1 :世界@名無史さん:2012/01/24(火) 09:58:01.62 0
このスレは世界史の良い話を書くスレです。



4 :世界@名無史さん:2012/01/25(水) 00:10:05.44 0

エリザベス二世がイギリスの田舎を見てまわったときのこと。
そのルートにある家で息子が母親にこう釘をさした。
「母さんは紅茶をあふれるほど注いで、ソーサーにこぼれたのをすするだろ。
あんな行儀悪いことは女王陛下の前で絶対にしちゃいけないよ」
母親はうなずいた。
後日、はたしてこの家に女王陛下がたちよったのである。
がちがちに緊張した母親は、息子の助言など忘れていつも通りのくせで紅茶を飲んだ。
そして女王陛下が帰ったあとで、母親は息子に自慢げにこう話した。
「おまえは行儀悪いなんて言ったけど、陛下だってソーサーにあふれた紅茶を
すすっていたわよ!」と。

女王陛下は内心もちろんこの飲み方に驚いていた。
しかし、自分が普通の飲み方をすれば相手は粗相をしたとあわてて、
恥ずかしがってしまうにちがいない。
そこで女王陛下は、とっさに相手をまねてソーサーから紅茶をすすったのだ。

君主たるもの、どんな相手でも気遣うというおはなし。
似た話で「フィンガーボウルから水を飲む陛下」というものもある。




5 :世界@名無史さん:2012/01/25(水) 03:24:18.16 0
>>4
面白いな。しかしこういうのを見るとイギリスも恥の文化なんだなあ。



8 :世界@名無史さん:2012/01/25(水) 18:08:23.48 0
イギリス人って皮肉屋な面が強調されがちだけど、結構ウィットに富んだ民族でもあるよね
>>4みたいな感じのディスりじゃない、その国や民族の良い面にスポットを当てた逸話が
ここで投下されて行くと良いな





9 :世界@名無史さん:2012/01/26(木) 22:40:43.22 0

1937年国共合作が成立し国民党と共産党は一時停戦をすることになった。
長征残留部隊の司令官だった陳毅(後の10大元帥、政治局常務委員)は
停戦の通知を行うために湘?省ソビエト地区に入ったがそこの主席だった
譚余保(後の湖南省党副書記)は陳毅を党を裏切ったスパイだとして牢獄に押し込め銃殺しようとした。
しかし念のため党中央に問い合わせたところ
陳毅の通知は正式な党の指示であったことが確認され譚余保は陳毅に泣いて謝罪した。
さすがに陳毅は剛毅な男であり笑って譚余保を許したのであった。





11 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/27(金) 10:08:57.28 0

光武帝が夜遅く帰った時、門が閉まっていて入れてもらえないということがあ
った。身分を門番に伝えても規則ということで開けてもらえず、しかたがない
ので朝帰りをした光武帝は、自分を入れなかった門番に褒美を与えた。

東ローマのレオン6世がお忍びで夜の町を歩いていたところ、兵士に不審がら
れたので、金貨を渡したところ見逃してもらえた。
更に別の兵士と出会った際も、金貨を出すことで見逃してもらえた。
こういうことを何度か繰り返していたが、最後に会った兵士は金貨を出すと逆
に怒り出し、皇帝を鞭打って牢に入れた。
翌日、牢から出られた皇帝は金貨を受け取った兵士たちに罰を、自分を牢へ入
れた兵士に褒美を与えたという。

春日局が門限を破って大奥に戻ろうとしたところ、門番に遮られて帰ることが
出来なくなったので、冬の寒い夜を外で過ごす羽目に陥った。
翌朝、門番は信用出来る男という理由で誉められ、褒美を貰った。

ナポレオンの陣中において、不審な男を兵士が誰何したところ、要領を得ない
ので引っ立てられた。男はナポレオンであり、兵士を賞賛して警備を任せた。


12 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/27(金) 10:14:27.34 0

関東大震災の後、東郷平八郎邸はかろうじて焼け残ったので、若手将校が見舞い
に訪れたところ、それらしい屋敷の前で野良着をつけて後片付けをしている老翁
がいたので、「爺さん、東郷閣下のお屋敷はここか」と問うた。
すると老翁「そうだ」と言ったきり、振り向きもせず作業を続ける。
将校相手に態度がでかいのに怒って近づいてみると、老翁は東郷本人だった。



14 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/27(金) 17:44:10.04 0

悪い話もある人ですが、ピョートル大帝。
彼が崩御した原因は、真冬の河口で砂州に乗り上げた船からの救出作業に協力
するために、自ら水に飛び込んで体調を崩したこと。
ただ、生命の源(旧約聖書のサムソンしかり、類話は多いです)である髭を切る
などの西欧化政策から「あれは西洋人が成り代わっているのだ」という今でいう
ネトウヨの様な発言が一般市民の間からも出ていた状況であり、崩御は歓迎さ
れたということです。



17 :世界@名無史さん:2012/01/27(金) 19:46:59.35 0
>>14
ルイ14世も死んだ時は民衆から喜ばれたそうだね



16 :世界@名無史さん:2012/01/27(金) 19:41:27.07 0

変人哲学者として当時から有名だったディオゲネス
樽の中に住んだり公然の前でオ○ったり・・・。
しかし住民達からは暖かい目で見られていたらしく、悪い若者に樽を破壊されたときは皆でお金を出し合って新しい樽を買ってあげたらしい





21 :世界@名無史さん:2012/01/28(土) 22:30:20.68 0

竹内均教授が大陸移動説を昭和天皇陛下に進講した。
「地球の歴史はどのくらいですか」
「3~40億年くらいといわれています」
「それは変ですね。それだけの長い期間じっとしていた大陸が2億年前から急に騒々しく動き出したのですか」
「いえ、それ以前も動き回っていてそれが2億年前に一つになっていたのではないかと思われます」
「わかりました」


22 :世界@名無史さん:2012/01/29(日) 13:19:53.29 0

WW1に従軍した世界的バイオリニストのフリッツ・クライスラー。
戦後演奏旅行を再開し1923年日本にもやってきた。
演奏が休みの日、ある場所に訪れた。
クライスラー「今日は日本で最も偉大な場所に行きました」
日本人の記者「それはどこですか?」
クライスラー「乃木将軍の墓所です」


23 :世界@名無史さん:2012/01/31(火) 21:11:01.98 0
中々思い浮かばないものだな
悪い話なら結構あるんだが

24 :世界@名無史さん:2012/01/31(火) 21:39:50.24 0
別にいい話に限らなくてもいいと思うが

25 :世界@名無史さん:2012/01/31(火) 22:24:41.96 0
いや、>>1にいい話って書いてあるし…

インドの騎兵三十人が、中央アジアのタタールの村を襲撃し、女も物も略奪 して回ったことがあった。
ところが、皆逃げ惑っている中で
一人だけ冷静な老婆がいて

「お前さんたち、悪いこと言わないから早くお帰りなさい。
もうすぐ娘が帰って来るが、そうしたらお前さんたち、おしまいだよ」

と言う。
だが、誰も本気にすることは無く、遂には老女自身も縛り上げ、馬の背 に乗せて連れ去った。
ところが、半里も行かない内に、後方を見ていた老女が喜びの声をあげた。
すさまじいばかりの砂煙と馬蹄の響きで、娘の帰還を悟ったのである。
娘はまず、遠くから奪ったものを置いて立ち去れば、命は助けようと言った。
そして、誰も本気にはしないと見るや、瞬時に三つ四つと矢を放ち、敵の騎兵を射落としてしまった。
インド人たちも矢を放つが、射程距離が違い過ぎて勝負にならない。
あっという間に半数が射殺され、残りも抜刀して突進して来た娘の手にかかり、全滅させられてしまったのであった。




29 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/02/05(日) 22:16:24.63 0
いとも簡単に人が殺されますからね。
一部出ているペルシャもさることながら、インドも古代から王への不敬には
かなり厳しい土地でしたし。
透明人間になる薬を飲んでいた竜樹が王宮で殺されそうになった時、王の頭
の周囲に踏み込んだら罰(確か死罪)を受けることを利用し、王の側に逃げ
込んで一命をとりとめたという話を初め、仏典にも王の不可侵性を示す話が
ずいぶんありますが、時代が下っても、イスラームが来ても、ムガールが来
ても、緩和された気が致しません。

30 :世界@名無史さん:2012/02/05(日) 22:29:57.37 0
ヒューマニズムがないからねぇ…
洋の東西問わずモリモリ死んでいくから現代の価値観でみると悪い話が多い



34 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 22:12:23.31 0
連合軍捕虜収容所での通話・日本人=自害する。ドイツ人=脱走を謀る。イタリア人=歌い出す・・・つまらんか

35 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/02/08(水) 22:25:30.67 0

>イタリア人=歌い出す
アフリカ第二の高さを誇る山、ケニア山のレオナ峰(4985m)に初登頂した
のは、第二次世界大戦中にイギリスの捕虜収容所からこの峰を眺めていてど
うしても登りたくなり、物資を懐に入れるなど準備を重ねて脱走した三人の
イタリア人捕虜。
下山した三人は収容所に戻り、罰として一月弱の独房生活を強いられた、と
いうのはいい話……なのでしょうかね。


36 :世界@名無史さん:2012/02/09(木) 15:26:14.30 0
イタリア人はいつ見ても人生楽しそう過ぎて困る

37 :世界@名無史さん:2012/02/09(木) 16:46:57.83 0
イタリア人すげぇな、まじで、、


49 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 02:01:46.19 P
今朝の朝刊に載ってた「震災の時の各国からの支援物資」を読んで笑ったわwww
 伊「パスタ10t」米「放射線防護服など」仏「マスク・消毒用アルコール」土「ウズラ豆缶」豪「牛肉」スリランカ「紅茶」英「カップ麺」
 イタリアの歪みなさ。

https://twitter.com/#!/maruta_yagilove/status/168293324548096000


38 :世界@名無史さん:2012/02/09(木) 18:29:24.07 0

第二次大戦時の日本人捕虜が作ったウズベキスタンの国立ナヴォイ劇場
1966年の大地震の時、周囲の多くの建物が倒壊するなか
ナヴォイ劇場はビクともしなかった。
どういう境遇になっても日本人、国民性は変わらんわ



42 :世界@名無史さん:2012/02/09(木) 20:59:42.52 0

ロシア皇帝のパーヴェル1世は
「臣民が皇帝の為に血を流すのではなく
皇帝が臣民の為に血を流さねばならぬ」と言っていた。
但し、その具体的方法として皇帝が考えていたのは
君主同士の決闘であった。


43 :世界@名無史さん:2012/02/09(木) 21:05:49.61 0

良い話かどうか分からないけど
その子ニコライ1世の話。

陸軍の主計官に会計を誤魔化して私腹を肥やしている男がいた。
発覚しそうになり主計官は自殺を決意した。
夜、いよいよと拳銃を手にした主計官の肩を叩く人がいた。
皇帝その人であった。
「今回だけは無かったことにしよう」と語りかけて
主計官は自殺を思いとどまった。


44 :世界@名無史さん:2012/02/09(木) 21:08:44.96 0
わかりやすくっていい方法だと思うが、パーヴェルの母親で君主だった
エカテリーナのことは念頭に置いていたのかな。まあ、エカテリーナの
ような母親を持ったからこそ、女性でも決闘して全然問題無いと考えていたの
かも知れないが。


45 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/02/09(木) 22:47:15.89 0

特に良くも悪くもない話。
ある寒い日の未明。一人起き出したエカテリーナ2世は、ストーブに火を点けて
暖をとろうとした。
ところが、やがてとんでもない悲鳴が上の方から聞こえて来る。
それと察した女帝は、慌ててストーブの中に水をかけ、消火した。
かくして、女帝は使用者がいない間にストーブに繋がる煙突を掃除していた
少年に謝罪することとなった次第。

もう一つ。
大黒屋光太夫が謁見した際、女帝は船内に祀られていた伊勢の神棚を手にと
ると、偶像がないのに信心の対象とすることは、日本人の習慣であると評し
た由。『北槎聞略』が今手元にないので、うろ覚えですが。
フリードリヒ2世やルイ15世、同16世でも、面白がったでしょうね。
マリア・テレジアなら、嫌ったと思いますが。

>>40で伊勢盛時を、>>42でアミンを思い出しました。



93 :世界@名無史さん:2012/06/10(日) 08:20:27.23 0
>>45 亀+野暮ですが

女帝自らストーブに火を入れ、自ら消したんでしょうか?
また、冬のモスクワの未明時に煙突掃除するものなのでしょうか?


46 :世界@名無史さん:2012/02/10(金) 15:46:59.98 0
日本の神社には偶像がないから外国人には分かりづらいらしいね

47 :世界@名無史さん:2012/02/10(金) 16:13:23.58 0
道教みたいな、いかにもな偶像宗教のほうが確かにわかりやすいだろうな。

48 :世界@名無史さん:2012/02/10(金) 22:52:15.75 0
ナチスドイツでは純潔の血が優れた人間を生み出すが
大日本帝国では純潔な精神が優れた人間を生むと比較されてるくらいですしね



52 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 18:32:23.70 0
コルベ神父の話はあまりに凄惨だし劇的に過ぎるよなあ。

これ有名な「ちょっと」どころじゃない話だけど


パリ・コミューン崩壊の時、ヴェルサイユ政府軍に捕らえられた
コミューンの少年兵がいた。

即時銃殺になろうとして
少年兵曰く、
「お願いだから少し待って!近くの家に母さんがいるんだ。
最後のお別れをしたいんだ!必ず戻ってくる。行かせてくれ!」
政府軍の将校は「嘘を付いてそのまま逃げる気だな」と思いつつ
憐れに思って「一時釈放」してやった。

しばらくして、なんと少年兵は戻ってきた。
「さあ戻ってきたよ!撃てよ!」

ユゴーが伝えている話。


53 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 19:23:23.99 0
>>52
実利よりも誇りに生きるのはかっこいいがそれで死ぬには少々若すぎるな
この後どうなったんだろう?


57 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 21:29:54.16 0
>少年兵
ユゴーは、「そのまま銃殺された」と伝えていたと思う。
そのことに激しく憤ったからこの出来事の詩を書いたはず。
うろ覚えですみません。

でも実際には助命されたという説もあるらしい。


54 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/03/04(日) 21:17:56.03 0
赤眉の乱の時も、賊に「老母の所へ食料を届けてからにしてくれ」と言って一旦
解放された息子が戻ってきたので、殺されずに済んだという話がありましたね。
(桑の実の話とは別)

以下、『大智度論』ほかにある説話ですが。


昔、実語(嘘をつかないこと)を心がけている須陀須摩という王がいた。
ある時この王が園に出ていると、空から翼を持つ鹿足という王が現れ、須陀
須摩王をさらっていってしまう。

鹿足王は、百人人の王の頭を神に奉げようとしていたのであるが、須陀須摩王が
「私は昔から嘘を言った事が御座いませんが、園に出る前に出会った婆羅門に
『帰ったら供養しよう』と言ってそのままになっておりますので、これを遂げさ
せて頂きたい」と訴えたところ、七日の猶予と共に返された。

無事供養を遂げた主に対し、周囲は「守りを固めてさらわれるように致しましょう」
と勧めたが、嘘をつきたくない須陀須摩王は鹿足王を待って身を委ねる。
鹿足王は感心し、更に教えを説かれたこともあって、改心したのであった。

類話は、実話から願望まで各所にありそうです。


55 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/03/04(日) 21:19:51.39 0
×百人人の
○百人の(『仁王般若経』では千人)

○さらわれるように
×さらわれぬように

失敬


56 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 21:24:49.86 0
釈迦の話がヨーロッパでキリスト教の聖人の話ということになってたって事もあるし
他の国の話が場面と人物を変えて言い継がれているって事もあるかもしれないね


60 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/03/04(日) 21:44:12.45 0
>>56
聖ヨサパトと聖バルラームのことですね。
ソロモンの逸話や大岡裁きで有名な「二人の女が一人の子を争う話』もガンダーラ
から両話の記録より古い(仏教説話を題材にしたとおぼしき)像が出土しています。
像の出土より前に没していますが、南方熊楠は仏典や漢籍の事例を渉猟した上で、
インド起源の話が東西に広まったものとしています。


61 :世界@名無史さん:2012/03/05(月) 21:22:14.14 0
>>60
こういう例をみるとキリスト教も多神教的側面を保管出来てるよね
神が聖人になっただけで


59 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 21:34:32.02 0

同じくパリ・コミューンの話。
今度は悪い話。

ヴェルサイユ政府軍にガリフェという嗜虐的な将軍がいた。
彼の部隊はパリに進撃、捕らえられて震えているコミューン側の婦女子を前に
ガリフェは演説をぶつ。

「我こそはガリフェ!諸君は私が残酷だと聞いているだろうが
諸君の想像以上に私は残酷なのだ!」
そして捕らえた人々を片っ端から銃殺させた。

三流漫画の救いようの無い悪役のようだ。




62 :世界@名無史さん:2012/04/01(日) 10:33:17.67 0

フランス革命が起こる少し前の話
フランス貴族出の海賊であるミッソンはマタガスカル島にリバタリアという海賊の国を建国した
リバタリアは合議制であり人種、言語、民族によって差別されない
自由と平等が保証された理想郷だったという
この理想郷を守るためミッソンは海の守りを徹底させリバタリアの安全を図った

ある日、いつものようにミッソンが海賊稼業から帰ってくると
リバタリアの国民は全員虐殺、略奪されていた
ミッソンは海賊らしく海の守りには長けていたが陸は無防備だったために
マタガスカル島の現地住民に襲撃されたのだ

自ら作り上げた理想郷が消滅した事に失望したミッソンはヨーロッパへ帰る事にした
しかし帰る途中、運悪くハリケーンに遭遇し海の藻屑と化したという


63 :世界@名無史さん:2012/04/01(日) 20:58:25.58 0
現地住民からしたら勝手にやってきて住みついてるやつら何なのって話だからな
みなごろしにした当時の由長は英雄だろ。

64 :世界@名無史さん:2012/04/04(水) 05:17:53.83 O
海賊やっておいて自由!平等!とか言われてもな…

65 :世界@名無史さん:2012/04/04(水) 16:45:34.72 O
誰でも自由に盗めます。
誰でも平等に殺せます。

66 :世界@名無史さん:2012/04/07(土) 20:46:50.16 0
良い話とは言えないだろうが

ユダヤ人抑圧政策を採っていたニコライ2世に
あるユダヤ人が自分達にも自由と平等をと直訴した。
皇帝は彼に哀しげに目をやり
「予は諸君を解放してやりたいが、
ロシア帝国の為を思うとそれはできない」と答えたらしい。


67 :世界@名無史さん:2012/04/16(月) 18:25:15.65 0

チャールズ2世の愛人の1人ルイーズはフランス人ということもあって、市民からは嫌われていた
ある日、これまたチャールズ2世の愛人(ということはライバル)のネル・グインと馬車で出かけたところ
豪華な馬車はルイーズに反感を持つ市民に取り囲まれて罵声を浴びせられ、立ち往生した
その時、ネルは馬車の窓から顔を出し「私だよ、プロテスタントの売笑婦ネルだよ」
市民は「ネルが一緒じゃしかたないや」と馬車の包囲を解いた


68 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 11:20:37.63 0

アレクサンダー大王が海賊に、

「海を荒らすのはどういうつもりか」

と問うた
海賊はすこしも臆するところなく、

「陛下が全世界を荒らすのと同じです。
ただ、私は小さい船でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」

と答えたという



69 :世界@名無史さん:2012/05/22(火) 21:15:30.60 0
マウリヤ朝を打ち立てたチャンドラグプタは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
ソヴィエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
常陸の戦国大名佐竹義重は暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという

時代や土地が変わっても専制君主の考える事は同じか…


72 :世界@名無史さん:2012/05/26(土) 22:41:15.81 0
>>69
どれも基本的に残虐な人物だし当然といえば当然かな…
佐竹義重で思い出したので一つ話でも


ムハンマド・アリーはオスマン帝国からナポレオン率いるフランス軍が去った後のエジプトに太守として追認された
しかし在地土豪のマムルーク達は半独立的でアリーの統治基盤は脆弱であった
イギリス軍がエジプトに上陸してきた時、アリーはこれを打ち破ったものの
イギリス側に付いたマムルークも少なくなかった

ある日、アリーは宴と称して400あまりの有力なマムルーク達をカイロ、シタデル城に招待した
しかしこれはアリーが仕掛けた罠であった
アリーは城に集まったマムルーク達を一網打尽、皆殺しにした
地方のマムルーク達も翌年息子に軍勢を率いさせ攻め滅ぼし一掃
アリーはエジプトにおける支配権を確立しエジプトは近代化への道を歩むことになるのである

以上、シタデルの惨劇でした




70 :世界@名無史さん:2012/05/25(金) 20:23:48.07 0

(へーベルのカレンダーゲシヒテンより抜粋)
オランダのライデン市、1807年のとある平和な夕方、
ライン川に停泊中の火薬の樽70個を詰めた船が突然大爆発した。
付近の家々は倒壊し、何百人もの人が生きたまま、あるいは死体となって埋まった。
中には子供たちのいた校舎も三つあった。
油や鯨油の倉庫が多数あったので、大火災も起こり、甚大な被害が出た。
当時イギリスはオランダと交戦中だったにもかかわらず、ロンドンからは
救援物資や多額の義捐金を積んだ船がいく隻となく到着した。

「ライデン」とは、受難・苦しみの意味だそうですが、この災難が起こるより
ずっと前からこの町の名はライデンと呼ばれていたそうです。





71 :世界@名無史さん:2012/05/26(土) 17:52:14.72 0
うろおぼえ


ムガル帝国はヒンドゥー教徒の多い地域でのイスラム王朝であったが
その初期は異教徒に寛容で諸イスラム王朝に共通していた異教徒に課す税(ジズヤ)も設けなかった

ある日隣国ペルシャからイスラムの神学者がムガル帝国の皇帝に謁見する機会があった
その神学者は

「異教徒には『コーランか剣か』で対応するべきだ」

と皇帝に進言した
皇帝は何も答えず代わりに隣にいた大臣がこれに答えた

「我々(イスラム教徒)はこの地においては料理に含まれる一つまみの塩ほどでしかない
そのような方策は現実的ではない」

後年、ムガル帝国の第6代皇帝のアウラングゼーブは熱心なイスラム教徒であり
イスラム法にも基づく統治を行いジズヤも設けた
彼は外征を繰り返しムガル帝国の最盛期を築くが
それは諸民族、宗教との軋轢を生み帝国の基盤は大きく揺らいだ
彼の死後、帝国は急速に崩壊してしまった





74 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 11:54:27.98 0

ナポレオンが士官学校にいたころ、果物が好きで
果物売りの娘からツケで買っていた。
やがて学校を卒業し、ツケを未払いのまま軍人になった。
それから数々の武勲をあげ、将軍となり、第一統領となり、
いろいろあって最終的に皇帝になった。
そしてやがて、士官学校のあった町に行き、いつぞやの
果物売りの女を探し出し、ツケを払った。
利子として多額の金貨も一緒に。

それから、この町に来る度に自分が泊まる為に、と言って、
女の家も建て替えてあげた。
律儀なのかスケベなのかいろんな意味でいい話だと思う。



76 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 17:03:17.45 0
>75
>>74
>士官学校時代に小娘で皇帝になった時に再開って事はどう考えても三十路過ぎてね?


その士官学校はブリエンヌにあると書いてあるので、実は士官学校ではなくて
陸軍幼年学校のことと思われ。すると卒業年から換算して再会までに20年くらい
経っていたと思う。てことは女は30代中ごろか後半くらいか?

再会時、女にはすでに子供もいたそうで、ナポレオンがその子供の学費を出してやって
ナポレオンと同じ士官学校に行ったそうだ。旦那の話はでてこなかったので
未亡人だと推測。

77 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 17:37:53.22 0
ナポレオンって後家殺しなん?

78 :世界@名無史さん:2012/05/28(月) 01:54:49.95 0
>77
英雄色を好むっちゅうから、後家だろうと中年女だろうとコマシたかもしれん。
最初の奥さんも子持ち年上女だったし。

79 :世界@名無史さん:2012/05/28(月) 21:22:18.08 O
皇帝にならなかったら返さないつもりだったのかな

80 :世界@名無史さん:2012/05/31(木) 21:12:03.96 0
>79
皇帝になるまではそれどころじゃないくらい忙しかったんじゃないの?
皇帝になったあと返しに行ったからこそ、果物売り女に最高の栄誉を
与えられたんだし結果おーらいさ。

81 :世界@名無史さん:2012/06/05(火) 16:06:43.20 0
うろ覚えですが、こんな話がありました。

1790年代、フランス革命干渉戦争で、ライン川を挟んで睨みあう
フランス軍見張り兵とドイツ軍見張り兵。

見張りに退屈したフランス兵が「やーい、ばーかばーか」と叫ぶと
まじめなドイツ兵が「おーい、今何時か?」と聞かれたと勘違いして
「3時半だよ」と叫び返してあげた。
国民性というか、ちょっといい人の話。


82 :世界@名無史さん:2012/06/05(火) 16:24:51.27 0

にらみ合う兵士の交流と言えば、1914年、第一次大戦の最初の年のクリスマスに
西部戦線のイープルでにらみ合っていた英独両軍の兵士が、クリスマス休戦で、
たばことかウイスキーとかソーセージとか交換したりして交流したそうな
残念ながら翌年以降はクリスマス休戦はなくなるが



86 :世界@名無史さん:2012/06/07(木) 15:29:32.42 O
>>82
まだ敵に対する敬意というものが残ってた時代だったんだな…



89 :世界@名無史さん:2012/06/08(金) 14:01:44.33 0
>82
クリスマス 休戦 でぐぐったら、いろいろ類似のエピソードがでてきて泣けた。
いい話なんだけど、せつない話だ。



83 :世界@名無史さん:2012/06/06(水) 17:23:44.67 O

ボヘミア王の証の一つである聖ヴァーツラフ王冠には「真のボヘミア王でないものが被れば一年以内に死が訪れる」という言い伝えがあった

第二次大戦中、重要な工業地帯だったこの地域を統治していたラインハルト・ハイドリヒは
この言い伝えを迷信と侮りプラハ城に安置されていたこの王冠を被った

9ヶ月後彼はイギリスの支援を受けたチェコ人に暗殺された


84 :世界@名無史さん:2012/06/06(水) 17:48:01.42 O

中央アジア、ペルシャを制し一代で大帝国を作り上げたティムールの棺の裏にはこう記されていた

「私が墓から出た時、大きな災いが起こる」

20世紀、ソ連が調査の為にティムールの棺を開き遺体を外に出した
3日後、ドイツがソ連に侵攻を開始、甚大な被害を受ける事になる
災いを恐れたのかソ連はその後遺体を棺に戻し蓋を鉛で溶接、以後ティムールの棺は開封されていない








90 :世界@名無史さん:2012/06/08(金) 18:55:33.90 O

ネルー
「本当のサドゥー(インドのいたるところにいる仙人のような存在)なんて実際にはほんの一握りしかいないんじゃないか?」
側近
「そんな事言ってサドゥー達に聴かれたら怒り狂いますよ」
ネルー
「そんな心配は要らない。例えサドゥー達の耳に入っても皆自分こそが一握りの真のサドゥーだと自惚れるからだ」



91 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 13:39:45.97 0

女王エカテリーナがある宴会でおならをした。
若い陸軍士官がとっさに「失礼しました」と罪をかぶった。
その後彼は異例の昇進をした。

ある国際会議で、日本代表がおならをした。
とっさに椅子の肘掛をこすって類似の音をだし、ごまかそうとした。
なんどかこすっていると、となりのインド代表がつっこんでくれた。
「最初の音がいちばん良く似ていましたな」


92 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 21:07:13.18 0

無政府主義者クロポトキンが亡命先のロンドンで
国王エドワード7世が臨席するパーティに出席したことがあった。

国王のスピーチに皆起立して拝聴したが
クロポトキンは座ったまま。

国王、にこやかにクロポトキンに語って曰く、
「私のスピーチはどうでしたか?」

クロポトキンはひどくばつの悪い思いをしたらしい。



94 :世界@名無史さん:2012/06/10(日) 18:28:39.07 0

日本の森有礼と清の李鴻章が会談したときの会話

李鴻章
「祖国の衣服を捨て西洋の衣服に身を纏うなど恥ずかしくないのか?」

森有礼
「400年前に辮髪で胡服を着た漢人がいたのか?」

李鴻章は慌てて話題を変えた


95 :世界@名無史さん:2012/06/10(日) 18:38:02.91 0
>>94
どう答えても政治的に見事にヤバ過ぎですな


98 :世界@名無史さん:2012/06/12(火) 06:37:30.55 0

イギリスの王ヘンリー4世が国民の贅沢をたしなめるため
「派手な服装、アクセサリー着用禁止」の法令を出したが
さっぱり効き目がなかったので、法令に一文つけ加えた。
「ただし、淫売婦とスリはおかまいなし」
たちまちその日から法令が守られるようになった。


99 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 21:57:28.77 0

日本の、それも戦後の話だけど
とある殺人犯の死刑囚がいた。
獄中で見事なまでに模範的な態度を見せたが
なぜか被害者の遺族への謝罪をしようとしない。

死刑執行が言いわたされた日。彼は拘置所長に遺族への謝罪を切々と綴った手紙を手渡した。
所長達は驚くとともに「なぜ今まで一度も謝罪しなかったのか」と訊いた。
すると彼は言った。
「自分は心から悔い改めたつもりでしたが
どうしても生への未練がありました。
そんな自分が謝罪の手紙を出すと、『もしかしたら遺族の人たちが
これで同情してくれて減刑に同意してくれるかもしれない』と期待するかもしれませんでした。
それは真の悔い改めではありません。だから執行が決まった今日に
手紙をお渡しすることに決めたのです」と。

この死刑囚の名前も事件名も思い出せないんだけど
強烈に印象に残った。


100 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 08:47:31.87 0
昔小学生の時に歴史の教材として渡された史料集の中に書いてあった逸話集
からなんだけど

日本に開国を迫ったペリーは、日本に行く前に日本や日本人について調べました。
そしてこのような結論を出したそうです。「日本人は自分たちの事を世界で一番
優秀な民族だと思っているようだから、その傲慢さをへし折るように交渉するのが効果的だろう」


101 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 16:51:00.57 0
それのどこが、ちょっといい話 なんだ?



107 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/06/19(火) 20:13:40.54 0
>>93
すみませんが、今になって仰られても困ります。


安史の乱が起こり、玄宗が四川に難を逃れた時のこと。
渡り終えた橋が焼かれそうになっているのを見た玄宗は言った。
「後から逃げて来た者たちが渡れまい。残しておけ。」

昭和天皇が、大戦末期のフィリピンでの対処について、同じ様な意見を述べ
ておられたと思いますが、他所で読んだ本なので詳細失念。


108 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/06/19(火) 20:21:22.62 0

北宋の初め、当時世間に怪しげな讖緯書(予言の書)が流行しており、取り
締まってもききめがなかったので、趙匡胤は敢えて逆のことをした。
偽者の讖緯書を大量に書かせ、世の中にばらまかせたのである。
その結果、どれが「本物」か分からなくなり、世間が飽きて流行は収束した。

江戸時代後期、四国の小藩で博打が流行しており、禁令も効果がなかった。
そこで藩の重臣がある法令を出した。
「今後、博打で負けた者は勝った者を訴えれば全額取り戻せることとする。」
こうして、藩内では博打は流行らなくなった。
道徳心自体を涵養したものでないという点を、明治の法学者に批判されてい
るお話ですが。


>>82
狙撃兵が真っ先に日常に戻り、他の兵士も段々普段通りに撃ちはじめ、とい
うのが残念なことです。

109 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/06/19(火) 20:48:59.83 0
上の博打の話ですが、現在でもカルテルや談合が発覚する前に申告すれば、
課徴金を最初の企業は100%、二番目の企業は50%、それ以降は五社目まで30%
減免される制度があるのを、一寸似ていると思いました。
利益で釣るのであって、道徳で最初から止めさせるのではない。
止むを得ざることか。



112 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/06/24(日) 21:46:42.06 0

袁術の美談
陸績が6歳の時、袁術の下へ行き、橘を出されたことがあったが、彼は橘を
三枚(枚は数え方)懐に入れておき、辞去する際にこれを落してしまった。
袁術いわく「陸君、客として来ていながら、橘を持って行くのかね。」
陸績は言った、「持ち帰って母に食べさせたかったのです。」
袁術はこれをおおいに奇とした。後世、二十四孝の一つとされている。
『真・恋姫夢想』の劇中でもネタにされていて今更ですが、一応。


113 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 21:56:16.17 0
なんでかカーチャンネタって無条件でウルウルくるナー



115 :世界@名無史さん:2012/06/27(水) 18:16:17.57 0

日本ではあまり知られていないが彼のオラニエ公ナッサウの好敵手として有名なアンブロジオ・スピノラ
ジェノヴァに生まれた彼は傭兵隊長としてその半生をスペインに捧げた
が、当時宮廷を牛耳っていたオリバーレス公とは仲が悪く、スペインの財政難も相まって戦費の支払いが滞り
スピノラ家は破産、彼は失意のうちに病死した

ユスティニアヌスの将軍ベリサリウスを彷彿とさせる人物である




117 :世界@名無史さん:2012/06/28(木) 15:18:40.24 0
明治時代の雑誌に掲載されていた記事ですが。

アメリカのとある少年が仔犬にヴィクトリアと命名し、
我ながら良い名だと思った少年は、ヴィクトリア女王に「陛下の御名をいただきました」と手紙を送った。
手紙を読んだ女王は少年の無邪気さを喜び、米国大使を通じてこの少年の身元を照会し、
「私の名を使っていただき嬉しく思います、その後ワンちゃんはお元気ですか」と返事を書いたとか。


118 :世界@名無史さん:2012/06/29(金) 01:46:36.28 0
でもその犬を鞭うったりするんですよね?っていう内容の手紙を送ったりしないのか?



120 :世界@名無史さん:2012/07/01(日) 20:05:31.66 0

ムガル帝国五代皇帝、シャー・ジャハーンの治世の時の話。

皇帝、シャー・ジャハーンは悩んでいた。
ペルシャから訪れた大使がインド式のお辞儀をしないのである。
いくら親切にもてなしてもその大使は皇帝を侮っているのか
高飛車な態度を貫き続け決してインド式のお辞儀をすることは無かった。

そこで皇帝は一計を案じた。
謁見の場で大使に会う予定だが入口の大門を閉じて、くぐり戸だけ開けておくように命じる。
このくぐり戸と言うのが、体を大きく曲げ、ちょうどインド式のお辞儀をするときのように
頭を地面のほうに下げ、大層苦労してやっと人一人が通れるようなものだった。
皇帝としては

「大使はインド式のサラームよりもっと卑屈な姿勢をさせられた」

と、言う事にしたかったのである。

が、大使はこの計略を見破った。
大使はくぐり戸を頭から入らず後ろ向きに入ったのである。
皇帝は裏をかかれた事に腹を立て大使に向かって

「このろくでなしめ!そんな恰好をしてロバ小屋にでも入る気か!」

と怒鳴った。
すると大使は平然として

「こんな狭い入口をみてロバ小屋と思わぬものがありましょうか」

と答えたという。


121 :世界@名無史さん:2012/07/08(日) 07:43:04.05 0

シャー・ジャハーンとペルシャの大使 2

シャー・ジャハーンがある日、大使に向かい
自分が造営させている新しい都市であるデリーは
イスバハーン(ペルシャの首都)に比べてどう思うかと尋ねると大使は声高に誓ってこう言った。

「神にかけてイスバハーンはあなたのデリーの土埃には及びません。」

シャージャハーンはこの言葉をデリーに対する賛辞と受け取った。
が、大使はデリーの土埃が酷いのでからかってやったのだと語ったという。


122 :世界@名無史さん:2012/07/09(月) 02:41:28.67 0

アメリカンフットボールの黎明期のこと
激しいスポーツなので、選手が死亡する事故があって、アメリカのマスコミや世論は、「あんな危険な競技は禁止すべきだ!」
という論調で沸騰した
が、その死亡した選手の遺族が、「故人はアメリカンフットボールが大好きでした。どうか、故人が愛したスポーツをなくさないで
ください」と嘆願する手紙を当時の大統領セオドア・ルーズベルトに出した
ルーズベルトは、アメリカンフットボールを存続させ、その代わりに、二度とそのような事故がないよう、防具をつけるように
指示した
アメリカンフットボールの選手がプロテクターを身に着けるのは、それ以後のことである

セオドア・ルーズベルトという大統領は私個人としてはあまり好きではないが、このエピソードは好きだな


123 :世界@名無史さん:2012/07/09(月) 08:43:08.30 O
日本も「危険だから禁止!」と短絡的になるまえにこういう発想をすべきだな

124 :世界@名無史さん:2012/07/09(月) 09:23:55.10 0
中世イングランドでやってたフットボールなんて本当に死者続出だしなw

125 :世界@名無史さん:2012/07/09(月) 11:07:06.07 P
>>124
ルールなんてない御神木奪い合うはだか祭みたいなものだからなw
リアル首絞めとかやってる版画とかも残ってる

126 :世界@名無史さん:2012/07/09(月) 18:15:32.86 0
ちょっとオカルトちっくだけど、イギリスの幽霊関係の本にあった話

ナポレオンがなぜイギリス侵攻しなかったかというと
イギリス中の魔女が集まって、ナポレオンの心にイギリス行くな!
と念じたから
ヒトラーがイギリス侵攻しなかったのは
イギリス中の超能力者が集まって、ヒトラーの心に働きかけたから
それと第1次大戦や第2次大戦で、大陸で戦うイギリス軍が不利になったとき
雲の上から高らかなラッパとともに、弓矢で応戦する援軍があらわれて助かった
ってのもあった

カミカゼが吹いて蒙古軍を倒したって話と似てるな、島国根性かなーと
思ったんだがどうであろう、各々方




131 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 10:19:01.46 0

シャー・ジャハーンとペルシャの大使 3

シャージャハーンが大使に

「歴代のペルシャ王に比べてインドの王たちの権勢をどう思うか言え。」

と迫ったところ。
大使が答えるには

「インドの王様がたと言えば十五、六の大きな月で、ペルシャの王たちと言えば二、三の小さな月と申しましょうか。
これほどよい比較の対象はありません。」

シャージャハーンはこの答えを聴いて、たちまち良い気分になったが
すぐその後で、この比喩は自分にとっててあまり有利なものではなく
大使が言いたかったのはインドの王はだんだん小さくなり
ペルシャの王は三日月のようにだんだん大きくなるということに気が付いた。


132 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 23:59:33.81 0
>>131
なにやらペルシャの大使が一休さんめいてきたなw 大好きだ!


134 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 08:26:05.76 0

シャー・ジャハーンとペルシャの大使 4

ある時シャー・ジャハーンは大使の返事がぞんざいで傲慢だったのでけしからぬと思いこう言わずにはいられなかった。

「このろくでなしめ、お前のような気違いを送ってよこすとは
シャー・アッバース(サファヴィー朝の第5代皇帝)の宮廷にはまともな人間がいないと言うことか。」

すると大使は

「いえ、とんでもない。宮廷には私よりはるかにまともな人間が、しかも大勢おります。
が、陛下にふさわしい大使を、と言う事でございましょうな。」

と答えたという。



135 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 11:30:13.51 0
大使こんなことしてて酷い目に合わなかったのかな?まぁ、大丈夫か?面白いし



138 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 17:42:54.97 0
2ちゃんの煽り厨をインテリにしたんだな

139 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 18:43:14.24 0
なんだかんだで、シャー・ジャハーンがいい人だったんだろう、実話なら・・・・



転載元

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1327366681/




Panasonic ドルツ・ジェットウォッシャー 白 EW1250P-WPanasonic ドルツ・ジェットウォッシャー 白 EW1250P-W


パナソニック
売り上げランキング : 5

Amazonで詳しく見る by AZlink