4 :名無し三等兵:2012/05/07(月) 21:51:58.34 ID:???
日本の基地で衛生兵やってたらしい。
白衣きてる写真ある。
日本の基地で何を衛生するのかわからんけど。

体力面で戦場にはいけないとかあったのかね?
そういえばメガネだったし。





33 :名無し三等兵:2012/05/10(木) 17:26:26.91 ID:???
ハルピンの北

沢山残酷な光景を見たらしく、あまり話さなかったらしい。



102 :名無し三等兵:2012/05/15(火) 17:41:09.35 ID:???
ま、話はぶった切るが。

うちの爺さまは教官のような立場の人だったらしい。
若い人を何人も戦地に送り出したことを終生気に病んでいて、ほとんど自分の口で語った事が無かった。
こめかみに拳銃の銃口を押し当てたヤケドの痕があったのを今でも覚えている。



105 :名無し三等兵:2012/05/15(火) 22:54:08.31 ID:???
嫁のじいさんはノモンハン事件の生き残りだそうな。
敵の顔が見える距離で手榴弾を投げ合ったとか。
万歳突撃一歩手前で上官の護衛を命じられて、辛うじて助かったらしい
ロシア兵が「ウラー」って叫びながら突撃してくる恐怖が忘れられんて


107 :名無し三等兵:2012/05/16(水) 00:13:47.57 ID:6ttnJuIu
横須賀で飛行機作ってたらしい
ついでに予備役だったらしい
最近モノホン旧軍雑嚢貰った、まだ生きてる。

二階から空眺めてきたら艦載機が飛んで来たんだと
で低空飛行してた艦載機のパイロットと目が会ったらしい
その後艦載機が機銃掃射してきて屋根をスパスパ、バスバス弾が抜けてったんだと
でダッシュで防空壕に逃げて助かったってさ。

飛行機作ってたっても技術者でも無く、ただの出稼ぎらしいね、今で言うライン工みたいなもん
エンジンが6発のデッカイヒコーキを作ったんだとかよく言ってる
最後に作ったのが名前しらんが変わった形の単発戦闘機だって話を最近聞いた

なんか先が尖がってて風防が前についてるんだと



戦争終ると爺は上等な布団をパクって汽車に乗り田舎に帰ったんだとさ


110 :名無し三等兵:2012/05/16(水) 20:28:20.22 ID:???
>>107
「変わった形」「先が尖ってて風防が前に」

「振電」じゃないかな、おれの直感だが。

布団ぱくって生き延びたのは、だれも批判できんよ。
仲間見殺しで、生き延びた奴に比べればはるかに人間的だよ。


108 :名無し三等兵:2012/05/16(水) 00:25:41.13 ID:xo6XI9xc
曾じいちゃんはフィリピンの陸軍航空隊の大尉だった。
特攻機をバンバン飛ばしてた基地の特攻隊先任将校だったらしい。
その時の司令官が、かの有名な富永中将。
富永中将以下佐官連中が台湾へ逃亡した後にフィリピンに残された部下と一緒に特攻機で散華したんだよ。


109 :名無し三等兵:2012/05/16(水) 17:21:26.49 ID:???
>>108
富永さん最後は半狂人状態で「比島最後の特攻機に乗って出撃する!」って頑張ってたんだって。
で、そうなったら幕僚もみんな一緒に出撃…ってんで、高級参謀達が薬打って輸送機に押し込んで
台湾へ…その後、パイロット上がりの参謀は、絶好調の疾風や新司偵で台湾や内地にトンズラだよ。
皆、富永さん一人を悪者にしているけど、本当は可哀相な人なんだよね。「俺も、後から行く」で
本当に逝った将官は、大西さんと宇垣さん(宇垣さんは、若者22人を道連れにしてるのが問題だが)。





116 :名無し三等兵:2012/05/18(金) 15:46:12.07 ID:cI1pP8ch
富永中将が芸者と一緒に逃げ出したのは真実。
司令官や高級将校が逃げ出した後始末をしたのは大尉以下の中堅将校達。
ほとんどが特攻かその後のフィリピン攻防戦で散った。

117 :名無し三等兵:2012/05/18(金) 17:38:49.62 ID:tvTqFiMP
シベリアから富永が戻っこれたんも不思議だ罠



164 :名無し三等兵:2012/05/24(木) 20:07:11.12 ID:???
大東亜戦争始まる前つーか2.26頃までは徴兵も志願も人間選んで入営させていたかた
新兵の扱いもまぁそんなに酷くないて話もあるよ。
ホンマにひどくなったんは見境なしに召集しだした開戦後だとか。



165 :名無し三等兵:2012/05/24(木) 20:22:45.98 ID:???
ついこの間も陸自で
新兵苛めの曹が逮捕されてたよなw

166 :名無し三等兵:2012/05/24(木) 21:53:09.64 ID:oiNs9L1k
ウチの死んだ爺さん、海軍予科練に行ったことを死ぬまで自慢してたんだけど、予科練でどんな訓練をしたとか、部隊でどんな訓練をしたとかは、ほとんどしゃべらなかった。
そんなにつらかったのかな?何とかいう爆撃機で特攻予定だったそうだけど。


168 :名無し三等兵:2012/05/25(金) 10:58:09.12 ID:???
予科練なんて、野良仕事させられるばかりで飛行機に乗らせてなんか貰えなかったって
家のじっちゃは言ってた。
自慢になんかなるかよってぼやいてたよ。

169 :名無し三等兵:2012/05/25(金) 13:52:09.77 ID:???
戦前の予科練はエリート集団だったけど
終戦間際の予科練は特攻要員養成所になってしまったもんな

170 :名無し三等兵:2012/05/25(金) 13:56:14.28 ID:???
いや特攻要員にすらならない。予科練も途中までは同期の7割が戦死してるが
途中からは2%と急激に下がってる。なにせ50人に一機しか練習機がないんだから
ほとんどの予科練生は飛行機に触ったこともない。飛行機も飛ばせることもできないなら
特攻もさせられんよ


172 :名無し三等兵:2012/05/26(土) 09:57:43.04 ID:???
>>168
終戦間際は、基地の整備や防空壕の穴掘りばっかしで、予科練は「どかれん」
と自分たちを呼んでたらしい。

173 :名無し三等兵:2012/05/26(土) 10:33:17.36 ID:???
父親が飛行機に乗らない予科練。
三沢基地のはずれで穴掘りをしていたところ艦載機の空襲にあった。
敵機はこちらには来なかったが、
自分の周りに調定をしていない味方高射砲弾がバンバン落ちて、
空襲後に集合すると班長が父親の胸元から血まみれの破片をツマミ上げ、
「鎖骨に当たって止まったんだ、運が良かったな。」
あぶねぇ、俺が生まれないところだった。


175 :名無し三等兵:2012/05/26(土) 23:27:02.76 ID:0c9IYHkR
丙種合格のじいちゃんも17年か18年には徴兵されて、日本-中国の輸送船の中で衛生兵やっていた。
上等兵で終戦。
なんか終戦で二階級特進になるらしくて、じいちゃんの家にあった賞状には「陸軍伍長」。
なぜ輸送船なのに陸軍?
海の上だから海軍じゃないの?

176 :名無し三等兵:2012/05/26(土) 23:39:34.68 ID:veDHvubT
ポツダム昇進だね
前線で生き残った兵士にせめて階級だけでも上げて帰還させた

後日の軍人恩給にも反映されたそうだが
負けた当時は貰えるとは思わない人が多かったそうだ。



180 :名無し三等兵:2012/05/27(日) 22:32:12.23 ID:F4M0MviW
ジャワ島、台湾は比較的平和だったらしいですね。
俺の大叔父さんはインパールで戦死した軍曹だが。牟田口むかつく。

181 :名無し三等兵:2012/05/27(日) 22:48:27.30 ID:???
うちの爺ちゃんは上海に居た





184 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 15:15:20.36 ID:???
うちのじいさんは俺が2歳の時に亡くなったから、体験談聞けなかったなぁ…。
おかんから聞いた話では、姫路で召集されて、戦地は中国、ラクダに乗った写真がある、
末期に一度本土に帰還して、病気患って、そのまま除隊だったそうな。

185 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 15:42:51.21 ID:???
爺ちゃん満州で喫茶店やってた、
中国人の娘を雇って使ってたけど、ソビエト軍が来るから引き揚げるっていう日の前日に
陸軍の軍曹が2~3人の部下を連れてきて、その娘をレイプしにきたって。
じいちゃん銃剣突き付けられててなにもできなかったって。
銀歯を光らせてにやにや笑いながら娘を犯していた兵隊たちの顔は一生忘れないって涙を流して話してくれた

186 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 15:50:11.05 ID:???
爺さんは徴兵検査で結核が見つかって、徴兵免除。そのままずっと内地にいたけど
戦争が終わるまで影口たたかれて肩身が狭かったそうだ。



193 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 17:41:30.65 ID:???
母方のじいさんは近衛であったけど
富士に行った時
『長男、実家に男手が無いものは帰ってよし』
みたいな事言われて帰ってきたと言ってたよ
後にじいさんがいた部隊は沖縄に投入されたそうだ

93まで生きたよ

194 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 18:51:01.27 ID:B9yMD/ie
陸軍中野学校卒の陸軍中尉として南支で対国民党工作に従事。
終戦後は国民党の情報局員指導員として過ごし、帰国したのは昭和32年。


197 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 21:27:25.00 ID:Je6f95em
詳しい話は聞けなかったが砲兵だったらしい

計算が恐ろしく早い爺だったと記憶している。

198 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 21:54:15.22 ID:???
砲兵は算術が必須ですからね。

199 :名無し三等兵:2012/05/30(水) 22:17:54.14 ID:???
じいさんの話
当時としては長身の部類だったらしく、東京で将官の鞄持ちだったらしい。
終戦後はさっさと帰って、事業を起こしたそうな

親戚のじいさんの話
終戦後にシベリア抑留されて、なんとか生き残ったそうだ。夜は毎日
仲間が死んでいったと言っていた。

極端だよな


200 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 00:42:26.64 ID:OLnmczTy
大陸で、内地から慰問で来た双葉山の相撲見た話は聞いたなあ


201 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 01:46:05.25 ID:Ba7vS5nM
ウチの祖父は、終戦が近い頃にベトナム、タイとかあの辺り。マレーシアもかな
あのビルマには行ってないみたい

202 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 01:59:06.90 ID:Ba7vS5nM
とある県の大学が、むかし陸軍の施設だったらしくて
そのそばに架かる橋が今でも、年配の人に限るが、聯隊橋って呼んでる
あそこを若い頃の祖父が渡って戦地に行ったと思うと、なんともいえない気分になる


204 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 12:34:09.87 ID:sHvzfR7r
数年前に亡くなった曾じいちゃんは慶應日吉キャンパスにある海軍連合艦隊司令部で電信担当の中佐だったらしい。
その慶應にひ孫の俺が入学できたのも、曾じいちゃんのおかげかもしれない。

205 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 13:02:08.92 ID:GNmXjMAM
南方で負傷して指が2本無かったな

206 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 15:07:35.62 ID:J1kcjgXZ
戦時中ではないと思うが、うちのヒイじいちゃんは近衛兵、
天皇陛下と富士山のぼったんだってさ。

207 :名無し三等兵:2012/05/31(木) 15:33:54.36 ID:???
岩手県の岩泉って糞田舎に爺ちゃんがいたんだが
戦争には行かなかったそうな。

別に病弱だったわけでも無いのにどうやって
兵役を逃れたのか不思議だ・・・
岩手からは大して徴兵されなかったのかね?

208 :名無し三等兵:2012/06/01(金) 10:58:00.14 ID:???
>>207
兵役法は1945年に廃止されてるが、それ以前の年で、爺ちゃんは徴兵年齢に
達してなかったんじゃないか?。
徴兵された最後の年代は、ご存命なら最低でも現在87歳くらいだとおもうが。

209 :名無し三等兵:2012/06/01(金) 15:47:51.05 ID:???
>>208
爺ちゃんはとっくの昔に死んでる。
爺ちゃんの息子がこの前72歳で死んだからなぁ・・・



211 :名無し三等兵:2012/06/02(土) 16:09:41.04 ID:???
>>208
開戦後、徴兵年齢が18歳になってるから昭和2年生まれまでが兵隊にとられてる。


>>207
軍需工場の技能工とかは兵役免除だったから、鋳物職人だったとかかも?

210 :名無し三等兵:2012/06/02(土) 05:35:45.90 ID:3bTMfp4P
俺の母方の爺さんは俺の生前死んだが、旧制五高を出て、女学校の教師をして
いたが、日露戦争に陸軍少尉として従軍、鴨緑江渡河作戦の勲功により、金鵄
勲章を授与される。戦後は郷土の英雄となり、講演などに引っ張りだこだった
という。女にももてた様だ。
金鵄勲章を初めとする多くの勲章が残されていたが、引越しを繰り返すうちに
行方不明になった。爺ちゃん怒ってるだろうな。

遺影をみると精悍で、凛々しい印象である。まさに日本男児ここにありと言う
感じ。このような男が居なくなった時から日本の衰退が始まったのかもしれない。
おっと、ここは大東亜戦争の体験者を語るとこだっけ。わしも年を取ったな。
しかし、以上は実話だよ。




213 :名無し三等兵:2012/06/02(土) 20:55:08.45 ID:???
出兵直前で終戦

でも母型の親戚は大連? で満州国関係の税関か入国管理的な仕事してたが 結核でアボンしたらしい

214 :名無し三等兵:2012/06/02(土) 21:25:03.14 ID:???
うちのばあちゃん 普通に田舎で看護婦してたが、 ちょうど朝鮮から労働者来てたらしい

別に拉致とか連行じゃなくて 内地で嫁もらいに

215 :名無し三等兵:2012/06/03(日) 06:57:42.02 ID:RhtOO27t
祖父は旧制中学の教師だった。153cmのチビで丙種合格だったため昭和20
年になってやっとアカ紙が来た。陸軍二等兵として本土決戦要員となり、鹿児島
に派兵され、種々の訓練を受けた。小銃に着剣すると自分の背丈とあまり変わ
らなかったと言う。軽機関銃手として命中率が良かったという。また、敵の
戦車を破壊するため、地雷を抱いて敵戦車の懐に体ごと突っ込む特攻訓練も連
日やったと言う。

戦後、軍隊は地獄のような陰惨なところというイメージを植えつけられたが、
爺ちゃん曰く、「軍隊は楽しかったよ。いじめ?そんなものはなかったな。」
わずか半年の軍隊生活だったが、戦後は戦友会への出席を何より楽しみにし、
生きがいに近いようなものがあったようだ。




220 :名無し三等兵:2012/06/03(日) 21:43:40.25 ID:???
もう7年前に亡くなったが、私の祖父は陸軍航空隊(?)に配属されたらしい。
で、「頭がよかった」(祖母談)おかげで、航空士官学校だかの助教をしていて、
教え子に梶山静六がいたとのこと。

もっと詳しくきいときゃよかったんだけど、亡くなる前に知覧に行って涙を
流していたそうだから、教え子の中には特攻隊員も沢山いたのかな?

今でも尊敬している祖父なので、何かあると祖父を思い出して頑張ろう、
と思うよ。独り言めいた書き込みで申し訳ない。







228 :名無し三等兵:2012/06/04(月) 12:41:15.61 ID:???
多分、長江辺りの戦線にいたんだと思います。
通信関係だったらしく。
終戦時、だいぶ内陸の方にいて、慌てて独断で擬電を創作して、
南京方面へ部隊を「移動させた」と言ってました。
後退時、船が機銃掃射されたとかされなかったとか。
チハたんが戯れてる写真や、軍刀を構えた写真など、沢山持ってました。
仙台か東京に住んでいたとか。
小さい頃聞いたので、あんまり覚えてないorz


229 :名無し三等兵:2012/06/04(月) 13:23:02.13 ID:???
この間の春休みに曾祖父と話す機会がありましたので戦時中に何処にいたかを聞きましたところ戦艦大和の第三艦橋で指揮をとってた偉い方でした。

230 :名無し三等兵:2012/06/04(月) 13:23:03.60 ID:???
父方の爺ちゃんは海軍の養成機関か何かにいたらしい。
母方の爺ちゃんはまだ尋常学校・・・
曽祖父は陸軍兵で、フィリピン方面で戦死。



234 :名無し三等兵:2012/06/05(火) 14:33:38.77 ID:4A1O+1AF
うちの爺ちゃんは満州で満ソ国境の監視やってたらしい
ソ連が侵攻する前の最後の人員交替で日本に帰国(ここで帰らなかったらシベリアに抑留してた)
最終階級は軍曹
双眼鏡で向こう側にソ連兵が見えたとか行ってたような
多分実戦経験はない

235 :名無し三等兵:2012/06/05(火) 21:36:24.15 ID:xjsJnsbH
うちの祖父は満州へ行っていたらしい

ところで陸軍士官学校の卒業の名簿ってどこに行ったら見られる?


236 :名無し三等兵:2012/06/05(火) 23:02:36.94 ID:???
俺のじいちゃんは広島原爆の時に爆心地2キロにポジショニングしてた。
それはもう地獄絵図だったってさ。
あんまり話してくれなかったわ。

階級も何もわからんけど、通信兵だったらしく、その後電電公社入り。

237 :名無し三等兵:2012/06/06(水) 00:03:24.86 ID:???
エンガノで千歳と一緒に沈んだらしい。

238 :名無し三等兵:2012/06/06(水) 00:28:13.30 ID:gF62k3SO
母方のじいちゃんは幼い頃右足が骨髄膜炎にかかり、ずっと杖をついていたので、召集されず85歳まで生きた。
父方のじいちゃんは満鉄に入社し、哈爾浜にばあちゃん、父達と一緒にいて、45年1月に内地に召集、戦地には出ず、86歳まで生きた。
亡くなられた方々には申し訳ないが、俺は幸福だと思う。

239 :名無し三等兵:2012/06/06(水) 05:08:42.95 ID:???
ばあさんの記憶と町史に載ってた戦没場所と戦死した場所違うんだが

これはさすがに町史が正解?


241 :名無し三等兵:2012/06/06(水) 06:22:25.17 ID:???
>>239
看取った戦友が戦後、手紙くれたり墓参に来て戦死時の情報をもたらしていれば、ばあさんの方が正しい。
町史は戦死公報の転載だからあてにならない。戦死公報も戦中の戦友や上官の手紙も本当の事は書けないからね。






それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤 陽子

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