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1 :人間七七四年:2012/08/14(火) 19:13:27.50 ID:90iWq5dq
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう 




10 :人間七七四年:2012/08/16(木) 17:28:57.57 ID:tme3h6f2

ある時、徳川家康がオコリになったことがあり、様々な治療を試みたが効果がなかった。 
そんな時に病を治すことができるという者がいて、家康の病を治すために呼び出された。 

ところがその者の治療法というのが珍妙であった。まず、その者は屏風の陰に立って 
「さあ参るぞ参るぞ」と言うので、家康は「何をするつもりだ」と笑った。 

すると今度は丸く括った帯を蛇のようにして投げ出したので、家康はただ可笑しく思っているだけで、病気はまったく治らなかったということだ。 

身分の低い農民などの療法を家康のような高貴な人に使って、病気を治し大手柄を立て ようと考えるとは、滑稽な話である。 

慶長五年の七月頃に家康はオコリになったというから、これはその頃の話であろう。 

――『徳川実紀(古老夜話、武徳編年集成)』 



12 :人間七七四年:2012/08/16(木) 17:59:07.21 ID:Vp2XNNtA
こういうインチキ治療師が来た時、家康だからケタケタ笑ってるけど、 
信長だったら世を欺く輩と言って成敗するんだろうな、と思うと 
そのあたりがいい悪い別にして、君主としての違いにもつながるんだろうな、とか感じた 




転載元
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/ 



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61 :1/2:2012/08/19(日) 13:17:21.55 ID:YECCYDjF
聚楽繁栄の時分というので、天正の16~20年頃であろうか。黒田家においては如水より、家中の者に 賭博の禁止を、厳重に申し付けた。 
ところが桂菊右衛門と言う無足の者、法度にも関わらず毎晩他家に忍び出て博打を打っていた。 

ある夜の事、菊右衛門は博打に勝って金・銀・刀・脇差など数多を取り、これらを雨羽織に包んで 
打ち担いで帰る道、夜も明けようとしていた。 

この道は如水が出仕のため通る道であり、行き合ってしまっては都合が悪い。如水が出仕の前に 
帰ろうと道を急いだ。仮に行き合い、問い詰められたら、博打打ちに行ったわけではないと言い訳しよう。その様に考えながら前の方を見ること無く急いでいたら、町の境目で バッタリと行き合ってしまった。如水と。 

菊右衛門大慌てである。心の準備もないまま出くわしてしまったのだ。パニックになった彼はかの刀を担いだまま這いつくばり、聞かれもしないのに大声でこう叫んだ 

「私は博打を打になんか行っていません!!!」 

如水は、何も聞かなかった体で菊右衛門の横を通り過ぎた。 


さて煩悶この上ないのが菊右衛門である。 
「なんてことだ!あんなに取り乱してしまって、どうしようもないではないか! 
この間法度を厳しく申し付けられたばかりだというのに…。きっと私は切腹を申し付けられるだろう! 
こうなったらもう是非に及ばない。菊右衛門の奴は狼狽えてたわけたことをしたと、死後にきっと 
馬鹿にされる!返す返すも無念だ。…どうしよう?」 

そう思い悩んで長屋に帰り、すっかり草臥れていたのに寝入ることも出来ず、布団を打かぶって 
まじまじとしていた。きっとガタガタ震えていたのだろう 

さて、菊右衛門の大胆な告白を目の当たりにした、如水の出仕の時に供に付いていた者たちは 
「おいおい何てことだ?コレはどうなっちゃうんだろう?」と、如水の出仕中座り込んで 
囁きあった。 
「絶対只じゃ済まないぞ。この間の博打禁止の法度は、普段よりも厳しく申し付けられた。 
切腹は疑いようもないなあ…。」 

そう考えると不憫に思い、供より帰ると直ぐに菊右衛門の部屋に我も我もと見舞い、さて、これからどうしようと話し合ったが、皆意見はまちまち 

「とにかく逃げ出す以外はない!仰せ出される前に逃げろ!」という意見に菊右衛門 

「いやいや、逃げ出すなんて出来ないよ。今朝すぐに逃亡しておけばどうって事も無く逃げ切れたの 
だろうけど、あなた方が帰られ、こんなふうに相談してから逃げ出したら、あなた方が後から必ず詮索を受けるよ。そうなったら私の逃亡先はバレて、またここに戻らされるだろう。もう、とても逃れられない道だ。切腹を申し付けられたら外聞が良いように斬らせてくれ。」 

そう行って逃げないことに決めた。傍輩達への信頼感はゼロである。しかし傍輩達 

「そう思うのも理屈だけど、お前が逃げちゃえば、上から詮索受けても俺たち随分凌いでみせるぜ? それでもどうしてもダメだったら、ま、その時は出てきて腹を斬れ。 そうした方が武士の手柄としても上だろう。さあ、急いで逃げる準備をしろ!急げ急げ!」 

そんな風にしている所に突然、如水より御側衆の緊急の呼び出しがかかった。 
すわ何事か!?何が起こったのか、もしや早くも菊右衛門の切腹の事かと口々に悔やみつつ、取るものもとりあえず駆け出し集合してみれば、何のことはない、中間たちに居間の庭に竹垣を結ばせたが、その結び様の手際が悪く、あれをほどいて手際よく結び直せ、との仰せ付けであった。 
さては菊右衛門の事ではないと何れも安堵した。 
 その頃菊右衛門は、切腹の仰せが今か今かと固唾を飲んで、部屋で(多分布団をかぶったまま) 
ガタガタ震えていたが、一人走り戻ってきて 
「博打のことじゃないぞ!垣を結べという事だ!」 
と報告したので、菊右衛門、そして一緒に残っていた者たちはホッとして大息をついた。そして菊右衛門 「こういう仕事にはいつも出ている私が、ここで引き込んでいるというのも良くないだろう。 もう手討ちにあってもしょうがないさ。あなた方と一緒に行くよ。」 

と言い出したので、傍輩たちも「それも尤もだ」として共に竹垣の直しに向かった。 

さて、如水は居間の縁側からそれを見つけると「菊右衛門!菊右衛門!」と高々と呼んだ。 
傍輩達はこれに
『すわ、博打の事だ!不安だなあ。だけども如水様は家来を手討ちにはしない人だ。その上 他家での手討ちをいつも批判しているほどなので、まさかここで私が手討ちにされることは無いだろう。いつもみたいにしたたかに叱りつけると言う事なのだろう。上手く行けばここで、この件に関しては埒が明くぞ!』 
そう思いながら尻目に見ていると、菊右衛門はいかにも近くまで呼びつけられ何事か囁かれた。 

傍輩達『これは博打のことではない。何か隠密の用でも仰せ付けられるのか? それとも如水様は彼の常日頃の心立てをよくご存知なので、菊右衛門に直に申して、埒を明けて 下さるのだろうか?おや?菊右衛門も何か申し上げているぞ?多分博打のことだな。如水様が申し開きを聞いてくださっているのだ。あら嬉しや』 

そう囁き合っているうちに、如水から 

「竹垣を直し終わり、掃除をしたら皆々帰って休め!よく骨を折ってくれた。上々の竹垣である。これには気に入ったぞ!」と、悦びを伝えた。 

彼らは庭を出るやいなや菊右衛門に「何事を囁かれたのか!?」と尋ねた。すると菊右衛門 

「あの事ですよ。お前、昨夜は博打を打にどこに行ったのかと聞かれたんだ。 どこどこの殿の家中に参りましたと申し上げると、
『どうやら勝ったようだな。刀、脇差の他、金をどのくらい取ったのだ?』 
私は五百目程取ったのだが、如水様の常日頃の気質を知っているので 
『一貫目あまりだと思います。今朝からは殊の外悩み苦しんでいたので、金ももはや要らぬものと思い 打ち捨てていたので詳しくはわかりません』 
と申し上げた。すると如水様は手を打って喜ばれ 
『先ずは勝ったか!でかしたぞ!しかし小金を要らぬものと思うのも当然だ。法度を厳しく言いつけたのだから、 お前のやったのは近頃は危ないことだ。 まあ、お前が今朝のようなたわけた事をしたのも、法度を常々恐ろしく思っているゆえだろう。 それ程に思っているのなら、今後はいかなることも法度に背いてはならぬ。 良いか、何でも物事というのは、良い事の次には悪い事があるものだ。勝った時はしっかりとそこに留まれ。 お前の身体にとって昨晩の勝ちは重々しいことだ。今後お前の身代が擦り切れたと聞いたら、罰を 与えるぞ!構えて構えて、博打を打ってはならぬ。むざむざと物を人に与えて、身代が擦り切れないようにせよ。』 
そう、念を入れて仰っられたのだ。」 
菊右衛門ははその仰せを肝に銘じ、誓紙にするまでもなく、博打をやめた。 

その後彼は如水より知行を与えられ、身体に過ぎる富貴を得、年老いて子に知行を譲り、一生楽をして 80歳に及んで死んだという。 

桂菊右衛門が博打のバレた顛末、についての逸話である 
(古郷物語) 







95 :人間七七四年:2012/08/22(水) 09:58:04.87 ID:gIVvrAPU
夏らしくこんなお話 

ある時、三の丸にて不義密通をしたものが出たので、鍋島直茂は詮議の上、男女とも死罪とした。 
ところがその後、この男女の幽霊が毎晩現れるようになり、城の女中衆は怖ろしさのあまり、夜になると部屋の外には出ないほどであった。 
この様なことがしばらく続いたので、御前様(直茂正妻・陽泰院)に申し上げたところ、慰霊のため祈祷や施餓鬼などをするよう仰せ付けられたが、これらをしても幽霊の出現は止まなかった。 

そこでついにこの事を直茂公に申し上げると、直茂公はこれを聞かれて 

「さてさて、なんと嬉しいことだろうか。あの者たちは首を斬っても足らないほど憎き者たちであった。そうであった所に、あの者たちが死んでも 行くべき所にも行かず、迷い廻って幽霊となり、苦しみ続けているというのは実に嬉しいことである。 なるほど、かまわないからずっと幽霊としてこの城に居ればよい。」 

すると直茂がこう言ったその夜より、幽霊は出なくなったそうである。 
(葉隠聞書) 

幽霊よりもずっと恐ろしいのが戦国大名なのだ 

96 :人間七七四年:2012/08/22(水) 10:16:10.99 ID:IMOYF7SG
直江も真っ青やなw 

97 :人間七七四年:2012/08/22(水) 10:19:53.88 ID:g0PnSKOF
化け猫も出たようですが、 
と言われたらどんな返しをしたんだろ 





46 :人間七七四年:2012/08/18(土) 14:04:03.68 ID:q5nYetVq
権現様(徳川家康)は(将軍職を秀忠に譲って)駿府に移られる際も、万事質素に隠居成されたため、御他界なさるまでに百萬両に達する貯金を作られた。 
その内から尾張殿と紀伊殿に三十万両づつ、水戸殿へ十万両を御遺金として進呈され、残りの三十万両は 江戸の御金蔵に入れておくべきか伺いを立てたところ、そのまま駿府に残しておくように、とのことであった。 

大納言忠長卿(秀忠次男)が駿河を拝領された時、この三十万両はおそらくお城に付いているものであると 皆思っていたが、この資金の所属についての明言がなかったので、忠長は幕府の御金を預かるのは迷惑であると 申し入れ、久野の御宮に御金蔵を作りそこに移した。
これを世間では久野の御金と呼んで莫大な額があるように 言っていたが、ただ三十万両ではなかった。 
それは尾張殿の江戸上屋敷が失火で消失した時の普請料として十万両、紀伊殿の和歌山城普請の時に十万両、水戸殿には三万両を、それぞれ拝借が認められ、その後少しずつでも返済いただきたいと、幕府の勘定方から お願いすると、尾張殿からの返答は 
「私が拝借した御金はもともと権現様がご隠居料の中から貯えられたものであり、ご他界された時、遺金として我々兄弟三人への御譲金の残りであり、それを我々が拝借したのだから返納する必要はない!」 
と拒否し、紀伊殿、水戸殿も拝借金に対しては沙汰無しとなってしまった。 

当時はその他の大名衆にも拝借金が認められていて、それぞれの借金は決まった通りに必ず返済されていた。 
ところが伊達政宗の借金返済が滞ったので、これまた幕府勘定方より催促したところ、陸奥守忠宗からは 
「私の代では拝借をしておらず、亡父政宗の代に借金があったとのことですが、どういう経緯で借金をしたのか 今は解りません。親の代に借りた御金ですから、親が生存しているうちに返上を申し付けられるべきなのにその時は放置しておいて私に返上しろとは、全く迷惑な話です!」 
 
そう言って返済しようとしない。 
また譜代大名の松平越中守の方でも拝借金返済が滞っており、これにも勘定方から催促すると、越中守は
「前に拝借した時、私の方からさし上げた証文があるはずなので、それを見えてもらえるか?」 
と言うのでこれを取り寄せると、越中守はそれを見て 
「うむ!私の覚えているとおりだ!皆もここに見えているように、『御貸し下され有難く存じ奉る御金の事』と書かれている。 
これは『拝借を仰せ付けられた』とは私の解釈では『拝領を仰せ付けられた』ということなのだと考え一言書いたものである。 
従ってこれは、返上の必要はないと思う。」 

と、これもまた返済しようとしない。 
この様なことがあったので、幕府からは今後もう、諸大名への拝借金は認めない、と言うこととなった。 
(駿河土産) 

言を左右にして何とか借金から逃げようとする大名たちのお話である。 

47 :人間七七四年:2012/08/18(土) 14:15:07.86 ID:XzgT6NJu
これが武断政治の実体か・・・ 

48 :人間七七四年:2012/08/18(土) 14:17:17.73 ID:uY5jsbIY
ジュニア世代も立派に育ってるなぁ、感動した;; 

49 :人間七七四年:2012/08/18(土) 14:30:28.20 ID:HjX195iS
福島正則の改易とか結構厳しいイメージがあったから意外だった 
借金を理由に伊達を取りつぶせばよかったのに 
抵抗したら奥州征伐で。あの時代の武士って戦無かったからちょうどいい演習になるしな 

57 :人間七七四年:2012/08/19(日) 03:45:56.60 ID:wK/xOXfA
犬千代さんなら追込み掛けるんだろうな… 

58 :人間七七四年:2012/08/19(日) 04:00:28.72 ID:VzY311M/
犬千代さんなら政宗が死んだ段階で借金の証文を燃やすだろ 

59 :人間七七四年:2012/08/19(日) 10:06:15.52 ID:+GSIWw/p
まつ「うちの旦那なら…」 





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【自由か】世界史に残るカリブの海賊【死か】

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