上陸した時とパリへ入った時の二度両替商の世話になっています。フランスでもブーローニュ伯領では使えた貨幣が通用しなくなっていたため。 
旅の途中に乗っていた馬を着いた先で売ることもあったそうですが、こうした情報は先達や旅で知り合った人間から仕入れていたようです。 




57 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/13 04:24:00
ヨーロッパ中世の通貨は、 ご存知の通り銀が主流です。 
また、これは半分や4分の1に割ったもの等があります。 
でも貨幣は 
1libra=20solidus=240denarius 
中世初期においてはデナリウス貨(英:ペニー仏:ドゥニエ)だけ存在し、 上位のものは単に計算上のものであったようです。 

貨幣は普通その貨幣鋳造権(上級領主権)を持つ領域内の君主の刻印が打刻され、 基本的にその領域内で流通するものであったようです。 

もちろん領域や時代ににより、 銀の含有量や貨幣の大きさに差異があるし、 流通過程時における摩耗によって(試金なども行われるため)、 どちらかというと重量としての方が重要視されていたようなので、 大分ファンタジー世界とは勝手が違うと思います。 




107 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/08/05 03:36:15 0
キャッシュコーナーがないから不便だったろうね 




53 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/11 20:31:00
通貨の流通については南北に格差があるよね。 



54 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/11 20:53:00
>>53  
ローマとゲルマンだな。ゲルマンの地域は11c以降から本格的に流通が始まるが、ローマは10c後半には商業体系の復活が見られるんじゃないかな。 
ローマ法の合理性や帳簿、通訳などの商人としてのスキルの面でもローマには土台があるからなぁ。まぁイスラムやユダヤもそうだけど。 




59 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/13 06:51:00
>>54 
ローマ法の適用される商業「活動」という場合は南は10世紀後半に始まり 
11,12世紀に普及。北は13、14世紀と言えるでしょうね。 



55 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/12 10:20:00
イスラムは商人を人質にとるビジネスもあったそうですね。 
そのときは交渉人として修道士があたったとか。 



56 : 世界@名無史さん[age] : 投稿日:2004/08/12 23:32:00
>>55 
それって海賊とか?<商人を人質にとるビジネス 
だったら、ノルマンにも小アジアにもあった 



58 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/13 06:42:00
>>56 海賊じゃないですね。在地勢力などがやるわけです(比較的小さい勢力 
なども)。先ごろのイラク日本人拉致事件とよく似ていますね。 





63 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/18 06:51:00
中世の旅人は通行手形のようなものは持っていたのでしょうか? 
日本では過所のようなものがありますよね。 



65 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/08/29 18:04:00
>>63 
伝令などは領主の書状のようなものを持っていたと聞いたことがあるが。 





69 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/11/18 03:09:55
13~15世紀ぐらいのヨーロッパなら 
言葉はラテン語話せれば教会や領主のお城にいけば通じたんでしょうかね? 




70 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/11/18 05:23:41
教会は大丈夫そうだけど 
領主は無理なんじゃないかな 



71 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/11/27 22:28:08
中世領主の子弟の教育ってどれぐらいのレベルだろう。 
日本みたいに寺に預けられたり家庭教師になってもらったり、 
みたいなことしてたのかな?  
スコットランドとかだと…狩りぐらいしかしてなさそうだがw 



75 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/01/26 22:52:16 0
>>71 
中世初期~盛期だったら、騎士の子弟は大体が文盲だと思って良いかと。 
文字の読み書きは僧侶の仕事だったので、文学を解する貴族は馬鹿にされないまでも 
普通じゃない存在です。 
逆に貴族階級の女性はかなり高度なラテン語を読み書きできます。 
・・・こんな夫婦が上手く行ったのが、本当に疑問ですが。 



76 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/01/27 14:30:30 0
貴族の子弟でも、二番目とか三番目とか庶子とかは修道院に入れられる場合もあったようです。 
大学があちこちにできると、そちらに送られて教育される場合も。 
(これらは、将来の領内役人候補。 仕送りや学費を考えると結構な財産が必要ですね。) 

時代や地域の土地柄、貴族の領地の大小、家族構成等々によっても変化しますので、一概には言えないんですが、全体で見るとやはり識字率は低かったようですね。 



77 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/01/27 16:36:19 0
じゃあ逆に、中世以前、たとえば2世紀から3世紀頃のローマ帝国内での一般庶民の識字率ってどれくらいのものだったのか、何かしら手がかりをご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。 

たぶんに上流階級(元老院議員とか、騎士階級とか、もしかしたら軍人も) はラテン語の読み書きは必須だったと思うのですが、たとえばパン職人とか酒場のマダムとか風呂屋の親父とか。 

「中世」からはちょっとはずれちゃいますが、よろしければ教えて下さい。 



79 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/03/07 00:23:54 0
>>77 
識字と関わってくるのが計算能力ですな。 
あの時代のローマは貨幣経済が庶民にまで浸透していたのなら 
硬貨をやりとりして勘定ができたはず。 
アバカスは学者限定で庶民は・・・指折りか暗算? 



80 : アクィラ ◆0fUIPC892c : 投稿日:2005/03/07 00:32:51 0
複式簿記の発明は、中世ヨーロッパですね。 

古代ローマの経済合理性を低く見るときに、 
持ち出される根拠の一つです。 



146 : ジーモン ◆.5DV4fMpf6 : 投稿日:2005/12/05 16:23:25 O
>>80 
簿記はヴェネチアで誕生したらしいですね。 



81 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/03/07 00:36:44 0
>>77 
2~3世紀ってのに外れちゃいますが、 
某先生は落書きの多さからみて、ポンペイの盛期の識字率は30%は下回らないだろう 
なんて言ってますね。 
どこまで信用できるのかはわかりませんが。 



99
ポンペイに残された選挙の落書き。民衆の話し言葉、俗ラテン語で書かれており貴重な資料である。



82 : アクィラ ◆0fUIPC892c : 投稿日:2005/03/07 02:10:19 0
>>77>>81両氏 
『ポンペイグラフィティ』ですな。 
本村センセの監修した『ポンペイエロチカ』も、 
参考になるかもしれません。 

また「ローマの識字率」『西洋古代史研究入門』195-196頁によると、 
(これも本村センセ) 
W.V.Harrisが帝国西方では5-10%という数字を挙げているらしいです。 
ただ、それに対して否定的な見解も多いようですが。 
ま、一応参考までに。 





83 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/03/11 01:25:11 0
おい、そこの御仁! わしゃ字がかけんよってΘεμιστοκλήςと書いてくだされ! 

って逸話があるぐらいだから当時のギリシャ都市国家の市民でも 
一通りの読み書きできるのは少数派だったのかもね。 



85 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/03/29 01:53:10 0
なんて読むの? 



88 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/03/30 01:33:41 0
>>85 
エピソード的にはテミストクレスかと。 
なんとなく字もそんな感じはする。 

 

91 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/04/15 01:27:41 0
>>88 
ペルシア戦争で勝利を収めた後のエピソードだね。 
アテネ民主制の完成度の高さを物語るのによく引用されてる気が。


 
100
陶片追放に用いられたオストラコン。「ネオクレスの子テミストクレス」と刻まれている

ペルシア戦争での功労を以って、必要以上に名誉と権力を欲したことから信用を失い、陶片追放によってアテナイを追われた。
 



86 : Ryuju ◆RlujhF6VrA : 投稿日:2005/03/29 18:59:06 0
識字率に関しては、都市と農村で差があったと思う。 
都市は何だかんだ言って商人が結構多いから、 
読み書きそろばんは必須だったろうし。 
ポンペイでは識字率が三割、ガリアの農村では一割以下でも不思議には思わないが、 
>>75の中世の貴族では女性の方が男性より識字率高いってのは 
ちょっと驚いた。 
やっぱり家政とか手紙とかで必要だったからかな? 




87 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/03/29 19:43:42 0
>>>75の中世の貴族では女性の方が男性より識字率高いってのは 
>ちょっと驚いた。 

長男は戦争の基礎訓練。騎士としての鍛錬。剣槍乗馬と狩が第一。 
次男坊以降は、体が丈夫なら騎士として鍛錬、弱ければ修道院へ。 
女子はとりあえず修道院。 

だいたいこんな感じなので、女子の識字率が高くなった。(かなり大雑把w) 




90 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/04/15 01:18:39 0
>>86 
文字は正統な貴族のする仕事ではないと思われていたんだよ。 
聖職者になった一族や、女性はこれから外れるわけだ。 
女性が書記役をやる為に字を習ったと思うのは誤解だね。 




89 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/04/15 01:05:17 0
中世だと、正書法のまだない言語も多かったろうから、 
読み書きといえばどの国でもラテン語の習得、だったのでしょうか。 



95 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/05/12 08:50:53 0
>>89 
金印勅書では、選帝侯の子弟にラテン語とスラヴ語の習得を義務付けてたと思う。 



92 : カラジチ ◆mWYugocC.c : 投稿日:2005/04/15 12:18:35 0
>>89 
あとギリシア語と、正教圏では教会スラヴ語あたりかな。 

つっても日常使ってる俗語のせいで綴り間違いや文法間違いが発生して、 
ラテン語とも俗語ともつかぬ言葉を書いていたようですが。 
(つまり、ラテン語ではeなのにイタリア語ではiになるという単語があることに気付いたせいで、 ラテン語でもiでいいのにeで綴ってしまう間違いをやっちゃったりとか。) 



93 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/05/02 19:17:31 0
ふむふむ 




96 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/05/16 15:18:56 0
中世の旅とか世界観をできるだけ忠実に再現した(モンスターとかのファンタジーの要素が入ってくるのは仕方ないとして)RPGといえば何でしょうか? 




98 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/05/16 19:23:33 0
>>96 
途中で飢え死にするルナティックドーン1とか2とか。 




101 : カラジチ ◆mWYugocC.c : 投稿日:2005/05/17 08:00:09 0
>>96 
混沌の渦 






108 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/08/06 18:50:05 0
かのアウグスティヌスは才能に普段の努力を重ね大賢者となり 
口を動かすことなく書物の内容を読めたという、 

っていうような記述をどこかでみたな。さすが表音文字の世界だ。 




112 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/08/21 03:36:30 0
中世の旅人が魔法使いだの怪物だのの噂をきくとマジでびびったわけだが。 
そしてマジに必死で安全な旅のおまじないとかやったりする。 





114 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/09/05 00:06:53 0
コロンブスも世界が平らではなく丸いとは思っていたが、 
新大陸に住む人間は頭が2つで人間を食べる怪物だと思っていたからな。 



119 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/09 20:45:16 0
説教師があっちこっちで説教してまわった時代。 



124 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/26 14:34:15 0
やはり中世に旅をするならイスラム圏のほうがいいのかなあ 





15 : 世界@名無史さん : 投稿日:2004/04/20 13:18:00

イブン=バットゥータ 


96

1325年、21歳のときにメッカ巡礼に出発し、エジプトを経てマッカ(メッカ)を巡礼し、さらにイラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、中央アジア、インド、スマトラ、ジャワを経て中国に達し、泉州・大都を訪問したとされる。1349年故郷に帰還したのちも、さらにアンダルシア(イベリア半島)とサハラを旅し、1354年にマリーン朝の都フェスに帰った。特にイスラームの境域地帯(スグール)を広く遍歴した。
マリーン朝君主の命令を受けて、イブン・ジュザイー(英語版)が口述筆記を行ない、1355年に旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』が完成する。この旅行記は19世紀にヨーロッパにも紹介され、各国語に翻訳されて広く読まれた。
現在、タンジェには彼の名を冠した「イブン・バットゥータ通り」やイブン・バットゥータ国際空港があり、イブン・バットゥータの墓と伝えられる白亜の廟も建っている。

 



126 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/27 17:36:02 0
中世ヨーロッパには道なんて上品なものはほとんどなかった。 
旅人は休耕畑を突っ切って歩いた。 
宿屋にベッドなんてものはなく、裸になってわら束にくるまって寝た。 
追いはぎ、オオカミいっぱい。 
楽じゃないっすね。 




127 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/27 18:02:22 0
>中世ヨーロッパには道なんて上品なものはほとんどなかった。 
なわけないだろ。 




130 : Ryuju ◆RlujhF6VrA : 投稿日:2005/11/27 22:04:18 0
道というのをどこまで認めるかだなあ。 
洋の東西問わず、大抵の所で舗装されてないわけだし。 
当然雨降ったらぬかるむし、ちょっと人が通らなければ草も生える。 
農村の畑と畑を往復する道なんか、非常に細い印象。 




131 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/28 00:35:29 0
ローマの道なんかは後世までかなり整備されていたんじゃなかったっけ。 




132 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/28 00:37:52 0
アッピア街道は今でも使われてる。 



135 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/28 23:36:25 0
STRASSEとWEGは区別しなきゃな。WEGはその年々によって消滅したり造られたりするから農村などでは>>126さんのいう事も外れているとは言いきれない。 




136 : 126 : 投稿日:2005/11/29 00:12:59 0
会田雄次の本にそう書いてあったのだが・・・ 
古いのか?最近の学説では違うの? 




138 : 世界@名無史さん[ ] : 投稿日:2005/11/29 00:26:29 0
>>136 
いや、どういう道のことをイメージして“道なんて上品なものはほとんどなかった”と書いておられるのかが分からないからね。 
獣道のようなものさえ無かったとおっしゃっているならちょっと違うという気もするけど。 




139 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/11/30 13:41:32 0
 街道(straβe)は国王諸特権or君主特権に属していたし、地域の農民などが補修・維持をする義務があったから全く無くなるってことはないだろう。 




140 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/02 22:54:05 0
日本の道は 
古代は優れていたのに、中世では劣化して、近世で復活。 
でも舗装されていなかったり、橋がなかったり。 




143 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/04 02:30:46 0
>>140 
橋がないのは江戸幕府の防衛上の問題では。 
街道の整備は武田信玄や織田信長など軍事目的が最初で 
その後は参勤交代ですね。 



141 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/02 23:21:44 0
道の整備に使った金を回収するために関所つくりまくったんだよな 
現代じゃ高速道路にそれが受け継がれているが 




147 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/05 21:59:27 0
>>143 
防衛上の問題とはよく言われるが、 
江戸時代は、平和な時代といわれているのに驚異に対する防衛上なのか? 
それとも、防衛政策だったものが、江戸時代の平和な世になっても 
そのまま弊害として残っていただけなのか? 



148 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/05 22:25:39 0
>>147 
後者ですね。 




149 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/05 23:43:47 0
平和と言っても家光のころまではきわどい局面もあったわけだが。 

幕府の基本戦略ってか家康のやったことが絶対になってる部分もあるかと。 
一方で戦略的な問題で関東に作った塩の生産地は 
流通の発達で諸国の物産が江戸に集まるようにつぶれたって事実もある。 
軍事に関しては幕末まで制度的にはそのまま。 






150 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/05 23:58:03 0
中世の冒険者ってのは、おおむね傭兵稼業の者を指す。 
ヨーロッパ中をあちこち旅して、貴族同士の戦争があったら参加して金を貰う。町や村で略奪をする。傭兵部隊に入る事もある。 

自分の高校の世界史教科書に「当時の軍隊は、冒険者や浮浪者をかき集めた~」と一文があって、丁度RPGブームの頃だったから密かに感動した覚えがある。 




151 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/06 19:33:14 0
あるいは巡礼者や遍歴職人などもある意味で冒険者と言えるだろうな。 
巡礼者は二度と故郷に帰らぬ覚悟をもっていたりするし、遍歴職人もその移動範囲を見ると(徒歩のみで移動していることを考えると)家に帰らぬ覚悟もあったんじゃないかと。 




154 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/10 01:37:05 0
戻らないって事は全財産もって移動してたのかな? 
当時なんて銀行業務も未発達だし 
ギルドが為替発行とかも一部の先進地域だけだろ? 
悪い領主さまとか追剥ぎはウハウハだな 




155 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/10 03:19:36 0
>全財産 
何キロになるんだ?そもそも運べるのか? 




156 : 世界@名無史さん[ ] : 投稿日:2005/12/10 08:51:41 0
巡礼者には修道院や教会、兄弟団があるし、遍歴職人には各都市に職人組合が 
ある。これらの団体がそれぞれ援助するから巡礼者も遍歴職人も大丈夫。 




157 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/10 21:15:57 0
十字軍時代以降はテンプル騎士団が、現代の銀行に相当するような業務も行っていた。 
例えば、パリで預けたお金をエルサレムで引き落とす事も可能だった。 


でも、>>154の言うように「悪い領主さまとか追剥ぎはウハウハだな」でもあった。 
領主の大半はこの悪い領主さまで、追剥ぎからも上前はねていたようだ。 




158 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/11 02:28:17 0
そして追剥ぎは不当なピンハネから身を守る為、領土をまたぐ盗賊ギルドを結成し、 
いつの日か自ら爵位を得たり騎士団結成して、天下の夢をみるわけでつね。 




162 : 世界@名無史さん : 投稿日:2005/12/31 18:03:19 0
そういえば盗賊ギルドって誰が考えついたのか? 



164 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/01/01 19:40:56 0
盗賊ギルドってヤクザみたいなかんじか? 



166 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/01/02 22:27:04 0
盗賊ギルドってファンタジーの世界だけ。 




168 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/01/03 22:59:58 0
あってもおかしくはないんじゃないの? 
中世人はやたらギルド(=兄弟会)てのを作りたがったし。 

意外な(?)例で言うと、 
教師(or学生)の兄弟会→大学とか、 
騎士の兄弟会→騎士団とか。 



169 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/01/15 20:50:52 0
ギルド=兄弟会じゃないし 




171 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/02/03 23:27:31 0
フランスでは、職人の遍歴は19世紀にもあった。 



172 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/02/04 17:03:33 0
遍歴職人はドイツだと今でも健在だが。 



173 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/02/05 05:42:41 0
まじで? 
さすらいのサーバー屋さんとかがいるの? 



 

174 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/02/05 21:08:02 0
いや、大工とかそういうふつうの職人。 
伝統に則った独特の格好して遍歴している。 
周りの人間も遍歴職人だってわかるのでそれなりに優遇されるらしい。 
少し前だったが、そういう女の遍歴職人のドキュメントをNHKBSだったかどこかで放送してたな。 
やはり野宿とかしなきゃならない場合もあって女ならではの苦労がある、みたいな話だった。 



182 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/04/05 19:18:30 0
>>174 
あ、それ見たよ。最近になって女性の遍歴が認められたそうだね。 
あの番組に出ていた女性(カロリンって名前だっけ)は家具職人だったね。 
3年と1日家にも帰らず遍歴しないといけないというのはかなりキツイと思ったが、ああいう経験をすることによって立派なマイスターシュトュックが出来るんだろうなーと思う。 



185 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/05/27 22:17:54 0
>>182 
たしかに、一つの都市や農村では得られない経験を積んで、 精神的に大きくなっていきそうだよな。 
遍歴にはそう言う意味もあったんだろう。 




178 : 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY : 投稿日:2006/03/19 01:19:02 0
>>172~174 
煙突掃除職人なんてのもあるね。ハンガリーでケーメニシェプレと呼ばれているヤシ。 
チロリアンハットをかぶって白いシャツに半ズボン、長い煙突掃除用のブラシを持って各地を巡回している。 






186 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/06/26 00:25:15 0
一人旅して山賊に襲われて危機一髪逃れて酒場でおっさん相手に武勇伝聞かせたい 



191 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/07/03 23:18:02 0
酒場の主人が、山賊に情報を流している。 
金を持った旅人が入れは行き先を訊いておいて、 
あとで待ち伏せ。 



194 : よろずこ : 投稿日:2006/08/01 23:12:53 0
>>191 
水滸伝の時代っぽい 


202 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/09/21 16:40:54 0
水滸伝の張青・孫二娘夫婦特製、人肉饅頭だな。 
横浜中華街の某シューマイ屋の前の柱には孫二娘が描かれてるとか聞いたが。 




http://ja.wikipedia.org/wiki/孫二娘
追剥だった父から武芸を仕込まれる。入り婿の張青とともに孟州の十字坡で居酒屋を営み、この居酒屋で金目の物を持った旅人を殺して金品を奪い、遺体は肉饅頭の餡にして居酒屋で供していた。


203 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/09/22 03:25:16 0
Σ(;´Д`) 










206 : 世界@名無史さん : 投稿日:2006/11/08 18:31:18 0
中世の旅って靴下臭そうだね 







転載元
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1081839109/

漂流もの冒険小説を語れ!

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中世の歩兵ってどんだけ辛かったんだろうな

約2000年前の世界地図に千葉県が載ってるんだがwww

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