2012年07月

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    1 :pureφ ★:2012/07/13(金) 14:01:14.89 ID:???

    洞窟からの発見により初期陶器の年代が明らかに
    Cave Find Pushes Back Dates of Early Pottery

    研究者らの報告によると、中国のある洞窟から出土した陶器破片は、すでに発見されている他の古代陶器より2,000 年ほど古い約20,000 年前のものであるという。

    陶器は人間の重要な発明であった。陶磁器はかごや革製の袋より安全に食料を入れておくことができる。また、料理にも使える。

    最古の陶器は中国と日本で約18,000 年前に作られたと考えられてきた。農耕が始まる数千年も前のことである。

    Xiaohong We らは今回、中国の洞窟から出土した陶器破片の混じった堆積層の年代を明らかにした。最も古い破片は、最終氷期極大期である約20,000 年前のものである。

    破片の多くには焼け焦げた跡があり、このことから、この陶器が料理に使用されていたことがわかる。

    関係するPerspective では、Gideon Shelach が、氷河期に資源が不足したことで人々が食料のより良い収集・加工方法を開発せざるを得なくなった可能性について考察している。

    中国の仙人洞洞窟遺跡より2万年前の初期の土器が出土
    Early Pottery at 20,000 Years Ago in Xianrendong Cave, China
    Xiaohong Wu1, Chi Zhang1, Paul Goldberg2,3, David Cohen2, Yan Pan1, Trina Arpin2, Ofer Bar-Yosef4,*
    Science 29 June 2012: Vol. 336 no. 6089 pp. 1696-1700 DOI: 10.1126/science.1218643
    http://www.sciencemag.org/content/336/6089/1696

    Perspective Anthropology On the Invention of Pottery
    Gideon Shelach
    Science 29 June 2012: 1644-1645.
    http://www.sciencemag.org/content/336/6089/1644.summary

    関連ニュース
    【考古】中国・西安の十六国時代の双室土坑墓から彩色儀仗陶俑が出土 画像あり
    http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1323105921/-100







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    1 :日本@名無史さん:2012/07/22(日) 17:30:21.00
    歴史小説家が自分の小説を売れるようにするために、歴史を面白おかしくいじくり回し、様々な新説が誕生してきた。どれもこれも小説ネタとしては面白いが、荒唐無稽なものばかり。また簡単に反証されてしまうようなものばかり。

    だが、
    「惟任光秀が小栗栖で命を落としておらず、後に天海大僧正になって徳川幕府を支えた」
    という説だけは、真実の気がする。

    当時知っていたのは、禁裏と家康側近。そして光秀と共に戦ったことのある徳川家武将の一部のみ。
    箝口令が敷かれていたと思うし、書面に残してもいないだろう。
    ただ、徳川宗家や各武将の直系の末裔は、口伝で伝え聞いていると思うのだが。。

    筆跡鑑定の結果は、
    TV東京→光秀もしくはごく近い近親者
    NHK→本人ではないが似ている字があり親戚の可能性に言及
    だった。



    明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国大名・織田信長の重臣の一人で、日本史の謎の一つとされる本能寺の変を起こした事で有名。

    明智光秀 ナルキッソスの黄昏

    光秀は小栗栖で死なずに南光坊天海になったという異説がある。天海は江戸時代初期に徳川家康の幕僚として活躍した僧で、その経歴には不明な点が多い。

    明智光秀 ウィキペディア




    天海(てんかい、天文5年(1536年)? - 寛永20年10月2日(1643年11月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。

    天海 ウィキペディア







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    9 ajiagou


    南満州鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう、は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで満州国に存在した日本の特殊会社である。

    満鉄 ウィキペディア







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    379 :名無し三等兵:2012/07/02(月) 22:27:04.31 ID:???
     昭和2年生まれの祖母から聞いた話。

     女学校から勤労奉仕でロケット弾の信管のネジを旋盤で削る作業をしていたそうだ。
     削った部品は限界ゲージ(穴が2個空いていてA穴は通るがB穴は通らない部品は良品)
    で検査するのだが旋盤がガタガタでどうしても削り過ぎの部品がでてしまい不良品の山と
    なったとか。
     泣きそうになってると技術指導の工員の人が「そういう時はこうしてください」と言って、
    部品の端をハンマーでゴツン!。
     確かにA穴、B穴共に通る不良品がB穴が通らない良品に化けるわけだが当然不良品
    に変わりは無い。ネジの機能は果たさないからな。

     「不良を出すわけにいかなかったからしかないんだけど、今でも心の奥に刺さってる。
    命がけで敵の近くまで行って、撃ったロケット弾が不良だったらと思うと・・・」

     と言ってた祖母の7回忌がもうすぐだな。





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    4 :名無し三等兵:2012/05/07(月) 21:51:58.34 ID:???
    日本の基地で衛生兵やってたらしい。
    白衣きてる写真ある。
    日本の基地で何を衛生するのかわからんけど。

    体力面で戦場にはいけないとかあったのかね?
    そういえばメガネだったし。





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