42souseikou

毛利敬親

家臣の意見に対して異議を唱えることが無く、常に「うん、そうせい」と返答していたため「そうせい侯」と呼ばれ、一部に政治的には賢明な藩主ではなかったとの評価もあり、幕末の四賢侯にも数えられていない。藩政は家臣任せだったが、重要段階では必ず自ら決断した。 



1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 16:19:09.68 ID:dYD1ftaf0
そうせい侯を語りましょう 




 


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3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 20:05:45.87 ID:c9ssrPKQ0
そうせい 




7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/21(水) 20:37:15.36 ID:HKY5v7C+0
おっとりした優しい殿様なイメージ 

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/22(木) 08:47:04.75 ID:TELeVPFM0
いつも息子とセットだよね 
残ってる写真もツーショット 




2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 19:42:09.69 ID:dKtUsygN0
幕府の敵 




6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 13:31:17.17 ID:tW+mkROT0
こいつのwikiの記述酷すぎるね。 
藩主であるこいつの事は何も書かれずに 
淡々と、長州藩のことし書かれてない。 
長州藩=こいつ じゃねぇのに・・・ 








11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 00:28:57.12 ID:IiNhY98p0
日本史上彼ほど寛容で器のでかい人物もなかなかいない 

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 19:00:50.43 ID:fXyO9wK70
部下が優秀だったのが幸いだった、それだけの事。 

実際の話、こいつのような「よきにはからえ」的な殿様は多かったしな。 
もし長州が敗者だったら「統率力ゼロのバカ殿」ってな評価だったろうな。 
分かり易くたとえるなら、成功した三国志の劉禅ってとこかな。 

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 19:06:02.24 ID:RZqWakYl0
少なくとも余計な事をしない分どっかの容保より余程偉いなw 

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/27(火) 06:44:29.70 ID:TdEjS7OX0
大村を抱き込んだのだ長州 毛利敬親の功績 

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/09(月) 18:30:35.27 ID:7nigUVxw0
理想の上司 

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/10(火) 00:23:26.40 ID:lzyUuf1A0
木戸孝允の幸せは長州に生まれたこと。真木和泉の不幸は長州に生まれなかったこと。 
田中惣五郎著『木戸孝允』より 

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/10(火) 19:07:42.31 ID:SIMG22KX0
徳川家慶は趣味に生きた将軍で、政治を省みなかった。 
家臣の意見を聞いても「そうせい」というのみであったから、『そうせい様』と呼ばれて暗愚と見られている。 

…毛利敬親は名君扱いされ、徳川家慶は暗愚扱い。 
やってる事一緒なのにね。 

敬親と家慶の違いは、ひとえに手下が優秀だったか否か、 更に言うなら維新で勝者の側になった毛利家にいたか、最終的に敗者の側になった徳川家の人間だったか、だろう。 

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/10(火) 19:42:39.70 ID:yiZax+XG0
部下が優秀なら自分は何もしないで部下に任せたほうがいいが。 
部下が無能なのに全て部下に任せていたら国が滅ぶ。 
幕府の場合はどっちかわかるよな。 




21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/13(金) 13:51:15.66 ID:4XVnkTt90
長州の財政改革の紆余曲折を追っていくとわかるけど 
下級武士にも財政の情報を開示して意見を募ったり 
こっちのグループが失敗したらあっちのグループ、あっちが失敗したらまたこっちと 
人材が持つ可能性を極力潰さない路線でいったのはこの人の功績だと思うんだよね 




24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/26(木) 09:05:26.90 ID:5dUfBpBa0
英君というのはさすがにどうだ 

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/27(金) 02:00:11.98 ID:Nx1L2A2H0
優秀な人材を見出して積極的に登用し物事を任せる寛大さと判断力は卓抜してるだろ 
寧ろトップたるに相応しい人物の好例 

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/27(金) 08:29:19.88 ID:Wsj7tOgT0
廃藩置県にしても率先して領地返納する意志を示したらしいし、ただの凡人とは言いがたい部分は確かにあるんだよな 
物はよく見える人だったんじゃないかな 

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 15:55:12.15 ID:E8aHCaTX0
人材抜擢力と人材育成力がすごい 
初代総理大臣になってもおかしくない器 

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 21:49:30.00 ID:NNW0BnSi0
藩主になってすぐに村田清風を抜擢した事が一番の功績 
清風が財政難の藩を立て直し天保の改革を推し進めてくれた 

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/30(土) 13:50:07.48 ID:f48nmbKF0
そうせい 

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/01(日) 12:45:12.37 ID:jyUS9E2k0
本人が引っ張ってくタイプじゃないし才能とかも良く分からないので英君とは評し難いが 
人を見る目と、途中でヘタレずに藩政改革を守った点は評価できる 
あと藩内内戦時の粛清を出来るだけ少なく留めた辺りも 
藩内での粛清と報復は、水戸や対馬みたいな悲惨なことになる例もあるので 

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/08(日) 22:21:22.19 ID:YEgmzjIzO
水戸藩と土佐藩はそれが原因で出遅れましたからな 

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 13:31:40.32 ID:TA5zulFZ0
確かに 

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 21:36:55.88 ID:UwPKooF70
高杉も吉田も殺さなかつたしな 

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/19(日) 09:09:13.27 ID:v7nejNpSO
水戸は本人どころか関係ない家族まで殺したもんな 
長州は家族までは手を出さなかったし、俗論派への報復は椋梨の首一つで済んだ 
土佐もお家取潰しはあっても殺害まではしてないよね 


36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/22(水) 22:32:12.32 ID:Mn0KTQTd0
そうせい候の智謀 




37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/25(土) 16:50:44.75 ID:lCy2GpjP0
例えるなら漢の劉邦だろう。 
本人は戦下手でも韓信を使いこなした。 
結局は天下を取れる才は個人の能力の過多ではなく 
どれだけ上手く人を使えたかなのだ。 
項羽はあれほど強くとも劉邦には勝てなかった。 
今の世の中でも優秀な個人と優秀な個人をたくさん使いこなせる人は異なる。 
将の中の将とはそういうこと。 







転載元
長州藩主 毛利敬親
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1331277549/ 







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