542 :世界@名無史さん:2011/04/06(水) 01:58:04.90 0
ウイグル王家の起源神話も宇宙人ぽくて怖いわある時二本の樹の間に天から光が降ると、そこに塚が盛り上がり毎夜光を受けて塚は日に日に大きくなった。
そしてついに妊婦の分娩のときのように塚が開いて、「内に一つずつ別々に なったテント状の小室が五つ現れ、それぞれの内には男の児が 一人ずつ坐っていて、その口の前には管が下がっていて必要な 乳を供給しており、テントの上には銀の網が延びていた」。五人の子供はその後ウイグル族に育てられて王族となり、各地を 征服したとのことである。(ジュワイニー『世界征服者の歴史』より)
338 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 16:17:05 0
明日、実は地球は円盤でした。って科学者達がいいだしても泣き出さない覚悟だけはしておこうな。みんな。
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569 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 19:58:37.92 0
日本の話だが吾妻鏡で源実朝が庭を「青女」が走り去るのを見てその後女が消え光が飛び去っていった、という話(既出?)を読んで怖かった覚えがある。実は「青女」ってのが下女だと知らずに「青白い女」だと思っていたので余計に怖かった。
570 :世界@名無史さん:2011/04/18(月) 19:18:52.96 0
>庭を「青女」が走り去るのを見て
>その後女が消え光が飛び去っていった
なんかバックトゥザフューチャーみたいだな
509 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 20:18:14 O
三国志呉書三嗣主伝注より楚国先賢伝に記載の孟宗のはなし孟宗の母は特に筍を好んだ。このとき初冬のことで、まだ筍が生えるような季節ではなかった。孟宗が竹林に入って願うと筍がこれに応じて顔を出したため、これを掘り取って母親に食べさせることが出来た。人々はみな彼の篤い孝心が感応を起こしたものだと言った。
525 :世界@名無史さん:2011/02/17(木) 01:04:12 0
たまたまタケノコがあっただけで、
なければ別のものをありがたくいただいてんだろう。
502 :世界@名無史さん:2011/02/02(水) 20:54:01 O
晋書劉曜載記より劉曜の見た夢のはなし劉曜は金色の顔に真っ赤な唇をした三人の人が東に向かって逡巡し、何も言わずに退くという夢をみた。公卿を召してこれを議すと、朝臣は皆吉祥だとして賀した。その中で太史令任義が進み出て言った「三は暦運の極みです。 東は王者の次を差し、金は物の衰えをいいます。 逡巡したことは退舎の道を示します。東井は秦の分野であり、五車は趙の分野です。 秦兵は必ず主を失い、趙の地において敗れることとなるでしょう。 遠ければ三年、近ければ七百日にしてこれが実際に起こるでしょう。 どうか陛下にはお考えになって防がれますように」曜は大いにおそれて神祠を繕った。のち劉曜は金ヨウを攻め、石勒と戦って敗れて捕らえられた。
527 :世界@名無史さん:2011/02/17(木) 03:49:30 0
読売新聞に連載中の宮城谷の小説で出てきて知った話だが光武帝の昆陽の戰いの前夜、敵陣に夜有流星墜營中,晝有雲如壞山,當營而隕,不及地尺而散,吏士皆厭伏。―後漢書 光武帝紀夜、隕石が落ちてきた。そして、白雲の山のような物が天から崩れ落ちてきて 地上すれすれで消えた。それを見て兵士達は恐れ地面に伏した。なんだこれ?氷の彗星が落ちてきたか、マイクロブラックホールか?ツングース爆発隕石みたいなもんか?
528 :世界@名無史さん:2011/02/17(木) 17:44:45 0
あんまデカイのだとみんな死んでるんじゃね?
534 :世界@名無史さん:2011/03/30(水) 09:20:24.62 0
アーサー・マッケンが第一次大戦のフランス戦線で百年戦争のロングボウ隊の亡霊が現れて英軍の危機を救う小説を書いたら作者の与り知らぬところで実話として広まってしまったらしいが情報伝達のスピードが遅い昔はこういうことが結構あったんだろうな。
535 :世界@名無史さん:2011/03/31(木) 20:50:16.48 0
ドゴン族の「創世神話」もそうらしいな。フランス人が教えた話がいつの間にか
ドゴン族の神話天文学に関する知識を多く持つドゴン族は、それに由来する神話を数多く持ち、フランスのジェルマン・ディータレンやマルセル・グリオールといった研究者によりその詳細が紹介された。この学術論文は1950年にアフリカ学協会誌に『スーダン原住民の伝承によるシリウス星系』という名で発表がなされている。ただし、この神話に関して、本当に古来からあったものかどうかについて(未開部族として彼らが作り上げた神話なのか、何らかの形で文明人と接触した上で創造された神話なのか)の結論は出ていない。
536 :世界@名無史さん:2011/03/31(木) 20:51:52.24 0
ドゴン族の話は、京大の英語の入試試験に実話として出てたぞ。
俺は10年ぐらい信じ込んでいた。
537 :世界@名無史さん:2011/04/01(金) 23:57:21.48 0
ドゴン族実話→宣教師が教えてた→いやいや実話だった、みたいな感じでよーわからん
585 :世界@名無史さん:2011/04/28(木) 23:16:20.21 0
>>535
最も簡単なのは――懐疑論者はたいていこの説明を持ち出すのだが――ピグミー、マオリ族、ドゴン族が土星や木星に関する情報を、宣教師などの西洋人から得たというものだ。
この説はきわめて場当たり的なもので、こうした細かい天文学的事実をいつ、どうやって、何の目的で、 外部からの訪問者が伝えたのか、具体的な証拠を提出した者は一人もいない。
『古代文明の謎はどこまで解けたか1』太田出版156ページ
ってのがあったがどうなんだろうねえ
586 :世界@名無史さん:2011/04/29(金) 16:08:22.13 0
ところが近年、ドゴン族のシリウス神話そのものが、 勘違いかデッチ上げの産物だったのではないかという、さらにトホホな可能性が明らかにされている。
近年行われた調査によると、ドゴン族の伝承を最初にヨーロッパに紹介した マイセル・グリオールが接触したドゴン族の情報提供者グループを除くと、 ドゴン族の中では誰も「ポ・トロ」のことなど知らなかったことが判明したのである。
さらにシリウスが二重星であることは、他のドゴン族はもちろん、情報提供者のグループでさえ知らなかった。
つまり上で書いた伝承というのは、もともとドゴン族の中には広まっておらず、
さらに神話の中(というより情報提供者のグループ)に天文学の知識を紛れ込ませた張本人は、
ドゴン族を最初にヨーロッパに紹介した、グリオール本人だった可能性が高いのである。
http://www.nazotoki.com/dogon.html
587 :世界@名無史さん:2011/04/29(金) 23:46:42.22 0
太田出版の本ってのはネタとして楽しむべき出版社ではなかろうか>585
588 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 13:56:14.59 0
どっちかというと民明書房系の出版社だよねw
547 :世界@名無史さん:2011/04/11(月) 22:53:34.13 0
マゼランがフエゴ島行ったとき、カヌーしか知らない原住民にはマゼランらの巨大な船が見えなかった、みたいな話がある。
http://blog.goo.ne.jp/nbrisi/e/3208cb60e9732e3a67b13ef0a5306445で、マゼランの記録見てみたら、該当箇所であろう箇所は
その男は提督とわれわれの面前に来ると、ひじょうに驚き、われわれが天から降りてきたものと信じて、 指を一本高くもちあげる格好をした。「大航海時代叢書1」岩波書店505ページ。としかないんじゃなかろうか。つまり、船を見た上で、いわばUFOが降りてきたのか!的な驚き方をしたんじゃなかろうかって思えるが。船が見えないってのはあり得ないだろう。ならば黒船が来たとき、日本人の中にも黒船が見えねー奴がいたとしてもおかしくなかろうって思えるし。
565 :世界@名無史さん:2011/04/16(土) 18:35:06.23 0
アマゾンあたりに見つかったとかいう裸族が撮影してるヘリコプターに弓矢を射ってる映像があるな。
彼らからすればSF的なものだろうけで理解が難しいかもしれないがともかく見えてるわけで。
認識できないから見えないなんてことはあり得ないだろう
566 :世界@名無史さん:2011/04/16(土) 23:14:43.78 0
原住民は、マゼラン一行を天から降りてきたものと思った
と、マゼラン達が認識したという話で
(未開の地に)降臨した、と思ったのはマゼラン達自身
そう言う事な気もするが
まあ安っぽい文明論みたいで何だが
572 :世界@名無史さん:2011/04/24(日) 18:29:38.23 0
「病膏肓(やまいこうこう)に入る」有名すぎるから誰も書かないのか? 長いが載せとくぞ。出典は左伝。晋の景公はある晩恐ろしい夢を見た。巨大な幽鬼が躍りあがりながら襲いかかるというような内容だった。早速巫師を呼び夢の意味を問う。「公は秋麦を召し上がることはできますまい」(それまでに命が尽きる)これが答えだった。程なく景公は重病を患い床に伏した。景公は隣国の秦(勿論その後の戦国時代の始皇帝の秦ね、念のため)から桓という名医を呼ぶこととした。とは言え隣国とて道中長く中々到着しない。(続く)
573 :世界@名無史さん:2011/04/24(日) 18:32:07.21 0
(病膏肓の続き)そんな日々、景公はまたも夢を見た。なんと病魔が二人の童子になって話あっているのだ。「名医が来るぞ、俺たち退治されちゃう」「膏(こう)の上肓(こう)の下に隠れれば大丈夫さ」やがて医の桓が到着、景公を診て曰く「病は既に膏の上肓の下に至っており手遅れでございます、どうかお諦めください」景公は礼を尽くし桓を秦に帰国させた。公の病重いまま季節が過ぎ秋麦の収穫を迎え、これが病床の公にも献上された。公は先に秋麦を食せないと予言した巫師を呼びこれをその場で註した。(続く)
574 :世界@名無史さん:2011/04/24(日) 18:33:56.56 0
(病膏肓その3)だが、麦粥を口にしようとしたその時腹が張り、公は大急ぎで厠に入ったがそのまま下に転落し命(原文では「卒」した)を落とした。(古代中国の便所は汲み取り便所的なものではなく、下は堅い地面で高さもかなりある、墜死に近い感覚か)「病膏肓に入る」、膏の肓の下、腹腔のうち最も深部で鍼も薬も到達し得ない部分という一般的にはみぞおちのあたり。当然鍼治療は不可。胃の裏である膵臓のあたりではないかとも言われている。
575 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 09:17:02.57 0
>だが、麦粥を口にしようとしたその時腹が張り、公は大急ぎで厠に入ったが
>そのまま下に転落し命(原文では「卒」した)を落とした。
>(古代中国の便所は汲み取り便所的なものではなく、下は堅い地面で高さもかなりある、墜死に近い感覚か)
・・・悲惨な死に様ですね
576 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 16:34:33.28 0
病気・医術系なら不気味な話盛りだくさんだからなー
三国志方技伝の華陀にもいろいろあるけど・嚥下困難の患者にすっぱい蒜の和え物を3升(漢代の1升は約200ml)飲ませると、蛇を一匹吐き出した。華陀の家にお礼に行ってみると、家の壁には同じような蛇が束になってぶら下がっていた。・広陵太守の陳登を診察したところ、魚の刺身の食べすぎで腹の中に寄生虫がいるとわかった。せんじ薬を飲ませると、ほどなく3升もの虫を吐いたが、頭が赤くてみなうごめき、半分ほどはまだ生の魚の刺身の姿をしていた。華陀は「三年後に再発しましょう」と予言したが、三年後には華陀がもういなかったので、陳登はそのまま死んでしまった。
577 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 19:13:29.72 0
当時の中国でも刺身ってやってたん?
日本の中世遺跡でも便所から刺身によると見られる寄生虫が発見されるらしいけど
578 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 20:18:57.80 0
>>577
「なます」というそうな。
魚の刺身というより、肉の刺身が有名。
鴻門の会の時にハンカイ(変換できない)が
項羽に差し出された豚の肩肉を生で食べている。
肉の刺身が「膾」で魚の刺身が「鱠」?
440 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 02:20:56 0
ビザンツ帝国の史家ニケタス・コニアテスによると、12世紀末のコンスタンティノープルにバシラキオスという狂人がいた。その男は未来を占えるという評判があり、人々は長蛇の列をなして 彼のところへやってきたという。コニアテスに言わせれば「その男の予言は当ったためしがなく、その言葉遣いは間違いだらけで、支離滅裂で、秘密めかしていた」。そしてそんな馬鹿げた行いに引きつけられるのは田舎者や無知な者 だけだったと記している。だがその評判は皇帝の耳にも届いたらしく、バシラキオスは宮殿に 召し出され、当時のイサキオス2世によって未来を占うよういわれた。バシラキオスはまったく場所をわきまえない様子で、奇声をあげてそこら中を走り回り、壁にかかっていた皇帝の肖像画の両目に穴を開け イサキオス2世の頭から被り物をひったくった。その後クーデターが起き、イサキオス2世は帝冠を奪われ、両目を潰された。
443 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 10:03:32 0
>>440
ギリシャ正教圏で君主の両目って思いっきり廃位フラグじゃん・・・
むしろ無関係にクーデター計画してた連中が、その予言を聞いて
決行に踏み切ったとかだったら別な意味で洒落にならんな
転載元
一次・二次史料で見かけた不気味な話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284099881/
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