3

1 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/11/03(金) 01:11:06 ID:LQBStzfJ0
中国史上初の皇帝・始皇帝を語ろう 



91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 16:47:22 ID:s3mM2GFM0
あぼうきゅうにいた五千人の美女が気になる 
あぼう宮は高さ130mって、なんかで見たけどホントにそんなにあったのか 
疑問。 

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 20:20:23 ID:tsgt4IfV0
>>91 
劉邦に一時接収された後、項羽に献上されたと思われ>五千人の美女 
その際に戦利品として楚の諸将に分配されたか 
或いは秦の血統を絶やす為に虐殺したとか色々考えられる。 

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 21:24:07 ID:1hLeDDGu0
始皇帝は絶大な力を握り、その象徴として阿房宮とかが強調されるけど、 
国力、経済力なら後の時代の統一安定期の皇帝の方がずっと上だよね。 


109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 00:26:30 ID:S+qaPKgS0
当時の生産性であれだけのものを作り上げたからこそ凄いんだろ。 


 


ランキング参加しています!
ポチッと応援クリックお願いします(-^〇^-)

いや、むしろ押さないで!










7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:48:33 ID:AWoqIPyu0
始皇帝は晩年には自らを買いかぶりすぎたし、つまらない人間に騙されたりしたからなぁ。 
中国統一まではよかった。 

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:12:22 ID:0Gi+g5aF0
>>7 
政は政治・外交・軍略に長けた天才的な統治者であったと思う。 
だが晩年にケチがついたな。宦官なんかを全面的に信用して依存しきったり 
中国史上に名を残す詐欺師、徐福に引っかかったり。老いが彼を駄目にした。  


 
47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:24:00 ID:n6HmCdud0
母親がああで、父親がああで、 
やっぱり少年時代は精神的に荒れていたんだろうか? 

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 19:32:59 ID:EVzNM2oI0
ロウアイのチンポを見てしまったら更に荒んだと思うよ。 

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:46:15 ID:aaiedbSK0
親の教育に問題があった、というのも大きいが、人質生活でいじめにあっていたのも大きい。 

そのために全国統一した後、人質時代いじめた人間を皆殺しにしたとか。 

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:35:30 ID:q31u62jc0
>>49 
人質時代に過ごした村(?)だかを 
消滅させたんだっけ? 

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:27:56 ID:mUeE9TNJ0
>>51 
趙の都邯鄲で人質生活を送っていた。冷たい待遇を受けたこともあったようで、 
後に王となって趙を攻め邯鄲を落とした際、母親の家と仇怨がある連中をことごとく穴埋めにした。 

なお邯鄲の破壊はこのときではなく、秦末動乱の際に章カンにより破壊されている。 

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:12:11 ID:npk1lAni0
でも、少年時代に養った冷酷さが、 
天下統一の原動力になったかもね。 








8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:53:06 ID:fAfpe4fL0
ロウアイってどの位スゴイんだろう? 

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:40:10 ID:D1sg34l30
車を引くことができるぐらいのスゴイものを持っていたらしいな 

嫪毐(ろうあい) は、中国代に秦王政(後の始皇帝)に仕えた家臣の一人。当初は呂不韋の食客であった。

巨根で知られ、宴会の余興として自らの一物を軸に馬車の車輪を回して見せたという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ろうあい  







10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:05:15 ID:HbSCKrE20
扶蘇が二世皇帝になっていたら名君になっただろうなあ。 
秦はさらに強大な帝国になり、400年ぐらいは続いたと思う。 

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 23:42:19 ID:OIBoELB20
>>10 
さすがに400年は難しいと思う。 
中国のわりと成功した王朝でも、200年ぐらいが多いし。 

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:56:09 ID:nKAL+rlO0
400年は無理でももうちょっと続いたかもね 
李斯がどっか行かされて法律が少しはゆるくなったと思われ 

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 12:31:47 ID:6rppw3wnO
>>13-14 
思えば中国統一後、秦は15年くらいで滅びてるんだよな 
ユーラシアの西では同じ位の間、ローマとハンニバルが殴り合ってた事考えたらかなり短い 

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:12:22 ID:0Gi+g5aF0
中国の王朝の平均持続年数はどれぐらい? 
200年クラスが一番多いのかな。 


18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:46:32 ID:h0NliOOy0
一番長く続いたのは漢かな?前漢後漢あわせて400年。 
宋王朝は北宋南宋合わせて300年。 
唐も明も300年。 
清は250年。 

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 16:16:27 ID:6rppw3wnO
>>18 
逆に統一王朝で短いのは新の15年と隋の30年、西晋も呉滅亡から西晋滅亡までだと35年か 
あ、あと則天武后の周が15年になるのか 

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 18:28:35 ID:h0NliOOy0
漢が長く続いたのは、秦のよい部分をそのまま引き継いだからだ。 
劉邦は阿房宮にあった全国の戸籍を、大切に保存した。 

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:15:15 ID:lbZjwsjF0
秦を踏み台に 

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:24:19 ID:TVy6wzwK0
隋、短けえ!隋といえば日本ではけっこう影響を受けた大国というか唐に次ぐメジャーな国だよね。 
漢民族の統一王朝では300年ぐらいが多いところかな。 

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:18:50 ID:RU/DPKTX0
日本は凄いよね。皇室は2000年続いている。 
やっぱり島国で異民族の侵入が無いのが大きいのだろう。 

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:30:24 ID:fzxDbKBF0
だーれも取って代わろうとしないもんなぁ 




25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:20:19 ID:/9sy0TKv0
中国五大愚朝 

秦、新、晋、隋、順 

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:03:48 ID:pO33wQbQ0
順朝がすぐに潰れたことを、漢民族はものすごく悔しがっている。 
満州族に取って代わられ、風俗を押し付けられたから。 

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:35:48 ID:5JIBRMye0
秦は、天下統一前に数百年も続いているので、 
必ずしも短命王朝と言えるかどうか。 

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 03:46:41 ID:qdPNkRhh0
統一してないのを含めると、 
王朝の平均寿命はものすごく短くなるね。 

平均30年てとこかな。 





29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:59:51 ID:xlysfc4D0
おいっ、誰かえーせーの話してやれ。 

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:59:07 ID:UDTGLnUJ0
仲父殿の子供なの? 

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:53:49 ID:XeTiTTr80
当時から、噂はあったんだろうか? 

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 07:31:33 ID:z9z9jecV0
史記が書かれたころは噂されていたんだから、当時も当然噂されていたであろう。 


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:40:33 ID:3D0T0NdV0
秦で、「どこの馬の骨とも知れぬ者を王に戴けるか」って反抗する者はいなかったのか? 

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:12:22 ID:nVStaVOD0
政の父が人質から戻れて、王位についた事も奇跡的かと。 
呂不韋の努力(賄賂?)の賜物ですかね。 

政の父って異人? 

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:20:38 ID:Nx+wTDMK0
政の母親は男狂いだったのかな。 





36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:32:58 ID:Tde6/hAs0
秦を滅ぼしたのは始皇帝ではないよ。子の胡亥。 
始皇帝は宦官に騙されたりして駄目な所もあったが 
総合的に考えたら100点満点中95点位の凄い人だと思う。 

つーか歴史上で初めて統一国家を創造and皇帝に即位したのは凄すぎる。 
始皇帝が統一国家を作らねば、 
中国は一つと言う概念すらできずにヨーロッパの如く多極化が進んでいたと思う。 
始皇帝が毛沢東や明太祖より偉大なのは統一国家創造という概念すらない時期に 
初めて統一国家を作り上げた事。 
後の皇帝は始皇帝の猿真似に過ぎない。 
始皇帝は中国史はおろか全アジア、全世界に勝る英傑です。 

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:22:31 ID:8uFtoKzo0
始皇帝の遺勅が握りつぶされてなければねぇ・・・ 

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:58:19 ID:GWBV55svO
>>36 
どうだろう? 
世界初の帝国はアケメネス朝ペルシャだし、ヨーロッパも時代は下がるがローマがあった 
いまオリエントや環地中海世界がどうなってるかはご存知の通りだ 
中華地帯が統一されていた期間が長いのを始皇帝が「統一」した事だけに求めるのは問題だろう 

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:13:43 ID:esqCZ+Ru0
始皇帝は好きな人物だが、やっぱり晩年の仙術かぶれが痛いなあ。 
まああの時代の人だから当たり前なんだが、前半生からは 
飛びきり合理的な人物に見えるからつい期待してしまう。 

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:48:46 ID:sYm9Q2vo0
>>38 
そりゃ、ローマやペルシャは始皇帝のような「統一政策」は行わなかったからなあ。 

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 03:37:17 ID:2mD79BmXO
>>40 
そりゃ状況が違いすぎる 
周も秦も楚もそのアイデンティティとなる神話は同じだったのに対して 
オリエントは各種様々な宗教が入り乱れていた場所だ 
ぶっちゃけると統一難度で言ったら中華は当時からその辺に比べたらだいぶ下がるよ 
(始皇帝はツメの部分をやればよかったとも言える) 

まあそういう見方をしないんであれば、 
始皇帝はダレイオスやアウグストゥスのようなバランス感覚が無かったので 
帝国ごと吹っ飛んでしまったが、逆にその後の王朝の助けになったって感じになる 

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:43:30 ID:yQpFrdGM0
>>41 
いや、それも「神話の統合」が行われたから、現在からするとそう感じるだけ。 
例えば伏儀や女カが南方の神話だということはすでに証明されているし、皇帝や 
神農も西方渡来が確認されている。 

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:57:40 ID:2mD79BmXO
>>42 
しかし、楚辞の天間では楚の神話は語られず、中原の事が語られていたりする 
これなんかをみても、中原とは民族を異にした楚でも、 
戦国時代末期には神話なんかでも中原化されてたのではないだろうか 
まあ秦が統一した民族の神話の統合が、統一前の事なのか後の事なのかはよく分からないから触れられないが 

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:48:41 ID:O3qqndAa0
あんなバカでかい土地が二千年以上まとまるなんて、それだけの素地がなけりゃあね。 

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:14:35 ID:2mD79BmXO
>>44 
まあ他にも 
・宗教に比較的情熱を持っていなかった 
・近隣地域に匹敵する文明圏がなかった 
・表意文字の漢字の使用により口語が通じなくても行政が出来た 
辺りがざっと考えつくけどね 
で、始皇帝の業績の内最も偉大なのは漢字の統一ということになると思う 
これは間違いなくその後の各帝国の統一維持に大きく貢献してるよ 
(正直、他に始皇帝の統一事業の内ダレイオスがやっていないことが思いつかない、ってのもあるが) 











53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 18:59:02 ID:JnC1Cke90
始皇帝って親征してないよね? 
なんかそれなのに、武ばったイメージを持ってしまう。 


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:28:35 ID:AhXEa1XlO
>>53 
武帝なんかもそんなイメージだね 
ああいう自分の軍事能力を出さないで征服業を成すっていうのは凄いことだと思うが 


56 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/12/05(火) 23:15:10 ID:62aVJzpf0
みんな詳しいなぁ 

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:21:29 ID:rZrj24N/O
始皇帝は子供の頃から経済学を学んでいたのかな? 

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:52:55 ID:SbBVSCJQ0
>>57 
帝王教育は受けたんだろうけど、当時の経済への認識ってどうだったんだろう。 

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:02:17 ID:KViIa30iO
呂不韋がいたから任せっきりだったとか…。 

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:27:22 ID:09cmozbWO
餅は餅屋だよね。 

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:41:31 ID:3TnlxDLSO
母親のことはやはり憎んでいたのかな? 


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:58:32 ID:3QpLgdr00
複雑な心情だっただろうね。 
憎しみは呂不韋に集中したと思う。 



65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 23:44:18 ID:CS65zHF00
秦って結局戦国の六ヶ国を滅ぼす過程で数百万の兵士を 
殺しまくったから、恨みを買いすぎたからでしょう。 
数万の首を挙げただの、数十万を生き埋めにしただの・・ 

呂不韋とかの話、恨みや反感を持つ遺族とかが、秦や政王の 
正統性を壊すために尾びれを付けたスキャンダルで、その話は 
当時から出生のことはまことしやかな言われていたらしいしね。 

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:43:46 ID:vx7wTb160
それに、役人とかはやっぱり秦人中心で、旧六国の地域を支配する時にも、 
威張りまくっただろうから、それで恨みを買っただろうね。 

秦崩壊、楚漢戦争の過程で、旧六国地域じゃ秦人が報復の襲撃を受けただろうと思う。 

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:47:58 ID:30vl0HJL0
そんな役人も始皇帝が死んで反乱が多くなると 
自己保身のために秦を裏切ったりするので 

民衆や落ち武者は天を仰ぎ大儀の意味について 
問うのであった・・・・ 


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 23:52:30 ID:1ZpCS/pH0
漢は上手い具合に始皇帝の遺産を継承したね。 

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:27:15 ID:YBw/bV9U0
始皇帝の成果は、まんまと劉邦の手に落ちた。 

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 16:55:35 ID:CdgR+hDi0
漢が繁栄したのは、秦の遺産を上手く受け継いだからだな。 
 
70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 01:35:03 ID:x1RbvUlz0
漢の場合、秦が苦労の末に統一した成果をそのまま受け継げた上、 
かつ統一に伴う人々からの恨みは全て秦が引き受けてくれた格好だからね。 


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 15:40:46 ID:uOw3Xu9i0
中国統一を成し遂げたのは始皇帝の秦ではあるけど、 
それは基本的には秦の長年の政策の延長線上であって、 
統一の功績を全て始皇帝個人に帰すのは無理がある。 






73 :真剣師:2007/02/17(土) 12:42:45 ID:eXRN3jjH0
秦が崩壊した原因はいろいろあるとは思いますが、私なんかは始皇帝が 
統一事業を推し進めるのを急ぎ過ぎたのも一因と思ってます。 
もっとも緩やかに進めたとしても、滅ぼされた他の6国の生き残りの反発は 
免れないでしょうけど。 
ただ、言葉も文化も違う広大な土地を統一したのは凄いと思います。 
秦・漢ともに。 

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 23:43:52 ID:RgHqYmkc0
でも急速に進めたからこそ一気呵成に統一を達成できたという気もするな。 
ゆっくり進めると、かえって統一は上手くいかなかったんじゃないかな。 
統一に伴う旧六国の反発さえ上手く対応できれば、 
それなりの長期政権になったんじゃないかな。 
事実、漢はあれだけ長く続いたんだし。 





83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:22:52 ID:m6ZS4eDy0
呂不韋って簒奪する気はなかったのかな? 


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 11:45:41 ID:wBn102JW0
おとなしく臣下がついてくるとは思えん 
政と争って勝てるとも 
後見人として権力振るう方がはるかに得策 

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 23:24:14 ID:ti+zFovJ0
>>83-84 
簒奪するにしても一代じゃ無理だっただろうな。 
段階的に秦王から権力を剥ぎ取っていくべきだろうけど、 
その秦王が実は息子なのだからややこしい。 

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 22:46:33 ID:B/sbqid20
>>87 
簒奪した上で、また息子たる秦王に王位を譲る? 
あほらしい作業になるなw 






90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 21:17:47 ID:RAGgYFv90
焚書坑儒はなかった 






88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 13:01:49 ID:Y1f/iZRn0
昨日TVで殷やってたが、あの暴虐といわれる始皇帝でさえ、 
人形埋めたんだよな…と思った 
時代も文化も違うんだから、比べてどうこういったって仕方 
ないんだが 

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:58:11 ID:cabs0bHz0
>>88 
殷の時代も下ってくると、だんだん殉葬とか生け贄なんかが 非人道的だ、という雰囲気になってきて、殉葬者を減らした りする、なんて記録が見られるようになって、周や春秋戦国 になってくると、はっきり非道な行為と認識されるようになってきた ようだね。 
紂王なんかは案外古風な人だったのかもね。 

そういやあ、秦では穆公が死んだとき、177人も殉死して、 そのせいで国勢が衰えたというけど、なんというか、凄い話だよね。 
春秋戦国の頃のエピソードでは、秦が「蛮夷の国」みたいに言われてること あるけど、確かにちょっと他の国とは違うよね。 


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:19:07 ID:2lrDzGs20
秦は商怏の法が布かれるまで、風俗という点で明らかに中原諸国とは違うわけで。 

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:47:27 ID:xtnIw74H0
中原から見た場合、秦と楚はどっちの方が野蛮視されていたんだろうね。 

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:37:06 ID:i6tFyh3Y0
楚は王を自称してなかったっけ? 
中原の枠外にある存在だから、秦の方がマシじゃないかな 

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 22:44:51 ID:3f42Iw280
楚と秦は早い段階、春秋時代に既に強国となり、中原を脅かす勢いがあったけど、 
その後一時停滞したね。 








124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:25:02 ID:Gu8SREP20
他の皇帝も暗殺されそうになった事はあるんだろうけど 
始皇帝の場合荊軻と高漸離、張良とか暗殺の 
エピソードがちゃんと残ってるのって貴重だよね 





126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 01:14:30 ID:+U6F4ubE0
始皇帝って結局、子孫は一人も残らなかったのかな? 
一人ぐらい逃れた子や孫がいても 

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 01:19:41 ID:J5MuDNZS0
怪しい話だが、日本にも大勢いそうだなw 

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 00:00:08 ID:XTclBA8A0
>127 
はたはのはたあげの羽田孜は 
秦の傍流、秦氏の流れといっていたぞ。 

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 13:19:21 ID:cYowA56I0
姫若子さんも秦氏の子孫を自称してたんだっけ 



133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 14:26:24 ID:HedRd+QD0
兵馬俑は現場で見てこそ意義がある。 




146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 05:03:07 ID:4V0nWk9Y0
中国統一という大事業を一代で成し遂げただけでは飽き足らず 
不老不死や不滅の帝国建設の夢を追い続けた始皇帝 
先だって見たヒストリーChの番組では不老不死の薬に調合された水銀中毒によって死期を早めたとされていた 
これほど己の欲望実現に素直な人間は他にいないと思うけど  
死ぬのは最後まで怖かったんだろうなと思うと妙に親近感が湧いてくる 



148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 19:03:20 ID:aSH0UJrtO
始皇帝って、商人の子供って事実なん? 

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/02(土) 01:26:08 ID:DtH566Ak0
>>148 
可能性の話で事実じゃない 

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/10(日) 21:38:50 ID:3/LjFCeV0
まぁ、解釈するなら何でもありだしなあ 
始皇帝を扱った小説の中には、 

麻薬の吸い過ぎでラリる→「朕は仙人なのじゃ~空も飛べるのじゃ~」 
→泰山の頂上からLet'sダイブ→墜落死 

の挙げ句に「これが始皇帝の死の真相であった」とシメるモノだってある 

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/13(水) 15:42:51 ID:/q03lv5c0
つかハムナプトラ3の始皇帝がすごすぎるぞ 

ミイラになって、現代に復活して、しかもキングギドラに変身するwww 

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 10:08:15 ID:wuc0JXA60
めちゃくちゃ強い皇帝だったなw 

しかも中国舞台なのに、西洋風のドラゴンに変身させやがるしw 



166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 20:13:35 ID:D9qcju9x0
始皇帝はマイケルジャクソンとかぶるトコが有るな。 

仕事を達成したあとは奇行が目立ち自滅。 





172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/07(月) 22:45:37 ID:QztAB2wQ0
始皇帝の覇業は史上空前の偉功だけど、どうも納得いかないのは、秦以前には 
まったく統一王朝が存在していないかのように扱われていること。 

特に戦国時代後半、各国が王を僭称した七雄の争覇期間だけを指して、 
「秦以前の中国には統一王朝はなく、国々が覇を競っていた」と語られることが多すぎる。 
権威が完全に失われていたとはいえ、周の封じた諸侯国どうしが争ったという説明がない。 

天子という意味では、周朝の王も秦の皇帝も同格だし、封建制を廃止して「秦」一国で 
統治したことが「統一」の意味するところだとすれば、冊封体制の漢はどうなるんだ… 

何故こうも周が無視されるのか分からない。半ば神話の類だから?帝でなく王号を唱えたから? 
何だろう、ここだけすごい違和感があるんだよなあ。 この辺の事情、誰か教えてください。 

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/10(木) 17:56:15 ID:ZG6drVuaO
周は中央集権すらままならなかった河南の政権じゃないか。 
秦も楚も後から仲間に入ってきた異民族の国。 
江南すらおさえていないのだからあくまで一地方政権に過ぎないという 
ことじゃないか? 

 
180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/22(土) 15:39:30 ID:CzFvncNd0
>>172 
周は、800年の歴史があり、王朝も、 
先王15代、西周12代、東周25代で52代が一系で続いてる封建国家で、 
中国史で最初にして最大の正統な王朝なのにね。 
 封神演義みたいな妖怪とか仙人が出てきて時代考証無視な作品じゃなくても、 
色々な王や家臣がいて、ドラマが性があって面白いのに。 

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 11:41:15.70 ID:EXNCdNUz0
>>172 
殷周はあくまで連合の代表だから。 
統治や祭祀は各国の代表が行ってたし、周自体の統治範囲はさほど広くない。 
当時の価値観のまま行けば、「統一 = 他の国から盟主として認められる」 
って状態で終了なんだが、始皇帝は全部自分のものにした。 

以後中国はその価値観を踏襲する訳だが、その辺無視すると 
「秦は始皇帝じゃなくても統一できた」とか「始皇帝以前に殷や周があった」とか 
頓珍漢な話が出てくるわけだ。 

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 15:30:36.02 ID:lJhLHMoQ0
>>195 
周王朝って日本で言うところの天皇家みたいな立ち位置になっちゃったんだよな 
だから周王朝の権威はそのままで春秋五覇が成立したわけで 
それを秦が西周を滅ぼしたことで中国では前王朝を滅亡させるのがデフォになる 






178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/17(月) 11:43:45 ID:n2tfSkEs0
秦帝国って唐帝国やモンゴル帝国になんかそっくりだよな。 
広大な領土を持って、国内には様々な民族が住む。 
それでもって実力主義で能力や才能があれば自国民だろうと 
異民族であろうと官僚や軍司令官へと昇格できる 
(モンゴルの場合、例外もあったが。) 
隋唐もモンゴル同様騎馬民族国家とされているが 
秦も騎馬民族と何らかのかかわりがあるのかな? 

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/17(月) 22:50:44 ID:9s6u6kmp0
秦の場合、北方では無く西方異民族が祖と考えられている。 
北方はモンゴル系、西方はチベット系が主。 
有名な北方騎馬民族と、直接的な関連性は低いと思われる。 

秦の能力主義は統一以前からで、征服した他国の文化に関しても 
寛容だったらしい。 



182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/14(土) 04:54:30 ID:zSQ2w8BT0
秦の統一した領土を見ると現在の遼寧省の大部分を所有して 
逆に南方の広東省は所有していないのは 
中国の領土を考えるときで興味深いよね。 

考えようによっては 
遼寧は漢地で満州にぶん取られた領土で後の時代に奪回したって考えられるし 
(金の最初の首都は現在の黒竜江省) 

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/15(日) 22:01:31 ID:rGMrJvG20
当時の江南は荒地や森林ばかりで南方系異民族の領域だったけど 
次第に漢族の南下が始まり開拓が進んだという解釈が主流なんだよね 




193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:51:38.32 ID:+OgZHlSn0
英語で中国を表す「CHINA」も秦が由来だし「政治」の単語は始皇帝の名である 
「政」が「治める」が由来だしほんと始皇帝ってすごいよ。 




204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/28(水) 23:16:03.26 ID:gVw7yWt2O
自国の王族のチンコ切って宦官とか、前衛的すぎだろ 







転載元
 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1162483866/ 
ナルキッソスの黄昏 歴史雑学と世界的ニュース まとめ 

【考古】中国の仙人洞洞窟遺跡から料理に使用されていた約20,000年前の陶器破片が出土

女真・満州族の歴史総合

世界史に残る名言

【乞食から】朱元璋【皇帝になった男】

【北京ダック】中華料理の歴史【燕の巣】

【ヌルハチ】サルフの戦い【開国の決戦】









ランキング参加しています!
ポチッと応援クリックお願いします(-^〇^-)