70fatelima
ファティマの奇跡 当時の新聞記事


317 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 18:59:26 0
近代西洋でも、占いとかオカルト類はあくまでアングラ扱いだが、 
カトリック教会では公式に超常的な奇跡を認めてるよね。 


・・・てことで、本題に戻って。有名な話を。すまんが適当にネット上から抜粋する。 

1916年春頃、一人の少年がポルトガル中部のファティマという小さな村に現れ、 
村の3人の子供(ルシア、ヤシンタ、フランシスコ)に祈り方を教えた。 

1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に謎の婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じた。 
子供たちは5か月の間、毎月彼女と会い、いくつかのメッセージを伝えられた。 

婦人の姿と声は3人の子供たちにしか見えなかったが、 
一緒に行った村人たちは卵型の光る物体が降下してくるのを見たという。 
この話は次第に近隣の町や村へ伝わっていき、最後の出現の日である10月13日には、 
国中から10万人もの人が集まった。 

その日どしゃぶりの雨の中を一万人もの群集が聖母の現れるくぼ地の周囲に集まった。 
熱心な祈りをささげる信者たちにまじって、∃-ロッパ各地からやってきた 
新聞記者や学者、聖職者たちの姿も見られた。 
昼すぎ、小さな白い雲が子ともたちの周囲にわき出て、ゆっくりと空中高く上昇していった。 
と同時に激しく降っていた雨がピタリとやみ、 
空をおおっていた雨雲が割れて銀色に輝く一個の光球が現れた。 
それは急速に回転しながら、無数の光線を放射しはじめた。 
光線は黄、赤、青、紫とさまざまに色を変え、7万の群集に降りそそいで、大地にあふれた。 

「奇跡だ!奇跡が起こったんだ」という叫び声があちこちからあがり、 
人びとの熱狂と興奮の中で一連の「ファティマの奇跡」は幕を閉じた。 
これは、集まった10万人の人々に一部始終目撃された。 


世界史の奇妙で不思議なちょいと怖い話 その1
世界史の奇妙で不思議なちょいと怖い話 その2







ランキング参加しています!
クリックお願いします(-^〇^-)

318 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 19:00:16 0
そしていつもの婦人(聖母)はやはり3人の子どもだけに聞こえる声で、 
この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げた。 


1、悪魔と地獄の現存:多くの人々が悪魔によって地獄へ導かれている。七つの大罪などの罪、 
 特に肉欲の罪から回心しないままでいることにより人は地獄へ行く。 

2、人類の危機:全人類の大半を数分のうちに滅ぼす武器が戦争で使用されることによって、 
 人類が瞬時に滅ぼされる可能性がある。 

3、教皇暗殺の危機:これについては口外されなかった。 
(現在のカトリック教会の公式見解では、1981年のローマ法王パウロ2世の狙撃事件の予言だとされている) 


フランシスコとジャシンタの二人は、6月の聖母マリアの出現の際に、 
もうすぐ天に召されると予言されていた。 
実際にその後、第一次世界大戦終結後に病気で夭逝した。 
最後の一人ルシアは、その後修道女になり、2005年2月13日、 
97歳でコインブラの修道院で死去した。 

ファティマでの事件はその後、カトリック教会によって 
正式に「奇跡」として認められている。 

http://www.cbcj.catholic.jp/publish/roma/fatima/fatima2.html 







217 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 01:33:36 0
↓易経を学ぶ人には有名な話。 

元治元年のこと、佐久間象山は公武合体論と開国論を説くため、 
一橋慶喜に招かれて上京することとなった。 
象山は日頃、易占を行って行動を決していたが、今回は筮を立てようとしない。 
不思議に思った弟子が尋ねても、象山はもっぱら 
「易は心に惑う時にするものだ。今度のことは吉凶問うところでない」 
と言うのみであったが、ついに弟子のたっての望みで占ってみた。 

得た卦は、沢天夬の上爻変。易経には「无號、終有凶」とあり、 
小人が泣き叫んでも遂には殺される、という明らかに最凶の卦。 
しかし象山は動ぜず、駿馬を求めて京へと出立した。 

途中、美濃国大垣にて知人、小原仁兵衛の邸に寄り、大いに歓談した。 
その内、小原氏が象山にふと「今回は易占は立てましたか?」と問い、 
象山が沢天夬の上爻変を得たことを告げると、その場で小原氏は黙してしまった。 

小原邸を発して京都に上り、諸法を遊説して帰国しようとした矢先、 
三条木屋町で、河上彦斎等の手にかかり暗殺された。 


出典は象山の門弟で後の外務書記官、北澤正誠の談話を 
高島嘉右衛門が聞きとったものらしい。 


219 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 19:54:03 0
高島嘉衛右門自身の易では、娘婿の伊藤博文(伊藤の妻は高島の娘)を朝鮮に行く前に占って、 
そのとき出た卦は「艮為山」 
凶だから行くなといった。そして、行くなら、「根」と関係のある人間は近づけるなと言った 
って話が有名だな 


222 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 00:58:10 0
現代についてもいえることだけど、 
易とか占い関係とか、気功とか超能力みたいな話って、 
どれくらい信憑性があるのかの判断が難しいね。 

>>217みたいな話はその場にいた弟子本人が言っている話だし 
それが出版された時にはきっとまだ、当時を知る人がたくさんいたはずの時代だから 
高島某の作り話であるはずはないんだが、、、 

じゃあやっぱり、易ってすごいんだね!と思うか 
たまたま当っただけだろ、と考えるか 
北澤正誠さんが誇張して話たんだろ、と考えるかは 
受け取る人個人の問題になる。 

まあいずれにせよ、江戸末期までの知識人(儒学者)は 
結構日常的に易占をしていたし、 
佐久間象山みたいな開明的な人でさえも、それで行動を決めていた、 
というのは、今から思えば、少し意外な事実だね。 
よく考えれば易経って儒学の聖典だから、当り前といえばそうなんだけど。 

223 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 08:28:52 0
以前、高島嘉右衛門の小説(高木彬光著)を読んだことがあるんだが、 
結局、易で出てくるのは、とても抽象的なもので、それをどう判断するかが重要 

高島は、当時「易聖」といわれた人で、今でも易者が高島を名乗るのはそのせいなんだそうだが、 
結局、当てたのは、本人の判断力、洞察力、決断力の方が大きいと思ったな 

そして、高島自身が、「ことごとく易を信ずれば、ことごとく無きにしかず」なんて言葉を残している 

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/10(金) 12:51:19 0

>ことごとく易を信ずれば、ことごとく無きにしかず 

相当のレヴェルまで達した人間の言葉であるな。 





213 :世界@名無史さん:2010/11/29(月) 22:49:26 O
晋書のはなし 

馮バツ載記より 
井戸が渇して三日後にもとに戻った。 
尚書令孫護の里において犬と豕が交わるということがあり、護はこれを不快に思って太史令ビン尚を召し寄せて占わせた。 
尚が言った「犬と豕が異類どうしで交わったのは性に違いその根本を失ったのであり、乱によって衆を失って敗亡するというものを示します。 
あなたは位を極め、諸弟は皆列侯となって王室を傾ける程になっています。 
妖異が里に出現したのは他家を示していないことであり、あなたは過ちのないよう慎まれますように」 護は黙然として喜ばなかった。 
護の弟伯仁・叱支・乙抜らは才力があり勇をもって知られていたが、待遇の不満を現したために誅殺された。 
馮バツは護を左光禄大夫・開府儀同三司・録尚書事として慰めたが、護が不満を表情に現したために酖殺された。 


216 :世界@名無史さん:2010/12/03(金) 22:02:59 O
晋書のはなし 

南燕の慕容徳は桓玄の敗北を知ると、慕容鎮を前鋒とし慕容【金重】を大都督として歩騎二万五千を授けて出発させようとしたが病気を発した為に取り止めた。 
徳はその兄の子超を長安から迎えていたが到着した。 
徳の夢にその父が現れて言った 
「汝は子がないのに何故超を立てて太子にしないのか。そうしなければ悪人が異心を抱くだろう」 
徳は目覚めると妻に言った 
「先帝が夢においてこのように告げられたからには、吾は死ぬこととなるだろう」 
書を下して超を皇太子として境内に大赦を施行し、父の後を嗣いだ者の爵を二級進めた。 
その月のうちに死去した。 


253 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 00:34:46 O
魏書張ショク伝より 
宋氏滅亡の凶兆のはなし 

張玄靖は宋混を驃騎大将軍・尚書令とした。 
混が病死すると弟の玄安が代わった。 
旱に際して帯石山を祈り、玄安が登ろうとするとその弟が言った 
「世の人はこの山に登る者は家を破り身を亡ぼすと言っております」 
玄安が言った 
「そのようなことがあろうか」 
馬を走らせて登ったが、馬が倒れて足を負傷した。 

御史の房屋の柱がひとりでに燃え上がって折れ、ある人が言った 
「柱の字は左に木、右に主であり、『宋』の字は木を含む。 
木が燃えたことは宋が破れて主が存することを示していて災いの大なるものであり、異変を防がれますように」 

乗馬五頭の中には一夜にして鬣と尾の毛が抜け落ちるものがあった。 
ある人が言った 
「尾の字は尸の下に毛があり、毛が尸を去るのは絶滅を示している」 
玄安が言った 
「吉凶は天にあって、知はどうすることもできない」 

それから間もなく司馬の張ヨウが起兵して玄安を殺し、宋氏をことごとく誅した。 
これより先謡があって言った 
「宋を滅ぼす者は田土子である」 
ヨウは一名を野という。 

254 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 01:21:53 0
そういえば・・・ 
北宋が元に滅ぼされたときの話だが、その時、皇帝はまだ幼く、太皇太后が政治を見ていた 
そして、占い師から、目が100ある男が現れるときが、北宋の滅びるときであるといわれた 
そんな人間などいるわけなく、太皇太后は安心した 

そして、元が攻めてきたとき、その元側の司令官の名は、伯顔といい、百目の男という意味だった、 
って話があるね 





266 :世界@名無史さん:2010/12/13(月) 00:09:05 O
魏書【冫馬】文通伝より 
北燕滅亡の凶兆 

太延二年、高麗がその将を遣わし、和龍城に入って迎えた。文通は城内の士女を引き連れて高麗に入った。 

これより以前、その国の狼が夜大量に城において鳴くということがあった。 

その末年には城の西に鼠が数里を満たす程に集まった。 
西に進んで水に至ると前に進む者の尾を噛んで連なり、その上をあとから来た者が渡った。 

宿軍において地面が燃え、一旬して消滅した。 
地から蛆が生まれ出たが月余にしてこれが止まった。 
和龍城において長さ一尺二寸の白い毛が生じた。 


268 :世界@名無史さん:2010/12/16(木) 08:22:05 O
神奈川県で黒い砂が降ったらしいけど、昔だったら何の凶兆かと大騒ぎになっただろうな 


271 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 15:34:47 0
>>268 
むかしから魚がふったり、カエルがふったりすることがあるんですってね。 
竜巻の仕業みたいだけど。 





286 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 22:19:58 O
晋書呂光載記より 
呂光が前秦の将軍としてクチャを攻めた時のこと 

亀茲王帛純が光を防ぐと、光はその城南に布陣して五里ごとに一営を置き、深い溝を掘り高い塁を設け木に甲を被せて疑兵とした。 
帛純が城外の人を城内へ移し、付属する侯王はそれぞれ城に拠って守りを固めた。 

ここにおいて光の左腕の内側に脈が起こって「巨覇」という字をなした。 

営外に夜になって頭に角があり目が電光のように光る黒い物体が出現したが、夜が明けると雲霧が発生してその物体は見えなくなった。 
その物体の現れた場所を見ると、南北五里東西三十歩に渡って光が残っていた。 
光が笑って言った「黒龍である」 
突然雲が西北に発生して痕跡を大雨が消し去った。 
部将の杜進が言った「龍は神獣であって人君が現れるという兆しです。 
どうか将軍には励まれますように。 
大きな喜びを招くことができるでしょう」 
光はこれを喜んだ。 

進んで亀茲城を攻めると夜に金の像が城外へ飛び出すという夢をみた。 
光が言った「これは佛神が去るということであり、胡は必ずや亡ぶだろう」 

帛純はカイ胡に救援を請うたが、光は城西において戦ってこれを大破し帛純は逃走した。 

287 :世界@名無史さん:2010/12/22(水) 21:09:49 0
>ここにおいて光の左腕の内側に脈が起こって「巨覇」という字をなした。 

なんかここだけ少年マンガみたいでわろた 

288 :世界@名無史さん:2010/12/22(水) 21:12:33 0
少年漫画自体、草創期は、いや今もだけど、かなり色んな地域の色んな伝承から持ってきて作ってるからな。 




289 :世界@名無史さん:2010/12/22(水) 22:11:32 0
韋昭著『呉書』より 

孫堅を母親が懐妊したとき、彼女は「自分の腸が飛び出して西の城門に巻きつく」という異様な夢を見た。 
目を覚ましたが不安なので、隣のおばさんに相談すると「それは吉兆かもしれない」と言われた。 
はたして孫堅は非凡闊達で、好んで他人には真似の出来ないことを行ったという。 

290 :世界@名無史さん:2010/12/22(水) 22:22:27 0
>>「自分の腸が飛び出して西の城門に巻きつく」 

なんだそりゃ?? 
 何のいみがあるんだろ? 



291 :世界@名無史さん:2010/12/23(木) 15:50:26 0
Applebee's Journal から 

テムズ川には網が掛けられている。 
毎日自殺する人がいるので、死体をすくいあげるためだ。 


1720年のSouth See Bubble のときのおはなし。Defoeが書いたともいわれる(原文のままじゃなくて 
記憶で書いてるけどw) 


293 :世界@名無史さん:2010/12/25(土) 20:56:12 0
『三国志』東夷伝・東沃沮の条より 

魏の将軍が高句麗王を追撃して、北沃沮(今の北朝鮮北東部・咸鏡道)から海(今の日本海)に至った。 
そこの老人に「この海の東にも人は住んでいるのだろうか」と尋ねると、様々な答えがあった。 

「昔、ここの者が漁にでたまま暴風雨にあい、10日間も漂流し、東方のある島に漂着したことがあります。 
 その島には人がいましたが、言葉は通じません。その地の風俗では毎年7月に童女を選んで海に沈めます」 
「海の彼方に、女ばかりで男のいない国もあります」 
「一枚の布製の着物が海から流れ着いたことがあります。 
 その胴の長さは普通の着物と変わりませんが、両袖は三丈(約7m)もの長さがありました」 
「かつて難破船が海岸に流れ着いたことがあります。 
 その船には、うなじのところにもう一つの顔のある人間がいて、生け捕りにされました。 
 しかし、話しかけても言葉が通じず、食物をとらぬまま死にました」 





294 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 05:42:47 0
子不語怪力亂神じゃないのか。 
何で正史がオカルトまみれなの。 

295 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 10:45:44 0
>>294 
 起こってしまった事はそのまま記録するけど、それがなんなのか考察するのは君子のすることではないってことでは? 

297 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 02:15:55 0
易経は儒教の聖典だけど、正真正銘の占いの書物だしね。 
中国では、予兆を信じることはオカルトとは考えられていない。 
孔子だって「麒麟」を何かの予兆だと受け止めているし。 

怪力乱神を語らず、っていうのを現代の感覚で捉えてしまうと、 
かなり色々間違えることになると思う。 

298 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 04:07:49 0
ちゃんと読んだことないけど『晋書』ってこの種の話がてんこ盛りらしいね。 
「(異常な天文現象とか変な流行とか)××の凶兆が現れたため○○の反乱が起こった」みたいな。 

299 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 08:03:03 0
怪力乱神を語っている別宗教があるから、怪力乱神を語るなと。 
時系列おかしくねーかって言うかもしれないけれど、論語も後から色々足したり引いたりの書物だから。 
そもそも無神論者なんて世界レベルで見たら現代でもこの世の人間の1%もいるかどうか。 
古代なら尚更。 




328 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 10:54:18 0
スレの趣旨に適うか微妙だけど怪生物もどき 

ヘロドトス『歴史』より 北インドに住む種族が金を漁る話 

 さてこの蟻は砂を掻き上げては地下に巣を作り、そのやり方がギリシアで蟻のするのと全く同様で、その形状も酷似している。 
そしてこの蟻の掘り上げた砂が金を含んでいるのである。 
インド人はこの砂を目当てに無人地帯に出かけるのであるが、 
各自三頭の駱駝に軛をかけ、牝駱駝を真中に、左右に牡駱駝を一頭ずつ網で曳くように配置する。 
その際この牝はなるべく仔を生んで間のないものを軛につけるように配慮する。 

                  (中略) 

 さてインド人は袋をもって目的地へ着くと、袋に砂を満たして大急ぎで引き返す。 
蟻は忽ち臭いをかぎつけ(とはペルシア人の話であるが) 追跡してくるからである。その脚の速さは他のどの動物も及ばぬほどで、 
インド人たちは蟻が集結している間に先に進んでいない限り、一人も助からぬであろうという。 
牡の駱駝は牝よりも脚が遅いので、落伍すると途中で離されるが、2頭同時に離すことはない。 
牝駱駝の方は後に残してきた仔のことを想い出して決して速度をゆるめぬという。 
インド人はその金の大部分をこのようにして採取する、とペルシア人は語っている。 





303 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 13:39:54 O
三国志呉書諸葛恪伝より 

諸葛恪が誘殺されたときのこと 

孫シュンは孫亮と計略を練ると酒宴を用意して諸葛恪を招いた。 
恪は孫亮に目通りすることになった前夜、心が惑い胸騒ぎがして一晩眠ることが出来なかった。 
夜があけて顔を洗おうとすると、水が生臭かった。従者が上着を着せようとすると、その着物も臭かった。 
訝しんで衣服も水も換えさせたが、臭いは相変わらずで心が沈んで面白くなかった。 
従者を従えて家を出ようとすると、犬が着物をくわえて引っ張った。 
恪は「犬はおれを行かせたくないのか」と言い、内に戻って座った。 
しばらくして再び立ち上がると犬がまた衣服をくわえた。 
恪は従者に命じて犬を追わせると、馬車に乗った。 

かつて恪が淮南の遠征に向かおうとしていたとき、喪中の者が喪服をつけたまま役所に入り込むということがあった。 
その者に問いただしたが、「自分でも知らぬうちに中に入っておりました」と答えた。 
このとき役所の内外には警備の者たちがいたが、誰もこの者が入るのを見ておらずに人々はみな不可思議なことだと思った。 
恪が淮南の遠征に向かったあと、彼が平生執務していた役所の屋根の梁が真ん中から折れた。 
合肥新城を離れて東興に軍を留めていたとき、白虹が彼の船に現れ、帰還して孫権の陵に参拝したときにも白虹が彼の馬車にまとわりついた。 
孫亮に目通りすべく参内したが、孫シュンによって殺された。 

のち孫シュンは諸葛恪に殴られる夢を見て、恐れのあまり病気を発して死んだ。 

304 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 21:52:10 0
死亡フラグ立ち過ぎてるのを見てストレスで死んだ、のか? 

305 :世界@名無史さん:2010/12/29(水) 01:45:35 0
魏晋南北朝ってその手の話大杉。 
まぁいちいちその手の話を記録してる史官がいるからだけどね。 

志怪小説集『捜神記』の作者(一応事実の記録のつもりなんだろうから編者か?)の 
干宝も本業は史官だしね。 

306 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 01:12:29 0
受験とか意識すると途端に色んな物が落ちたり滑ったりするよな。 

307 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 10:42:15 O
魏書姚興伝より 
姚興の弟姚平が柴壁において魏軍と対峙し、興はこれを救援しようとしたが救うことが出来ずに平の軍は壊滅した。 
興が長安に帰還した後のこと 

雀数万が廟において争い、死ぬ者が多数あったがこれが月余続いた。 
識者が言った「今廟上で雀が闘ったことは子孫の中に争乱があることを示す」 
また興の殿において牛が吼えるような声があった。 
二匹の狐が長安に入って一匹は殿屋に登って宮に走り込み、もう一匹は市に入って探し求めても捕らえることが出来なかった。 

興の存命中に子の弼が反乱を企てた他、興が死んで子の泓が立った後にも弟の懿や従弟カイが挙兵して長安を攻めた。 
劉裕が長安を攻めると泓は敗れて降を請い、建康の市において斬られた。 



215 :世界@名無史さん:2010/11/30(火) 17:53:13 0


      _,,..:--─‐-=,,._ 
    ./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、 
   ./ミミ/゙       ゙:::゙iミミミ:l 
   iミミ′:     :  ..::::_;ミミ;ミ;リ 
    ヽ,! ゙ .,;;;..''  ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/ 
.    } :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく 
.    | ヽ .,r ..:::、   ..::::;;;トl;|     __________ 
    |..  :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ    / 
.    l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´  <  昔の人簡単に人殺しすぎワロス 
     ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、    \ 
    _,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
_,...-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、.._ 
     .l゙  ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -ー ` 
     l   .,/;l     ,r" 
     .ヽ /r;:ヘ、 ,,/;'' 
      ゙ ''::'`'´ ヽィ::'   



転載元
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284099881/









島田秀平の怖い話 ---真夜中の恐怖ひとり語り島田秀平の怖い話 ---真夜中の恐怖ひとり語り
島田 秀平

河出書房新社
売り上げランキング : 3174

Amazonで詳しく見る by AZlink




ランキング参加しています!
ポチッと応援クリックお願いします(-^〇^-)