転載元
古墳時代のよろい姿の人骨発見…火砕流に遭遇し死亡か - 群馬
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1355137280/

1: ◆SCHearTCPU @胸のときめきφ ★ 2012/12/10(月) 20:01:20.67 ID:???0 BE:960179074-PLT(12557)
群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、6世紀初頭に噴火した榛名山二ツ岳の火山灰で埋まっ た溝から、
よろいを着た成人男性の人骨が見つかった。遺跡の発掘調査を行っている県埋蔵 文化財調査事業団が
10日、発表した。同事業団は、古墳時代の人間が火砕流に遭遇し、死 亡したとみている。
古墳時代のよろいが、実際に人が着た状態で見つかるのは全国で初め て。

*+*+ jiji.com +*+*
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012121000822











92: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:21:44.13 ID:DEBxjZCB0
>古墳時代のよろいが、実際に人が着た状態で見つかるのは全国で初め て 

画像はよ!!! 
さきたま古墳の鉄剣レベルの大発見だと思うんだが・・・

100: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:23:59.79 ID:f38WsWWx0
>>92 
ちょっとだけよ 左上が頭蓋らしい 
108

引用元 
http://woman.infoseek.co.jp/news/photo/10kyodo2012121001001472

111: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:27:27.63 ID:/V+qW5Fy0
>>100 
おお。ついに甦ったか。 
胸熱。

117: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:29:09.24 ID:DEBxjZCB0
>>100 
おおおお、サンクス 
これ、すごくね?大発見なんだが?

130: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:32:39.73 ID:ofVCWFyK0
>>117 
実際大発見だって。有名な武人埴輪も群馬のだし、これとの比較が 
楽しみだわ。 


埴輪 挂甲の武人(はにわ けいこうのぶじん) 
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=J36697 
群馬県太田市飯塚町出土 
高130.5 
古墳時代 
6世紀 
国宝

167: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:45:30.47 ID:Gwmkfe5C0
>>130 
やっぱりはに丸!

188: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:53:11.44 ID:237nNR/B0
>>130 
この近くにすんでたー\(^o^)/

121: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:30:13.34 ID:Gwmkfe5C0
>>100 
色とか形とか、はに丸みたい

145: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:36:12.01 ID:V2hiv4+n0
>>100 
包帯巻かれてるようにしか見えないが

159: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:42:45.71 ID:SBEY0a4K0
>>100 
何か、鎧は皮製みたいだな 
109

↑のグンマー出土の鎧想像図でもよく似てる感じがする 

ちなみにグンマーには、江戸時代の浅間山噴火によっての東洋のポンペイと言われる場所と 
それにまつわる悲劇話がある 

鎌原観音堂 
http://ja.wikipedia.org/wiki/

170: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:45:58.65 ID:ofVCWFyK0
>>159 
古墳時代の村が既にそういう形で見つかってるわ。 


黒井峯遺跡 
-渋川市中郷 古墳時代- 
http://www.gunmaibun.org/remain/guide/hokumo/kuroimine.html 

榛名山の噴火で吹き出された軽石にすっぽり埋まってしまった1500年前の村が見つかった! 
1982(昭和57)年に日本中を驚かせた遺跡が黒井峯遺跡です。 
厚く積もった軽石を注意深く取り除くと、竪穴式住居はもちろん、穴を掘りこまずに、壁をめぐらして屋根をかけた 
平地式の住居や倉庫、牛や馬を飼っていた家畜小屋も見つかりました。建物を取り巻く垣根や道、そして苗代、 
祭りを行った跡も見られます。それまでの遺跡では見ることのできなかったものがぞくぞくとみつかり始めました。 
古墳時代の村が、ごく細かいところまで、それも立体的にわかってきたのです。

182: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:49:25.40 ID:SBEY0a4K0
>>170 
それを言うなら広島かどっかにも同じようなのがあるんだが 
被害者が劇的な姿で残ってたのは蒲原がポンペイと並べられるのに相応しい

196: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:57:43.70 ID:ofVCWFyK0
>>182 
広島の草戸千軒遺跡?あれは時間をかけた水没であってポンペイから更にかけ離れているが。




5: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:02:38.92 ID:hoJGHqKfi
この時代にすでに鎧があったのか

7: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:02:46.65 ID:mVJZI08b0
さすがグンマー

112: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:27:39.13 ID:Y7lKCISc0
110

111


県境付近で待機するグンマー族 
112



ググッとぐんま観光キャンペーン 
113


戦場ヶ原の闘い(グンマー帝国VS栃木多国籍軍) 
114




8: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:02:54.88 ID:eUEapeaLP
 
グンマーはこの時代のほうが栄えていたんだな・・・





37: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:09:07.30 ID:+9/aFoks0
 よろいは高さ約60センチ、幅約50センチ。人骨はほぼ全身が残っており、うつぶせの状態で見つかった。膝をついた姿勢から前に倒れたとみられる。 
着ていたものと同種のよろいは、主に大和政権と近い有力者の古墳から見つかることから、この男性も首長だった可能性が高いという。 
遺跡からは他に、別のものとみられるよろいの一部、乳児の頭骨一つ、鉄製の矢尻14点が発見された。 
 同事業団は、人骨が火砕流が流れて来る方向に向かって倒れており、逃げようとした形跡もないことから、 
男性がよろいをまとい、矢尻を並べた上で、山の怒りを鎮めようとしていたのではないかと想像している
。(2012/12/10-19:49)

49: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:11:24.42 ID:Iotk6Yj5O
>>37 
火砕流に立ち向かったのか……かっこええ

58: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:13:39.44 ID:Cr7DkiOE0
>>37 
乳児の頭骨一つって生贄か

210: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:03:40.03 ID:3P4nGfc/0
>>37 
うおおおおおおおおおおお 
想像広がりマクリング!!!

223: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:11:44.41 ID:dfFKHZzH0
>>37 
短甲かな、札を綴った桂鎧だと形が残らないだろ。

40: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:09:29.23 ID:l1Ckc6V00
よろしい姿に見えた

56: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:13:27.61 ID:5g4SG7RnP
>>40 
どんな姿だよw



17: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:04:20.65 ID:gn3nyPx60
鎧が重過ぎて逃げられなかった可能性も

39: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:09:24.73 ID:HYISmR3L0
>>17
この時代って青銅?鉄?

52: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:12:19.00 ID:+SFOil6lO
>>39
ヒヒイロカネ

ヒヒイロカネは、太古日本で様々な用途で使われていたとされる、伝説の金属または合金。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。現代の様々なフィクションにも登場する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒヒイロカネ



99: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:23:24.05 ID:kV1c1ecx0
>>52
カムナガラなんてここにわかる人がいるのか?

106: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:26:17.71 ID:ofVCWFyK0
>>99
ゲームとかファンタジーに散々使われて手垢がつきまくってる言葉に
そんなに興奮できるなんて幸せだな。

124: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:31:12.37 ID:gKqe+XqCO
>>106
なるほど鉄製の鎧もあったわけね
副葬品にされるくらいだから貴重だったんだろうけど
こういう末端の兵士は金属製の着れたのかな?

136: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:35:04.32 ID:ofVCWFyK0
>>124
残念ながら下級兵士に関しては伝わるところは何一つない。
他国の兵と同様に手薄な甲冑を盾で補う形だったんじゃないかな?

18: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:04:24.81 ID:PHDvYCUP0
この時代はグンマが首都だったんじゃねえの?

48: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:11:22.63 ID:DEBxjZCB0
>>18
埼玉(さきたま)と群馬(こうずけ)が、少なくとも「東の首都的存在」だったのは間違いない
金錯銘鉄剣」も出土されてるし、ヤマトタケル伝説もたくさんある
大和朝廷から見ると、あの辺が境界線になっていたんだろうな・・・

80: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:18:52.31 ID:ofVCWFyK0
>>48
群馬の大田天神山に次ぐ関東第二位の古墳があるのは茨城だからもうちょっと北だろw
さきたまは国の名前じゃねえし。

126: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:32:08.69 ID:ziKDOsrt0
>>48
福島はヤマトタケルが蝦夷退治の時に陣営にした場所や祈祷した場所が神社として各地に残ってるから…

185: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:51:09.39 ID:xJLGZDZ00
>>48
マジレスすると、3世紀初頭までには 既に藤原氏の支族である「鹿島」「香取」が東山道(後の中山道)を通って関東に進出していた。
従って 群馬・茨城はこの時代既に文明県。
一報東海道沿いはこの時代、奈良から伊豆の三島あたりまでなので、東京・神奈川・埼玉南部・千葉のあたりは完全に未開地。

196: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:57:43.70 ID:ofVCWFyK0
>>185
鹿島の祭祀氏族が眠るであろう宮中野古墳群って古墳時代としては後の方なんだよな。茨城でも
それより古い時期でそれよりも大きい常陸太田の梵天山古墳とかが更に北にあるから。

207: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:02:48.34 ID:SBEY0a4K0
>>196
ああ、ありゃ水没か。うろ覚えだったんでな
調べて確認したサンクス

203: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:00:17.48 ID:DEBxjZCB0
>>185
>藤原氏の支族である「鹿島」「香取」が東山道(後の中山道)を通って関東に進出していた

逆逆www
これって、みんな勘違いしてる誤解だよ
藤原氏(中臣氏)は、もともと関東出身なんだよ(一部の関西人は認めたくないらしいがw)
鹿島神宮と春日神社の由緒を調べたらわかるよ
わざわざ関東の僻地の神様(タケミカヅチ)を近畿に呼んだのが春日神社
この意味がわかると歴史はもっとおもしろくなる

61: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:13:59.68 ID:f38WsWWx0
動画・防具もあるよ。空撮からとか変に金掛けてるな共同通信

武具装着の人骨初出土 群馬・金井東裏遺跡
http://www.youtube.com/watch?v=e8ZZszOBGTo


64: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:14:37.53 ID:y7IQI8xc0
こんな有力者がいたって文献とか言い伝えとかないのかな
どんな人だったんだろう。すごい発見

71: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:16:56.98 ID:Teg9DKPdO
凄い発見だね!

75: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:18:13.59 ID:+EUWle7t0
映像みたけどよくわかんねえな。

77: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:18:36.99 ID:EDvaEbue0
古墳からの出土は多いが実戦での兵士の装備とか不明な点も
多いからな。これは大発見だと思う。

78: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:18:36.87 ID:DEBxjZCB0
近所の浅間山じゃなくて、榛名山というところが、グっと来る
榛名も「暴れ山」だったんだな

82: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:20:13.61 ID:gKqe+XqCO
当時の鎧って革製?
火砕流に巻き込まれたら熱で燃えるんじゃないの?

106: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:26:17.71 ID:ofVCWFyK0
>>82
短甲も挂甲も鉄製だから古墳の副葬品として埋められたものが残る。

93: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:22:48.86 ID:4Bi9nbzb0
「この火砕流は俺が食い止める!その間にお前たちは逃げろ!!」

187: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:52:20.56 ID:Au+SKK3q0
>>93
これはもののふじゃ。
武士道は1400年以上の昔からあった。


123: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:30:41.05 ID:YPqCpsL0P
ここは製鉄窯も発見されてて、砂鉄から鉄を精製していたらしい。
古墳時代の最も終わりの頃で、まだ権力者には墓というより古墳という時代だったようだ。

127: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:32:20.76 ID:DEBxjZCB0
浅間山じゃなく、榛名ってところが味噌

131: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:33:05.86 ID:Mubgm8ey0
ていうか山奥で鎧着て何してたの?

139: ◆65537KeAAA 2012/12/10(月) 20:35:24.22 ID:w7KCoosw0 BE:117417694-PLT(13000)
>>131
「なんか噴火しそうだから山見てきて」とか言われたんだろ

171: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:46:28.09 ID:EuwgIQ+N0
>>139
「ちょっと田んぼの様子見てくる」の火山バージョンか

141: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:35:39.01 ID:cBxlLyNw0
>>131
火の鳥を追っていた

133: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:33:46.98 ID:IbMQ3fvB0
火砕流に立ち向かう群馬のドンキホーテ。
大和民族の鏡だね。

144: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:36:11.61 ID:Y7lKCISc0
>>133
コレに立ち向かうんか?
グンマー人凄いな・・・

115

134: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:34:23.47 ID:ZeLfY9J7O
ずいぶん長い間発見されなかったんだな
家族はいたのかな…

146: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:36:14.75 ID:sOAAqbbu0
埴輪みたいに末広がりの鎧なんだな

149: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:38:35.10 ID:qsBF+0GsO
書物の年代解釈によるけど、上毛君小熊に近い人かもしれんな。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/武蔵国造の乱

151: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:39:14.64 ID:wHhzwbxC0
人の上に立つ者の鏡だね。
王たるもの身を犠牲にしてでも国を守らないと。
どこかの電力会社の社長と大違い。

155: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:40:09.85 ID:pz2x8ZCj0
榛名から渋川まで火砕流?凄すぎ。なぜ逃げなかった

162: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:44:02.76 ID:DEBxjZCB0
うーむ、「四道将軍」は本当に史実だったのかもな
さらに北上して、会津で出会ったから「会津」という地名が生まれた・・・
日本史おもしろすぐるぜw

とりあえず大発見乙
考古学者がんがれ、インチキ歴史学者に負けるな

172: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:46:29.93 ID:Id8kemKN0
>>162
四道将軍って崇神天皇の頃だから、存在したとしても3世紀。
纒向、卑弥呼の時代だ。

177: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:48:47.15 ID:DEBxjZCB0
>>172
俺は、崇神天皇=雄略天皇だと思ってるから
日本書紀や古事記で時系列がズレた
ま、そのうち判明するでしょw

190: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:54:07.84 ID:xJLGZDZ00
>>177
日本書紀の年代がおかしいとか言われてた問題もすでに解決済みなんよ。
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-2_1.html

184: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:50:04.36 ID:ofVCWFyK0
>>162
元々天神山古墳のように関東一の勢力を示す遺物があるんだから
今回のは貴重な発見ではあるけどそれほど驚くことではないと思うぞ。


天神山古墳
http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/otabunka44.html
 東武伊勢崎線太田駅東方約1kmの市街地に隣接する平地にあります。男体山ともいわれます。
墳丘の長さは210mで、東日本では最大、全国でも30位以内(近畿地方を除くと3位)の規模を誇る
大前方後円墳です。


164: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:44:49.49 ID:WJuB9t850
■ 鎧を着た人骨発見…群馬 【続報】

先程開かれた記者会見で、鎧を着た人骨は
当初考えられていたものよりずっと新しく
数十年前のものではないかとの報告がありました。

これによると、人骨の発見された渋川周辺は
30年ほど前に栃木県との激しい戦闘が行われた地域であり
地元住民の話によると「当時、このあたりで激しい戦いが行われ兵隊さんが沢山戦った」
とのことで、人骨は栃木兵の可能性あり、地元では今後の調査に大きな関心をよせています。

リンクURL:ry

173: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:46:32.36 ID:Y7lKCISc0
>>164
116

199: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:58:05.09 ID:haWLC99o0
火砕流に埋もれても人骨残るのか…。
酸性が強いから残らないって聞いてたから知らんかった。

218: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:10:42.31 ID:7GuX3ptY0
乳児の頭蓋骨もそばで発見されたと聞いて泣いた
父親か救援に来た郡のさきもりだったんだろうな

224: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:12:04.61 ID:WoGRZWDx0
>>218
単に山の神の怒りを静める為に生贄にされたんだろ。

221: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 21:11:31.99 ID:Dch2857m0
鎧を着ていたということは
山に許しを乞おうとしていたのではなく
噴火と戦い、これを屈服させようとしていたのか
井上靖の小説に大河の洪水に剣や弓矢で戦った中国の将軍の話があったが
本当にこんなことをする人がいたとは





104: 名無しさん@13周年 2012/12/10(月) 20:25:45.27 ID:xv434kL40
面白いニュースだが、群馬のせいでブレるわw







転載元
古墳時代のよろい姿の人骨発見…火砕流に遭遇し死亡か - 群馬
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1355137280/