2012年07月

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    502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 03:01:34.37 ID:yX3BeTMn0
    義父の目撃談。
    敗戦の日、北海道の軍都旭川にいた少年だった義父が、駅前に行ってみたら、
    朝鮮、韓国、中国人たちが大暴れしていた。
    「日本は負けた。俺たちの時代だ」と叫んで。
    警察も放心状態で手がつけられず暴れ放題。
    最後は消防自動車で放水して解散させたそう。
    その後も暴動を起こしていたらしい。
    中国人はまだわかるが、なぜ朝鮮、韓国人が「戦争に勝った」と言えたのか俺には理解できない。

    【爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話 その6】の続きを読む

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    404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/02(月) 22:30:40.29 ID:K/z0oXMh0
    東京出身の祖母は幼い頃には使用人に囲まれて不自由なく暮らしてたそうだが
    戦争終了時には身寄りも使用人もいなくなってしまった。
    農家に着物を持って、食料と交換しに行っても、足元を見られてまともに食料を分けてもらえなかったらしい。
    なので、祖母は今でも田舎者や農家が大嫌いw
    相手が田舎出身だったり農家出身だったりするとあからさまに嫌そうな顔をしてた。失礼極まりない。

    高級な着物を献上しても僅かな野菜としか交換してくれない農家が、熱を出した子供のおでこに
    きゅうりの薄切りを乗せて熱を覚まさせているのを見て、惨めな思いをしたと言ってた。

    【爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話 その5】の続きを読む

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    306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/04(火) 18:46:54.49 ID:kcPnNPWc0
    私の母は、戦時中女学校に通っていました。
    駅前で、たまに米軍戦闘機の機銃掃射に会ったそうです。
    機銃掃射はまっすぐにしか来ないので、横によけると逃げる事ができる
    といっていました。
    また、米軍が日本軍のレーダかく乱のために大量に投下したアルミニウム
    帯を拾いにいったそうです。アルマイトの弁当箱も供出したが、集められた
    金属類は、予科練の校庭に山積みに放置されていたそうです。



    308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 14:56:09.18 ID:cVrCeDXb0
    機銃をよける話について昨日の日経の私の履歴書にも似たような話が載っていた。
    その方は、敵機が来たらいきなり逃げると撃たれるので、まず身を伏せ、反転攻撃
    してきたところをすれ違う方向に走って逃げるみたいなことが書いてあった。

    【爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話 その4】の続きを読む

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    206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 13:31:12.07 ID:f921u/5j0
    もうひとつ母から聞いた話。
    母が少女時代、昭和天皇の皇女のひとりで今上天皇の姉にあたる人(どの人かは忘れた)は、母と同じくらいの年齢の少女だったが、「ものが言えない障害者だ」という噂が流れていたそうだ。当時は週刊誌なんかなかったのでもっぱら口コミ。母の周囲ではたいていの人がそう信じていたとか。

    戦後、その皇女が話す肉声がラジオで流れて、なんだ、あれは嘘だったんだ」と母は思ったとか。
    後で別の人に聞いたところ、戦前戦中は未成年の皇族の肉声を公共の電波に載せてはいけないという決まりがあったとか。
    そのせいでそんな噂が流れたんだろうとのことだが、
    それなら他の未成年皇族も全員そうなのに、なぜその人だけそんな噂に
    なったのかはわからない。

    【爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話 その3】の続きを読む

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    104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 11:45:34 ID:kEDzoS3h0
    祖父は明治40年の生まれだが、小学校出て商家に丁稚奉公。
    盆や年末の小僧さんの仕事に遠隔地のお得意さんの売掛金の回収がある。

    田舎だから金を持っての峠越えには山賊が出ると言っていた。当時は姿形で商家の小僧さんだと一目で分かるしね。山賊から自分の身と売掛金を守る方法として、郵便局の局員さんと一緒に峠を越えると言っていた。

    現金書留があるから郵便局員も山賊に襲わる可能性があるので郵便局員は特別に拳銃を携帯を許されていて、発砲訓練や護身訓練も受けていて 局員と一緒なら安全だったので、局員の移動時間を覚えておいて後ろをついて行ったそうだ。

    局員さんの制服姿や拳銃が頼もしくて憧れだったそうで、よく楽しそうに峠越えの話をしてくれたなあ。

    場所にもよるが、大正期一杯ぐらいまで山岳地では山賊出たみたいだよ。
    「ああ野麦峠」にも中山七里の山賊の話が出ている。あれは明治末頃の話だな。





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