63huyunojin
大坂夏の陣図屏風・右隻(大阪城天守閣所蔵) 



86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:13:52 ID:Qdm5vo4J
当時の戦って、実際は槍や刀より 

石を投げ合って相手を負傷させてたんでしょ? 

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:15:38 ID:Qdm5vo4J
あと、兵糧って兵士1人1人が持ち寄って食べてたんでしょ? 

本格的な兵糧荷駄隊を編成したのは石田三成が最初だと聞いたんだが 

あいつ、やっぱ偉いよな 

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:09:59 ID:OFH9yTbP
>>86 
陣笠と胴丸つけただけで、ほとんど無力化すると思うが。 

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:41:30 ID:jpdG5q8s
>>86 
刀は藩によっては貸与されないところもあったらしい。 

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:49:32 ID:QaLb/aXV
平和な戦争だよな。 


91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:22:46 ID:XjOGEeJN
そうでもない 







 


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95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 01:21:47 ID:RFEp8Rb2
>>87 
初めの数日間は、各人で持ち寄った腰兵糧で賄います。 
その後は、部隊に付属する手明(小荷駄)から3~4日の単位で支給されます。 
出兵が長引くと、現地の商人から高値で購入することもあったようですね。 

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:57:21 ID:Hla0hIQN
古代オリエントの投石器は射程400m 初速100km/hだったらしいが 
これ使って松坂が投げたら何㌔でるんだろうな 

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 12:55:37 ID:ApbycqrD
>>113 
人が投げるタイプは、400mも飛ばないだろ 

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 13:51:44 ID:RTBfy9za
組み合わせるんじゃね? 
投石器で松坂を飛ばす→飛んでる松坂が石を投げる 
脅威の飛び道具誕生の予感 





3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 19:34:07 ID:4JTXhCYV
女とか少年をレイプしまくりだったんだろ? 

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 23:42:11 ID:pDfMrxKY
戦国期は流民も多かったから、全国渡り歩いてた奴とかいたかな? 
武士じゃなく雑兵で。 

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 14:11:28 ID:63juzsKp
まさに傭兵って感じだな。でもほとんどが野盗だろうな 

7 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/06/16(金) 15:38:24 ID:x63nWvTJ
雑賀・根来寺がそうだね。鉄砲を肩に担いで歩き回ったんだろうか 
30年戦争時の傭兵団みたいだw 

http://ja.wikipedia.org/wiki/雑賀衆 
 

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 16:17:50 ID:/GvMRQfg
雑兵だから従軍したら飯と給料もらえる。 
勝ち戦なら強盗、恩賞もらえる。 
負けそうになったら一目散に逃げる。 
これだろ。 


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 19:46:43 ID:9pkOEvmT
戦国時代のフリーター 

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 09:30:45 ID:0HH52beA
槍がメインウェポン 

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 20:28:28 ID:oAHdNpor
徴集農民兵の足軽と違って真面目に戦わないイメージがある雑兵 

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 21:10:58 ID:9pkOEvmT
略奪、強姦が目的で戦に出ている印象がある 

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:40:13 ID:D0NaUdfd
一両具足みたいな事をやってたのって長宗我部以外にいないの? 

一領具足は、平時には田畑を耕し、農民として生活をしているが、領主からの動員がかかると、一領(ひとそろい)の具足(武器、鎧)を携えて、直ちに召集に応じることを期待されていた。突然の召集に素早く応じられるように、農作業をしている時も、常に槍と鎧を田畑の傍らに置いていたため、一領具足と呼称された。




15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 22:56:00 ID:JrJLR5Wq
一領具足といってもただの農民兵だから特に珍しくもない。 

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 23:04:12 ID:LIKXVlNG
武士が農民していたんでしょ? 

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 04:18:09 ID:pYTCa2j2
>>16 
逆。農民を最下級の武士に取り立てて一領具足というステータスを与えた。 
通常の農民動員兵と違い、自主性や積極性が見られる。 
そのことは後の浦戸一揆や山内家の対応などからも窺える。 

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 05:45:01 ID:uZXvImrC
制度的には珍しいものじゃないというのを前提に、 
当の足軽達の忠誠心が特徴的だったという見解と、 
後世の書物で有名になっただけという見解を見たことがあるなあ。 



20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 11:54:14 ID:qh0Opq5u
おそらく、今でもそうだが、日本人は土地にかなり執着する。 
今より稀薄だったかもしれないがその地域を支配してる支配者と土地を同一視してたのじゃないか? 
だから最下層の足軽が「われらが親分」と言う気持ちで忠誠が高かったんじゃないのかな? 

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 14:15:06 ID:aIpZzP2q
>>20 
「一所懸命」という言葉が有るくらいだからな。 
ただし、村の欠け落ちとかもあるくらいだから一概には言えないんじゃないか? 
村の生活を保障してくれればこそ、支配者が忠誠の対象になると思うが。 

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 22:21:38 ID:nlCxe46N
北条は雑兵足軽の略奪を一切禁止していたらしい。 

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 18:32:15 ID:e6yxeetr
>>23 
禁止したのは自国内の略奪だけどな

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 22:27:35 ID:hKv4saih
「甲州人が歩いた後はペンペン草一本も生えていない」という諺が残っているということは 
武田軍は略奪しまくりだったのかな? 



 

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 12:06:38 ID:FVIsLBOW
俺のイメージはワイワイ、ガヤガヤ言いながら行軍。 
親分にどやされなが、陣作り。 
交替で見張りやりなが、ちんちろりん。 
兵士当て込んで来る。行商人の物売りの声。 
タバコ屋から買ったタバコを煙管で回し吸い。 
お茶や酒の行商人を捜し回る。 
こんな感じ 



35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 22:11:55 ID:RRkh3DAO
やっぱり兵の強さは地域によって違うのかね? 
それとも江戸時代の俗説? 

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 04:56:40 ID:ODdO751l
尾張兵が弱いとか三河が強いとかは真っ赤な嘘だと思う。 

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 01:31:06 ID:RAc0E35R
でも当時の歌で、越後甲斐の兵が強いとかあったんでは 

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 03:20:43 ID:39hW9wBK
兵が強い=勢いがある 
だと思う。 
長篠後の武田勢の弱さ。 
謙信没後の越後勢を考えたら、そう感じる。 



40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 12:43:26 ID:trHm5phl
貧しい土地の雑兵は強かったんじゃない? 
勝てば略奪し放題だしな 
と言っても実際戦う人間なんて全体の3~5割程度だけどね 


 
39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 04:46:01 ID:Pzwl7L6D
それだと特定の時代や時期ではなく、大まかな地域で兵の強弱が評される理由にならないような。 
現代でもグルカ兵の評判が良い事などからして個々の戦闘力よりも多くは兵士としてのメンタル面を指してると思われ。 

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 16:43:29 ID:39hW9wBK
グルカ兵はまぁ神話見たいなものだけどな。 
軍板の話では、実際たたかったったり、共闘した旧日本軍人のじいさん達は、 
はっきり弱いと言ってたみたいだから。 

グルカ兵 
 一般的に、ネパールのグルカ族出身者で構成される山岳戦白兵戦に非常にたけた戦闘集団であると考えられているが、実際にはグルカ族なる民族は存在せず、マガール族グルン族ライ族リンブー族などの複数のネパール山岳民族から構成されている。
 

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 21:17:16 ID:iSwTDBlH
戦闘技能より忍耐強さの評価なのだろう。 
数年前テレビで「グルカ兵は足腰が丈夫で上の者に従順だから集団行動させやすい」とイギリス人士官が語っていた。 
ネパールでの生活環境自体貧しくて厳しいから過酷な作戦任務でも不平不満が出にくいのだろう。 

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 01:04:08 ID:Q6lolQrK
それなら納得するが、それは兵の強弱じゃなくて、 
兵の全体的な資質、性質的な物なんじゃね? 

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 02:43:14 ID:nFOB2irv
うむ、だから兵質というのは兵士の勇猛さより集団として機能させる場合のメンタル面のことでしょ。 
戦国期でも、上の命令に忠実に従い勝手に崩れたり浮き足立ったりしないというのが評価の対象に 
なるんじゃないかね。 
個々の徴集兵に強弱があるとすれば装備と編成と指揮する者に起因するような。 
尾張兵についても三河駿河美濃伊勢といった隣国と互角以上に渡り合ってる事跡から見て特別 
劣っていたとは思えない。 

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 03:35:52 ID:Q6lolQrK
実際は兵に強弱は無いし、 
それは戦局を変える要素は無い。 
って結論でいいよね。 

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 03:57:33 ID:ShIbxOKA
日本の戦国時代の合戦はちょっと特殊だからね 
積極的に戦う兵って結局は大名の直臣連中の侍がほとんどだし 
地方による足軽の強弱は無いと思うが 
下級武士や豪族の強弱はやっぱあるんじゃないか? 


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 06:43:16 ID:Q6lolQrK
それは強弱より、常備軍の量や割合の方が影響するんじゃないかな? 

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 06:53:30 ID:Q6lolQrK
重要な要素忘れてた。 
やっぱり経験でしょ?これは常備の武士になればなるほど重要になると思うよ。 
戦術行なう、うえでもやっぱり理解度とか違ってくるし。 

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 13:14:41 ID:Yw29XvtN
人間の筋肉って学童期に9割以上出来上がるんだよ 成人してからつけた筋肉は落ちるのも早い 
だから生まれ育った環境が過酷な自然の人種は強健な筋肉束をもってる 

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 13:56:28 ID:SRra7rmr
過酷すぎて栄養タリナス、場合も潜在的な筋力はつくのん? 
なんか適度には環境整ってないと駄目な感じがする怠け者の俺 

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 14:21:40 ID:drO/0ZoI
戦国時代は食料の供給不足でみんな栄養失調気味だったと思うぞ 

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 15:59:32 ID:Q6lolQrK
たしかに、過酷な状況なら。 
流民最強、洛中にあふれかえっていた浮浪者最強になる。 

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 19:30:17 ID:Yw29XvtN
甲信越や三河の兵が強がったのは山野の山猿状態で育ったから 

ヨーロッパのスキー選手はトンパみたいな例外除いて貧困層出身だぞ 
テレビもみたことないような山で育ってる 
日本のような学生スキーが主流じゃないからな 


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 21:50:32 ID:TMi+GXaN
督戦隊の有無は影響あるんじゃないか?戦国時代にあったかは知らんけが。 
よく、逃げると切るぞーみたいな言葉を、武将が叫んでる場面は小説ドラマ等でよく見るけどな。 
矢を恐れて進まないんじゃ話にならないし、極限状態に追い込んで突撃させるのは、 
鉄砲が主力になる前なら十分効果あると思うけど。 

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 01:50:50 ID:eOlUNRLX
残念、鉄砲が主力になる前にも後にも白兵戦は極力行われないのが戦国時代 
だから応援部隊はあっても無理矢理突撃させる督戦隊なんてのはない 
何故なら実際に戦闘する連中は半農半士の豪族か大名の直臣達 
武将の意地があるので戦うのが当たり前 
逃げる奴も確かに居たがそういう奴は戦闘が始まる前に逃げる 

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 19:27:42 ID:jIbFn34L
どうでもいいが「とくせんたい」と聞くとどうしてもあれを思い出してしまう 



 

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 19:38:42 ID:UOcw4u8p
雑兵といっても 
1600年頃と1550年頃とでは 
混乱の度合いが違うので 
質が違うだろな 

一貫しているのは山間部の兵は負けたら行く所が無い必死さがあった。 
尾張など平野で育った人間は流民を見慣れているから 
弱かったと考えられる。 


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 19:48:14 ID:St/YxcuD
愛知県民が最強 

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 19:58:18 ID:3AUYBY2D
平野というか商工業の発展した地域の人間は土地や地縁にしがみ付く感覚が希薄で能動的だったのだろう。 

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 20:35:39 ID:UOcw4u8p
島津が強かったイメージがあるが 
兵の使い方に因っていたのが実像 

少人数の囮の部隊を使って敵を誘いだして 
そこを襲うのが島津流だから。 
囮の部隊は命がけだったが一族のために 
捨て身を厭わない者たちが居てはじめてできる戦術を 
実行できたから名を残せた。 

体力的強さとかでなく 
犠牲になる 捨て駒になる事にたいしての気持ちの問題である。 

秀吉はそういうタイプの奴らと闘うことの怖さを知ってたんだろ。 
勝ち方が悪いと 後々の統治に影響してきてしまう。 
圧倒的に勝つことが条件だったから。 

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 16:45:10 ID:IIQGMnyI
俺、この戦で手柄を立てたら故郷に帰ってあいつに結婚を申し込むんだ 

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 16:59:57 ID:dsAE+0Wu
あいつ、この前の野盗の襲撃で死んだよ 

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 17:44:26 ID:A2X+2fCX
>>70 
だいたい俺もそう思うがそこまで端的じゃないと思う。 
明治よりはるかに昔の戦国時代は典型的な農本国家だし、貫高制はその農業社会に基づいた徴兵制度 
っていう面も持ってたから、商業発展地域も主要産業はやはり農業だった。 

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 03:34:25 ID:FC5Ojv7f
まぁそうだろう。 
商業が発展してるような所は、大概農業も先進地だろうよ。 
非農業人口を養えるんだからな、当時の貧弱な輸送能力で。 

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 17:35:06 ID:5FP8RCqz
>>74 
重商が確立される以前であるのだから仰るとおり当時の社会が第一次産業ベースであるというのは否定しない。 
発展地域には人が集まり流通も活発になる、当然職業種と求人量は田舎の農村とは比較にならなかったことだろう。 
つまり、生まれ育った地域の“近辺”で職が得られるのであれば次男や三男は兵役賦役のリスクを負ってまで土地に しがみ付くという意識と概念が薄れていくと。引いてはそれが戦場に於ける足軽の精神面での脆さに繋がるのではないかと。 
また、田舎から発展地域に出て職を得るということも不可能ではないにしても、情報の乏しい時代に何の当てもなく 勝手の分からない土地に浮浪者覚悟で乗り出すというのは相当な理由でもないと難しかったのでは。 

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:44:16 ID:kIICDcRx
やっぱ足軽は人気ないのかな・・・ 

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 18:33:43 ID:COFjrJVU
情報が乏しいだけじゃないの?雑兵物語という本を読んだ人はいる? 

79 :朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2006/09/03(日) 23:04:48 ID:ZOSVJIZa
「雑兵物語」は面白いすね。 
内容は弓足軽・鉄炮足軽・鎗担・馬標持・旗差・持筒・持弓・草履取・挟箱持・馬取・沓持・矢箱持 
・玉箱持・荷宰料・夫丸・若党・中間らいわゆる軽輩雑兵の教練書ですが、 
それぞれの経験談を口述手記の形を取ってるとこが面白い。 
当時の雑兵らの口語が書かれてるので読みものとしても楽しめます。 

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 22:06:10 ID:XvmCCjqE
「手明」は抜刀兵みたいな存在だったら格好良かったのにただの馬の世話係なんだよな 

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 01:23:30 ID:2rUoBR9G
「旗持ち」ってのは、どんな奴らがなったのかな。 
足が速いのは当然として、敵陣に突っ込む勇気も必要だよね。 
目印として倒れない体力も必須。でも、首取りとかの功名とは縁が薄い。 
とても名誉な役職だけど、家中では「縁の下の力持ち」的な存在? 


85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:05:28 ID:jpdG5q8s
足軽って自衛隊の兵卒みたいなもんだな。 
歩兵=鉄砲足軽 
屋敷の警備要員=若党(江戸時代には口入屋を通して雇われたにわか侍) 






96 :白馬青牛:2006/10/06(金) 01:04:28 ID:e6vunr3j
折口信夫氏の文から「たとえば、合戦になると、百姓が竹槍を持って 
出て来て落人を殺してものとりをしたりしますが、同時に頼まれて 
戦いにも行き、都合が悪ければ盗人もやります。道徳などは、それは 
団体の道徳であって、団体を離れれば道徳などはありません。その村 
だけの、村と言うよりは永住の地を持たない一部の人々の団体の道徳を 
守り、一致した行動をとります。そんな連衆が巡っていて、時代が 
変わってもいます。応仁の乱等があると、それがどこからともなく、 
どかどかとやって来ます。大阪の冬の陣・夏の陣などにも寄り集まって 
やって来ます。(中略)移動村落です。」(「無頼の徒の芸術」、 
昭和11年、1936年)。 
永住の地を持たない集団とは、焼畑民や漁民、被差別民等、移動性の強い 
集団のことであろう。戦国時代が終わり江戸初期に近世領主による紀州や 
四国の山岳民狩りは激しく、人質を取り、一村皆殺しの悲劇もあった 
ことは、宮本常一氏も述べておられる。足軽の構成要素には、これら 
移動性の強い集団の考察も重要じゃと思う。 



98 :ななしさん:2006/10/12(木) 20:49:53 ID:BcUHAVQz
日当が米5~6合なんだろう 

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 23:44:30 ID:kwD6jutT
>>98 
それプラス給金が出る。 
足軽組毎に数十貫文ほどでて組で山分けにする。 

江戸期でもちゃんと給金が出る。 
町奉行所の同心が足軽身分だけど、年収30俵2人扶持 
中間クラスだと、年収3両1人扶持。 
下級武士のことを「3ピン」というけどこれは「3両1人扶持」の事を指している。 

>日当が米5~6合なんだろう 
これがいわゆる扶持米のことで「~扶持」に対応。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 22:57:19 ID:jTLdM9fx
>>99 
中間の給金では、2両とかいうのもある。 
それじゃ食えんので、多分一人扶持はついているんだろうけれど。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:10:55 ID:VYvAaOTM
>>99 
若党(奉公人の屋敷の門番侍)も、3両一人扶持。同心は普通の足軽より少し 
上の身分だと思う。 

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:17:57 ID:mZXWpz/i
(幕府の)同心=(諸藩の)足軽 
って感じで本に書いてあることも多いけれど、 
収入なんかでみると、同心の地位が高そう。 
ところで先日加賀にいって足軽資料館に行ったんだが、 
考えていたよりも待遇が良かった記憶がある。 
確か3~4部屋+台所etcだったかな。 
長屋作りでなく、一軒一軒独立していた(なぜか庭は小さいけれど)。 
収入など知っている人いる? 


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 05:14:45 ID:t2s/Fj23
>>121 
ちと調べてみた。 
ある御徒並(足軽よりちょっと上の身分)は11人扶持の切り米をもらっていた。 
約40俵。 

収入的には町奉行所同心と大体同じ。 
足軽の収入はちょっと見当たらない。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 07:57:16 ID:s8MHcKrA
>>122 
それは7人扶持に加増されたものですね。 
医師給人組に入れられて7人扶持をもらっている模様。 
7人扶持なら13石ですね。32俵。加賀の俵(0.5石)だと26俵ほど。 
11人扶持なら、50俵。加賀の俵なら40俵。 

暮らし向きのほうは加賀藩足軽の方が楽そうですね。物価も安いでしょうし。 

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 03:47:14 ID:qUhh+pri
情報ありがとうございます。 
聞いてばかりでは何なんで、こちらからも情報を。 
佐賀鍋島家では、弘化年間で、足軽の切米が最高で5石5斗だとか。 
扶持が付くか知らないが、一人扶持がついても8石足らず。 
ざっと20俵ほど。 
本当に食うだけだな…。 

125 :名無しさん:2006/10/28(土) 03:51:51 ID:VB+rObzE
当時の1俵の目方は知らないが20俵だと1家族は 
飢えなかったんじゃないかな? 
貧しくても百姓と比べたらはるかに生活が楽だろうな 

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:39:12 ID:cqag+tic
>>125 
多分、50kg弱 

戦国末期の1升枡は、現在の8合前後とのこと。 

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:42:50 ID:cqag+tic
あ、5斗で1俵の場合は今と同じか。 

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 00:40:58 ID:/5rfLIYy
江戸幕府の規定だと、 
一人扶持(一日米五合)=知行取五石で、知行取一石=蔵米取一俵(三斗五升)。 
三十俵二人扶持なら、知行四十石に相当することになる。 

131 :名無しさん:2006/11/05(日) 21:10:08 ID:Z4sKPzab
50キロかける20は1トン 
5人で一人200キロ 
1日600グラムもなしか 
生きてはいけるけどぎりぎりだろうな 
おかずがないから米だけで食べると5合近くは 
いるだろうから 

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:39:29 ID:uwx5cIbX
うん。 

133 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/13(月) 22:58:03 ID:gVrlBz6/
現在の米屋の単位は10kg=7升≒1.4kgね。 

ついでに現在、3人核家族の米の消費量目安が10kg。 

137 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/18(土) 21:12:26 ID:9N8gloUI
すまぬ。1升≒1.4kg だね。 

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:41:02 ID:QaCyeVqO
>>133 
なんちゅう米消費量の少なさよ。 
俺一人の消費量と一緒…。 



 



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