東欧文学研究者の野口晶子がルーマニア・マラムレシュ地方で見たという墓碑銘私はずうっとここに居るブライク・イリアナが私の名前私の息子は五人いた神よ、この五人の息子らを守りたまえ わけても、グリガよ、神がおまえを許したもうことをおまえが、私を死に追いやったビールを飲んで帰った日、おまえが私をここに来させたここチャペルのうしろの原にけれど、私の息子グリガよ、おまえもいつかはここに来るのさ
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613 :世界@名無史さん:2011/06/26(日) 18:39:59.89 0
元寇の際にあった怪異な話炎上する筥崎八幡宮より出た白装束の者30人ばかりが矢を射掛けたところ、元兵は恐怖し夜明けも待たず(朝鮮通信使の頃でも夜間の玄界灘渡海は避けていた)、我先にと抜錨し撤退は壊走となり玄界灘で遭難した、という。ただし、この「白装束の者」たちは「白装束」という甚だしく「異形の者」たちであるため、鎌倉武士団その他の実際の軍勢では無く、「筥崎宮の八幡神による神威の顕現」の類いを描写したものと考えられる。
昭和天皇はじめ大正天皇の皇子方は血の繋がらない「祖母」昭憲皇太后にたいそう可愛がられていた。ある夜のこと。寝室で目覚めた幼い秩父宮は侍女の足立たか(鈴木貫太郎夫人)に「今、おばあさまがお見えになった」と言った。遠い御用邸におられるはずの皇太后が?と思うと共にぞっとしたたか。果たして皇太后はその時崩御されていた。一次史料ではないけど児島襄『天皇』で紹介されている逸話。
宋書に記載されていた話晋の太安年間のこと、江夏の張聘が乗っていた牛が突然人語を話して言った「天下がまさに乱れようとしているのに、私に乗って何をしようというのですか」聘が懼れて家へ急いで帰ると、犬がまた人語を話して言った「帰ってどうしようというのですか」その後牛が立ち上がって人のように歩く姿が見られた。聘がこれを占い師に語って卦を立てさせてみると、「天下に兵乱が起こり、その禍は一家にとどまるようなものではありません」とのことだった。その年に張昌が挙兵してまず江夏を攻略し、聘は将帥となった。ここにおいて五州の地が戦乱に巻き込まれ、聘は一族皆殺しとなった。気味が悪い話だな…
メキシコ女王伝説h ttp://www.lead2001.co.jp/ritou/story/index.html>島野浦で語り継がれる伝説・・・といっても、それはつい100年ちょっと前の出来事。実際、政府も調査にのりだす程、広く信じられている伝説なのです。>江戸時代の終わり頃、ある夏の日の出来事でした。一隻のカツオ漁船が漁を終え、島への帰港中、 ふと波間に漂う大きな木箱のようなものを見つけました。船中の12名は老船頭の命令で、その木箱を引き上げ、 手斧で開けてみることにしました。すると中からは、白骨化した人間の顔がのぞいたのです。髪はフサフサの金髪、そしてその周りにはキラキラ光る石や黄金の冠などが入っていたそうです。これを発見した漁師達は祟りをおそれ、どこかに埋める事にしました。そして「他言は無用」と漁師達はこの事を「秘密」にしたのです。しかし・・・月日が経つうちにこの秘密は噂となって流れ出し、島の外からも木箱(宝)探しに来る人達が 出るようになったのです。戦時中、警察や軍隊も島に探しに来た程です。この間、いつしか木箱の中の 亡骸は「メキシコ女王」であると言われる様になったといいます(正確な根拠不明)。しかし木箱の行方は 知れず、未だどこに埋められているのか、流されてしまったのか、証拠が一切残っていない事から、 真相は謎のままです。
>この話は、宮崎の考古学・歴史学者として著名な石川恒太郎氏の『新・日向ものしり帳』に 掲載されていたものからの再録である。(中略)この話は、その漁師たちによって伝えられたものであるが、だれ言うことなく、 これはメキシコ女王の遺体であったと言い出した。その後、この箱にはたいへん高価な物が 入っているに違いないというので、沖の小島やそこらの島を掘って宝探しに夢中になった人が跡を断たないありさまである。 そこでメキシコでそのようなことがあったかというと、 オーストリアの皇帝フランツ・ヨゼフ一世の弟にマキシミリアンという人がおり、この人は ナポレオン三世にそそのかされてナポレオンの後援のもとに1861年にメキシコに入って 皇帝となり、1867年まで皇帝の位についていたが、革命が起こって共和軍に敗れ、 ついに銃殺された事件があった。 だからそのマキシミリアンの王女、いや箱を開けて みたのではないので王女か王子か分からないが、その一族の方の死体と考えられない こともない。なんにしても日向漂着物語を飾る美しい伝説である。出典:「郷土島野浦=語りつぐふるさと=」渡部誠一郎 編著 より
695 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 04:06:09.27 0
595 :世界@名無史さん:2011/05/06(金) 10:31:59.74 O
晋書劉聡載記より河東に蝗が大発生した。【革斤】準が部人を率いてこれを捕えて埋めたが、十里余りに渡って泣き声が聞こえた。その後土の中から飛び出し、また豆を食べ続けた。犬と豚が相国府の門において交わり、また宮門において交わり、更には司隷・御史門において交わった。豚が文官の冠をつけて劉聡の廷内に座り、犬が武官の冠綬をつけて豚と並んだが突然殿上で闘って死んだ。宿衛でこの豚と犬が入るところを見た者はなかった。
1284年、ハーメルンに「鼠捕り」を名乗る色とりどりの布で作った衣装をまとった男がやって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。ハーメルンの人々は男に退治の報酬を約束した。すると男は笛を取り、笛の音でネズミの群れを惹き付けると、ヴェーザー川におびき寄せ、ネズミを残さず溺死させた。ネズミ退治が成功したにもかかわらず、ハーメルンの人々は約束を破り、笛吹き男への報酬を出し渋った。
怒った笛吹き男はハーメルンの街を後にしたが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び戻って来た。住民が教会にいる間に、笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去った。130人の少年少女が笛吹き男の後に続き、洞窟の中に誘い入れられた。そして、洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかった。物語の異説によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた2人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝えられている。
なお、ハーメルンの新門にあるラテン語の碑文には、この笛吹き男の正体はマグス(魔法使い)であったと刻まれている。
ジル・ド・レイ成長し軍人となると百年戦争のオルレアン包囲戦においてジャンヌ・ダルクに協力し、戦争の終結に貢献し「救国の英雄」とも呼ばれた。
自分の領地に戻ると湯水のように財産を浪費し錬金術に耽溺。財産目当てのフランソワ・プレラティら詐欺師まがいの「自称」錬金術師が錬金術成功のために黒魔術を行うよう唆したことも加わり、手下を使って、何百人ともいわれる幼い少年たちを拉致、虐殺した。レイは錬金術成功という「実利」のためだけではなく、少年への凌辱と虐殺に性的興奮を得ており、それによる犠牲者は150人から1,500人だと伝えられている。
ジェボーダンの狼
ジェヴォーダンの獣は、18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方(現在はロゼール県の一部)に出現した、オオカミに似た生物。1764年から1767年にかけマルジェリド山地周辺に現れ、60人から100人の人間を襲った。獣が何であったかは、現在も議論されている。 事件は未確認動物学と陰謀の両方の面の憶測がされている。
フリースラントの伝統 by マルク・ブロック「フリースラント人の間では、屍体さえ復讐を叫んだ。すなわち、フェーデ(復讐)に成功し、近親がついに埋葬の権利を得る日まで屍体は家の中に吊されて乾かされたのである」
フリースラント(オランダ語: Friesland、ドイツ語: Friesland)は、オランダ・ドイツの北海沿岸の地方名。沖合にあるフリースラント諸島を含む。歴史上、灰色に着色した部分がフリースラント。現在は斜線を入れた部分でフリスク語が話される
後漢書だったかな?赤眉が呂后の墓を暴いたら、生きているみたいだったってやつ。まあ屍蝋だったんだろうけどね。
アイスランドの『スヴァルファルスダルのサガ』よりイングフィルドは兄弟のグリスとリートルフに頼んで、夫のクラウフィを殺させた。兄弟は死体を乾草の下に埋めた。その夜イングフィルドが寝ていると、突然クラウフィが彼女の目の前に立っていた。彼女は兄弟を呼んだ。兄弟は亡霊と戦い首を切り、頭を脚のところに置いた。ある夜、赤毛のカールが火のそばに坐っていたところ、誰かの声が聞こえた。それはクラウフィの声であった。カールはそばにいた八人の男と共に、武器をもって外に出た。そこには自分の頭を手にもったクラウフィがいた。皆はクラウフィの跡を追ってシュタインドゥールまできた。そこでクラウフィは立ち止まり、頭で戸を叩いた。カールは敷地に入り、ついで家の中にも入った。そこでイングフィルドの兄弟のグリスに出会った。カールはクラウフィの死について詳しく聞こうとしたが、グリスは何も答えず、すぐに部屋から出ていってしまった。そこへクラウフィの姉妹のジーグフリートが兄弟の剣を手にもって入ってきて、それをカールに渡した。カールは外に出てグリスの剣の柄が脂で染まっているのをみて、グリスを殺した。カールの一隊がシュタインドゥールから離れたとき、クラウフィが現れていった。「カール、今夜は俺のためにお前たちの多くの者が地の下に来ることになるぞ」
そこには一五人ほどの人びとがいた。リートルフとその仲間たちであった。すぐに激しい戦いとなり、クラウフィも戦いに加わって自分の頭で激しく打ちまくった。リートルフと仲間たちは逃げようとしたが、クラウフィが道をさえぎり、特にリートルフに打ってかかった。リートルフは近くに住むスキディに助けを求めた。スキディは声を聞いてとびおき、家から走り出ようとした。ところが家の前にクラウフィが立ちはだかり、道をふさいでいた。スキディは燃える薪をとって屋根に火をつけた。クラウフィは燃えさかる炎を前にして、消えざるをえなかった。スキディは戦闘の場に行き、両者を離れさせた。リートルフは逃げのびた。ある日、グンナールとカールは家の前に立っていた。カールは空を見上げて、真っ青になってこういった「従兄弟のクラウフィが灰色の馬に跨って空を駆けてゆくのが見えた。橇が一台あとをついていったが、その上には俺がいたように思うよ」。すると空にクラウフィの声が響いた。「お前は今日の夕方俺と一緒に家に戻るのだ、カール」そのすぐあとでカールは待ち伏せにあって死んだ。リートルフの友人が彼の生命を奪ったのだった。
後にリートルフは奇怪な死に方をした。牧草地の上手の恐ろしい穴の中に横たわっているのが発見されたのである。クラウフィの剣を鍛え直してつくられた短剣で刺されていた。クラウフィはまたさまよい始め、彼の起こす暴力沙汰は際限がなくなった。人を殺し、家畜も殺した。従兄弟が何人かの仲間とクラウフィの墓に行き、墓を掘って死体を掘り出した。それは腐敗していなかった。死体は大きな薪の山の上で焼かれ、灰を集めて鉛の箱に入れ、二本の鉄の止め金でとめ、熱い温泉の中へ投げ込んだ。こうして亡霊がさまようことはなくなった。クラウフィが焼かれた崖は二つに裂けてしまった。
秦瞻は曲河の彭星野に住んでいた。突然、蛇のようなものがその脳のなかにいきなりはいりこんだ。蛇がくるとまず臭い。それが鼻からはいり、頭のなかにわだかまり、冷たさがふかくしみこむようである。すると脳のなかでサクサクと何かを食う音がきこえる。数日してでてゆき、ついでまたくる。ハンカチをとって急いで口と鼻をしばりふさいだ。だから入ることができない。なん年もほかはなんでもないのだが、ただ頭だけが重かった。(『太平広記』より)なんか妙にリアルで嫌。
爾朱世隆がある時昼寝をしていた。妻がその姿を何気なく見ていたところ、一人の人物がやって来たかと思うと世隆の首を取り上げて持ち去った。妻が驚愕恐怖して改めて見直してみると、世隆が先ほどのまま寝ているだけだった。やがて世隆は目覚めると言った「人が我が首を断ち切って持ち去った夢を見た」その後世隆は殺された。
ロバート・D・カプラン『バルカンの亡霊たち』より一九四一年一月二二日の夜、「大天使ミハイル軍団」は正教会の賛美歌を歌い、ルーマニアの土を入れた袋を首にかけ、互いの血を飲み、 聖水を身体にかけて浄めを受けたのち、子供を含む二〇〇人の男女を 家から引きずり出した。そして、彼らをトラックに詰めこみ、ブカレスト 南部にあるドウンボビツア川近くの赤煉瓦の建物、市営の屠畜場に 運んでいったのである。
犠牲者はすべてユダヤ人で、凍えるような暗闇の なかで裸にされ、ベルトコンベアの上で四つん這いにさせられた。
こうして、 恐怖の叫び声をあげながら、ユダヤ人たちは全自動化された屠殺装置の中に 送りこまれていったのである。頭と手足を切断され、血が噴き出している 胴体を軍団員はひとつずつ鉤にかけ、「食用可」というスタンプを押して いった。
逆さまに吊るされた五歳の少女の胴体は「血まみれで、仔牛肉のようだった」と、翌朝、現場を目撃した人は証言している
転載元
一次・二次史料で見かけた不気味な話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284099881/
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