1 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 17:46:16
維新の志士を育てた吉田松蔭。
みんなの評価は?


吉田松陰

28Yoshida Shoin


吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田松陰







2 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 18:13:19
生涯童貞

3 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 19:08:17
大和魂

4 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 20:02:58
朱子学専攻の熱血高校教師


7 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 20:22:51
>>4-5
松陰は陽明学だよ。思いっきり間違えおって。

8 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 20:27:23
陽明学と朱子学の違いを一言でいうと??

11 :日本@名無史さん:2010/09/23(木) 21:46:13
この人ほど「頭の良い脳筋」は珍しいと思う。
身近にいたらさぞかし鬱陶しかっただろうな。

朱子学は「天皇万歳」
陽明学は「知行合一」
で良いんじゃないか。


陽明学(ようめいがく)とは、中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。陽明学という呼び名は明治日本以降広まったもので、それ以前は王学といっていた。また漢唐の訓詁学や清の考証学との違いを鮮明にするときは、(宋明)理学と呼び、同じ理学でも朱子学と区別する際には心学あるいは明学、陸王学ともいう。英語圏では朱子学とともに‘Neo-Confucianism’(新儒学)に分類される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/陽明学




49 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 00:04:02
王陽明と吉田松陰

ともに病弱で優しい人柄だけど、いざとなると誰よりも豪傑になれる。
吉田松陰も、
「一言する時は必ず温然和気婦人好女の如し。是れが気迫の源なり」
(言葉を発する時は温かい婦人や優しい女性のようにする。普段の謙虚な態度が、いざという時の気迫の源なのだ。)
と言葉を残している。


10 :日本@名無史さん:2010/09/21(火) 23:05:54
最終的には反儒教系やん。皇国の皇国たる所以について、
儒学的な普遍の原理を捨てて、万世一系の天皇の存在に求めたのだから









15 :日本@名無史さん:2010/10/08(金) 11:41:05

吉田松陰が「狂」といふことを盛んに言ひ出したのは晩年ですが、やはり松陰の時代にも、全てをシニカルに見てわらひ飛ばすやうな江戸末期の民衆の世界があつたわけで、とにかく毎日が楽しければよく、明日のことなど考へる必要がないではないか、お国なんかどうなつてもよいといふやうな民衆の心理的基調があつた。
さういふ基本的メンタリティがあつたわけです。さういふ状況の中で、松陰は、孤立して狂つてゐるのではないかと疑はれるほど精神が先鋭化していくのを自覚したに違ひない。そして、松陰が異常に孤立した、自分一人しかゐない、自分が狂人だと思つた段階から明治維新は動き出したわけです。

三島由紀夫「『孤立』ノススメ 六、松陰は狂はなければならなかつたといふことについて」より





17 :日本@名無史さん:2010/10/09(土) 13:25:23
先生の名言で一番好きなのは?

18 :日本@名無史さん:2010/10/09(土) 14:06:16
「君子素餐するなかれ」
2ちゃんねらーの耳には痛い一言だが



19 :日本@名無史さん:2010/10/09(土) 17:00:15
松陰先生から門弟山田顕義(市之允)に送った扇面の中に
その1節がありましたね。

「100年は一瞬のみ
君子素餐するなかれ」


20 :日本@名無史さん:2010/10/10(日) 00:18:28
「師の顔に泥を塗るのか!」

21 :日本@名無史さん:2010/10/13(水) 23:00:08
やはり、最期の辞世

※吉田松陰の時世の句
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂



88 :日本@名無史さん:2011/04/09(土) 00:51:37.01
吉田松陰の辞世の句と土方歳三の辞世の句って似てるよね

89 :日本@名無史さん:2011/04/09(土) 06:02:45.08
どれのこと? 松蔭の辞世は多すぎて

90 :日本@名無史さん:2011/04/09(土) 07:54:39.29
身はたとえ・・・のことを言っているんじゃない?

辞世の句ってなんかパターンがある気がしないでもない。
どっちが先かは調べてないが、
大内義隆
討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観
三浦義同(道寸)
うつものもうたれるものもかわらけよ くだけてあとはもとのつちくれ

大内義隆の方の下の句の漢文は原作があって、蓮如のご文章にも趣旨が
引用されている(と見たことがある)。

91 :90:2011/04/09(土) 10:46:23.50
ちょいと気になったのでぐぐってみたら、更にあった。
後醍醐天皇
身はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思う


27 :日本@名無史さん:2010/11/11(木) 17:16:01
sengoku38

28 :日本@名無史さん:2010/11/11(木) 20:42:26
幕末のオサマビンラディン

29 :日本@名無史さん:2010/11/12(金) 16:48:42
松陰先生お慕い申しております

30 :日本@名無史さん:2010/11/20(土) 00:14:36
明日11月21日は吉田松陰先生の命日

31 :日本@名無史さん:2010/11/21(日) 11:32:26
旧暦?新暦?





33 :日本@名無史さん:2010/11/23(火) 00:31:29
松陰先生は恐ろしく頭の良い(柔らかい)体育会系

34 :日本@名無史さん:2010/12/06(月) 17:22:53
運動得意だったのか?

35 :日本@名無史さん:2010/12/06(月) 19:29:18
全然
すぐ風邪を引くような人だった

しかし学問では誰も勝てなかった
論争ではどこにも隙がなかった
妥協を全く行わない人だった
個人的な役得を一切無視し、思う真理を追及する人だった

ゆえに、井伊直弼が彼を処刑した後には、無垢の義人を殺害した幕府は倒される必要がある、という門人らにとっての大義名分が残った







37 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 00:25:28
キリストと麻原の場合は?

38 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 03:13:49
麻原は私利私欲が見えていたからなあ。いくら義を叫んでも松平容保と同列に見える。
権力争いをした場合も結果が良ければ尊敬されるのだが、権力を手に入れ損ねた場合は卑劣という評価しか残らない。







40 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 17:53:29
叔父の玉木文之進の私塾ではあの乃木希典も松陰と机を並べ
例の有名なスパルタ教育を受けていた。
この苛酷な迄にストイックな精神性を重んじるDNAは、後の日本軍に受け継がれていく。

46 :日本@名無史さん:2010/12/09(木) 21:42:24
>>40
吉田松陰は玉木文之進のスパルタ教育は受け継いでいない。
松蔭は基本的に穏やかで優しい人。
高杉晋作や久坂玄瑞のような才気迸る弟子には厳しく接することもあったらしい。


41 :日本@名無史さん:2010/12/08(水) 00:30:07
寺子屋の和算の精神性重んじてればマヌケなボロ負けなんかしなくて済んだのに






43 :日本@名無史さん:2010/12/08(水) 21:48:23
スゴいスゴいと言われる割に
深く語れる人は少ないイメージ


44 :日本@名無史さん:2010/12/09(木) 17:12:44
梅田雲浜に関わったばかりにとばっちりくらった可哀想な人
幕末の長州がたどった数奇な運命をお先に体現しちゃった感じ

45 :日本@名無史さん:2010/12/09(木) 19:57:30
いや松陰のキチガイ行動(誉め言葉)の数々見てると
早逝は時間の問題だったねw






50 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 00:20:50
理想の世界に生きててちょっと現実見えてない人

51 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 00:52:27
>>50
その理想主義者を慕った高杉晋作、伊藤博文が現実を動かした。
というより吉田松陰はあの時代にかなり早い段階で現実と向き合った人だろ。





52 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 01:58:21
松陰がやった事って何?


54 :48:2010/12/10(金) 08:21:53
>>52
幕末、長州萩で若者を教える私塾の先生をやっていた。
その生徒が幕末に活躍したので、先生も偉かったとなった。
h ttp://www.yoshida-shoin.com/


生徒に偉いのが出ると先生も偉いとなる例は多い。
手足が不自由でも教えることはできる。手足が自由なら
やって見せることもできる。

比叡山の円仁も「大師」になったが、その繋がりで祖師の
最澄も「大師」になった。


85 :日本@名無史さん:2011/03/07(月) 17:16:33.89
久坂「先生の縁者ブス多杉w無理でござる」



久坂 玄瑞(くさか げんずい)は、幕末の長州藩士。幼名は秀三郎、名は通武、通称は実甫、誠、義助(よしすけ)。妻は吉田松陰の妹、文。

http://ja.wikipedia.org/wiki/久坂玄瑞



55 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 23:44:55
あとは黒船来航の現場まで行って、藩に情況報告したり、
事としては目立たないけど、かなり重要なことをしている。
しかも藩命じゃなく、個人で。

それを平和な時代からの感覚で、独りよがりな男とするのは了見が浅い。
乱世はルール守っているだけでは対処できないから、乱世なのだから。



61 :日本@名無史さん:2010/12/15(水) 02:04:03
事を成した人間なら日本史上に数多いるけれど、
吉田松陰ほどの純粋さを成した人間は数少ないのではないか

62 :日本@名無史さん:2010/12/19(日) 09:45:59
純粋さってより「行動力」と「好奇心」が共に突出している、稀有で異様な人物
本当に「自力」での異様な「行動力」・異様な「好奇心」、どちらかの一方持ってるだけでも稀有だとは思う
今なら政治家兼研究者兼教職者兼テロ主導者兼、思想家って所だし

変人には違いない






63 :日本@名無史さん:2011/01/03(月) 16:17:25
それでいて童貞





64 :日本@名無史さん:2011/01/03(月) 20:58:16
松陰と野山獄で親しくなり松下村塾で教師をしていた富永有隣は
維新後不平士族の反乱に共謀した罪でかつての教え子達に追い回されたが、
その頃しばらく土佐勤王党の生き残りに匿われていたそうだ。
江藤新平は助からなかったが、富永は生き長らえて良かったな。


65 :日本@名無史さん:2011/01/04(火) 10:19:47
竜馬をヤったのとか、長倉新八とか生き永らえた人っているよね。
何が分かれ目になったのか不思議。「徳」があったんかな。




66 :日本@名無史さん:2011/02/09(水) 08:37:42
聞かれても無い、いらんことをペラペラ喋ってしまう人だからなぁ

木戸孝允や久坂玄瑞らはこのおっさんが何か勝手なことを
やらかさないかいつもヒヤヒヤしてたと思うぞ



68 :日本@名無史さん:2011/02/09(水) 23:40:08
アメリカへの密航が失敗して捕まったって人が多いけど、旅籠の無銭飲食とかで逮捕状出てたのを失敗して絶望してた松陰が出頭。
勘違いしてべらべら余計な事しゃべったから罪が無銭飲食から密航になって、井伊直弼に処刑されたんだろ。歴史って面白いな。井伊直弼も牛タンの味噌漬けを水戸の殿様にあげなかったのが本で暗殺されるとかホントバカくさいよね。


69 :日本@名無史さん:2011/02/10(木) 02:46:44
>>68
松蔭が処刑されたのは密航じゃないだろうが


71 :日本@名無史さん:2011/02/11(金) 22:34:59
>>68
処刑と密航は全く関係ありません







76 :日本@名無史さん:2011/03/03(木) 21:42:12.44
松陰って過大評価されすぎというか、変というか。

吉田松陰密航ってどうみても 松陰側が悪いというか、先方に狙撃されて
海の藻屑とならなくて良かったねとしかいえんのだが。。。

深夜2時にごろに密航(?)の為刀を持った二人組の男が近づいてきたら
当然のごとく警戒するだろうし、夜襲と思われても仕方がないし。

その後の松陰の逆恨み的な倒幕思想を見るかぎりそうとう狂っているとは
思うのだが。


77 :日本@名無史さん:2011/03/05(土) 02:36:00.36
>>76確か密航する前に関係者に手紙渡してたみたいです。
あと、ペリー自身もその時のことを語った記録があるらしいです。
好奇心旺盛な民族が生まれたこの国の前途はなんと有望なことかって。

むしろ過小評価と僕は思うけどな、一つの宗教となって世界中に信者がいてもおかしくないと思う。


79 :日本@名無史さん:2011/03/05(土) 08:14:24.67
松陰先生に同行した従者の方が悲惨だろ・・・

81 :日本@名無史さん:2011/03/05(土) 18:35:42.66
周りの迷惑を考えない人ではある
もう少し長生きすればテロリストになってたかも




82 :日本@名無史さん:2011/03/05(土) 21:47:03.19
かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂


83 :日本@名無史さん:2011/03/07(月) 08:26:13.39
山田顕義へ贈った扇子って現存してないの?












103 :日本@名無史さん:2011/07/18(月) 03:26:50.63
松陰は女のように優しく、反面情熱的な人間だった。彼は30年という短い生涯の中で
多くの人間をその情熱で突き動かした。幼いころ彼は神童と呼ばれており、
10歳で藩校明倫館の兵学師範として教壇に立った。その賢さを支えたのは、
読書の量だと言われている。松陰は、密航の罪で投獄されている間も読書をしており、
投獄期間の1年でおよそ600冊の本を読んだと言われている。
 松陰の開いた塾として、松下村塾が有名なのは言うまでもない。その門徒は90名程度
と、私塾の中では門徒が少ない方であった。松下村塾の特徴は、学費がないこと、
入門の身分が定められていないこと、教科書や時間割がないことなどが挙げられる。


104 :日本@名無史さん:2011/07/18(月) 05:24:02.68
しかも生徒全員が思想家になったわけでもないんだよね。
特に塾を開いた当初はその辺の子に手習いを教えてただけだったし。

そのうち、元々国事に関心のある若いのが集まってきて、思想家の養成所
みたいになっちゃったわけだけど。

「その辺の子が松蔭に啓発されて志士になった」的な解説は間違いだと思う。
少なくとも、何かをしなければいけない、と思ってる連中が、脱藩したり、
黒船に密航しようとしたりした、先輩活動家の松蔭の元に集まった、って
事だと思う。



109 :日本@名無史さん:2011/10/07(金) 14:41:24.62
面長の野望


114 :日本@名無史さん:2011/10/28(金) 04:03:36.00
29歳で死去って…
60~70代の爺ちゃんと思いこんでたww





転載元
【松下村塾】吉田松陰を語れ【幕末】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284972376/