1 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 19:17:56
坂本龍馬、中岡慎太郎、板垣退助、幸徳秋水、岩崎弥太郎、武市半平太など高知は偉人の宝庫 

 84ryoma





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2 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 19:42:36
幕末やないけど、長曽我部元親吉田茂も偉人だ。 
 
10 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 01:06:20
>>2 
吉田茂って高知出身なんだ? 
初めて知った 

11 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 16:18:20
>>10 
親が高知出身なだけで本人は横浜 




3 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 19:53:15
東条正敬もいるぞ。 
知らなかったらGoogleってみてくれ。 

13 :日本@名無史さん:2010/09/21(火) 19:39:21
>>3 
亀レスだがググッたら自称警備員と出たぞw 
ザマーw 





4 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 20:07:19
薩摩、長州、土佐は偉人多いよ、地味だが肥前も侮れない。 




5 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 21:08:22
高知といえば浜口雄幸だろ 


濱口 雄幸[1](はまぐち おさち、1870年5月1日明治3年4月1日) - 1931年昭和6年)8月26日)は、日本大蔵官僚政治家

76hamagutiokiti

官僚出身でありながら、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、謹厳実直さも相まって強烈な存在感を示しつつも大衆に親しまれた首相が濱口雄幸である。 



6 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 21:08:46
広末涼子もね 

77hirosueryouko








12 :日本@名無史さん:2010/09/21(火) 18:18:12
今の時点で高知県に住んでる奴は無能な奴ばっかだよ、有能な人材は本州へ脱藩していく。 






16 :日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:31:52
中江兆民、植木枝盛、幸徳秋水などは、 
天皇主義者からみれば、偉人どころか反逆者だろ。 







18 :日本@名無史さん:2010/09/23(木) 23:14:42
やっぱ、進駐軍に押さえつけられていたからじゃないか。 
天下をひっくり返すチャンスだと思ったんじゃないか。 

土佐藩は、上士と郷士の身分差別が厳しかったことで知られる。山内家の土佐入封時、それまで土佐を支配した長宗我部氏家臣や郎党等を郷士とし、新たな支配層である山内家臣らを上士としたことに始まる。いわば、徳川家にとっての譜代大名外様大名の差異に近い。土佐勤皇党武市半平太坂本龍馬岡田以蔵らは郷士であり(ただし武市は上士格の白札郷士)、後藤象二郎板垣退助谷干城土方久元らは上士である。


19 :日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:31:00
でも板垣後藤のように上士からも人材は出ているネ 

自由とは何か?板垣死すとも自由は死せず ナルキッソスの黄昏






28 :第二の静岡県 愛のエメラルド:2010/10/03(日) 21:59:44
静岡県民の血が入ることによって 
土佐の血が活性化しました。 
藩士は静岡県。郷士は土佐土着民。 

29 :日本@名無史さん:2010/10/11(月) 19:49:18
>>28 
確かに幕末の時点で土佐人は高知と静岡の混血になってたからな。てことは俺にも 
静岡のDNAが入ってるかも。 

39 :日本@名無史さん:2010/11/02(火) 17:19:30
>>29 
静岡県民だけど高知県民に親近感沸いたわ 
 
95 :日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:16:43.89
>>28>>29>>39 
山内家はもともとは静岡じゃないから、 
掛川時代に新規現地採用した一部の人間を除いては 
たぶんほとんど別のところの人(尾張・美濃・近江あたり?)だろう。 

ちなみに上士(山内)と郷士(長宗我部)がいがみあってたイメージがあるが、 
武市に暗殺された幕末の参政・吉田東洋は長宗我部家臣の家柄なんだねえ。 
吉田東洋の義理の甥・後藤象二郎も長宗我部系ともいえるな。 

96 :日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:15:49.84
>>95 
吉田は山内と縁戚でもあるからな 
武市らと交流し、坂本中岡暗殺後に駆け付けた上士の谷干城も長曽我部の重臣の子孫だな 
谷は西南戦争の熊本城で薩摩士族を退ける訳だから、 
ある意味300年越しで島津に報いたとも言えるw 


 
20 :日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:16:07
山内容堂、板垣退助、土方久元、後藤象二郎、吉田東洋はかなり実力のあった偉人だな 
国を変えるために真剣に議論したし、上士下士など意見が違うものはいれどもその意見はすべて幕藩体制から 
合議制民主主義へと直結する国体の変化を望んでいた。今の政治家とはまるでレベルが違うよ 

22 :日本@名無史さん:2010/09/25(土) 04:54:50
>>20 
土佐派が民選議院設立に動いたのは民主主義のためではないぞ 
薩長主導の政府内で主流派になれなかったからだ
だから議会を設立しそこへ自派の勢力を多数送り込んで主導権を握りたいというのが目的 


その証拠に選挙の度に自派の運動員(ヤクザや書生)に火縄銃や刀を持たせ投票所に行かせていり 
投票所にやってきた投票者を武器で「分かってるな?」と脅し自派に投票させようとしていた 

自由党と進歩党の候補が競う選挙区では運動員同士の銃撃戦や刀争が起き警察が仲裁に入る事件が何件も起きている 






21 :名無し募集中。。。:2010/09/25(土) 03:39:31
直どんこと金子直吉もおるな 

金子 直吉(かねこ なおきち、慶応2年6月13日(1866年7月24日) - 昭和19年(1944年)2月27日)は日本の実業家。丁稚奉公から身を起こし、鈴木商店の「大番頭」として大正時代には三井財閥、三菱財閥をしのぐ規模の企業グループに拡大させ財界のナポレオンともいわれた。


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直吉自身は私財を蓄えることはなく鈴木商店全盛時も借家住まいであり、常に数人の書生に学費を援助し亡くなったときにはわずかな現金しか残っていなかったという。直吉は「鈴木商店はある宗旨の本山である。自分はそこの大和尚で、関係会社は末寺であると考えてやってきた。鈴木の宗旨を広めるために(店に)金を積む必要はあるが、自分の懐を肥やすのは盗っ人だ。死んだ後に金(私財)をのこした和尚はくわせ者だ」と言ったという 









23 :日本@名無史さん:2010/09/25(土) 10:53:12
>>1 
なんか知らんが、そこにはテロリストまで含まれてないか。 


幸徳秋水

79koutokusyuusui


幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代ジャーナリスト思想家社会主義者無政府主義者本名幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件で処刑された12名の1人。 

55 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 10:04:54
討幕成立しなっ買ったらみんなただのテロリスト 





24 :日本@名無史さん:2010/09/25(土) 15:24:16
>>1 
権力のドーナツ化現象かもしれない。中央の京都ではお互い殺し合いしたので優秀な人材がいなくなりやがて ドーナツの輪が薩長土肥という僻地まで到達したのではないか?天皇をうんだ田布施町も山口県の陸の孤島(僻地だし) 
そんなこといったら戦国時代に京都に近い浅井家がなぜ天下とれなかったかというと 
京都に近すぎて無茶苦茶政治利用されてもみくちゃにされぐちゃぐちゃの戦に巻き込まれたからでは?  

25 :日本@名無史さん:2010/09/25(土) 15:38:48
水戸藩のように内部テロが激しすぎて明治時代まで生き残った人間が皆無だという凄い藩があるしなあ。 
土佐藩の特に下級武士団って内部テロみたいな間抜けな行為が少なかったんじゃないの? 
武市瑞山なんかは内部テロの死者だろうけど全滅する水戸藩って異常だ。100年後に群馬県の山の中で連合赤軍が すっかり似た様な内部テロで崩壊したのも何かの縁。 

26 :24:2010/09/26(日) 00:57:08
水戸藩は徳川斉昭だけ生き残り玄孫が天皇陛下になった件 

徳川斉昭→中川宮朝彦→東久邇稔彦→三笠宮崇仁→アキヒト→秋篠宮→ヒサヒト 

27 :日本@名無史さん:2010/10/03(日) 18:13:02
下級武士団がやり過ぎて自滅したあとに上級武士が残ったんや 







31 :日本@名無史さん:2010/10/13(水) 11:20:20
徳川家康が何故、薩摩、長州、土佐を外様にしたかというと、徳川が滅ぼされる恐れがあったから。その予想は見事に的中した。 

32 :日本@名無史さん:2010/10/13(水) 12:36:07
外様大名って、 
関ヶ原以降に徳川幕藩体制に組み込まれた 
大名のことじゃなかったかね? 

34 :日本@名無史さん:2010/10/14(木) 18:10:03
>>32正解 





33 :日本@名無史さん:2010/10/13(水) 15:37:27
偉人といえば東条正敬 

と書こうとしたら既に書かれてたw 







35 :日本@名無史さん:2010/10/17(日) 21:28:33
慶応3年11月15日 京都・近江屋で… 
平成22年10月17日 西宮市・甲子園で… 

すべての高知県人が打ちひしがれてしまった… 




74 :日本@名無史さん:2011/01/23(日) 21:56:03
【龍馬の先を駆けた男】 
  吉村虎太郎。 

吉村 虎太郎(よしむら とらたろう、天保8年4月18日1837年5月22日) - 文久3年9月27日1863年11月8日))は、幕末土佐藩出身の志士 。

82 yoshimuratoratarou


土佐藩の庄屋であったが尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変 





36 :日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:15:50
中江兆民 
植木枝盛 
小野梓 
馬場辰猪 

明治の民権思想家も土佐出身者が多いよ 



37 :日本@名無史さん:2010/10/20(水) 18:54:03
新政府ができるまでは吉田松蔭の影響で長州に明晰な理想の将来展望を持つ者が多かったが 
薩摩長州閥政府ができるとやっかみも手伝って土佐から民権運動に走る人多かったね 
板垣退助は格好つけのポーズかもしれんが華族制度は批判したのは偉い 

38 :日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:21:59
板垣らは土佐藩内で農民や商人も参加できる藩内議会を作ったからねえ 
廃藩置県後の独自の地方議会(土佐州会)では普通選挙を採用した 






44 :日本@名無史さん:2010/11/11(木) 12:33:27
高知東生ほど高知出身であることを高らかに謳ってるやつもおらんな 


83





45 :日本@名無史さん:2010/12/01(水) 22:53:51
高知って森林面積日本一なんだな 


76 :日本@名無史さん:2011/02/01(火) 05:08:28
>>45 
森林『率』だ。 
さすがに単純な森林面積は都道府県の面積が広いとこにはかなわない。 
当然、可住地率は最低な。  

84 :日本@名無史さん:2011/03/03(木) 21:55:48.32
>>45 
山地率も日本一 
山国日本ということもあるが、高知はなんと約90%が山地です。 
平地だって言えるとこなんて高知市や南国市の中心街くらいだよ 

雨も1~3位の常連。晴天の日もトップあたりの常連。 
風は強いか無風か、雨だって降れば強いのばかりの極端な気候w 

昔は一般人にとっては四国山脈によって外との関係が絶たれているようなもんだし 
独特ななんかがあるのかもね。そういや高知人は話してるとすぐ分かるな 







46 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 23:46:35
岡本真夜も偉大な高知県人 





48 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 12:37:05
永野修身 

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吉田俊雄によると若い頃は侠気に満ち、清水次郎長に弟子入りしようとした。海軍内でも常に指揮官先頭で、創意と意欲の塊と言われていたという。また、後年のぶっきらぼうと評された発言に通じる屈託の無さなどは、秀才型の官僚軍人的な海軍大将たちとは肌合いが違っていたという。  」

http://ja.wikipedia.org/wiki/永野修身  




50 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 01:10:00
シンガポールを陥落させたマレーの虎 
山下奉文陸軍大将 


山下 奉文(やました ともゆき、明治18年(1885年11月8日 - 昭和21年(1946年2月23日)は、日本陸軍軍人

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フィリピンで終戦時に作戦行動のための資金を密かに埋めたという伝説(山下財宝)があり、たびたび探索話が出て、M資金のような詐欺事件の舞台になっている。  



51 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 01:17:27
婦人参政権も高知が最初かな 




52 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 02:46:44
高知から有力な政治家や軍人が出たのは 
日本史上でも幕末~明治期限定だよね。 
その後はパッタリなんじゃないの? 

53 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 02:50:06
>>52 
吉田茂 

54 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 09:30:53
>>52 
中谷 元 

56 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 12:38:31
>>52 
薩長土肥のうち山口以外は、戦後はさっぱりだよな 





57 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 18:39:16
片岡直輝 直温兄弟 



58 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 22:13:11
「会津戊辰戦争」の序文は板垣退助が書いているが中立的な視点から会津を批判していて面白い。 
政治的に薩長に負けた立場なので会津の悔しさに共感を示しつつも 
戊辰戦争で藩が一つにまとまっていれば自分たちに負けることはなかったと述べている。 



59 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 23:57:30
土佐は流刑地だったので反骨精神の輩が集まったという説がある 

60 :日本@名無史さん:2010/12/20(月) 00:51:05
反骨精神は 
進駐軍vs土着民な上士下士関係のせいでないかい 

64 :日本@名無史さん:2010/12/21(火) 00:17:02
山内容堂、ジョン万次郎、武市半平太、坂本龍馬、自由民権運動グループ… 
見事にバラバラだが無駄にやる気だけはありそうな面子だ 

65 :日本@名無史さん:2010/12/21(火) 01:21:31
>>64 
東條正敬さんもやる気だけは負けてないですよ。 




69 :日本@名無史さん:2010/12/23(木) 09:44:23
江戸後期だと、お茶運び人形で有名な機巧圖彙(きこうずい)を書いた、からくり半蔵がいる 
以外と土佐にも技術者?が居た 

http://ja.wikipedia.org/wiki/からくり半蔵  











81 :日本@名無史さん:2011/02/06(日) 12:37:26
薩摩長州は作家芸術家を排出してるけど土佐はその方面に人材が出てないね 
・薩摩 黒田清輝、藤島武二、和田英作、東郷青児、有島武郎、海音寺潮五郎 
・長州 狩野芳崖、松本清張、国木田独歩、宇野千代、金子みすず、中原中也、種田山頭火  
・土佐 三浦朱門、安岡章太郎 












106 :日本@名無史さん:2012/01/09(月) 00:14:00.06
幕末あんまり詳しくないけど 
知名度、人気面で坂本龍馬が飛びぬけすぎてて 
他が相対的に小粒に見えるよね 
薩長同盟の裏書きを龍馬ではなく中岡慎太郎が書いてたら 
違った結果になってたかもって書いてた人いたな 








転載元
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284891476/  










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