42miyamotomusashi          41maedakeijirou
        宮本武蔵                       前田慶次郎




1 :人間七七四年:2008/11/18(火) 12:55:23 ID:M95MNO62
戦ったらどっちが強いですか? 
 



14 :人間七七四年:2009/01/29(木) 21:51:27 ID:r7qq/Ujc
おじいちゃん(慶次)と子供(武蔵)の戦いね 

7 :人間七七四年 :2008/11/21(金) 23:12:34 ID:F5eQMe8R
力じゃ慶次が圧倒するが、武蔵は技でカバーするとみた 

9 :人間七七四年:2008/11/22(土) 18:17:37 ID:S+seEKVK
武蔵の勝ち。だって慶次が死んだときまだ武蔵はピンピンしてたじゃん。 
生き残った方が死んだ方をなんとでもできるし。 

まあ戦国板らしくマジレスすると武蔵。 
武蔵は細川家の客分だったし、息子の伊織が小笠原家筆頭家老で確か5000石くらいだったかな。 
慶次の方はウィキソースだが上杉家がまだ120万石の頃で1000石。移封後は更に減っただろうから 
宮本家の方が圧倒的に動員兵力が上、戦をしたら宮本家の圧勝。 


19 :人間七七四年:2009/02/01(日) 17:55:06 ID:nzbHQVOE
武蔵ってでも吉岡と戦ったときって一人で何人も殺したらしいよね。 
戦術家としても一流だけど個人でも強いんじゃない? 
大男だったし 

23 :人間七七四年:2009/02/09(月) 20:20:09 ID:51dgvJe2
武蔵は巨人症説があるほど 


48 :人間七七四年:2009/08/23(日) 00:50:07 ID:OnDnwX1j
オメー武蔵さんなんてなあ、弓鉄砲を備えた吉岡門徒百余名を一人で追い散らしたんだぜ? 

つーかそういう講談みたいなトンデモ話を無視したとしても 
対人戦闘の専門家の武蔵に前田慶次がタイマンで勝てるわけないだろ。 
また武蔵の話が誇張されたという点だけ殊更に強調されてるが 
それは他の史家の筆に触れた人間すべてに言えることであって武蔵だけが例外ではない 
あまつさえ資料に残っている記述とハナから創作で作られた小説のお話を並べて比べるなど 


49 :人間七七四年:2009/08/24(月) 21:21:39 ID:mEWbs0eV
そもそも前田慶次なんて武蔵と同じくらい事績の不明瞭な人間だし 
大男だったイメージが有名だが、実際にはそれらしい記述はないし 

武蔵の普遍的イメージが吉川栄治なように、慶次のイメージも殆ど花の慶次でのものだろう 
ただ慶次の武名と言うのは合戦のそれで、所謂個人的な武勇というより指揮官としての功績であり 
一対一や少人数対少人数の果し合いを繰り返して名を挙げた武蔵らのような人間のものとはベクトルが違うんじゃないか 

そもそも合戦という武力衝突において一度にたった一人で何人もの相手と戦わなければならないって状況は殆どないし 
敵と直接切り結ぶこと自体がそうそうあることじゃない。それなりの立場だった慶次がそんなに頻繁に前線に出たとも思えない 
だから可児才蔵の逸話が有名になるわけで 

武蔵と比べるなら柳生や小野忠明で、前田慶次じゃないだろう 


可児才蔵
笹の指物を背負って戦い、戦いにおいては敵の首を討つことが常に多くてとても腰に抱えることができなかったため指物の笹の葉をとって首の切り口に入れておいた(あるいは口にくわえさせた)という。このため、才蔵の討った首と合戦の直後にすぐにわかったという。これらの経緯から、「笹の才蔵」と称された。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/可児才蔵 



52 :人間七七四年:2009/08/29(土) 16:29:07 ID:JL8j4LfJ
慶次の使っていた具足は普通のサイズ 
だから実際にはそれほど大男ではなかったらしい 
特にでかいという記述もないそうだ 



59 :人間七七四年:2009/09/02(水) 19:29:54 ID:/XxxMLqL
ぶっちゃけ武蔵より上泉信綱とか塚原朴伝とか伊藤一刀斎とか叢生期の剣豪の方が逸話はよっぽど胡散臭いんだけどね 
夢の中に仙人が出てきて極意を教えてくれたとかスピリチュアルな話もたくさん出てくるし 

資料別の記述の食い違いや年代の噛み合わなさは武蔵以上に酷かったりする 
武蔵もひどいが、戦国期はなおひどい 
というか剣豪と言われてる人間の武勇伝なんてのはたいてい浪人時代のもんだから記述がはっきりしないのは当たり前なんだよ 
基本的に正式な歴史は宮仕えの武士にしか残らない 
転々とした慶次の経歴が曖昧なのも同じ理由だ。 

60 :人間七七四年:2009/09/03(木) 17:06:41 ID:cA5qJzMa
エンターテイナーなんだから「説得力」さえあれば伝説もまた真実 
夢があってよろしい 


62 :人間七七四年:2009/09/05(土) 14:34:25 ID:tpHY/9el
武蔵は普遍的な豪傑のイメージ通りの怪力無双でありながら、 
五輪書に現れた非常に完成度の高い理論と藩主の御前試合で示した卓越した技術、 
さらに長刀、手裏剣、捕手術と様々な武術を体得した同時代では小野忠明、柳生利厳に比する稀有の兵法家である 

前田慶次なんぞに後れをとるわけがなかろう。 



67 :人間七七四年:2009/09/08(火) 05:05:35 ID:XX+ZTJQX
面白いのは「武蔵に勝った」という逸話がたくさんあることだ。 
で、そういうのを見て行くと大抵、整合性の取れていない事実無根のもの、年代や背景から考えると信憑性に乏しいものだったりする。 
村上吉之丞の話なんか最たるものだろう。 

つまりこれは「あの武蔵に勝ったウチの師匠tueeeeee!!!!!!」という意図で残されたもの。 
逆説的に考えるとこれは武蔵の名声が非常に高く、当時から相当の強豪だと思われていた事を示す証拠になるんだよね。 



75 :人間七七四年:2009/09/10(木) 21:08:23 ID:Lwtq/NtW
武蔵の息子(養子)である伊織が 建てた石碑には、 小次郎との決闘には、武蔵は時間に遅れたわけではなかったということが刻まれている。遅刻は、吉川なんとかの小説による創作。 



78 :人間七七四年:2009/09/11(金) 00:32:37 ID:FsCzoNUS
慶次は当時の武将として 
当然鉄砲に熟達していただろう。 
鉄砲VS剣術では勝負にならん。 
慶次の勝ち。 



81 :人間七七四年:2009/09/12(土) 17:22:21 ID:NCejJshu
鉄砲は当時でも特殊技能だjk 
モノが少ないから必然的に使い手も少ない。慶次が習得していたなら記録に残る。 

それこそ「養由基も是に及ばず」と評された武蔵の手裏剣のように。 

82 :人間七七四年:2009/09/12(土) 17:26:15 ID:NCejJshu
つかすぐ発射できる手裏剣や投石と違って 
弓は矢をつがえて引かなきゃならんし 
鉄砲に至っては火付けて筒通して弾を込めて構えてってやらなきゃならんからタイマンではまず使えんぞ 

今の銃よりはるかに精度に劣るし。 
専門的に訓練せな使えん 




93 :人間七七四年:2009/09/16(水) 03:46:42 ID:wqKLg3yx
武蔵も合戦では実は手柄立ててる 
大坂の陣で大活躍した。 

94 :人間七七四年:2009/09/16(水) 07:13:14 ID:w99u4flk
>>93 
出典 

95 :人間七七四年:2009/09/16(水) 14:31:12 ID:wqKLg3yx
>>94 
コウゴウ雑記 
峯均筆記 
水野日向守覚書にもちらっとある 

96 :人間七七四年:2009/09/16(水) 21:04:02 ID:w99u4flk
>>95 
ちょっと調べたら 
100年も後に、二天一流の門人が書いた武蔵の「伝記」じゃんかw 
 

こんなの何の証拠になるのw 

97 :人間七七四年:2009/09/16(水) 23:32:08 ID:wqKLg3yx
>>96 
立花峯均の記述は誇張が少ないとして一定の評価があるよ 
信長公記だって『伝記』だぜ? 
それに剣豪の資料は基本的に弟子が編纂するもんだ、武蔵に限ったことじゃない 


大坂御陳御人数附覚の水野隊の項に「宮本武蔵」の名前があるので、同じく水野勝成に付いて戦ったとするこの伝記の信憑性は高い。 
大日本剣道史の言う所の「水野家記録」も恐らくこのことだろう、と偉い人は言ってる。 

そもそも水野勝成が猛将で、小松山、道明寺河原、天王寺と縦横無尽に活躍してる 
いずれも大阪の陣の重要な戦で、武蔵はその激戦の悉くに参加していたことになる。 
その上で活躍したという記述が残っているのだから、信用するに値する資料だろう。 


99 :人間七七四年:2009/09/17(木) 00:22:24 ID:jip7dcsw
ちょっと調べてみたけど、水野さんって徳川二十八将の一人なのな 
武田や北条と戦って大暴れしてんじゃんw 
主人をとっかえひっかえして転戦したらしいね 

大坂の陣では一番槍だったり真田幸村撃破したり大活躍だな、この人 
常に先鋒として前線にいて戦闘を繰り返してるから、武蔵もそれに従って奮戦したってことか 
騎馬武者として参陣して、薙刀で勝俊に迫った敵兵を薙ぎ払ったそうな 

104 :人間七七四年:2009/09/18(金) 10:42:24 ID:eVDZmmcE
>>99 
関ヶ原合戦にも出陣していたしね 

101 :仙台藩百姓:2009/09/17(木) 10:06:16 ID:G8Q0IY56
水野勢にいたのが所謂剣術家の宮本武蔵なのかどうかはよく分からんお( ^ω^) 
武蔵の戦績で確実なのは島原の乱だお 
一揆勢の投石が脛に当たって寝込んでたけど( ^ω^) 

103 :人間七七四年:2009/09/17(木) 18:22:12 ID:jip7dcsw
>>101 
水野勝成と親交はあったらしい、水野家の家臣から養子貰ってるし 
いわゆる武蔵玄信である可能性はかなり高いと思われ 


110 :人間七七四年:2009/09/19(土) 23:36:21 ID:1oQT9Z3W
水野勢の帳簿に「宮本武蔵」の名があり、それが美作守付きとして活躍し、 
後の水野家との縁を考えると彼が二天一流の武蔵玄信であったことはほぼ確からしい、名の無い一兵卒と言う事はまずないだろう。 
その上で伝記の伝える奮戦ぶりや感状を貰った逸話と結びつけたという話だろう 
余談だが武蔵の養子達の仕官がスムーズに行ったのはこの時の名声も関与しているかもしれない。 

公式な記録からある程度の事が割り出せる以上、ある程度の信憑性は認めていい 
それに戦場に伝わる武勇伝なんて大概そんなもんで、厳密な裏が取れないのは何も武蔵に限ったことじゃない、まして正式な家臣ではないのだから。 
そもそもハッキリとわかることなんて、水野勝成が率いた軍勢単位としての活躍までだろう 
武働きの信憑性なんて基本的にそんなもんだろう。一般に首を獲ったと言われている人間も部下に刺殺させて首だけ自分でとったのかも知れんし。まあ重箱の隅つつくような話だが。 
今回の武蔵のケースを否定するなら大方は嫌疑対象になる。 



123 :人間七七四年:2009/10/11(日) 15:06:21 ID:b/bk1l8u
槍術>>三倍段の壁>>剣術>>三倍段の壁>>体術 
上泉伊勢守も戦場では槍の名手として名が高かったそうな 
武蔵は槍の経験は? 

124 :人間七七四年:2009/10/11(日) 15:48:01 ID:SXJZEFIm
槍ではないけど夏の陣では薙刀だったそうな、2ちゃん情報だけど 
どっかで見た 



139 :人間七七四年:2009/10/19(月) 01:26:19 ID:7r8ot4jg
↓此処で一言、敗死した佐々木さん 

140 :人間七七四年:2009/10/19(月) 02:22:37 ID:Os7X3UiC
あうー 




142 :人間七七四年:2009/10/20(火) 00:14:58 ID:S+MSAvNQ
武蔵も自称いくさ人だけど 
(自分では、ただの兵法者ではなく、戦場働きが本業のように主張していたが) 

一度も戦場で手柄立てたことないのはなぜだろう? 



145 :人間七七四年:2009/10/21(水) 01:51:19 ID:J42vqLlK
理由としてはいくつかある。 

第一はそもそも武蔵は史書に目立つ戦功が記録されるような立場じゃなかった 
一軍の長でもない限りよっぽどのことをやらんと記録には残らん 
武蔵だけじゃなく、多くの剣豪の具体的戦功はよくわかっていない。大抵逸話か状況から推察されるもの。 

次に、島原の戦傷や大坂の陣で頻繁に白兵戦をやらかした水野隊に属して嫡男の護衛に付いていたこと 
ここから考えると武蔵はいずれの戦もかなり前線に居た事が窺えるが、これらについてほとんど評価されることがない。 
つまり武蔵は常に敵と接触するくらいの要所にいたわけで、無論自ら戦って活躍していた可能性も十分ありえるわけだが、 
武蔵を批判する本や論においてこの可能性について多くの場合言及することがない 
ゆえに、全く働いていない、活躍していないような印象を植え付けてしまっている。 

最後に、いくさ人というわけわからん定義。 
何を指して「いくさ人」と言うのか不明だから、何をもって活躍したと言うべきなのかがよくわからない。 


146 :人間七七四年:2009/10/21(水) 23:11:31 ID:iJwRCYGG
>>145 
>第一はそもそも武蔵は史書に目立つ戦功が記録されるような立場じゃなかった 
>一軍の長でもない限りよっぽどのことをやらんと記録には残らん 

当時の戦では、士分の者なら活躍すれば感状や軍忠状をもらえたはず。 
ところが一切現存していない。 
感状もらえるほどの活躍をしなかったか、 
端にも棒にも掛からない雑兵だったのでもらえなかったのか、どちらか。 

>次に、島原の戦傷や大坂の陣で頻繁に白兵戦をやらかした水野隊に属して嫡男の護衛に付いていたこと 

大阪の陣の話は、同時代の史料からは確認することができない。 
それどころか武蔵自身も大阪の陣の話は残していない。 
弟子が100年後に書いた宣伝文のみが典拠。 
宣伝得意な武蔵が、著書などに戦場の体験記を書かなかったのはなぜだろうか? 

>活躍していた可能性も十分ありえる 
>この可能性について 

結局のところ、すべて『可能性』の話でしかない。 
(あなたも十分分かっている通り) 
活躍したという証拠・証言は何ひとつ存在しない。 
現状では、武蔵が活躍した『可能性』は非常に低いと言わざるを得ない。 

147 :人間七七四年:2009/10/22(木) 01:57:47 ID:p7hRJnEH
>>146 
>>端にも棒にも掛からない雑兵だったのでもらえなかったのか 
その通りだろう。 
雑兵ではないだろうが、島原の乱でも部隊長の一人でしかない 
可児才蔵クラスの活躍くらいしないと記録に残らないだろうが、さすがに六度の合戦にしか従軍してないのにそれを求めるのは酷 
関ヶ原では17だし、島原の時はもう爺だ 

>>宣伝得意な武蔵が、著書などに戦場の体験記を書かなかったのはなぜだろうか? 
そもそも「宣伝得意な武蔵」というのが勘違い 
自分で言ってるからわかってるだろうが、武蔵自身は別に自分の功績を殊更に喧伝するようなことも、それを誰かに売り込むようなこともしていない 
(五輪書で不敗としているが、この程度はどんな流派にもある謳い文句で、むしろ資料関係から確実に勝ったと言える巌流島の記録も残していないから、武蔵とは案外そういう人物だったのかもしれない) 
宣伝文を書いたのは主に弟子。 
そして弟子が書いたものの随書には合戦での大活躍が偉そうに載ってる 

つまり状況が推察できるだけの資料はあるので、証拠・証言が全くないとは言えない。 
というか可能性だけなら武蔵が活躍したであろう手がかりはむしろ十分にあると言える 
少なくとも 
>>現状では、武蔵が活躍した『可能性』は非常に低いと言わざるを得ない。 
というのは随分な強弁 
むしろまさか濃厚とは言わないが、考慮に足るだけの『可能性』は存在していると言える 
まあ俺の論ではなくて、堀先生ら偉い人が言ってることを借りてるだけだがね 

というか 
「作州様附」の「宮本武蔵」は勝重と一緒に感状貰ってないか? 



151 :人間七七四年:2009/11/05(木) 16:04:45 ID:zSCVaqGL
慶次って何した人か全然わかんないよね 

152 :人間七七四年:2009/11/05(木) 23:44:01 ID:RgAoU0Wz
戦争した人だよ 


 


173 :人間七七四年:2010/03/08(月) 16:30:50 ID:eCAmtbwm
伝聞によれば、壮年の武蔵は高田又兵衛と小笠原忠真の御前で立ち会った際、十字槍に対し、一尺一寸の木刀を取って引き分けだったと言う 
慶次が宝蔵院流高田派の開祖である又兵衛と比べて、槍を持って長じているとは思えぬ 
剣の腕に置いては彼らに一日の長があるじゃろうて 


189 :人間七七四年:2010/09/24(金) 22:58:44 ID:6VLs14pz
武蔵の絵画は現代にまで残って国宝になってるもんな 
五輪の書は現代まで読み継がれて影響を与えているし 
まさに文武両道の人だわ 

エセインテリの慶次さんとは格が違うな 

190 :人間七七四年:2010/09/26(日) 01:09:38 ID:TpO8lfAq
>>189 
「昼夜の別なく寝たり起きたりして生きるだけ生きたら死ぬんだろうなぁ」という慶次の言葉は、 
今もニート達に絶大な影響を与えているわけだが。 


193 :人間七七四年:2010/09/28(火) 10:29:12 ID:AUqYPhax
本当かどうか知らないが 
尾張城下で柳生兵庫助と武蔵がすれ違った時 
初対面だったのにかかわらず、お互いに相手が誰かをはっきり認識した、という 
エピソードが如何にも剣豪らしくて好きだな 


195 :人間七七四年:2010/09/28(火) 20:21:24 ID:7qtEe+KV
まあ全国のパチンコ屋にポスターが貼ってある慶次さんも 
現代人に影響与えまくりだぞ 




204 :人間七七四年:2011/04/24(日) 03:25:00.86 ID:EFkqtJWr
花の慶次の中では慶次すらあれほどの大物として描かれるわけだから 
花の慶次世界の武蔵ったらもう、多分物凄い事に 











153 :人間七七四年:2009/11/10(火) 08:56:13 ID:/dMSVwMa
武蔵「本気で俺に勝てると思うのか?」 
慶次「手前にもわかりませぬ」 

なんとも男らしい笑みをする男よ・・・! 

 

1






 
135 :人間七七四年:2009/10/17(土) 07:04:24 ID:/Ktghk6J
(´・ω・`) 無駄話ここに極まる 

 
転載元
宮本武蔵VS前田慶次郎
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226980523/l50 








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