8
左は北半球、右は南半球の星座
http://ja.wikipedia.org/wiki/星座 



3 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 21:33:22.80 0
今知られている星座って、ほとんどギリシア神話由来のものばっかりだけど、 
中東とか独自のものは無いんだろうか? 
羊飼いとか遊牧民って、夜は星ばっかり見てただろうに。 










15 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 23:44:43.51 0
>>3
形はギリシャ神話だけど、元々は中東あたりの羊飼いが夜空を眺めて作ったってコトも多かったみたい。

4 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 21:42:28.47 0
中国とかインディアンの星座は、日本でもちょっと紹介されてるね。
元ネタの本は、大抵同じだから、どれみても同じようなことしか書いて無いんだが


5 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:01:36.67 0
アイヌはカシオペア座を「ヤーシ・ノッカ」(網曳き形の星)と呼んだ。
W型の姿が、2艘の船の間に網を張って鮭を追いこむ漁の姿に似ているからだ。



北海道のアイヌ民族は鮭をカムイチェプ(神の魚)、またシペ(本当の食べ物)と呼び、生活の大半をその恵みに依存していた。
漁期が近づけば天空の天の川を見上げて「天の石狩川」「天の天塩川」など、その地一番の大河になぞらえ、どこが一番濃く見えるかで漁の豊凶を占った。白老や登別付近では、頭がハゲたカラスが現れれば、豊漁の兆しとしてよろこんだ。
やがて最初に上って来た鮭を捕らえるや、それを神に捧げる「アシリチェプカムイノミ」(新たなる鮭の祈祷)を行い、イナウとトノト(どぶろく)を共に捧げて祈った。サケは回転式の銛「マレク」で突くか、ウライ(簗)で捕らえ、水量のあるところでは2艘の丸木舟の間に網を張って漕ぎ、サケを追い込む「ヤーシ漁」(網漁)を用いた。W字型をした天空のカシオペア座は2艘の舟と網に似ていることから、アイヌは「ヤーシ・ノッカ」(網曳き形の星)と呼ぶ。暴れるサケはそれ専用に作られた神聖な棍棒「イサパキクニ」で打って止めをさす。鎌などで引っ掛けることは神を冒涜するものとされた。

36 :世界@名無史さん:2011/12/23(金) 16:19:56.52 0
チェロキー族の伝説によると、彼らの祖先はプレアデス星団(すばる、M45星団)出身の宇宙人らしい。 

自らのルーツを星に求める民族は他にもいるけど、具体的に何処からという話だと、興味が涌いてくる。
 



9 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:09:10.15 0
三国志演義では昭烈帝崩御の時に帝星が墜ちたとあるけど
有り得ない。


202


16 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 23:47:02.21 0
>>9
諸葛孔明が自分の死期を確信したのも、実は星が落ちるのを観測してだ。

中国での星が落ちるコトと人間の死が結びついて考えられていくのは、実は三国志演義の記述からだとも言われている。


1



10 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:22:51.77 0
太陽の話になってしまうけど
玄宗時代、「本日、暦の上では日蝕があるべきなのに
日が欠けませんでした」と文武百官が祝賀している。

これを後代の司馬光は「それは暦が不完全なだけであって
なぜ祝賀などして皇帝に媚び諂うのか」と『資治通鑑』で批判している。


11 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:26:36.79 0
その玄宗皇帝は若い時の決起で流星雨の夜に挙兵している。
武将の一人は「見よ、星降り墜つ。これ天意なり!」と叫んで
部下を激励した。それから実際に生じたことは皇太后一族を
老若男女問わず虐殺したことだけど。

203
治世の前半は開元の治と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作っている。



17 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 00:04:17.07 0
>今知られている星座って、ほとんどギリシア神話由来のものばっかりだけど、 中東とか独自のものは無いんだろうか
ギリシアから中東を経由して世界中に広まっているから検証不能



あと中国は完全に別系統、日本に入ってきたのは中国の


19 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 00:36:40.58 0
ギリシャって最も南のクレタ島で北緯35度程度。東京と同緯度だ。
したがって、赤経-55度よりも小さいトコの星や星座はどうあがいても見ることはできない。

つまり、鳳凰座の全景はみれない。エリダヌス座でエリダヌス川が流れ込む星アケルナルはみれない。
ケンタウルス座の前足はみることができない。

ギリシャだけでは星座は作れないだろう。


2


18 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 00:16:51.27 0
アフリカとかは? 

25 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 11:31:33.33 O
>>18答えではないけど話題として…
アフリカの或る部族の伝承には天体望遠鏡でしか見えない星がその位置にあることが伝わっているとか。
彼らは現代人から見ると異常に視力の高い目で夜空を長時間じっくり見つめていたのか…
偶然の可能性もあるだろうが。


ドゴン族(Dogon)はマリ共和国バンディアガラ山のニジェール川流域に面した断崖に居住する民族。人口は約25万人。
天文学に関する知識を多く持つドゴン族は、それに由来する神話を数多く持ち、フランスのジェルマン・ディータレンやマルセル・グリオールといった研究者によりその詳細が紹介された。この学術論文は1950年にアフリカ学協会誌に『スーダン原住民の伝承によるシリウス星系』という名で発表がなされている。ただし、この神話に関して、本当に古来からあったものかどうかについて(未開部族として彼らが作り上げた神話なのか、何らかの形で文明人と接触した上で創造された神話なのか)の結論は出ていない。

27 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 15:56:11.32 0
これによると神話自体存在しないらしい。つまり採取した民俗学者の勘違いらしい。 
http://www.nazotoki.com/dogon.html 


20 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 00:52:29.71 0
エジプトと交易してるから船乗りは少なくとも北アフリカまで行ってる。

21 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 00:58:21.42 0
だとしても、ギリシャに拘る必要ないんじゃないの?
元々別のトコで作られた物語がギリシャ神話に取り込まれたと思う。

大体、クレタ島じゃなくてギリシャ本土だと北緯40度程度で、さらにみれる範囲は狭まる。


22 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 02:06:20.30 0
植民都市も北アフリカに有るのにギリシア本土にこだわる理由が逆に知りたい。

23 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 02:34:34.98 0
んー。アフリカあたりの星の神話も混じって居るんじゃないの?

ギリシャじゃみられない星座がもろにあるんだからさー。



33 :世界@名無史さん:2011/12/21(水) 23:16:00.50 0
現代の西洋星座の原型はほぼバビロニア起源だよね?
もちろん後世にいっぱい加えられていったわけだけど。


34 :世界@名無史さん:2011/12/22(木) 16:29:40.97 0
しかしそのバビロニア占星術の資料が無い件

37 :世界@名無史さん:2011/12/23(金) 21:50:19.28 0
ギリシア天文学におけるバビロニアの影響は、結構はっきりしているね。
例えば、プトレマイオスの『アルマゲスト』の巻末にはバビロニアの王名表が付録してあるし。
BC8以降の天体観測の記録を活用していたみたいだし。

ギリシアの史家も、バビロニア人の天文学者としてベロッソスやキディンヌなどの名を挙げ、
その天文学(占星術)が盛んであることを記述している。特にヘレニズム期には相互交流が活発だったらしい。

39 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 01:41:17.68 0
西洋占星術は系統的な理論ができていて凄いと思うんだよな。

ただ、現代天文学では星の動きはほぼ延々未来まで計算できるモンだからなー。
そのようなコトができるようになった時代、占星術はどのようにそれを受け入れたんだろうね。


40 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 09:31:10.76 0
未来まで延々と計算できることは、占星術にとってもありがたいだけじゃないの?

41 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 11:07:42.29 0
自分の商売のネタがいかに無根拠か思い知らされて鬱になりそうだけどね。

46 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 13:49:05.99 0
>>41
だって、その計算法自体、占星術から生まれたものだろ?
シミュレートの精度が昔よりはるかに良くなった、ってだけで何も変わらないと思うが。


42 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 13:15:17.68 0
いや、色々言い訳してたに違いない。

43 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 13:15:51.92 0
人間が生きる上で様々な迷いがでてくるが、根拠など突き詰められるほど単純ではない。
といって、根拠など無いから思うままに生きる、ともいえない人は何か適当な理屈で
迷いを断ち切り行動を決める。
占星術に限らず占いなんて大抵そうでしょ。

天文から暦を作成する中で天文学が発達してきただろうが、
暦で洪水や季節風が予測できるし、農耕社会では食料を求めて
異民族が侵入してくることも暦での予測の範囲内だったかもしれない。
天体の位置と地上の因果関係の経験則が、単なる経験則を超えて
人の願望や心理を取り込んで占星術になっていったのではないかな。



45 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 13:29:37.31 0
人間は、完全乱数からも、規則性を見つけたと錯覚する。(クラスター錯覚)

クラスター錯覚
たとえば、1枚のコインを投げて地面に落とし、裏か表かどちらが出るかを見る行為でも、双方の面が出る確率がそれぞれ0.5であっても
裏、表、裏、表… 
などのように均等に表裏が均等に現れることは逆に少なく、どちらか一方に偏りが起きる。実際には
裏、表、表、表、裏、裏…
などのように現れることがほとんどである。人間はこのランダムな現象の「ゆらぎ」に規則性を見いだしてしまうのである。実際にプログラマに乱数用のプログラムとして使用されているメルセンヌツイスターでプログラムを作成し、上記のコイン投げをシミュレートした例を提示してみると次のようになる。
表、表、裏、裏、裏、裏、裏、表、裏、表、表、裏、表、表、表、表、裏、…
多くの人にとって上の結果は「異様に表か裏に偏っている・分布が固まっている部分がある」と感じられるのではないだろうか。実はこれは錯覚の一種であり、クラスター錯覚(英語版)という。クラスター錯覚から理屈を組み立ててしまうことをテキサスの射撃手の誤謬(英語版)と呼ぶ。ギャンブルなどで負けがこみ、サンクコストが発生しているさいにはこの種の誤謬に陥りやすい。


47 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 14:11:04.13 0
占星術であり天文学者であったケプラーは表向き占星術の効能を
称揚していたが、友人には「占星術は頭の悪いが稼ぎがある娘で、
賢く貧しい天文学という母親を養っているんだ」と言い訳している


48 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 14:16:27.67 0
ケプラーは、占星術と天文学が分離しつつあった時期の人間だからねぇ。
ただ、当時の言葉の一部を抜き出してきて、現代人の頭で解釈する際は、慎重さが必要だ。

実際、ケプラーが唱えた説って、かなり魔術的なもので、現代の天文学者には到底受け入れられないものだし。

49 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 14:26:06.33 0
ケプラーの第1~3法則の上に現代の天文学は成り立っているよ。
その偉大な功績があるから、ケプラーが多面体宇宙モデルとか奇説を唱えても、
かの大学者はそんな予定調和な哲学的ビジョンも持っていたんだなあ的に理解してもらえる。


50 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 14:40:07.75 0
ケプラーに限らず、ルネサンスから近世初期の学者で、現在も有名な学者ってのは、みんなそんなもの。
後世の人間の間尺に合う解釈をされているだけだからねぇ。



51 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 18:15:12.97 0
ケプラーの多面体で惑星の動きを説明する方法は、単純に精度が上がらなかったから、捨て去られた。それだけだろ。
現実を説明するのに、何を仮定するかは自由。現実と一致しなければ捨て去られるのみ。


52 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 19:38:09.47 0
ところが精密な観測データで惑星軌道の基本を決定した当のケプラーは
観測データと合わないと分かっている多面体入れ子モデルのアイデアを
最後まで捨てようとしなかった。

ケプラーには惑星の運動は美的観点から調和が取れていなればならない
という思いがあったのだろう。調和が予定されていない神に見放された
ような科学オンリーの世界観を受け入れることは、半ば中世の人である
ケプラーにとって不可能な跳躍だったのかもしれない。
神の支配する世界観と科学の支配する世界観の過渡期を生きたケプラーには、
すごい内心の葛藤があったんじゃないかと想像するよ。

3
ケプラー初期の多面体太陽系モデル

ただしケプラーの「数学的裏付け」は、まだ合理性において不十分なものであった。例えば彼が初期に提唱した多面体太陽系モデルは、「惑星が6個存在することは、正多面体が5種類しか存在しない事と関連があるに違いない」という思い込みによるものである。またケプラーは火星の衛星が2個である事を予言したが、これは「地球、火星、木星の衛星の数が等比数列をなしている」という思い込みによるものである。結果として火星の衛星の数は2個であったが、その仮説の前提である木星の衛星の数は、当時知られていた4個よりも遥かに多かったのである。

53 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 23:05:33.91 0
単に焦点をずらしたり、組み合わせ方を工夫したら、観測事実と一致すると思ったんじゃないの?
単なるオカルトと違う点は、観測結果と一致するかだ。

ケプラーは自分の信条から、一致する方法があるのではないかと思い試行錯誤した。
その行為自身は正しい行為だよ。結論を知っている現代から見ると、無意味な行為だとしてもね。



54 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 23:12:29.41 0
それは、現代の科学の立場からしかものを見ない人間の発想。
なんでもいいから、ルネサンス期の科学の本を一度読んで見たら?

そもそも、オカルトというもの自体が近代の産物。


55 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 23:15:59.58 0
うーん。確かにそうかも知れないな。

56 :世界@名無史さん:2011/12/25(日) 12:20:17.91 0
ケプラーの正多面体宇宙観の場合は、ギリシア的調和への回帰、神秘主義的傾向を
帯びたネオプラトニズムの一種だな。ルネサンスという時代背景に合っており、
発表当時はなかなかナイスな仮説として一定の支持を受けている。単純にオカルト
とか魔術とか呼ぶと誤解を招くね。

何しろケプラーの段階では惑星運動の法則は分かっても、何故そういう法則に
従って惑星が動くのか仕組みが分からない。神秘主義的傾向と縁が切れないのは
無理もないと思う。

しかしケプラーの多面体へのこだわりは、星型正多面体の発見など具体的な
数学の成果に結びついているから、転んでもただでは起きないおっさんだな。


204

星型正多面体(ほしがたせいためんたい)は、ドイツの数学者ヨハネス・ケプラーが最初に発見した、各面が互いに交差する凸でない正多面体である。ケプラー・ポアンソの立体と呼ばれることもある。これらは正多面体を星型化することによって作ることができる。



59 :世界@名無史さん:2011/12/28(水) 00:14:38.91 0
160 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 22:40:55.42 0
またシモネタだが……

ローマ帝国五賢帝の一人、ハドリアヌス帝は愛人が事故死したとき嘆き悲しみ
2人の愛を永遠にするため、愛人を神にし、その姿を星座にした。
なお、ハドリアヌス帝は

ガチホモ



アンティノウス座
>アンティノウス座(アンティノウスざ、Antinous)は星座の一つ。2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスが、
寵愛していた美青年アンティノウスの死を悼んで名付けた。

和名・矢追座  こんな星座はいやだ。

205
ヨハン・ボーデの星図に描かれたわし座とアンティノウス座


60 :世界@名無史さん:2011/12/28(水) 00:19:14.25 0
別にギリシア・ローマのホモに引きも驚きもしない

61 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 12:32:54.47 0
524 名前:世界@名無史さん 投稿日:2010/01/17(日) 12:30:35 0
占星術っていうとよく米国の大統領とかの話がゴシップ的に書かれるが、インドなんかはもっと半端じゃない。
大まかに言うと、占星術はヒンズー教の教えの中に、わりと正当な位置を占める。(その点で、占いを異端とすることの多い仏教やキリスト教と異なり、占い解説書(易経)を根本経典としてもつ儒教に似ている)
今でもインドに行くと至る所に占星術師が開業しており、結婚するインド人の多くは相手と自分のホロスコープを確認し、もし相性があわなければ、その理由で結婚をとりやめることも多い。
もちろんインド人の中にもいろんな考えの人がいるんだろうが、上記のような状況だから、占星術が政治に与えている影響ももちろんかなり、大きいだろう。
ちなみにインド占星術のホロスコープは四角い形をしていて、西洋占星術とはかなり異なる。またサイデリアル方式とトロピカル方式との違いがあって、西洋式で「自分は天秤座だ」と思っている人が、インド式では乙女座だったりする。
そもそもよく星占いで「・・座」と称する場合の太陽の位置よりも、インド式はアセンダントの位置を重視する。
62 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 15:19:41.99 0
西洋占星術では、生まれた時に東の地平線に位置する星座が正確な自分の星座なんだよな。

でも、それでは難しいから、(自分が生まれた時間を正確に知っている人が少なかった?)簡易的に 自分が生まれた時に太陽が位置している星座が自分の星座とするのが、現在一般的に行われてい る西洋占星術の手法だ。だから、4月何日から5月何日までが何座…という形になる。

本当は太陽の位置は微妙にずれるから、簡易的な手法でも天体計算で正確に太陽の位置を計算
する必要があるんだけどな。

インド占星術はどうやって自分の星座を決めているのだろう。


66 :世界@名無史さん:2012/01/05(木) 17:22:09.60 0
>>62
西洋占星術と同じやり方で計算してから歳差でずれた度数を引き算する
何度引き算するかは諸説あり占い師により数度のずれがある


67 :世界@名無史さん:2012/01/05(木) 17:35:11.90 0
>>66
で、どこの星座見るの?

簡易手法の生まれた日時の太陽の位置?それとも、生まれた日時の東の地平線の星座?


68 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 01:00:25.93 0
>>67
インド占星術の重要度はラグナ、月、太陽その他の順かな?
ラグナは東の地平線の12星座。上昇宮といって西洋でも重要。
月は12星座以外に27宿でもみる。

69 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 01:14:38.82 0
>>68
なるほど、東の地平線の星座を見るのは西洋占星術と一緒か…。

やはり、お互い影響し合っていたのかな?






73 :世界@名無史さん:2012/01/07(土) 11:48:34.03 0
星が落ちるすなわち流星と人の死は関係あるだろ。
俺の親父が死んだ瞬間も、なぜか仏壇のじいさんの位牌が倒れて落ちた。


74 :世界@名無史さん:2012/01/07(土) 11:54:25.13 0
>>73
真面目に観測すれば、流星は一晩に何個も何個も流れます。
双眼鏡とか使えば、見える数は更に増えます。

誰の死とどの流星が関係あるか確認するのは不可能→実用性ゼロ

という判断が妥当かと。




75 :世界@名無史さん:2012/01/08(日) 17:14:08.65 0
24 名前:名無しのひみつ 投稿日:2011/12/11(日) 07:51:10.75 ID:a8ZuCjuY
 ニネベの遺跡で見つかったシュメール人の古代の天文学者が粘土板に残した円形の星座板には、ふたご座・木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されている。 
 アランボンド教授の解析により、この天文事象は、惑星の配置が粘土板の星座盤の位置と一致したことから、紀元前3129年6月29日であったと特定され、アピンの記述は典型的なアテン群小惑星の落下の記録であると結論付けた。
 衝突予想地点には、クレーターはなく、この小惑星はアルプス上空で空中爆発したであろうと推定されている。 アランボンド教授はこの日、直径1.25キロほどの小惑星がアルプス上空のコフェルスで空中爆発し、破片が軌道を逆戻りする形で地中海一帯に帯状にばら撒かれたであろうと説明し、これはソドムとゴモラの事象のことであろうという説を述べている。
さらに南アルプスの氷床コアの調査によって、紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったという傍証的データが示されている。

チグリス川沿いの現代の都市モスルの対岸(東岸)に存在する。クユンジクとネビ・ユヌスという二つの丘からなるが、ネビ・ユヌスは現在イスラム教の聖地となっているため調査はほぼ行われておらず、ニネヴェに関する現代の知識はクユンジクの調査に依存している。19世紀半ばから繰り返し調査が行われているが、なお十分とはいえない。

79 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 14:02:43.87 0
>>75 
「特定」したっていうよりも、あくまでも仮説を主張しているって感じだな。 
あと、この人は文書解読の専門家じゃないみたいだし。トンデモ臭がほのかに香る。 
科学史をやる場合には、理系の知識+当該文化の知識がないとトンデモ研究化する可能性があると思う。 

76 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 10:38:37.82 0
>>75
直径1.25kmでクレーター無しはね~わ。
ツングースカでは最大100mにすぎないから痕跡なしなのであって・・・。


78 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 13:30:20.73 0
>>76 イトカワみたいにスカスカな小惑星なら空中で細かく砕ける可能性はあるかもにゃ。

80 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 14:54:35.52 0
>>78 
あ~イトカワ的な小惑星なら可能性はあるかもね。かなり確率低そうだけど。

81 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 16:07:51.99 0
ソドムとゴモラってアブラハムの時代だから
聖書年代学では紀元前20世紀ぐらいじゃないか


206
ソドムとゴモラは、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。


82 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 19:09:40.39 0
たしかに天変地異の伝説は、トンデモ天文学に結びつきやすい。
小惑星や彗星の衝突、巨大遊星の接近による大高潮、水惑星の接近による大洪水・・・

でもたまに真面目な学者やライターが大真面目に主張することもあるね。
かのA.アシモフもノアの洪水は小惑星の衝突による大津波じゃね?という仮説を立てている。



87 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 20:28:21.01 0
>>82
誤解のないように補足すると、ペルシャ湾への隕石落下によって、チグリス・ユーフラテス流域の狭い範囲に 洪水が起こったというのがアシモフの説
けっして全世界にノアの洪水が起こったと主張しているわけではない
もちろん、それでも、聖書原理主義のトンデモ説には違いないのだが


91 :世界@名無史さん:2012/01/10(火) 00:04:56.21 0
>>87
アシモフはキリスト教原理主義に批判的な男だよ。聖書至上主義とはおよそ相容れない。
そもそも聖書の字句を尊重するなら、神様に小惑星なんて裏技を使わせずに雨を降らせる
ことだけに徹させるべきじゃん。

ノアの方舟の元になったウトナピシュティムの方舟伝説でも、船は出発地点をはるかに
遡上した高山に流れ着くことになっているが、これが大雨による洪水だとすれば不自然な
描写で、むしろ津波の方を連想させる。
これらの伝説に大地震の描写はないから、代わりに大津波の原因として小惑星を持って
くるのは、蓋然性が高いとまでは言えないにしても、あり得なくもない仮説ってとこかな。



『ギルガメシュ叙事詩』における記述   ※(ウトナピシュティムの方舟伝説)

アシの小屋よ、アシの小屋よ、壁よ、壁よ。アシの小屋よ聞け、壁よ察せよ。ウバルトゥトゥの子、シュルッパクの人よ。家をこわし、舟をつくれ。持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え。すべての生きものの種を舟に運びこめ。おまえがつくるべき舟は、その寸法をきめられたとおりにせねばならぬ。その幅と長さとをひとしくせねばならぬ。ウトナピシュティムがつくった舟は七階だてで、各階には九室あったようだ。七日目に舟は完成した。洪水が起こると、彼は全財産、つまり銀や金、生きもの、家族、身よりの者、職人たちをすべて舟に乗せた。すると、六日と七夜、風と洪水がおしよせ、嵐が国土を吹きまくった。七日目になると、洪水をもたらした嵐は戦いに負けた。それは軍隊の攻撃のような戦いだった。海はしずまり、嵐はおさまり、大洪水はひいた。空模様を見ると、まったく静かだった。そしてすべての人間は粘土に変わっていた。見わたすかぎり屋根のように平らになっていた。天窓をあけると、光がわたしの顔にさした。わたしはうなだれ、坐って泣いた。涙がわたしの顔をつたって流れた。わたしは広々とした海を見回して岸を探した。十二の場所に陸地があらわれた。船はニシル山についた。山は船をとらえて動かさなかった。このようにして船は六日間ニシル山にとまっていた。七日目に、ウトナピシュティムはまず鳩をはなした。鳩は休み場所が見あたらずにもどってきた。つぎは燕をはなしたが同じ結果になった。そのつぎには大烏をはなしたところ、水がひいていたので餌をあさりまわって帰ってこなかった。そこで彼は山頂に神酒をそそぎ、神々に犠牲をささげた。

215
『洪水』(ミケランジェロ・ブオナローティ画、システィーナ礼拝堂蔵)




83 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 19:43:47.19 0
I.アシモフだろう。西洋人は、なぜかどうしても聖書を正当化したいって気持ちがあると思う。

なんだろうなこれって。



5



84 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 19:55:40.40 0
日本の創世神話は日本列島の成り立ちしか説明していないんだぞ。
支那や天竺はどうするんだよ……



88 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 20:35:11.85 0
聖書の天変地異をユーフラテス近辺の史実に求めようという学術的探索はそこら中で行われている。

というか、逆か。
現代の平凡な常識からは荒唐無稽とも見える、神の奇蹟と言われるような天変地異でも、
自然科学と考古学と人類学を組み合わせれば、たいていは自然が起したものとして説明できる。
その探求の足掛かりとして、聖書が使われている。


89 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 20:45:43.37 0
堤防もダムもなかった時代には、ちょっと大雨がふれば河川はすぐに氾濫した
時には、何十年に1度、何百年に1度というような大雨続きの天候の時もあるだろうし、そうなれば、
古代人にとっては自分が知っている土地のほとんどが水没するような大洪水になる
チフリス・ユーフラテス流域でもそんな大洪水があって、そこから洪水伝説ができたというだけの話で
隕石は関係ない
ちなみに、洪水伝説とその変形は世界中にある
最初に海の状態から話が始まって、島ができるというのも洪水伝説の変形の一つで、日本の
イザナギ・イザナミの国生み神話もその一種だったりする

90 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 22:18:50.68 0
こういう話になると、急に盛り上がるねw


92 :世界@名無史さん:2012/01/11(水) 06:43:33.19 0
小惑星の衝突→超巨大津波のほかに、
彗星の衝突→怒涛の大雨という想定もありかも。
ちょうど昨年末にハートレー第2彗星が話題を呼んでた。


「地球の水は彗星が起源だった?彗星の中に地球と同組成の水発見」
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52042826.html


93 :世界@名無史さん:2012/01/11(水) 08:12:41.23 0
それはヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』そのまんまのトンデモだろうにw

94 :世界@名無史さん:2012/01/12(木) 19:42:56.57 0
その「地球の水は彗星起源」は科学専門誌の雄Natuerに載った論文だし、
「大洪水は小惑星衝突による津波説」を唱えたアシモフさんは
疑似科学を攻撃する団体CSICOPの古参メンバーでもある科学者だった。

天文学って、もともと扱う対象のスケールがでかすぎて現実生活と接点が少ないから、
何がエセ科学で何がそうでないか、見分けるのに一定の知識が必要だな。


95 :世界@名無史さん:2012/01/12(木) 23:49:57.53 0
>>94
なるほどねえ。でも、だからこそ根深いモノが…なんて感じるオレは何かに毒されているカナw

エセ科学とそうじゃないモノとの境目は、マーチン・ガードナーが言うとおりスペクトルのように
どれが赤でどれが青と言い切れるモンじゃないと思うよ。


96 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 00:34:23.22 0
似非科学かどうかの基準は、手続きにあるのであって、正しさにあるのではない。
新たな発見や観測・考証の精度上昇で誤りとわかった仮説が、
だからと言って科学であることを止めるわけではない。


99 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 01:32:30.78 0
>>96 
手続きがどうでも、結果が正しければその結果に沿って科学理論が新たに作られるのだから 
十分科学であるとオレは思うよ。そう言う例は、極稀だと思うけどね。 

97 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 01:01:16.64 0
近頃じゃ生命誕生の元になったアミノ酸は隕石由来という説が支持を集めてるらしい。
一昔前はトンデモにしか見えなかったけど。

宇宙の膨張速度が加速してるってのもあり得ない、まさかの事実だし。


98 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 01:26:03.02 0
パトレイバーのOVAで紹介されるくらいだから昭和だな>隕石由来

一昔前って何十年前よ?


100 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 01:37:51.76 0
>>98
アミノ酸が宇宙由来だって説は昔からあるが、まあ泡沫眉唾説の一つみたいなモンだった。
それが脚光を浴びたのは、宇宙線で光学異性体の片方のアミノ酸が破壊されるというコトが近年言われたから。

大昔から、なぜ人類を含む地球の生命体は光学異性体の片方のアミノ酸しか使っていないのかということが 大きな疑問だった。これを利用したSFもあったな。「戦闘妖精雪風」とかでそのシーンがあった。

その疑問が、宇宙からアミノ酸が来たということで解決する。


103 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 02:03:40.07 0
>>98
パトレイバーの件は知らんけど、そういう感じで取り上げられてた頃は眉唾に見えた。
でも近年は事情が違って来てる。そういう話。


>>100
あぁ、それだ!!支持を集める理由がサッパリ思い出せなかったけど助かった。


6



104 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 02:14:44.13 0
話し変わるが、先日CSで放送されたドキュメンタリー
日本の調査した深海での成果をスルーする米の教養番組ってある意味清清しいんだよな
全て米が最近着目し、先鞭をつけたってトーンで番組をつくりやがる

宇宙開発でも太陽風を利用したヨットが日本の実験機は既に成功しているという事実には一切ふれず
米が現在研究中の一つの試案であることを強調しているし

CSの番組を見ていて思うことは日本の教養番組の質の高さ
日本で二十年前に放送されていることを最新の成果であるように語ってる

隕石由来説も俺の記憶では昭和の頃には一定の説得力があったから、一昔前って言葉に違和感を感じているんだよ
何故最近と思ったのかって


105 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 02:22:36.51 0
>>104
んー、だとしたら俺が知らなかっただけだな。俺は割と最近まで眉唾と思ってたから。

106 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 09:02:06.92 0
ジョン・グレンの宇宙飛行だってまるで世界初のような扱いだしな

207
1958年より宇宙飛行士として、NASAのマーキュリー計画に従事。1962年のマーキュリー6号(フレンドシップ7)により、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士となる。これは映画『ライトスタッフ』のモデルになっている。日本では、文藝春秋昭和37年5月号に、『宇宙最悪の旅』と題した回想記が発表された。 海兵隊大佐で退役。




109 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 00:29:59.91 0
隕石を祀るっていうのは洋の東西を問わず普遍的に見られた現象だね。
宇宙からの贈り物だから、古代人にしてみりゃ神性を感じるのが当然だもの。
イスラム教巡礼の中心カーバ神殿に鎮座しているのも隕石だと信じられていたし。


カアバの歴史は非常に古く、イスラーム以前の時代にはアラビア人の信仰していた多神教の神々の神殿として使われ、アニミズム時代(イスラームで言う「無明時代」)には、360もの神々の聖像が置かれていた。その中での最高神が「月の神」アッラート(アラーフの女性名詞形。アリラト、アルラトとも)であり、月経を司る五穀豊穣の老婆の神であった。イスラーム教が「太陰暦」を採用しているのはこのためである。アラート神の「御神体」は、天然ガラスである黒曜石(もしくは隕石由来のテクタイト)でできていると言われており、アニミズム時代は「月からの隕石」と信じられていた。

110 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 00:49:10.33 0
アナトリアのクババ(キュベレー)も御神体は隕石だったかと


209
チャタル・ヒュユク出土の土偶女神像(アンカラ)

アナトリアのキュベレーは恐らく青銅器時代に遡る。チャタル・ヒュユクで発見された小立像(アンカラの考古学博物館蔵)は紀元前6000年程度のものとされ、肉付きのよい肥沃な「母なる神」が、ライオンをかたどった二つのハンドレストがついた王座において出産しようとしている姿を表している。チャタル・ヒュユクにおける神殿には彼女と共に城壁冠(城壁のような王冠、mural crownの挿し絵参照)が描かれ、都市の守護神としての機能を約束していたことを示す。
111 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 09:34:17.82 0
キュベレー信仰で思い出したが、ローマ皇帝ヘリオガバルスがシリアからローマに運んで祭らせたご神体「黒い石」 (Baetylus)も隕石かテクタイトだったらしい。
こういうご神体を祭るのは古代の中東ではごく普通なことで、イスラム教徒が拝んでいる石もそのひとつなんだろうな。


210
皇帝の一族はシリアからローマをめざしたが、アンティオキアやニコメディアに長期間逗留し、上述のように途中で反乱があり、また、天から降ってきた(隕石)と信じられていた、底が平らで先の尖った円錐形の形状をもつ巨大な「黒い石」を御神体としてエメサの神殿から運び出したため、一行のローマ到着は遅れに遅れ、219年の初秋、ようやくローマに到着した。ローマ入城の際、人びとは新皇帝の出で立ちをみて驚愕した。少年皇帝は、地面に届きそうな長袖を支える紫色の地に錦糸をあしらった司祭服を着用し、ネックレスや腕輪など豪奢な装身具をほどこし、頭上に宝石を散りばめた帝冠をいただいたうえで女装していたからである。

113 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 12:18:04.66 0
何で隕石ってわかったんだろう、落ちる所を見ていてクレーターを掘り起こしたのか? 



112 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 11:56:40.87 0
隕石を御神体にしてる神社ある?

116 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 14:18:57.28 0
>>112
私が住んでいる福岡県だけでも、隕石を祀っている神社がふたつある。
日本全国各地にそういう由緒をもった神社があるんじゃないかな。

・福岡県直方市の須賀神社
・福岡県朝倉郡東峰村(旧宝珠山村)の岩屋神社

なお、861年5月19日に落下が記録された須賀神社の隕石は
世界でも最も古い目撃例がある隕石として有名。


貞観3年4月7日(ユリウス暦861年5月19日)の夜、武徳神社(今の須賀神社)境内に落下。翌日、深くえぐられた土中から黒く焦げた石が掘出され、桐箱に納めて保存したという記録が残っている。重量472gのL6-コンドライトの石質隕石である。


114 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 12:49:09.30 0
石ころが屋根を突き破って空から落ちてきたとか、
畑にちょっと放り投げた程度では生まれないような数メートルの穴が出来てた
いう事件が起きれば、天から落ちてきたと信じるだろう。


115 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 14:15:09.83 0
その程度のサイズじゃないぞ、御神体になってるのは。

117 :世界@名無史さん:2012/01/17(火) 00:24:16.63 0
たしか聖書にもそんな話があったな

118 :世界@名無史さん:2012/01/18(水) 22:06:58.97 0
ヒトラーもオカルト趣味でとある占星術師にはまっていたらしいが、
実はその占星術師、連合国側に買収されていてワザとドイツ軍が負け
たり連合国の方が有利になる様に占いの結果を出していた。

WWⅡには、何でこんな敵を利する命令をヒトラーが出すのか判らない
ケースがいくつかあるが、それもこの占星術師の影響らしい。



120 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 09:55:31.85 0
なんでイスラムってあれほど月をシンボルに使いたがるん?
昼間は暑すぎて夜活動することが多いから、夜の太陽みたいな存在なのか?


121 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 11:39:45.50 0
現在でも月経というように、
原始は女権社会であり、
月齢と月経の周期が関係あるものとされていたからだろう。


124 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 14:16:22.90 0
>>120
その場合、月といっても満月や半月ではなく常に三日月の図柄だな。

実際にはイスラム以前から広く三日月マークが使われており、ムハマンドが神の啓示を
受けたのが三日月の夜だったとかいろんな説があるにはしても、どうも後付けの説明っぽい。
トルコの国旗の場合、もともと月の女神アルテミスの象徴として三日月が使われていたのがその
起源という説がある。月神への信仰が先にあってイスラムがその図像を受け継いだんじゃないかな。



125 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 16:52:34.65 0
三日月は夜の空にある期間は短く、直ぐに沈んでしまうから確かに砂漠の交易説よりは
>>124の方が整合性があるなあ。


122 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 11:52:51.60 0
いやそれは、イスラムに限った話じゃないから。

123 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 13:50:15.30 0
砂漠では太陽は悪魔扱いだ。
農業地帯じゃないから太陽のありがたみもないし
交易や遊牧で生きている人々は夜の月と星で方角を知り旅をした。
砂漠では月と星は人を導く象徴になっている。


126 :世界@名無史さん:2012/01/22(日) 16:18:35.12 0
「三日月の図柄」は「月」か「新月」だろうね。
イスラム圏の赤十字は十字の代わりに三日月マークで「赤新月社」というそうな。

図像学のレベルで読むなら、単に「月」であって、自然主義的に三日月の形だから
「三日月」というふうに読むべきでないと思うわ。


128 :世界@名無史さん:2012/01/22(日) 19:06:51.16 0
>>126
そうだろうね。
三日月型は、単に他の天体との違いを一目で分かるような形だし、
デザイン的にも優れているから使っているってことだろう。


129 :世界@名無史さん:2012/01/22(日) 20:37:07.80 0
アラーそのものが、もともと月の神だったという説があるね。
だとすればイスラム教徒が月のシンボルを多用する理由も分かる。


月の女神アラート

http://en.wikipedia.org/wiki/All%C4%81t (英語版ウィキペディア)


130 :世界@名無史さん:2012/01/22(日) 23:53:27.07 0
本当にそうだとすると、確かに全部説明は付くな。

131 :世界@名無史さん:2012/01/24(火) 12:08:13.90 0
女神アラート が月の神だったのなら、

アラーは太陽神だったのでは?


132 :世界@名無史さん:2012/01/25(水) 20:13:16.98 0
イスラム圏でそれほど月が大事なものだとしたら、月食のときは日食並に大騒ぎになるんだろうか?

133 :世界@名無史さん:2012/01/26(木) 18:41:49.67 0
月食の原理とか、月の満ち欠けの原理って、中世イスラムでは知られていたの?

142 :世界@名無史さん:2012/02/02(木) 22:24:03.98 0
>>133
月の満ち欠けも月食も、知っている人間は紀元前から原理を知っていたろう。
サモスのアリスタルコスとか。中世のイスラム圏でもギリシアの文献を参照する
ような知識人なら、そういう考え方があることは承知していただろう。



134 :世界@名無史さん:2012/01/26(木) 18:55:12.60 0
イスラム暦は完全な太陰暦でしょ。やっぱり月は重要じゃないの?

135 :世界@名無史さん:2012/01/26(木) 19:05:31.71 0
高緯度で四季がはっきりしていないと、太陽暦のありがたみがないからな。
また、それこそ夜間に月の光の下で活動するなら、太陰暦の方が有用だな。


136 :世界@名無史さん:2012/01/26(木) 21:41:55.63 0
>>134
重要ということについては、誰も異議は無いと思うけど?

137 :世界@名無史さん:2012/01/29(日) 10:13:55.88 0
>>136
他の天体や神と比較して、月や月神への信仰にどの程度の重きが置かれていたか相対的な話をしているんだろう。

当初ムハマンドは月神アッラートを含む3女神を認めるような発言をしたことがあり、後にあれは悪魔にたぶらかされてたヨとか言って取り消したことがあった(悪魔の章句)。つまり地元クライシュ族との抗争でピンチになり、 既存の多神教の中でも有力な神は認めざるを得ないナってことで、妥協を図った時期があったということ。

今日聖地メッカはイスラム教以前は多神教の宗教センターだったがわけだが、最終的にイスラムが覇権を確立する に至って祀られていた360柱のうち359柱が破壊され、ただ1つだけアッラート女神の依り代である石だけが残されて今日もカーバ神殿の中央に鎮座している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A2%E3%83%90
アッラー以外の神を全否定した上でイスラム教を確立するはずだったのだが、存在が大きかった月神だけは 消去しきれず、結局取り込まざるを得なかったというところだろうか。


138 :世界@名無史さん:2012/01/29(日) 21:18:44.59 0
スレ読んでるうちに、いつの間にか、アッラー=アラートと勘違いして混乱していた。
全く別の神ってことか。


142 :世界@名無史さん:2012/02/02(木) 22:24:03.98 0
>>138 
同じともいえるし違うともいえる。一部同じ「かもしれない」あたりが無難。 
多神教の神様は変形され習合され混同されを繰り返しているからはっきりした 
線引きが難しい。さらに一神教に組み込まれた段階でかなりの情報が失われる。 
それにアラーは神、アラートは女神を意味していて、イスラム以前では 
普通名詞として使われる語だから、輪をかけてややこしい。 

140 :世界@名無史さん:2012/01/30(月) 01:34:26.25 0
イスラム教のカーバ神殿に置いている黒い石の「ご神体」も伝説によれば、月からの石だからな。



143 :世界@名無史さん:2012/02/02(木) 23:03:20.12 0
プレアデス星団を日本ではスバルと呼んだと子供の頃に百科事典で
読んだことがありますが、このスバルも日本では信仰の対象に
なっていたんでしょうか?


154 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/02/04(土) 23:06:47.97 0
>>143
住吉三神をオリオンの三ツ星(航海の目印)とし、猿田彦命をプレアデス星団
とする見解も出されていますが、定説ではありません。
猿田彦命については、寧ろ太陽神的性格が指摘されていますし。
太陽神である天照大神を悩ませた天津甕星は、金星だといいますね。

アイヌの伝承に、昴を六人の乙女、オリオンの三ツ星をそれを追いかけてい
る三人の男とするものがあります。
そもそもオリオン座自体に類似の伝承がありますが、この手の話は白鳥や羽
衣の伝説と結びついて広く分布しているので、両者に限らない。

院政期の文人である大江匡房は熒惑星(火星)の化身であるとされ、冥界と
行き来した小野篁は、破軍星の化身とされていました。
破軍星は、北斗七星の一つ。『水滸伝』にも宋の皇帝の臣がやはり北斗七星
の中の文曲星・武曲星の化身であったという話がありますが、小野篁の話が
何に由来したものかは、分かりません。

熒惑星は童子の姿で予言するということが『捜神記』などに出ており、本邦
にもこれが伝わって聖徳太子の伝記などに登場しています。
しかし、一方では驢馬に乗った驢馬の頭で六臂の異形であったりもする。
江戸や江戸の記憶がある世代(富岡鉄斎など)まではこうした五星・廿八宿
の神々も陰陽道の影響で知られていましたが、明治に陰陽師が禁止・廃止さ
れて以降は、記憶から消えてしまいましたね。
こと大陸の影響を受けたものについて言えば、日本に星の信仰がなかったと
言うのは間違いです。


145 :世界@名無史さん:2012/02/02(木) 23:25:36.07 0
>>143
古来、六連星(むつらぼし)などとも呼ばれて親しまれ自動車メーカーの名前にもなったけど、
信仰の対象にはなってない。



211


147 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 00:35:35.57 0
2つの姿をもった天白神

天白神は北斗七星と昴の神です。
志摩の神は天上では2つの姿を持つものがあり、この神様もその一つです。
星辰信仰では北斗七星、神楽歌では月の輪に舞う星と言うことになります。
天白神にはもう一つの書き方があり「天魄神」と書きます。
星の世界で「魄」は星団を表します。
志摩市内には波切と船越と安乗に祀られ、波切は天白神、安乗は天魄神と書きます。
船越では北斗の木として祀られています。
ここで、この神様は何者かと言うと豊受大神の7人の姉であると同時に、豊玉姫と一緒にいる7人の童子でもあります。
北斗七星が7人の姉、昴が童子となります。

152 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 18:12:00.60 0
>>147
なにこれ、日本にもこんな面白い言い伝えあったのか。




148 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 01:10:34.93 0
死兆星って視力がよければ見える二重星?

149 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 01:22:48.77 0
多分そう。位置は漫画本では微妙なのだが…

中国の話で、その星が見える人は目が良いということから、兵士として徴用されたため
逆に不吉な星とされたようだ。

150 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 10:11:38.45 0
地球から見たときにたまたま近くに見えるだけで、二重星ではないだろ。

151 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 11:48:57.59 0
>>150
近くに見えるだけでも二重星。実際にそばに有るのを区別する時は連星と呼ぶ。

153 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 20:16:43.41 0
>>150
重力的に二重星になっているかどうかは、実はまだ明確になっていない。
かなーり遠いのだが、もしかしたら重力的に繋がっているのではないかという説もある。




166 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:20:06.76 0
79 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/04(土) 11:28:25.17 0
宿とかレストランの格を、☆で表すようになったのって、何か言われあるんでしょうか?
光っている度合いを示しているとか?

80 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/06(月) 21:10:41.89 0
その星はよく分からないなぁ。
分かっているのは、それが起源で、いろんなランキングの結果が星の数で示されるようになったこと。

あと有名な話だけど、19Cのアメリカだかイギリスだかで、人気が一番ある俳優の控え室に、
目印としてドアに星が付けられていたことから、その俳優のことをスターと呼ぶようになった。

167 :世界@名無史さん:2012/02/11(土) 10:11:54.60 0
82 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/08(水) 19:22:00.71 0
星を☆で象徴するようになったのはいつ・どこ?
六暴星はともかく五ぼう星はいつ・どこから始まったの?



83 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/08(水) 20:20:54.97 0
ずばりの答えではないが、ここ
http://en.wikipedia.org/wiki/Pentagram
のSumerの項に
「In the Babylonian context, the edges of the pentagram were probably orientations: forward, backward, left, right,
and "above". These directions also had an astrological meaning, representing the five planets Jupiter, Mercury,
Mars, Saturn, and Venus as the "Queen of Heaven" (Ishtar) above.」

とあるんで、元々は単に星が光輝く様をデザイン化したわけではなく、5つの三角が
5つの方角を示しているということらしい。
ペンタグラム自体の最初の使用は、そこに書いてあるように、BC3000年。



84 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/08(水) 22:00:55.47 0
★の5つの角は、水星金星火星木星土星の5惑星の象徴だったの?

168 :世界@名無史さん:2012/02/11(土) 10:12:13.03 0
85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/08(水) 22:23:44.40 0
一番最初は、そういうことだったらしい。
昔は、今と違って思いつきでデザインが行われることは基本的に無くて、
すべての形には意味があると思った方がいいんだろうね。



87 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/08(水) 23:52:58.14 0
六虻星のいわれは?


90 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/10(金) 15:18:36.98 0
ペンタグラムも、ヘキサグラムも、元々星を表していたわけじゃないだろう。
ペンタグラムは、後世になって星を表す記号の役割を与えられただけだと思うけど。



91 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 10:05:42.70 0
英語版のwikipediaによると、説は二つある。
1. 古代南インドのヒンズー寺院で、夫婦神nara-narayanaとか、神人合一を象徴するマンダラとして使われていた。
2. ダビデ(DVD)のDはギリシア語ではΔなので、二つのΔを組み合わせた。



235 :世界@名無史さん:2012/03/15(木) 18:32:30.06 0
Wikipediaを調べると色々な説が昔から論議されていたんだね…。
やはり何はともあれWikipediaということか。

しかし、クリス末ツリーの上にある星はベツレヘムの星だったんだね。



212

キリストがベツレヘムで誕生した直後、東の国で誰も見たことがない星が西の空に見えた。3人の博士、すなわちカスパール・メルヒオール(メルキオールとも)・バルタザールらは、ユダヤ人の王が生まれた事を知り、その星に向かって旅を始めた。途中でユダヤのヘロデ王に会った3博士は、「ユダヤ人たちの王はどこで生まれたのでしょうか」と尋ねた。ヘロデは、自分にとって代わる王がいるのかと驚き、不安を覚え、3博士にその居所がわかれば教えるように命じる。博士たちは星に導かれてさらにベツレヘムへの道を進み、星が止まった真下に、母マリアに抱かれたイエスを見出して、彼に敬意を払って礼拝し、高価な珍しい贈り物を捧げた。しかし、夢でのお告げにより、ヘロデ王には知らせないまま帰国してしまったのである。後にヘロデは、自分の王座をおびやかす者を排除しようと、ベツレヘムとその周辺の2才以下の男児を皆殺しにしたが、主の天使が夢でヨセフに現れ、この災厄を事前に知ったので、幼な子イエスとその母をつれてエジプトへ脱出して助かった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベツレヘムの星


238 :世界@名無史さん:2012/03/17(土) 01:00:16.11 0
調べてみた。ベツレヘムの星はキリストの生誕を示す何らかの天文現象で、金星かどうかは判らない。
超新星とか色々と説はある。

旧約聖書のイザヤ書に
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、
あなたは切られて地に倒れてしまった。」
とあり、この明けの明星をローマカトリックではラテン語のルキフェル(光り輝くもの)と訳した。
これが堕天使の長の個有名とされ、悪魔の名前とされた。


239 :世界@名無史さん:2012/03/18(日) 20:51:07.17 0
ベツレヘムの星は金星や木星ではないと思うな。
そういう惑星は当時のユダヤ人から見てもお馴染みのものだし、
金星ならイシュタル、木星ならマルドゥクと、既存の異教の神による分掌が古くから決まっている。
ユダヤに待望の救世主が生まれたというのに、その徴としてそんな手垢のついた惑星が選ばれるはずがない。

これは当時のユダヤ人からみて全く馴染みのない天体が突然現われたと考える方が自然だろう。
候補としては、超新星か尾を引かない明るい彗星が可能性として高いと思う。

いまさら証明は難しいが、あるいは今後、超新星残滓や長周期彗星が新たに発見されてそれがベツレヘムの星に 同定されることがあるかもしれない。




241 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 15:21:07.30 0
キリスト教といえば、なぜだかずっと惑星の呼び名をビーナスとかジュピターとか
異教の神のままにしておいたのが不思議。
キリスト教徒はギリシア・ローマ神話関係の神殿や神像を破壊しまくったのに・・・
惑星もキリスト教関係の事物に名前を取り替えてやろうとか思わなかったのだろうか。


http://ja.wikipedia.org/wiki/イコノクラスム

242 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 17:57:45.66 P
>>241
言われて見れば確かに。
でも天体の運行は神の意志の下なんだから、天体に異教の神々の名ってのは案外
キリスト教的に問題なかったのかもな。
異教の神々も唯一絶対なる主の御心に従う存在だって証明になる。


243 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 19:49:25.88 0
>異教の神々も唯一絶対なる主の御心に従う存在だって証明になる

これって多神教の発想なんじゃないの?


244 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 20:48:40.56 0
偶像や神殿は破壊されたが、欧州ではむしろ古来の多神教の精神にキリスト教が融合する形で残った。

245 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 21:11:31.63 0
そもそも聖書の創世記は惑星という特殊な星について何も触れていないし
その際立った明るさと運動をうまく説明することがキリスト教の枠組みでは難しい。
(多神教なら主だった神を惑星に当てはめることでいちおう格好がつくが)

キリスト教の坊さんからすれば、正体がよく分からない惑星は古代ギリシアの
古本といっしょにスルーするしかなかったって事じゃね?


246 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 21:22:06.93 0
公会議の題材にできるようなネタでもなかったってことかな
近代天動説が出るまでは


375 :世界@名無史さん:2012/07/28(土) 00:27:31.85 0
245 名前:Ryuju ◆RlujhF6VrA 投稿日:2012/07/26(木) 20:44:41.09 0
それ以前に、16世紀後半に一番長く皇帝に在位していたルドルフは
プラハで錬金術や占星術に凝って、世間のことに無関心だったからね。

ヴァレンシュタインが占星術に凝ってたってのの起源は
ルドルフにありそうな気もする。
フェルディナント二世が占星術志向を黙認していたのもその辺に一因があるかも。



246 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/26(木) 22:30:52.55 0
星占いしてたわりにヴァレンシュタインはずいぶんとリアリストっぽい行動が多いな

213


247 名前:Ryuju ◆RlujhF6VrA 投稿日:2012/07/27(金) 01:22:10.95 0
本当に信じていた説以外にも幾つか可能性があると思う。

1.不測の事態を避けるための参考として取りあえず聞いていた
2.日食や彗星など天の異変を予知して自分に有利に戦いを進めるため
(当時は占星術が天文学と未分化だったことを考えると、この可能性が特に高い)
3.占星術師としてではなく、カウンセラー的相談相手として利用していた
4.ウィーンからの情報のとりまとめなど、本当は他の目的で雇ったが
表向き占星術師としていた

辺りの可能性があるかなと思う。



249 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/27(金) 18:47:35.03 0
>>246
日本の戦国時代の武将もみんなそんな感じ。
基本的に、みんな占いで行動を決めていた。
というか、そういった世界は今と違ってかなりリアルな世界と考えられていた。





247 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 23:29:16.50 0
つ【曜日】
根本経典の最初の最初、世界を創ったときの最も重要な日取りの区切り方である曜日でさえ、
土曜日と日曜日以外、メソポタミア多神教そのままで、書き換えていない。

基本的に、ユダヤ教もキリスト教も、天文&暦法については、
メソポタミア文明やローマ文化の用語をそのまま用いていて、ほとんどいじっていない。
ユダヤ暦は、バビロニア暦の多神教名をそのまま使っていて、メソポタミア文明直系の雰囲気を漂わせているし、
ユリウス暦は、教会暦となった後も、ローマの多神教と異教のローマ皇帝の名前を、
まったくそのまま書き換えずに使った。

イスラム教は、全く新しい暦を創ったので、月の名前は別のものになってるけどね
(つうかあの命名は、完全なカオスだ。ムスリムはよく覚えられると思うw)


248 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 23:56:04.23 0
異教の神そのものとして民間で信仰されていたわけではなく、単に、異教の神と同じ名で呼ばれている星
というだけだから、そんなに問題はなかったんじゃないかな
たとえば、人名でもダイアナとかあるけど、それだって女神ディアナに由来するし


249 :世界@名無史さん:2012/03/26(月) 00:00:51.29 0
西暦の導入と混同されがちだが、曜日は日本には平安時代にすでに伝わっていた(江戸時代にあまり使わなかったので誤解されやすい)。
中国の曜日は日、1~6で分かりやすい。


250 :世界@名無史さん:2012/03/26(月) 03:38:24.39 0
まあ伝統に従って惑星の名前を受け継ぐだけならまだいいけど、
新惑星が発見されるたびにウラヌスとかネプチューンとか
ギリシア・ローマ神話から命名してしまってるんだよね。
命名者はれっきとしたキリスト教徒のはずなのに・・・

とくに最初の小惑星を発見したピアッツィなんかキリスト教の坊さんだよ。
小惑星ナンバー1を女神セレスにちなんで命名します・・・って、
誰もそこでおいコラってツッコミを入れなかったのかな。


251 :世界@名無史さん:2012/03/26(月) 03:58:30.74 0
ジュピター(ゼウス)とか、中世や近世の文学で普通に登場するし。

252 :世界@名無史さん:2012/03/26(月) 06:11:41.62 0
天王星の発見は1781年、小惑星セレスは1801年、海王星が1846年
その頃にはもう、教会の顔色をうかがわないといけないような時代でもなかろう


254 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 19:21:06.62 0
頭をぶつけると、星が頭の周りに飛ぶというような表現が生まれたのって、いつ頃からなんだろう?

255 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 19:45:15.00 0
ディズニーと想像する。

256 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 19:51:11.95 0
星が見えるという言葉と、星が頭の周りを飛ぶマンガが描かれたのと、どちらが早いかだな。

257 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 21:50:46.55 0
スウィフトあたりの作品に、そういう表現が既出であってもおかしくなさそう。

262 :世界@名無史さん:2012/03/29(木) 04:26:17.61 0
キリスト教がギリシア・ローマ文明の産物を否定したのは初期のことだけで、あとは容認というかかなり野放し だったんじゃない?キリスト教の聖職者からして教養の大きな部分をそれに負っていたわけだし・・・
星図に描かれている星座は結局ギリシア神話のものを踏襲していたし(もしゼウス座とかがあればさすがに教会が 描き変えさせただろうけど)、16世紀のメルカトルの地図帳「アトラス」なんか題名からしてギリシア神話的で、 巨人アトラスが地球を背負っている扉絵だった。でもメルカトルは宗教裁判にかけられているからやっぱ微妙なのかな・・・



266 :世界@名無史さん:2012/04/07(土) 12:53:20.31 0
星座名を持ってるのってギリシャ・中東系と中国系以外に独自の地域ってあるの?
アメリカ大陸とかにあるのかな


267 :世界@名無史さん:2012/04/07(土) 15:06:26.35 0
たしかアンデスのインディオは「空一面びっちり星が出てる中で所々暗い領域」を
星座として名前つけてた。


272 :世界@名無史さん:2012/04/10(火) 17:49:10.56 0
>>266
オーストラリアのアボリジニは南半球の星空に「エミュー座」を見ている。
といっても、明るい星を線で結ぶというような星座ではなくて、天の川の明るい部分と
暗い部分の模様をエミューに見立ててる(コールサック星雲がエミューの頭)。
日本でも田舎に泊まって夜空を見ると星がびっしりいっぱいで、 
却って普段知っている星座が見分けられないことがある。
灯火ひとつないオーストラリアやアメリカの原野で夜空を見上げればなおさらで、
むしろ天の川の暗い部分(暗黒星雲)方が模様としては目立つのかもしれない。


270 :世界@名無史さん:2012/04/07(土) 20:19:13.44 0
>>266
世界中に星座はあるよ。ただ、やはり体系的になっているのはギリシャ・中東系だな。
現在でもきちんと検証できる。

中国のは、どれがどれやら…。昴なんてW型に描かれていて、星座の形も適当だし。



269 :世界@名無史さん:2012/04/07(土) 20:04:43.79 0
日本でもサルタヒコとか天の岩戸とかの神話物語が星座だったという説が起きてるが、
これはいまいち実証されてないらしい。



311 :世界@名無史さん:2012/06/04(月) 06:41:20.02 0
旧暦を始めたころって1年は360日だったってこと?

312 :世界@名無史さん:2012/06/04(月) 07:34:55.86 0
29.5*12=354
29.5*13=383.5 閏年


313 :世界@名無史さん:2012/06/04(月) 08:22:29.86 0
>>311
太古の人々にとって、最初に把握した時間の単位は、当然のことながら、毎日の日の出日の入りの繰り返しによる「日」だった
暑い時期、寒い時期が繰り返す「年」という長い単位は、はじめは、正確に何日なのかは把握されていなかった
気温などの気象条件は年によっても違うので、「年」を正確に把握するには、星の観測が必要だ
それよりは、月の満ち欠けの観測の方が簡単である
したがって、人間が「日」の次にほぼ正確に把握することができた時間の単位は、月の満ち欠けの周期、「月」だった
それで、月を単位として、長い日数を数えるようになった
そうしてみると、ごく大雑把にいって、だいたい12ヶ月で季節が一巡することがわかったので、1年を12ヶ月とする暦ができた
これが
太陰暦
現在でもイスラムのヒジュラ暦などがこれを採用している
ところが、実際には、季節の周期すなわち地球の公転周期は、月の満ち欠けの12周期より少し長い
その暦を何年か使ってみるとすぐに、1年が12ヶ月だと、季節がだんだんずれていくことに人々は気が付いた
農耕民族にとっては季節の把握は重要な問題だ
そこで、何年かに一度、1年が13ヶ月の年をつくって、1年と季節を合わせるよう、調整するようになった
それが太陰太陽暦で、日本の旧暦もその一種

314 :世界@名無史さん:2012/06/04(月) 16:32:20.85 0
そう考えると、さらに便利な太陽暦ってすごいよね。

月日で大体同じような自然現象が発生する。(逆に言うと、それが早まったり遅くなったりすると、その年の
気温の傾向がわかる)

○月□日という形式は変えなかったから、違和感はそれほどなかった。閏年という問題はあったが、閏月
より逆にわかりやすかった。日付と月の形が一致しないのはつらいけど、暦に明記すれば良かった。

シーザーじゃないとこういった改革はできなかった?のか。

315 :世界@名無史さん:2012/06/04(月) 17:20:20.34 0
wikipediaの「ローマ暦」を読むとなかなか刺激的だ。
『1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いた。農耕暦だったので、 畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされる。当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを 知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、
春めいてきた日に王が新年を宣言するという 形をとったと考えられる。』
約二ヶ月も日付の無い日が有るなんて!!



324 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 21:11:18.58 0
今NHK特集で、流れ星に願いを掛けるのは世界共通の習俗だと言ってたけど、
これってやっぱりオリエントのどこから伝播したのかな?


325 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 22:22:33.95 0
中国文化圏では星が流れるのは凶兆だと思うけどなぁ。

327 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 21:24:24.24 0
>>325
それは、「三国志演義」で諸葛孔明が死ぬシーンに影響されてのことみたいだね。
中国では、物語に影響を受けるコトが多々ある。
道鏡での神々の扱いが封神演義にモロ影響を受けまくるように。


331 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 22:40:45.98 0
>>327
んなことはない。
流星の吉兆は天文思想の変化によって解釈が移り変わるが、
少なくとも春秋から漢書辺りまでは凶兆説が普通だった。


332 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 23:01:18.75 0
なにやら、彗星と流星を混同していないか?

凶兆というが、暗いトコで(場所が大切・関東平野ではまず無理)目をこらして観察していると、
流星なんて1時間に数個は流れるぞ。全部凶兆になるんか?


333 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 23:29:25.94 0
流れ星じゃなくて流星。観測の記録の大半は彗星のことだと思われるが、
隕石として落下した「流れ星」も占い等の材料になった。


336 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 23:56:52.64 0
>>333
隕石と流星は実は天文学的に、区別つけられるのだが…。(単に、でっかい流星が隕石というわけじゃない)
それにしても、話しがよくわからん。言葉の定義がー


337 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 00:31:57.52 0
古代中国の記録では、彗星のことを「流星」って言ってたってこと。まんま彗星って表記もあったけど。
で、落下した隕石が現代で言う「流れ星」の落ちたものだと判断されていたかはよくわからない。
彗星(流星)の落下したものと看做されたらしい記述もある。
つまり、Shooting Star とcometは完全に別種のものとは思われていなかったのだろう。



214




394 :世界@名無史さん:2012/10/02(火) 11:55:59.90 0
星座の方言名も興味深いね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/星・星座に関する方言

オリオン座がツヅミボシ、さそり座アンタレスがオヤニナイボシ、とか地域によって多彩。








転載元

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1324208069/

【画像】土星撮ったの

約6700~6200年前の「欧州最古の町」発見 塩の生産拠点で交易を行なっていた模様

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