75
34 :世界@名無史さん:2012/04/08(日) 22:12:00.38 0
アンネが生まれた1929年って 
世界大恐慌が起こった年だね 
これはまた色々すごいときに生まれたもんだ 


81 :世界@名無史さん:2012/09/21(金) 05:21:59.17 0


アンネ・フランクが映っている動画、YouTubeで公開 
[オランダ発]  

『アンネの日記』で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクの生前の姿が映っている動画が9月23日、YouTubeで公開された。 
アムステルダムの「アンネ・フランクの家(記念館)」による。 

わずか20秒のビデオは、生前のアンネを撮った唯一のもの。 
隣人の結婚式当日、新郎新婦を一目見ようと、2階の窓から身を乗り出している彼女の姿が、 
数秒間(0:09-0:14)収められている。 

撮影日は1941年7月22日。アンネはこの時、数えで13歳だったそうだ。 
それから1年もしないうちに、彼女は両親や姉と共にアムステルダムで潜伏生活に突入。 
しかし、1944年8月、密告により隠れ家がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に発見され、 
アンネは1945年3月、ナチスの強制収容所でチフスのため死亡した。 

ちなみに、新婚夫婦は今も存命で、ビデオはこの夫婦が提供したものだという。 

記念館が最近開設した公式チャンネルでは、このほか、アンネの父親オットー・フランクや、 
フランク一家らの潜伏生活を支援したオランダ人女性ミープ・ヒースのインタビューからの抜粋も公開されている。 

また、開館50周年記念の一環として、バーチャル記念館が来年4月28日オープンする予定だそうで、その予告編も見ることができる。 


アンネ・フランクが映っている動画 ↓ 

 


 ↑ 
アンネの父親オットー・フランク 
   ミープ・ヒース     の インタビュー動画も 

1 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 16:11:35.81 0
どうぞ 


 


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3 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 16:21:08.44 0
一階に忍び込んだ泥棒? 


5 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 19:21:01.97 O
昔の建物って概して防音とか考慮されてないから、普通に生活音でバレたんじゃネーノ 

7 :世界@名無史さん:2011/12/08(木) 04:08:51.98 0
倉庫番の一人だった、ファン・マーレン という男も かなり 臭いらしい。 



10 :世界@名無史さん:2011/12/08(木) 10:48:10.33 0
カール・ジルバーバウアーにより逮捕 

http://ja.wikipedia.org/wiki/カール・ジルバーバウアー 











55 :世界@名無史さん:2012/04/15(日) 21:38:24.62 0
アンネの日記って 
未だに根強いねつ造説があるが 
全部否定されたらしいな 
ボールペインはアンネが描いたやつじゃなくて 
メモ書きだったとか 
筆跡が全然違うとか言われていたが 
結局同一人物という結果が出たとか 





56 :世界@名無史さん:2012/04/16(月) 01:22:13.64 0
そういえばミ―プさんが 
2010年に100歳で亡くなったんだっけ 
これでもう隠れ家に関わった人はみんな亡くなったわけか 
アンネと仲のよかった友人は何人か生きてるけど 

57 :世界@名無史さん:2012/04/17(火) 00:52:42.32 0
アンネの日記チラッと見てみたが 
クラスメイトの紹介が酷すぎ、ワロタ 


79 :世界@名無史さん:2012/06/10(日) 00:32:02.43 0
ミープさんの話だったかな 
知人に、人付き合いの理由から、心ならずもナチスに入らなければならなかった人がいて、 
その人が、フランク一家逮捕の事を聞いて、 
「戦争も終わりかけているし、ドイツの人たちは、帰国の事を考えている 
きっと、お金を出したら、フランクさんたちをこっそり釈放してくれるんじゃないですか」と 
耳打ちしてくれた人がいた 

で、交渉にいったんだけど、遅かったってね 

その心ならずもナチスに入らなければならなかった人、戦後、どうなったか気になる 



6 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 23:56:02.70 0
戦時下手記マニアだけど日記自体はよんでない。 
ミープヒースのやつは読んだ。不特定多数が出入りしてたんだし誰でもあり得るよ。 
個人的にはマルゴットの日記を読んでみたかった。 




8 :世界@名無史さん:2011/12/08(木) 06:10:54.64 0
オットーさん、同じ生還者で娘の友人の母親と再婚したんだっけな。 
その娘の手記も出てるけどその中に兄とマルゴットが親友だったというくだりがあるが 
アンネの親友のヨーピーだっけな?に強く否定されてた。 

アンネ財団の代表であり友人としてアンネの式典をとりしきっていることに 
その親友は強い不快感を表していたけど 
財団の規模も大きいしビジネスも絡むので色々あるのかもしれないね。 
ミープも基本的にはマスコミに関わりたくないので一切インタビューには答えないけど 
どうしてもの場合もアンネ財団を通さないといけないと警戒心がつよかったとか。 

隠れ家系、収容所系、難民として疎開系、ホロコースト文学に関してはメジャーなものは 
ほぼ読みつくしたけどなぜこれがこれほどまでに称賛されるのか正直わからない。 
決してアンネをけなすのではなく、他に魅力的な作品が山ほどあるだけの話だが。 

22 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 19:06:29.45 0
あの一家で収容所から帰ってきたのオットーさんだけなんだっけ… 

23 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 19:15:20.35 i
>>22 
オットーさんてすごい生還率だよな。 
第一次大戦でも戦場から生還、第二次大戦でも収容所から生還、たしか80代まで生きたろ。 
収容所から生還して何かを成した人は長生きだよな。 
ヴィーゼンタール、夜と霧のフランクリン、ソルジェニーツィンなど90歳前後まで生きた。 
元から生命力があるのかと思えてしまう。 

24 :世界@名無史さん:2011/12/16(金) 03:40:41.07 0
>>23 
記憶では90近くまで生きた気がする。後妻さんも生還者でそっちは娘と共に。 
「レナの約束」のレナ・ゲリゲッセンは驚異の1700番台での生還者で 
こちらも姉妹で共に80代までは生きたはず。 

女性オーケストラの団員でもアニタ・ラスカー始め数名は80代、 
ゾンダーコマンドで唯一の生還者のシュロモベネツィアも長寿だった。 
もちろん生還後すぐ亡くなった人も多いだろうけど、元から備わった生命力ってあるんだろうね。 

アンネの関係者は 
・アンネ→ベルゲンベルゼンでチフスにより死亡 
・マルゴット→同一 

てのはなんとなく記憶にあるけどその他の人たちはどうだったんだっけ。 
オットーさんは病気で出発をあきらめてダッハウまでの死の行進をしなかったお陰だっけ。 
あれは究極の選択だったんだろうな・・ 



26 :世界@名無史さん:2011/12/19(月) 18:56:57.53 0
>>24 
死の行進と解放直後でかなりの人が亡くなってるからね。 
オットー氏もその他の人もナチスにとらえられた瞬間から常に究極の選択をしてきたんだろう。 




9 :世界@名無史さん:2011/12/08(木) 09:02:39.86 0
ゲシュタポの魔の手から逃れることは 
針の穴にラクダを通すよりも難しい 

12 :世界@名無史さん:2011/12/08(木) 12:35:27.17 0
>>9 
ベルリンで堂々と音楽家として活躍しながら潜伏したコンラートラテとかもいるし 
運と出会った人によるのかなあ。1人のユダヤ人を助けるのに30人近い協力が必要だったというし。 
オランダ人も黄色い星をつけて抗議デモしたりしたんだよね。 

1944秋ぐらいから食料切符持ってるキリスト教徒ですら食料が手に入らなかったり 
どっちにせよ都市部で地下潜行した人たちは密告されなかったとしても 
終戦を迎えるまでに飢えと病気に耐えられなかったんじゃないかなと思う。 

アンネが中継収容所にしょっぴかれた時期はあと少しずれていれば 
アウシュビッツへの移送がなかったんじゃない? 
それでも他の収容所へはあったかもしれないけど。 

ベルゲンベルゼンは元は捕虜交換のって名目の場所で 
アウシュビッツ閉鎖前は他よりは待遇マシだったんだよね。 

13 :世界@名無史さん:2011/12/08(木) 13:26:46.35 O
フランクフルト市の場合、終戦時には市内にユダヤ人が数百人まだ潜伏していたらし 










16 :世界@名無史さん:2011/12/11(日) 13:52:35.04 0
ベルゲンベルゼンは 殺戮施設ではないものの、最低限の食料・トイレ・医療・生活用品などでさえ ほとんどない状態で、飢えと寒さと糞尿の山により、伝染病チフスが大流行し猛威を振るった。 

17 :世界@名無史さん:2011/12/11(日) 14:43:21.69 0
アウシュビッツからの移動組の生存者は口をそろえて 
焼却場がないだけでアウシュビッツよりひどかったっていうな。 

1941~1942の比較的早い時期の移送組のポーランド系ユダヤ人の証言だと 
ロシア捕虜を銃殺してスペースを開けたアウシュビッツⅠは 
ひどい所ながらも寝棚にもまだ人数に余裕があり、 
トイレも点呼就業以外は使えたし週に何度かは水道で手や顔を洗えたようだが 

ビルケナウが完成して本格的な大量移送が始まってからが 
本当の地獄だったっていう。 

フランク一家の輸送はアウシュビッツを閉鎖する前だったから 
それまで隠れ家とはいえ人間的な生活ができていた人には 
到底順応できないものだったろうよ 

ゲットーからきた人はすでに飢餓状態ではあったが 
奇跡的に選別に通れば生存競争の場では強かったかもしれん。 








19 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 01:24:13.34 0
アンネの日記読んだことあるけどアンネフランクってかなりの中二病で痛いやつって感じだった 

20 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 12:25:03.10 i
>>19 
まあ実際の中2前後だから仕方がない。 
人気が出たのも十代前半の女の子が書いて本人が死んでいるというのも理由のひとつだろう。 
死後に家族が頑張って売り出して有名になった例は他にも色々あるし。 

21 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 16:22:56.80 0
>>19 
お前も中二の頃はそうだったろww人間が成長するにあたって必要な過程だべ 

アンネの日記はミープさんのサイドストーリーがあってこと初めて生きるもので 
日記自体は別段大人が読んで面白いものでもなんでもなかろう。 

俺はオットーさんの手記が読みたかった。 
先の大戦でドイツ軍として戦った爪の先までドイツ人の男がこの迫害から生還し 
どう精神の再構築をしていったか、大人の男の目線で見た現実を読みたかった。 

俺はゲットー・収容所の手記マニアだけど基本的にそこで亡くなってしまって 
日記が誰かの手によって陽の目を見るってたぐいの本は極力避けてる。 
やはり体験して生還した本人が書くことでしか伝わらない生への強い執念を 
文章から感じたいんだ。 







 




35 :世界@名無史さん:2012/04/09(月) 19:41:23.80 0
ペーターが一番可哀想。 
1945年5月5日にマウトハウゼンで死亡。 
この時はヒトラーは自殺しベルリンも陥落していた。 

ペーターってベルゲンベルゼンにいたら生き延びることができたのかな? 
ベルゲンベルゼンは確か4月15日解放だったな。 



36 :世界@名無史さん:2012/04/10(火) 00:45:45.90 0
ベルゲンベルゼンは管理がほとんどされず衛生状態最悪 
食べ物がほとんどない上にチフスが大流行の最悪の収容所だからな 
ここに行っていたらむしろもっと早く死んでいた可能性が高いだろうな 

37 :世界@名無史さん:2012/04/10(火) 14:16:21.43 0
ここで聞くことじゃないかもしれないけどベルゲンベルゼンにボルマンっていう女看守がいたらしいな。 
確か戦後処刑されてた。 
こいつはマルティン・ボルマンと関係あるのか? 




38 :世界@名無史さん:2012/04/10(火) 23:20:17.24 0
あと2,3か月でも見つかるのが遅れていたら 
どうなっていたか 
とりあえず8人とも即ガス室送りは免れたし 
本当に惜しかったな 





43 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 00:23:22.92 0
密告の電話の声は女性だった、ということは判明しているとか。 
あの建物の管理人の妻(掃除をしていた)の可能性が高いと。 
戦後、その夫婦は「まったく気づいていなかった」と証言しているが 
それは嘘で、支援者の一人(日記の中ではベップ)に「ユダヤ人たちが潜伏しているんじゃないか?」 
と疑念をもらしていたそうです。 
終戦まで潜伏に成功したユダヤ人も少なからずいたのに残念なことでした。 








44 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 01:46:52.57 0
あんな都会で8人も暮らしていて 
誰も気がつかないなんてありえないしな 
気づいていた人は多いだろうと 
オット―さんも言っている 

45 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 01:56:42.44 0
>>44 
日本でも似た様なことがあるだろう、発見したら死亡後半年とか…… 
そういう無関心が多分に働いたんじゃ無いかねえ。 
戦時とは言え、そういう部分は変わらんと思うが 

46 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 13:58:27.46 0
戦後、オットーさんは近隣の人たちから 
「物音などから察していた。」と言われたそうですね。 
黙認してくれた人たちは多かったろうと思います。 
当の建物の関係者となると、発覚したら黙認していた自分たちにも被害がくる、 
という危機感があったのでしょうね。 


47 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 17:03:32.81 0
凄いな…それだけナチズムによる思想統制も、大多数の住民には影響を 
与えず、少数派ながらナチズムを信奉するSSなどが頑張っている中で、 
大多数の無力な多数派がただ立ち尽くしていたという構図は怖いね。 
歴史は常に、また繰り返される可能性がある。 





48 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 21:52:17.60 0
ドイツって当時、世界の中でももっとも優れた憲法だと言われていたんだよな 
それが僅かな期間であそこまでおかしなことに・・・ 
一党独裁というシステムは、ほんと人類にとっての“最大の敵”なんだな 


49 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 22:04:18.32 0
>>48 
当時のドイツの状況ではあの憲法は絵に描いた餅に過ぎなかったよ


50 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 22:32:52.73 0
おれは維新の会が正直、少し怖い。 
日本人の民度に絶望しているから。 





51 :世界@名無史さん:2012/04/13(金) 23:36:58.99 0
父親は第一次世界大戦はお国(ドイツ帝国)の為に命を掛けて戦ったのにこんな仕打ちを受けるなんてたまったものじゃ無いな 




52 :世界@名無史さん:2012/04/14(土) 00:49:51.31 0
アウシュヴィッツから苦しい旅のはてにここへやってきたアニタ・ラスカー・ウォルフィッシュはこう語る。「アウシュヴィッツでは人間が殺害されました。ベルゲン=ベルゼンではただ朽ちはてるにまかせたのです」 
収容所の衛生状態は、言葉でいいつくせないほどひどいものだった。「収容所は全体が一つの下水道のようなものでした」と囚人医師ドクトル・レオは収容所の状態を語る。彼はここで発疹チフスや結核や、赤痢やコレラと絶望的な戦いを戦っていた。 
ぬかるみと、排泄物と、害虫の泥沼の中で、これらの病気はものすごい勢いで蔓延していった。 
 …(略)… 
この収容所で、黙示録さながらの歴史が最後の月を迎えたとき、日に日にうず高くなる死体の山との絶望的な戦いを、死体処理班はすでに放棄していた。ベルゲン=ベルゼンの元囚人ハンナ・レヴィ=ハスは秘密の日記にこう書いている。 
「生きていたり死んでいたりする他者の亡霊たちに囲まれて、わたしは残されたこの半分だけの命を使いはたしてしまうだろう。 
死体が、現実の死体が、いつも傍にある。ベッドに横たわっている」。 
寝台の上に、バラック棟の間に、道端に、死体が転がっていた。春の太陽で緑色に変色し、ありとあらゆる腐敗の段階を見せていた。 
強烈な悪臭は数キロメートル離れた所にまで達した。 
「あの臭いは表現のしようがありません」と、アニタ・ラスカー・ウォルフィッシュは語る。「ベルゲン=ベルゼンそのものが一個の死体の山でした。 
腐敗しかけている死体以外のなにものでもありませんでした」 
 グイド・クノップ『ホロコースト全証言』pp.392-394 

アンネとマルゴーはこんなところに5カ月もいたんだよな 
ぞっとしてくるわ 




53 :世界@名無史さん:2012/04/14(土) 12:59:05.67 0
アンネの追憶とかいう映画が公開されるな 
見に行ってみるか 

78 :世界@名無史さん:2012/05/02(水) 22:41:28.40 0
アンネの追憶、面白かったよ 



54 :世界@名無史さん:2012/04/14(土) 23:22:25.50 0
http://www.youtube.com/watch?v=9iFFGbF_Yjo&feature=related 



ベルゲンの死体の山は動画で見たけど、あの収容所は焼却設備がなかったんですね。 
絶滅ための収容所ではなかったから、生き残れるかどうかはもう生命力の強さだけ。 
巨大な穴に投げ込まれた死体の中にアンネとマルゴーの死体もあったかもしれない。 
二人が亡くなった二週間後?くらいに解放されたというから。 
連合軍があと少し早く来ていれば・・・と思わずにいられません。 













58 :世界@名無史さん:2012/04/18(水) 20:49:04.34 0
戦争末期が圧倒的に収容所での死者が多かったんだよな 
ドイツが劣勢のため食料が届かず 
一つの収容所にありえない人数を収容したため 
管理が不可能になって酷い有様だったようだ 
それでも密告されるのがあと半年遅ければ 
8人とも生きてえられたかもしれんが 





61 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 00:31:10.21 0
池上彰『世界を変えた10冊の本 
の中にアンネの日記が入ってるな 
それほどの影響力があったのか 

62 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 01:10:53.55 0
>>61 
この本が欧米のイスラエル政策を後押し(同情的な意味で)する効果があったんなら、 
世界の政治経済における中東の重要度が高い以上、まずまず影響があったと言えるかもね 












転載元
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323241895/ 

 ナルキッソスの黄昏

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