1 :人間七七四年:2008/03/02(日) 04:56:42 ID:gyM9mSpl
黒田如水に見いだされ、朝鮮出兵や関ケ原で活躍し「黒田八虎」にまで上りつめたものの、
世継ぎ・長政との折り合いが悪く、黒田家を出奔して乞食同然に。
そして最期は豊臣方の武将として大坂の陣で散った波瀾万丈の名将・後藤又兵衛(基次)について語りましょう。
208 :人間七七四年:2011/08/12(金) 07:10:11.34 ID:zWhiw38r
中日の和田みたいな顔してるね
255 :人間七七四年:2012/02/07(火) 17:19:45.36 ID:xybtBH5h
地井武男に似てる
81 :人間七七四年:2008/08/26(火) 22:02:39 ID:TBuMT7dl
信長の野望では戦闘能力が高くて使い勝手のある武将の1人
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204 :人間七七四年:2011/06/07(火) 03:12:20.58 ID:2mLKkjDH
このオッチャンの生き様すげーかっこいいな。
205 :人間七七四年:2011/06/08(水) 23:59:45.60 ID:tok62JJ1
後藤又兵衛は日本人がイメージする最もステレオタイプな『戦国武将』の典型かもしれないな。
206 :人間七七四年:2011/08/12(金) 01:10:06.23 ID:VpawngeW
又兵衛が馬に跨って『後藤又兵衛もとつぐぅ~』と名乗りながら大阪城に入場してる
時代劇って何だっけ?
このシーンだけ妙に印象に残ってるw
だいぶ昔で、大阪の陣がメインで幸村が主人公のような感じだった記憶
7 :人間七七四年:2008/03/03(月) 09:48:00 ID:AoH9NOu0
大名になれる能力があるのになれなかった理由は性格にあるかもな。
8 :人間七七四年:2008/03/04(火) 04:06:08 ID:lXytPelG
>>7
実際、大阪の陣で家康からの内応も断ってる
69 :人間七七四年:2008/07/25(金) 13:51:56 ID:kWeu5BLk
このひと、生年とかも含めて前半生は実は良くわかってないんだね。
播磨攻めのときすでに南山田城主で篭城していたっていう説は
どの資料にあるんだろうか?
もしそうだとすると如水に引き取られたっていうより下って、後はずっと黒田
の家臣、だったということになるんだろうか?
168 :人間七七四年:2009/07/21(火) 12:59:00 ID:CA8DvHwn
>>69
もろ祖父の地元だ。よく城跡で遊んだよ。又兵衛の城だったのか・・・
14 :人間七七四年:2008/03/04(火) 20:06:31 ID:+i+3Hf+M
豪傑が豪傑らしい最期を遂げたからそれはそれでいいじゃないかな
大名になれても福島正則のようなのは御免だ
16 :人間七七四年:2008/03/04(火) 20:29:00 ID:1D2mj9oP
>>14
真田が道に迷ってる間に孤立してあぼーんって死んでも死にきれねー
172 :人間七七四年:2009/09/11(金) 20:53:17 ID:lIlLrQ2L
当時の火縄で重症なら相当数伊達の弾受けたんだな・・・
173 :人間七七四年:2009/11/17(火) 17:37:22 ID:S1i+Z46c
当時の火縄だって一発あたりゃ重傷だろ
あんなコロンとした鉛玉が鎧ではじけるなどして体をズタズタにするんだぜ
どうしても一発喰らわにゃならんとしたら近代火器の一発で楽に死ぬるか貫通して助かりたい
177 :人間七七四年:2010/02/26(金) 01:37:20 ID:HDJ29+YD
>>172
火縄銃は単純な威力だけなら現代のライフル銃とほとんど変わらない
連射性能とかに難点があるだけ
27 :人間七七四年:2008/04/15(火) 06:57:39 ID:uqF7A2fZ
又兵衛は武田勝頼と並ぶ男の中の男だな。
多分、いい男でもあったんだろうな。
28 :人間七七四年:2008/04/15(火) 07:22:02 ID:KD+sG5JY
肖像画頭でかいおっさんだけどな
29 :人間七七四年:2008/04/15(火) 10:15:14 ID:45LL7rGL
イメージぴったりじゃねえか
32 :人間七七四年:2008/04/16(水) 23:02:50 ID:ZTQ9w5FB
又兵衛、俺が持ってた漫画日本の歴史では2こましか出てなくて
しかもなんか山賊みたいな雑魚顔だったから
又兵衛って名前ともにどうしても大物のイメージがもてなかった・・・
出番抜粋↓
又兵衛「うらーこの又兵衛が道明寺より一歩もとおさーん!!」
鉄砲連射
又兵衛「ぎゃー」
足軽「伊達の鉄砲隊もきた。俺たちも逃げよう」
これだけ
33 :人間七七四年:2008/04/17(木) 09:21:14 ID:BuElsdR7
>>32全黒田家臣が泣いた・・・
41 :人間七七四年:2008/06/09(月) 23:50:34 ID:fmSYmLAQ
>>32
それ見たことあるw
泥棒髭で髪もくしゃくしゃのやられキャラだったw
又兵衛テラカワイソス
39 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 22:21:03 ID:FhO8o0Zk
手塚治虫の『後藤又兵衛』での又兵衛はかなりかっこいいんだがな
戦国最後の武士、って感じの豪傑で
又兵衛好きなら探して買っておくべき
220 :死:2011/11/13(日) 07:02:35.80 ID:FIyfi+VZ
朝鮮出兵で朝鮮人に殺されそうになってるのに助けないって
よっぽど長政の事嫌いだったんだろうなw
どこが嫌いだったのか知りたいねw
221 :人間七七四年:2011/11/13(日) 10:20:59.30 ID:1S2s1492
>>220
そのへんは出奔後作られた話。
後藤又兵衛がどんな人間だったかを表す一次史料は、実はほとんど存在しない。
222 :人間七七四年:2011/11/20(日) 09:23:50.96 ID:b1DJG+9z
むしろ、数少ない一次史料からは、出奔頃までは良好な主従関係だったようだね
44 :人間七七四年:2008/06/16(月) 23:53:39 ID:WGw+W7uI
長政と又兵衛の険悪エピソードは、大坂の陣後、黒田家に類が及ぶのを避けるために、
ちょっと過剰に言われている部分もあるんだろう
45 :人間七七四年:2008/06/17(火) 01:22:56 ID:ilAOaJGD
天守閣まで壊したからな長政は
75 :人間七七四年:2008/08/13(水) 11:37:52 ID:/tY91wmo
地図見てたら、大分県の山の中に後藤又兵衛の墓って表記見つけたんだがこれ何?
86 :人間七七四年:2008/09/16(火) 21:12:10 ID:pyIqHn+b
これか
なんか寂しそうだな
77 :人間七七四年:2008/08/13(水) 21:59:31 ID:2G/4e7fV
>>75
小嶋太門という又兵衛の研究をしていた方の本によると
又兵衛の墓の一つのようだが、その墓によると死んだのが
95歳なので本物というには疑わしいみたい
85 :人間七七四年:2008/09/12(金) 12:56:26 ID:iCgBz+Iq
>>75
大分県北部な。
山と田んぼしかない所にポツンと又兵衞の墓がある。
全国、他にもあるのかな?
91 :人間七七四年:2009/01/24(土) 04:44:42 ID:YdntTK6d
地元の家に後藤又兵衛が大坂へいく前か娘を預けたという話があるらしい
その家は又兵衛の槍を持っているらしい
又兵衛の武勇を慕ってできた話かもしれないけど本当だったら
彼が少し身近に感じられちょっと嬉しいな
92 :人間七七四年:2009/01/24(土) 07:16:22 ID:iA5ay3qX
>>91
そういう話もあるんだ
地元ってどのあたりか差し支えなければ教えて欲しい
又兵衛って結構子どもがいて渡った大名のとこに預けたりもしてるみたい
自分の持ってる本では11人も子どもがいた
出奔中に新しい妻ももったようだから、預けた話も意外と本当かもしれないね
93 :人間七七四年:2009/01/24(土) 07:59:38 ID:YdntTK6d
91です。日本語間違ったので訂正します
地元の家→地元にあるとある家
日本語変ですみません。
>>92
すごい田舎なんですが福岡県の行橋(豊前あたり?)というとこです
その家の名前を言っていいかどうか悩んでいますが
「行橋」「後藤又兵衛」とググったらニュースの記事としてちょっと出てきます
ただもう期限が切れたので全部は見れません
切れ端から
「明治時代、聴雨という人が又兵衛の槍を見るために行橋の何何家を訪ねた」
という文です。
娘を預けたという話は父から聞いたものですので本とかはわかりません。
大名家ではないです(武家だったらしいですが)。
本当に田舎の話なのであんまり参考にならないかと思います
田舎者なので興味を示してもらったのがつい嬉しくてまどろっこしい
説明をしてしまいました。失礼いたしました
94 :人間七七四年:2009/01/25(日) 21:44:03 ID:Vm78+gmR
>>93
ありがとうございます。
そこは当時細川領だったのかな?
又兵衛出奔の際は大人数で一族も連れての
ものだったらしいので本当の娘ではなくても
一族の子を預けて槍をあげた、とかも考えられますよね。
又兵衛の槍見てみたいなあ
46 :人間七七四年:2008/06/25(水) 23:58:15 ID:Cxi8Fguw
川越のちっこい資料館に又兵衛の兜あったよ。髪の毛のやつ。
大河のOPでも使われてた。
地元だからたまたま入ったんだけど、後藤又兵衛基次とか書いて
あって予想外だったのもあって感動した。
47 :人間七七四年:2008/06/27(金) 11:00:49 ID:32dpVc3a
>>46
川越の、なんて資料館?
うちから遠くないから、こんど行ってみるわ。
ところで、大佛次郎が書いた「乞食大将」て、
勝新太郎が又兵衛役で、映画化されてたのね
ふつうに知らんかった
49 :人間七七四年:2008/06/27(金) 20:15:38 ID:ja6sOlRd
>>47
川越歴史博物館だった(直リンはしないけどHPもあった)
家近い割に行ったのが数年前でウロ覚えなんだけど、
喜多院のすぐ近く。成田山の目の前(行ったらすぐ分かると思う)。
骨董市やってる日に行ったら結構賑わってるし資料館以外にも
楽しめるよ。
で、髪の毛のやつじゃなかったです、基次の兜。近くに髪の毛のがあって
ごっちゃに記憶してたみたいです…。
小さい博物館だけど、サスマタとか捕縛系のものとかあって面白い。
川越藩のお姫様の簪とかもあった。各階でテーマごとにわかれてて、
人も少ないしじっっっくり見れるw
拝観料が安いのに、スタッフのおじさんたくさん説明してくれるよ。
自分も何であそこに基次の兜があるのか次行ったら聞いてみる。
いくつかある兜のどれかが、大河独眼竜政宗で使われてたと説明文
があったのは多分記憶違いではないw
56 :47:2008/06/28(土) 22:34:55 ID:AfA52HIF
>>49
おぉ、詳しくサンクス
うちは西武線沿線だから川越にはたまに行ってるんだが、まさか又兵衛の遺品があったとは
今度いってきますわ
しかし、なんで川越にあるんだろうね
小田原攻めの時とか川越で何かあったのかね
129 :人間七七四年:2009/04/26(日) 12:51:55 ID:fGoPJ/8p
黒田長政「もう、なんで又兵衛ったら懐いてくれないのよ!もうキライ!さっさと出て行ってよ!
でも・・・誰かのものになるのも嫌だし・・・絶対に仕官させないんだから!
175 :人間七七四年:2010/02/18(木) 23:32:59 ID:uU/RVmjE
刺客が送られて仕官もさんざん邪魔されて
長政に何やったんだろう
179 :人間七七四年:2010/03/05(金) 04:35:03 ID:nEoXDWpz
>>175
そばで敵兵に殺されそうになってるのを鼻糞ほじりながら見てたそうな。
182 :人間七七四年:2010/03/05(金) 08:24:15 ID:Qjk10Ifx
細川との関係が原因てのが本当のところっぽいね
又兵衛の二男を小姓にしたり、関ヶ原後の加増とか見る限り、
又兵衛と長政の不仲逸話は黒田家側のプロパガンダだと思うなあ
185 :人間七七四年:2010/03/08(月) 22:53:56 ID:knMUirsM
>>182
又兵衛が誓紙で誓ったにも関わらず細川と手紙のやり取りを続けてて
長政も堪忍できなかったんだろうね。
他にも又兵衛の長男は罪を犯してしまい、又兵衛の懇願にも関わらず結局追放されたり、
次男の小姓のことがあったりと逸話のように元々仲が悪かったというより、
悪い出来事が重なっていって修復できなくなったんじゃないかなあ
追放された又兵衛を呼び戻してるのは長政だし、仲がこじれる前は又兵衛のことを
自分の第一の家臣として信頼していたと思う。
187 :人間七七四年:2010/04/23(金) 20:51:23 ID:/YpmZc+v
ひょっとしたら又兵衛と長政の仲は悪かったんじゃなくて 悪く見せる必要があったってことなんじゃね?
つまり関ヶ原みたいに徳川と豊臣に「両張り」していたということ。
大阪の陣は徳川の圧倒的優勢としても、豊臣家も 勝ち目が無い訳ではなく、秀頼の器量も未知数。
死兵と化す可能性の有る浪人を多数抱える以上、一発逆転もありえない話でもない。
そこで、大阪の陣で徳川が敗れる万一を考えて、 豊臣家への繋ぎになる人物を送り込むことを長政が考える。
流石に豊臣の逆転劇は可能性が低いうえ、黒田家の一門が 加担すると、下手に大封を得ているだけに、 戦後幕府に難癖を付けられかねない。
そこで、一門ではないが、如水の代からの臣である 又兵衛を「感情的な物別れ」に装って追放する。
そのまま、大阪に向かうと疑われるので 又兵衛はアリバイ作りに細川家に仕える素振りを見せ、細川家がその気になって召抱えようとすると 感情的に装った長政が「奉公構い」で邪魔をして 大阪以外に行けない状況を作り出す。
正直まどっころしいが、黒田家が細心の注意で 幕府の追及を極力かわせる形で「両張り」した、 と見ると又兵衛入阪はしっくりくるんだよな。
188 :人間七七四年:2010/04/24(土) 00:17:51 ID:xC0x86ag
>>187
自分もそういう妄想をしてみたことがあるw
ここに長政とは縁戚であり、関ヶ原後は黒田家に匿われていた明石全登もグルだったと考えると
更に信憑性が出てくるかもしれない
190 :人間七七四年:2010/04/28(水) 21:47:20 ID:zv8+/HGA
又兵衛の傲岸不遜なキャラと普段からの長政とのやり取りを考えると、そんな器用な真似できる奴には思えないけどね。
面白いけど。
あと、関ヶ原前夜から家康の為に尽力してた長政が両張りする理屈なんてなさそうだし、
長政ならあの時点でどうやっても豊臣家は詰みで降伏以外に手がないってみえてそうだけど。
191 :人間七七四年:2010/05/08(土) 01:32:03 ID:sw1RpQ0H
そうかも知れんが、下馬評が覆されることなんて スポーツの世界でも良くある事で、まして生死を賭けた戦い であれば、さらにその可能性は高くなる訳で、 それに関ヶ原の「両張り」が如水と長政で手分けしての 「両張り」なら、ありえない話ではないんでは?
如水=西軍(毛利)、長政=東軍(徳川)で 関ヶ原が長期戦になると睨んで、如水の九州勢を率いての大阪入り。
おそらく如水も長政も東軍勝利(少なくとも三成の単独勝利は無い) と見ていただろうから当主の長政は東軍に着いた。
しかし長期戦となった場合、東軍の旗色次第で毛利が秀頼を 担いで関ヶ原に出陣してくる可能性が有り、そうなった場合 東軍の中枢に入った長政の身が危ない。
192 :人間七七四年:2010/05/08(土) 01:33:38 ID:sw1RpQ0H
その場合に備え、如水が北九州を押さえて実利を確保の後、 「豊臣恩顧の重鎮」として瀬戸内を通って秀頼の元に参じる。
この策は東軍が例え関ヶ原に勝っても、毛利が大阪篭城で 徹底抗戦に及んだ場合も使える。
結果的には関ヶ原は短期決戦となり、家康が毛利を 懐柔しきったので、必要なくなった。
如水と長政の密議に又兵衛が同席していれば、大阪の陣の際も 万が一を考えての「両張り」を又兵衛が進言してもおかしくない。
まあ、あくまでも仮説・可能性の話だけど。
193 :人間七七四年:2010/05/08(土) 14:20:24 ID:cjcD0M41
毛利の支援で挙兵した大友と戦ってて、如水=西軍は無いと思うよ。
東軍の細川や加藤とも協力してるし
196 :人間七七四年:2010/09/23(木) 09:35:37 ID:SDavBqF3
最後の対戦相手の水野勝成とは黒田時代同僚だった。
197 :人間七七四年:2010/09/26(日) 11:20:43 ID:TXx4iRL3
後藤さんがあそこで戦死したことで次の日の決戦は厳しくなったね
かといってあそこで退却してたらそのまま雪崩れ込んできたわけだしなんとも
243 :人間七七四年:2012/02/06(月) 17:46:47.48 ID:WYFK1w6+
気持ちよく夢見ているところに、水ぶっかけて申し訳ないんだが
又兵衛って、勝成の罠にかかって討ち死に
大坂方大敗の原因を作った愚将に思えるんだが
244 :人間七七四年:2012/02/06(月) 18:14:32.40 ID:yGeXaw+r
無職寄せ集めと正規軍じゃもとから力の差は歴然、完敗も当然の結果
その中で「よく頑張ったで賞」を貰えただけすごいでしょ?と言う話に
勝ち負けを持ち出すのはロマンが無いな
連携不足は又兵衛だけの責任でもないし
245 :人間七七四年:2012/02/06(月) 18:25:30.89 ID:qb0kaZf8
真田隊が霧を恐れて追撃しなかったのが原因では?
246 :人間七七四年:2012/02/06(月) 18:54:12.96 ID:pju5GJRx
後詰を計算に入れてるなら狭いところに押しこむ形は悪く無いと思うな
遅れても数時間の予想だったのでは
247 :人間七七四年:2012/02/06(月) 19:12:20.28 ID:qb0kaZf8
まあ例え夏の陣で西軍が勝ったとしてもあの首脳陣ではなw
関東には勝てない
248 :人間七七四年:2012/02/07(火) 01:08:35.19 ID:vnZCx35j
そもそも大野なんて小物が差配してる時点でお先真っ暗!
片桐も悪いけど役者不足。
調整役でそこそこの実力があった加藤(清)が死んだ時点で豊臣は完全に詰んだ。
福島正則(笑)
254 :人間七七四年:2012/02/07(火) 16:03:52.47 ID:8r0vhimb
河内方面を進んだ木村重成も進軍に手間取ってるんだよな
こうなると紀伊方面に突出して死んだ塙団右衛門て
実は味方が遅かっただけで本人は優秀だったんじゃないかとすら思うな
257 :人間七七四年:2012/02/08(水) 16:48:01.75 ID:BvxNtG5E
>>254
塙団右衛門は小部隊を率いての奇襲や夜襲は得意そうだ。
259 :人間七七四年:2012/02/08(水) 18:38:00.25 ID:oFuqcYUp
>>257
本町橋の夜襲を指導したのは又兵衛らしい
260 :人間七七四年:2012/02/23(木) 01:59:39.31 ID:RedJTp5J
後藤又兵衛って大阪の役が開かれるまでは真田信繁より有名だったんだな。
261 :人間七七四年:2012/02/23(木) 11:11:23.25 ID:LzEek5d9
浪人衆の知名度は長宗我部・毛利・明石・後藤が入城前の真田より上っぽいね。
262 :人間七七四年:2012/02/23(木) 11:58:39.17 ID:P4RxIOwS
本人の功名では後藤がダントツで
後は親とのセットだからな
転載元
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
ナルキッソスの黄昏 歴史雑学と世界的ニュース まとめ
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