上杉謙信
8 :人間七七四年:2012/08/11(土) 20:17:33.92 ID:/O07kDNa
『信長、謙信に降伏する!?』手取川で織田軍を叩き潰した謙信は新谷源助を使者として、信長に「北近江辺りにて正々堂々と一大決戦をしよう!」と申し入れた。この申し入れに信長、「謙信殿の弓箭は摩利支天の所業に似て、日本国中、これと比肩するものはない。本心で謙信殿が上洛されるとあらば、この信長は路地まで出むかえ扇を一本腰にさし一騎で乗り込み、信長めにござる。降参つかまつると申し、都の案内を致したならば、いくら謙信でもこの信長が骨身を砕いて取った天下を取り上げることもなかろう。さすれば、信長は西国、謙信は東国を治められ、両旗で禁裏を守護つかまつることに致そう」
と返答を返した。 (北越軍記)
ない、ないww
まあ謙信マンセー軍記物なのでご容赦を。
9 :人間七七四年:2012/08/11(土) 20:21:29.65 ID:ToxIMFuF
内心はともかく、口先ではこれぐらい言うだろう、信長なら
あくまでも油断させて時間を稼ぐためにだけど
10 :人間七七四年:2012/08/11(土) 20:34:25.96 ID:iu2O5qkN
「天下は朝倉殿持ち候へ」だもんね。そのくらいのことは平然と言えるのが信長の強さだと思う。
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79 :人間七七四年:2012/08/15(水) 09:06:30.60 ID:/k4Ik1zx
戸次道雪が常々言っていた事に「侍に臆病な者はいないと確信している。もしそういう者が居たら、それはその当人の科ではなく、その主人の 使い方が悪いためである。悪しき主人を頼んだばかりに、惜しいかな侍を捨ててしまったのだ。 どうしてそんな事が言えるのかといえば、私に従ってくれている者たち(申合わせ候衆)は、侍身分は申すに及ばず、 中間・小者に至るまで度々手柄を立てない、という事は無いからなのだ。他家において臆病の名高き者たちよ、かわいそうに、私のもとに参るが良い。私のもとで指導してみたいものだ。 仮に一度目は悪くても、二度目には必ず手柄を立てさせるだろう。」実際に道雪のこの広言に違わず、道雪の配下に度々手柄を立てないような者はいなかった。道雪がある時、とある若き者が初陣の合戦で遅れを取ったという悪口を言われている、と聞くと、彼を近くに召し寄せ「其の方は昨日の合戦で些か遅れを取ったようだが、武辺の事は、そういう事が有るものなのだ。それは 全く以て臆病だからではない。出来・不出来・明・塞があるのが武辺なのだ。 特に其方が臆病でないことは、私は老巧でな、能く解っている。 さあ、明日にもまた合戦がある。其方、人に煽られて粗忽の働きをして、討ち死にしてはいかんぞ! それはこの道雪に対し、最大の不忠である!身を全うして敵を討つ分別こそ肝要なのだ。お前のような者たちが従ってくれるからこそ、この老いぼれも 口をきけるのだよ。偏に頼み入るぞ。」その様なことをいかにも親しく、懇ろに申し聞かし、酒など飲ませ、自身の喉輪か脇引きといった小具足を取らせた。次に合戦のあった時、この若者は火の散るほどの働きをした。そこで道雪は彼を大勢の前に呼び出し「この者を見よ!お前たち、この道雪が見損じることはなかったぞ! 困ったことには、この者は逸り過ぎて討ち死にしてしまうのではないかと、片面では悔やんでいたのだ。 この者は今、牙に血をつけ面白く嬉しく、また思ったよりも武功を立てるのは簡単だと思っているだろう。 こういった若者が、これから次第に経験も重なり、この道雪の家において5人7人を争う武者になることも多いのだぞ。」と、褒め称えた。また道雪が平時に侍を召し使っている時、客人が訪問して、その侍に大いなる仕損じがあった。普通の主人ならばしたたかに叱りつけるか、又は追放するほどの不調法をした時、道雪は打ち笑って「御覧になって下さい、私に従ってくれている者たちはいずれも無調法にてなんとも困ったものなのですが、 こういう事になった時には、いつでも火花が散るのですよ。」そう言って槍を繰り出す真似をした。客はこれを見て、「侍にとってそれより他に、何が必要でしょうか?」と 深く感じ入った。無調法をした侍は、これによって当座の恥をすすぎ、かたじけなく思い涙を流した。 (古郷物語)戸次道雪の人使いについての逸話である。
80 :人間七七四年:2012/08/15(水) 11:50:10.49 ID:8nFl45AV
>>79
その逸話 イイネと!君は言ったけど
三つまとめて 既出記念日
81 :人間七七四年:2012/08/15(水) 12:16:24.57 ID:/k4Ik1zx
>>80
ああ…orz こっちは未だのはず
戸次道雪は若いころ雷にあたったため、歩行することが出来なかった。そのため常に手輿に乗り、二尺七寸ばかりの高田打の刀、種子島の鉄砲一挺、三尺ばかりの手棒に腕貫をつけて いつも手奥に入れ、また長刀だけを持った若侍を、定衆と名付け、これを100人、徒歩にて召し連れていた。合戦が始まると道雪はこの定衆に手輿を担がせ、敵との距離が近くなれば、手棒にて乗り物の縁を叩き、 自身で「えいとう!えいとう!」と声高に音頭を取った。この拍子に合わせて「輿を担ぎ、あの敵の真ん中に担ぎ入れて、そこに捨てよ!」と、いきり立った。手棒の拍子より少し遅いと思えば後先の担ぎ手を手棒にて打ち、打たれたものは敵の面前で逃げたかのように互いに笑われたので、彼らは面も振らずに輿を担ぎ入れた。輿を担がないものは長刀を抜き先に進んで攻めかかった。先手の者たちは道雪の拍子が聞こえてくると、「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」と、 優れた勇士たちが斬りかかるので、いかなる堅陣と言えども、駆け破られない、ということはなかった。しかし戦の習い、道雪の戦において先手が追い立てられることも度々あった。それでも旗本が堅く踏みとどまるため 幾度も追い返し、最後に勝利しない、ということはなかった。この様であったので道雪の家来には合戦のたびに、今日は幾度も槍を突いた、と言うものが大変に多かった。 (古郷物語)戸次道雪の戦ぶりについての逸話である
82 :人間七七四年:2012/08/15(水) 12:55:08.40 ID:KpQmkjq1
>>81
無粋でスマンです、戸次音頭の逸話もまとめサイトにあった(ただし別の逸話の中のお話だけど
でもどちらの逸話もより詳しく描かれていてGJですよ
古郷物語って黒官のお話ばかりだと思ってたけど道雪の逸話もあるのか
読み応え十分じゃないか
83 :人間七七四年:2012/08/15(水) 13:05:55.34 ID:GYCJKnb3
道雪の本拠地が黒田領になってるから旧臣とかも多かったろうし
いろいろ話残ってたんだろうね
6 :人間七七四年:2012/08/11(土) 17:01:58.04 ID:2S2DspoA
豊臣秀吉は伊達政宗から奥州会津を没収した後、奥の要地である会津を任せるに相応しい人物は誰かと考えていた。そこで自分が相応しいと思う人物の名を書き記し、徳川家康にも同じようにさせた。書き終わった後に札をひらくと、秀吉が第一に堀左衛門、第二に蒲生飛騨守。家康が第一に蒲生飛騨守、第二に堀左衛門、という結果になった。秀吉は掌を打って「さてさて、名将の思慮は不思議にも一致するものだ。 順序は違えど、選んだ人物が同じとはな。徳川殿はいかなる心をもってこのように見定めたのか」と言った。「まずは殿下の尊慮をうけたまわりたく思います」「奥州の人は情の強き者なれば、左衛門のごとき者でなければ鎮座することはできないだろうと思ったのだ。だから左衛門を第一とした」「では某の愚意ですが、屈強な奥州人を左衛門のごとき猛烈な者に治めさせれば、諺にいう『茶碗と茶碗の出合』のごとく、いずれ片方が砕けることは避けられないでしょう。氏郷は武略は言うに及ばず、文学にも志深く、和歌茶道を心得ており、性質も温和です。そのような風流人ですから、屈強な奥州人を治めさせるにはもっとも相応しいであろうと思い、第一に記しました」家康の意見を聞いて秀吉は「なるほどその通りだ。良い所に気付いたな」と言い、ついには氏郷を選んだ。――『徳川実紀(大業広記)』
7 :人間七七四年:2012/08/11(土) 19:07:40.34 ID:PVQ/QCRb
2人とも寿命以外は完璧超人だな
4 :人間七七四年:2012/08/10(金) 23:25:48.50 ID:/pNXRL/B
キリスト教への理解と保護 出典『今谷明』戦国三好一族 から抜粋
日本人修道士ロレンソのポルトガルへの報告書によると三好長慶自身もヴィレラを京都立売町の三好邸にて引見し、布教許可の制札を与えたと言う。朝廷や公家・寺社など、いわゆる権門がキリシタン排除一色に固まっていたのと異なり 長慶には天竺から来たと言う異形の僧侶を嫌悪する事はなかった。さきに義輝が免許を与えたのも長慶の黙許があった為と言われている。とまれ、将軍、長慶らの布教許可と保護は迫害に泣かされていたヴィレラとキリシタンの人々に大きな希望を与えた。~中略、逸話まとめの結城弥平次のキリシタン改宗と久秀の話が間に入り結城氏らを受洗させた後、ヴィレラは飯盛城に三好長慶を訪れた。フロイス『日本史』によれば~国主は彼を大いなる愛情と慇懃さをもって迎え、ゆっくり聖なる副音の説教を聞き長慶『確かにこのキリシタンの宗門のことは、すべてが余には非常に良いものと思われる。 余は出来る限り、教会とキリシタン宗団を擁護しよう』と述べた国主がこのように好感を抱いたので、その家臣(結城)達ははみな、非常に慰められ意を強くし安堵した~ と記されている。このように長慶自身の言葉を直接記したものは、長慶自筆の書状以外極めて珍しく 西洋の記録であるからこそ残ったと言える史料である。いずれにせよ、長慶が久秀と異なってキリスト教に理解と保護を示していた事は明らかである。しかし長慶自身の精神生活は法華宗の熱心な壇徒であって、また酒井南宗寺・笑嶺宗?に参禅する仏教信仰が基本生活であった。流石は長慶のバランス、当時の宗教勢力全て網羅してるわ。
13 :人間七七四年:2012/08/11(土) 20:53:40.75 ID:8bqWtjVd
織徳同盟成立時の会話信長さん「徳川殿は三河から東を平定し、ワシが尾張より西を平定する。さすれば天下はわけなく手に入るであろう。 天下平定の後、互いに敵対することになれば、 新田、足利の二の舞になるから、もし織田が先に天下を取れば、徳川氏はこれに従い、 徳川氏が先に天下を取ったなら、織田氏が臣従することを約束しようではないか」『武徳大成記』
15 :人間七七四年:2012/08/11(土) 22:17:00.61 ID:iu2O5qkN
まあいかにも、関東の江戸が「天下」になった江戸時代に作られた逸話だわな。
ただ信長って実際にも、自分の利益に則している限り、こういう調子のいいこと平然と言える人物ではあるねw
39 :人間七七四年:2012/08/12(日) 14:10:08.06 ID:H3sHZBmV
40 :人間七七四年:2012/08/12(日) 14:12:49.63 ID:H3sHZBmV
40 :人間七七四年:2012/08/12(日) 14:12:49.63 ID:H3sHZBmV
伊達家の嫌がらせに機転を利かせて対処した立花家家臣・小田部土佐守統房を覚えているだろうか。ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3922.html
嫁入り道具の入った長持を中身を取り出して片っ端から叩き壊しすべて立花屋敷に運び入れることを成功させた男である。伊達家と立花家(というか小田部個人)との間にはまた違う話が残っている。小田部土佐守は非常に長い刀を佩いていたらしい。どれくらい長かったかというと、鞘の先に車を付けて歩いていたとか。 (『キテレツ大百科』のコロ助みたいな感じか)ある日、小田部は主君の命によって伊達屋敷を訪れたことがあった。ある伊達家家臣が、小田部が長い刀をコロコロと転がして歩いているのを見つけ、「あんな長い刀は見かけ倒しに違いない。実際中に刀なんて入ってねえんじゃねえの?」ということで、鞘の先を割って見せて小田部に恥をかかせようとした。どういう手を使ったかは不明だがその家臣の企みにより鞘の先を壊すことに成功。さて中身は・・・・・・あった。ちゃんと入っていた。割れた鞘の先から長い刀の先端がはっきりと見てとれたのである。小田部は鞘を壊されたことに気が付いていたが、素知らぬ顔で伊達家の屋敷をあちこち歩き回ったため、 屋敷の廊下は傷だらけ、畳はズタズタに。しかし伊達家側は何も言えなかった。そう仕向けたのはこちらの方からだし、 小田部の室は宗茂の妹、一門衆レベルの重臣だったからだ。伊達家にとっては悪い話だが、小田部土佐と立花家にとっては度重なる嫌がらせから難を乗り切り、家格とプライドを守った良い話。たぶんだけど、先の嫁入り話とセットの逸話なんじゃないかと思う。
41 :人間七七四年:2012/08/12(日) 14:19:30.97 ID:bBm4N04W
>>40
これは……いい話か?
嫁入りの話とセットならこういうのは拙い気がするが
42 :人間七七四年:2012/08/12(日) 14:39:11.22 ID:GrvMTl4U
まあ意趣返しだから戦国時代的には天晴れちょっといい話なんじゃないかな
鞘を自分で改良して突き出た刃先で他家の畳をザクザクしてたら
その場でなにをされても仕方がないDQNだがw
45 :人間七七四年:2012/08/12(日) 16:16:49.67 ID:0fNYdcsx
思いついたことはやってみずにはいられない家風が染み付いておる
50 :人間七七四年:2012/08/12(日) 18:34:09.16 ID:LeQbGag9
徳川家康が関東に入部した後、鎌倉八幡宮は神領千石を与えられた。もともと八千石だったものが大幅に減らされたことに神主は嘆いて家康に訴え出いたが、家康は用いようとはしなかった。そこで神主は上京し、豊臣秀吉に訴え出たため、家康は村越茂助直吉を 派遣した。この時、家康は自分が着ていた獺虎の羽織を直吉に与えた。すみやかに上京した直吉は与えられた羽織を着て秀吉に会おうとしたが、 その格好はあまりにも失礼だと止められ、市井で麻の上下をかりて秀吉の前に出た。まず、社人が「この社は草創よりこの方、源家代々の崇敬があり~」と先例を語り始めた。しかし、直吉は口をあけて興味なさげであったので、 秀吉が「お前はこの者の話を聞いているのか」と問うと、直吉は 「もう一度お聞かせください」と言ったので社人はまた同じことを話した。直吉は話を二度聞くと「なるほど、それは尊いことでございますね。しかしながら、この直吉を始め家康譜代の者は三河以来、毎年の戦で今日は討死するか、明日は血をそそぐかと朝夕苦辛してこのように僅かな禄を 得ております。 しかるに、関東へ移ってまだ間もない時期に、空手にして千石の神領を賜るとは、家康はあまりにもうつけな沙汰をしたものだ。…と、私には思われます」と言った。これを聞いて秀吉は大笑いし「いかにも直吉の言うことが道理である。 家康もそう思ってお前をよこしたのであろうな。いずれわしが家康と会って とりはからうとしよう」と言ってそのまま両人を帰したという。――『徳川実紀(兵家茶話)』
51 :人間七七四年:2012/08/12(日) 19:30:10.95 ID:terbYSli
いかにも三河者らしい対応っすね~
53 :人間七七四年:2012/08/12(日) 21:57:21.85 ID:Diz7laHZ
獺虎って何のことかと思ったら、ラッコかよ。
このころの日本にラッコの毛皮なんて入ってきてたのかねぇ。
54 :人間七七四年:2012/08/12(日) 22:08:45.92 ID:Z6a39VNJ
>>53
平安時代に中国東北部にあった渤海国からラッコの毛皮がせっせと送られてきて、日本では使い道に大変困ったらしいw
71 :人間七七四年:2012/08/13(月) 21:36:00.63 ID:MZsX/QvQ
天正12年(1584)、「龍造寺隆信、沖田畷に死す」の報を受けた大友宗麟は、次男親家・三男親盛へ龍造寺氏に奪われた筑後の平定を命じた。二人は筑後の各城を攻略していったが7月、猫尾城を攻めるに及んで戦線は膠着。数十日経っても好転しない事態に、宗麟は立花道雪・高橋紹運の両将に援軍を要請した。8月18日、猫尾城への急行・奇襲を目指し居城を発った立花・高橋勢が夜を迎えたところで、高橋家の家臣が紹運に申し上げた。「もはや夜半を過ぎ、月も傾きました。このまま進めば、筑後川辺りで夜が明けまする。明るい日差しのもと、 見通しの良い河原端を敵中行軍するのは、いかがなものでしょうか?」「ならばその事、道雪殿に相談して参れ。」紹運よりの使者・萩尾大学が口上を述べ終わると、道雪は板輿に乗ったまま口を開いた。「ああ、早く夜が明けぬものか?!我らを見つけて寄せる者、みな撫で斬りにしてくれようぞ!!」興奮した道雪は板輿の縁を叩き出し、あわてて自軍に戻った萩尾は、「つまらぬ使者をして、恥をかいたではないか。」とグチをこぼした。(常山紀談より)結局、両将は強行軍を敢行。途中、本当に筑後川の河原で城方の物見に会ったり、秋月勢と交戦したりするも これを蹴散らして猫尾城に到着。9月1日には城を落としてしまったという。
まあ、これを見た親家・親盛が「ツマンネ。あとは二人でよろしく」とグレて帰ってしまい、老体をおして
筑後国を転戦せにゃならなくなったベッキーは翌年死んじゃうのですが・・・
72 :人間七七四年:2012/08/13(月) 21:43:48.89 ID:P5RY1qih
ツマンネといった親家・親盛にベッキーがあきれた話
(まとめスレの関連リンク用に)
73 :人間七七四年:2012/08/13(月) 21:59:17.34 ID:pO2U2TVn
カミナリ様の心意気を示すいい話なんだろうがソーリンの倅どもは本当に…
84 :人間七七四年:2012/08/15(水) 13:31:28.86 ID:9/8v8C50
尼子氏と言えば、大河ドラマ『毛利元就』の影響から緒形拳の尼子経久で知るか。
『信長の野望』で戦闘能力は高いが知謀があり得ない程低い尼子軍団を思い浮かべるか…
そして尼子再興軍の事になると、どうしても山中鹿介の存在感が大きく鹿介ありきの再興軍に見え毛利氏に負け続きで、鹿介の七難八苦発言もあり尼子再興軍=鹿介=ドMとネタにされる始末再興軍のリーダーである尼子勝久はただの神輿か何をやっていたか良く解らない人もいるかもしれない。
立原久綱や山中鹿介に持ち上げられて本人にその気は無かったんじゃないかor人質の尼子義久からしたら堪ったもんじゃない、などの意見もある。
出典は『陰徳太平記』で資料としては改竄もあり必ずしも1級資料とはいえないが、尼子勝久の言葉を記しているものがある
舞台は1578年、播磨国において、毛利軍と羽柴軍が鬩ぎ合いをしていた前線の要であった上月城にいた尼子再興軍に織田信長は撤退を促したが(見捨てたとも)尼子再興軍は敢えてこの場に残る事を選んだ。尼子勝久は降伏し、その時に家臣に伝えたとされる言葉がある。尼子勝久『法衣をまとって一生を送るべきはずであった自分を一度は尼子の大将にしてくれたことを感謝する。 今後は命を永らえ、命を大切にするように』享年26歳 尼子勝久はタダの神輿ではなく紛れも無く武士であった逸話の信憑性はともかく、この勝久の言葉があるからこそ尼子再興軍が徒花とならずに済んだと言えるだろう。
86 :人間七七四年:2012/08/15(水) 15:52:35.81 ID:GUXbvUuR
このコピペ思い出した
鹿之助「勝久殿、勝久殿は尼子家を最高する石はお持ちでござるか」
勝久「えっ」
鹿之助「尼子家最高の石でござる」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「勝久殿はまだお若いですからな。 …それに勝久殿の境遇を考えれば仕方のない事か」
勝久「いくつになったらもらえるんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「としをとればもらえるということなんでしょうか」
鹿之助「何がでござるか」
勝久「最高の石が」
鹿之助「いえ、最高の石とは人から譲り受けるものではなく自らが生むものでござる」
勝久「なにそれこわい」
鹿之助「えっ」
勝久「うむのはいたくないんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「ああ…確かに我々には七難八苦があるでしょうがその先にあるのは尼子家最高でござる」
勝久「そうなんだすごい」
鹿之助「……勝久殿、どうか我々に力を貸してくださらぬか」
勝久「なんだかおもしろそうだからいいですよ」
鹿之助「おお勝久殿、ついに尼子家を最高する石を持ってくださったか!」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
88 :人間七七四年:2012/08/15(水) 18:55:44.44 ID:tdBm0c4/
連休最後に図書館行ってきたんで小ネタを
北条氏長が徒歩頭の時、家光が板橋のあたりで狩りを行なった。思いのほか大猟であり、家光は氏長に獲物(鹿)の数を数えるよう命じた。しかし辺りはすでに暗く、獲物の数も多いので簡単には数えられない。どうするべきか…そこで氏長は鼻紙を切り、その数をあらかじめ数えたうえで組の者に渡し、その紙を1枚づつ鹿につけさせた。全てつけ終わったところで、残りの枚数から鹿の数を割り出し、家光へ報告した。みな氏長の考えに感心したのであった。『名将言行録』より
非常に既視感を覚える逸話ですが…一応良い話ということで
あと薄暗い原っぱに敷かれた大量の鹿というのも想像すると不気味ですね
89 :人間七七四年:2012/08/15(水) 21:37:30.11 ID:APcVaHzw
>>88
板橋にも鹿がいっぱいいたのかー
92 :人間七七四年:2012/08/15(水) 23:30:34.05 ID:PuZaOFjy
>>89
練馬なんて戦後までド田舎と言うか東京とは名ばかりの田園地帯だったそうたし、
江戸時代は渋谷とかも規模は村であり今みたいな繁栄はしてなかったそうですからね…
96 :人間七七四年:2012/08/16(木) 01:51:08.53 ID:gWlFiXHT
武者奉行である大将は合戦の際、絶えず前方にいるべきだ。敵の首を取った者、怪我した者、そういう知らせが大将のもとに来る。大将が前におれば、それだけ前面の備えは厚くなって強くなる。もし大将が後方にいた場合、先陣の兵も知らぬ間に後方に集まり、ちょっと敵に攻められると、おじけついて、我先にと逃げてしまうものだ。『朝倉宗滴話記』より
あなただからできるんだと思うんですが…
転載元
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
戦国時代のちょっと悪い話 【黒田如水と桂菊右衛門】
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話 『鳥羽僧正、絵の描き様問答の事』
おすすめの戦国時代の小説 【化粧槍とんぼ切り】【天正十年夏ノ記】
歴史研究24年。光秀=天海だけはガチだと思うのだが。
知ってる? 戦国時代のトリビア その1
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戦国ちょっといい話34
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