8+mansyuujihen_convert_20120718144421.jpg

満州事変(まんしゅうじへん、旧字体:滿洲事變、Manchurian Incident)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件[注釈 1])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、大日本帝国と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変

http://ja.wikipedia.org/wiki/満州事変








転載元
【関東軍】満州事変と満州国5【満鉄】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1317533496/






4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 01:10:27.23 ID:OWRYfa2+0
ハリマンと満鉄を共同経営してれば…

エドワード・ヘンリー・ハリマン(Edward Henry Harriman, 1848年2月20日 - 1909年9月9日)はアメリカ合衆国の実業家。W・アヴェレル・ハリマンの父。
ニューヨーク出身の銀行家であり、ユニオン・パシフィック鉄道及びサザン・パシフィック鉄道の経営者になった。ヤコブ・シフと共に日露戦争中には日本の戦時公債を1人で1千万円分も引き受け、ポーツマス条約締結直後に訪日して、1億円という破格の財政援助を持ちかけて、南満州鉄道の共同経営を申し込んだ。日本側も乗り気で1905年にポーツマス条約で獲得した奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定を結んだが小村寿太郎外相の反対により破棄された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・ヘンリー・ハリマン




南満州鉄道株式会社

南満州鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう、旧字体:南滿洲鐵道株式會社、通称 満鉄、英称: The South Manchuria Railway Co., Ltd.)は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで満州国に存在した日本の特殊会社である。
鉄道事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満洲経営の中核となった。本社は関東州大連市であるが、のちに満州国が成立すると満州国首都の新京特別市に本部が置かれ、そちらが事実上の本社となった。また東京市麻布区麻布狸穴町[1]に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。

9manteturosen.gif


http://ja.wikipedia.org/wiki/南満州鉄道



5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 22:26:44.57 ID:C3JLCZMc0
満州事変は、シナ人とコミンテルンに奴隷化されようとしていた満州人の独立戦争だ。
関東軍は、かなり控えめに彼らを援助したにすぎない。




7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/01(火) 00:19:18.98 ID:YgQc+Jyv0
尖閣諸島領有権を巡って日中関係が烈しく揺れていた昨年の 9.18、瀋陽市で開かれた式典に中国全土の視線が注がれた。
79年前、この場所で起きた9.18事件、いわゆる「満州事変」を想い起こそうという集会である。
そこには、今なお日本国に突き付けられる憎悪と不信がある。しかしこれは、中国共産党による失笑の国民扇動手法の一環 であり、「無知ほど怖いものは無い」という実例である。


まとめました。 ☆奇跡の国 満州 http://blog.goo.ne.jp/deception_2010/e/aed02dc42918152d7065b969037e8997



10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 20:44:18.94 ID:RDOXxqXc0
>>7
無知の1例。 そろそろFAQかテンプレでも作った方がいいかねえ。

>満州は、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(ツングース系民族・女真族)の故郷であり、
正確には満州の北東部、アムール川流域。その半分の北岸はロシアに譲り渡している。

満州は満州族だけの土地ではない。
北東は満州族などアムール系、南東は朝鮮系、北西はモンゴル系、南西は中国系と、諸民族が入り乱れ、一時期はトルコ系まで流入したらしいほどの民族の混交地。

>満州からロシアを追放すると共に、満州を清朝に返還する。
北満州は依然としてロシアの勢力圏のままだが。
また、ロシアが持っていた権益はそのまま日本のものとなっており、それどころか、新たな要求を付け加えてもいて、とても返還したとは言えない。

>条約を無視して満州の経済権益を日本から奪い取ろうとする
ソ連に対してはやって失敗したが、日本に対して直接、租借地や満鉄を取り上げようとはしていない。
合法、あるいはグレーゾーンレベルで、日本の経済的利益に圧迫を加えただけ。
明確な条約違反はやってない。
そもそも、主権回復、植民地解消は、南方では日本自身がそれを大義名分として、植民地宗主国の権利剥奪を正当化しているのだが。自分がやるのは良くて、やられるのはダメと言うダブスタかね?

>それを目の当たりにした関東軍は、軍事行動を起こし
中国側の攻撃をでっち上げて、自衛だと偽装してね。
君の言う「背信行為」では軍事行動を正当化できないから、中国側の攻撃をでっち上げる必要があったわけだ。

>民衆の膏血の7、8割は軍費に充てられ、商民の3割はついに破産した」と言われたほど酷い搾取を行なっていた
戦争中ならおかしくは無い。太平洋戦争末期の日本はそれ以上だった。

>日本軍による張の軍隊の駆逐をみた満州全土の民衆は歓喜した。
リットン調査団が来るころにはそんなものは欠片も残っていなかったがな。
民主党が政権とったときと同じで、政権が変わった事による期待が盛り上がっただけ。
ところが、張政権と満州国では税率は変わらんし、日本人だけ優遇されていたりしたものだから、
リットン調査団に満州国は住民の支持を受けていない、と評される結果になった。

>米国の新聞記者、ウォルター・リップマンも、「日本は激しい挑発に直面しながら、
>通常の国際的基準からすればきわめて忍耐強かった」と記述している。

オウム真理教のサティアンを純然たる宗教施設と言った宗教学者も存在する。
誰がどう発言しようと、それだけでは意味が無い。内容が妥当かどうか検証されて始めて意味が出てくる。

>彼らが満州で地歩を固めれば、それは共産主義の侵略に対する真の防壁となる
残念ながら結果は真逆。
実際に共産党と戦っていた国民党の足を引っ張り、ついには国共合作においやった。
毛沢東に礼を言われたという逸話すらある始末。

>満州国では、皇帝が満州人であるだけでなく、大臣もひとり残らず満州人か清朝の遺臣だった。
実権は彼らには全く無く、日本人官僚が握っていた。こういう実権の無い名前だけの存在を傀儡と言う。

>満州国はまだひとり立ちできる状態ではなかったので、日本はその建国をバックアップした。
自主独立と言う名分からすれば、ひとり立ちできないのなら独立する資格が無いのだが。
防衛に関して他国の援助を得るのはまだしも、国家運営を完全に他国人に依存しているようではお話にならない。

>日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同して、この東アジアに、共存共栄の経済圏をつくり出すことだった。
>また共に、西欧やロシアによるアジア侵略に対する防波堤となることだった。

大東亜政略指導大綱
「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム
  




16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 09:16:06.57 ID:IUQzFifY0
 中国歴代最後の皇帝になった愛新覚羅溥儀の、1960年に作成された住民登録カードがインターネットで
物議を呼んでいる。特に学歴欄が「中卒」と記入されていることに「あまりにもひどい」と、当時の扱いを批判する声が集中した。中国新聞社が報じた。

 溥儀(1906-1967年)は、1908年から1912年まで清朝皇帝として在位。1932年-34年には満州国執政となり
、34-45年8月18日まで満州国皇帝になった。日本の敗戦にともないソ連抑留され、1950年に中国に身柄を引き渡され
、政治犯収容所に収監された。1959年に特赦され、1960年から北京植物園に庭師として勤務。その後、史料の研究
・整理を行う一方で、中国人民協商会議の全国委員にもなった。

 溥儀の住民登録カードは北京市公安局(警察)が公式ミニブログで公開した。中国では公安が住民の戸籍管理などを行っている。
溥儀の住民登録カードは、溥儀自身が「一般人民」として警察署を訪れ、申告にもとづいて警察官が記入したという
。記入の日付けは1960年8月12日だ。学歴は「中卒」、勤務先と職種は「北京植物園 下放労働」と書かれている。

 学歴が「中卒」と書かれていることについては「あまりにも哀れ。溥儀の教師を見たら、君たちは驚くよ。荘士敦、
陸潤?、羅振玉、王国威など、最高の知識人。書道の第一人者もいた」など、溥儀に対する扱いが不当だったと主張の書き込みが相次いだ。

 溥儀は前年の1959年に釈放された直後にも住民登録を行っていた。カードに書き込んだ警察官の証言も残っている。
「学歴については、溥儀の申告どおりに『私塾』と書こうとしたが、(相手が元皇帝だったため)緊張して、『私書』と
書いたという。1960年の登録で、「中卒」とされた理由は不明だ。

 1960年の住民登録では、「結婚状況」の欄に「離婚」と記入されていた。警察官の質問に対して「死んだ妻もおり、
別れた妻もいる」と答えたので、警察官が「最後の奥さんとは、どうなりました」と尋ねなおした結果、「離婚」と記入したという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110913-00000068-scn-cn





41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 09:23:39.63 ID:XcmDmaQk0
満州事変が侵略であろうと、関東軍の独走だろうと、
俺は莞爾の世界最終戦争論に感動して泣いたんだよ。


世界最終戦論

『世界最終戦論』(せかいさいしゅうせんろん、世界最終戰論)は、大日本帝国陸軍の軍人である石原莞爾(いしわら かんじ)の代表的著書である。『最終戦争論』(さいしゅうせんそうろん)とも呼ばれる。1942年(昭和17年)出版。

http://ja.wikipedia.org/wiki/世界最終戦論





47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 09:47:19.20 ID:hUHRe8tK0
この本オススメだから、読んでみて。
「大東亜新秩序建設の意義 by 文部省教育調査部」

これによると、大東亜戦争の目的は以下の4点であることが分かる。

1 皇国(日本)の自存自衛。
2 東亜の英米侵略からの解放。→大東亜共栄圏の建設
3 日本が東亜、独伊が西欧における主導的地位の確立。→世界新秩序の建設

英米等の持てる国々による旧秩序(帝国主義による植民地支配)を崩壊させ、
日本と独伊による新しい世界秩序を再構築するのが、当時の大日本帝国の
指導者らが考えていた真実。

中国はショウカイセキが英米にだまされ、毛沢東がソ連にだまされ、
唯一世界の潮流が見えているのがオウチョウメイだけという始末。

だから日本が中国を侵略したことなどはなく、
「いい加減に目を覚ましなさい。」という懲らしめだったわけだ。



53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/21(月) 21:43:44.31 ID:YTjycRJ/0

リットン報告書に従えば、満州事変は侵略ではない。満州事変について
正しい知識を得たければ、リットン報告書を読め。

シナ共産党は、リットン報告書を教科書に載せていない。
「満州事変侵略説」というプロパガンダが破綻するからである。

だから現代のシナ人はリットン報告書を知らない。


リットン調査団

リットン調査団(リットンちょうさだん/The Lytton Commission)は、国際連盟によって満州事変や満州国の調査を命ぜられたイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とする国際連盟日支紛争調査委員会より出された調査団の通称である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/リットン調査団






64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 02:26:33.79 ID:f8OasTdd0
満州がアメリカみたいな多民族国家になってたらおもろかったのにな。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 04:30:29.45 ID:JizJnKWii
まあいいじゃないか、侵略したことは認めてるんだから。
やれ解放だ、独立の支援だと嘘ついて正当化するよりはマシ。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 07:08:02.12 ID:fgjtuQLS0
満州事変は侵略じゃないだろ。

あそこは誰のどの国の統治権が及んでいるのか全く不明だった地域。
つまり、日本で言う縄文・弥生時代における集落があっただけの状態。
そのような地域に初めて平和と秩序をもたらしたのが、満州事変・満州建国。




72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 19:29:06.73 ID:6xs/BN8o0
侵略かどうかなど、どうでもいいこと。

今の日本人で石原莞爾より頭脳明晰であり、板垣征四郎より
行動力がある男はいない以上、彼らを非難する資格はない。

我々に出来ることは、当時とてつもない鬼才・化け物が日本陸軍に
いたという事実を知り、日本はすごい国だったと自信を持つことだけ。




74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 21:04:02.27 ID:S1NdFfvN0
満州は私生児とか捨て子が送り込まれた日本から遺棄された
人の溜まり場



76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 21:19:56.96 ID:BKna+nrYO
満州国が正当かどうかなど
どうでもいい。

終戦後、六十四万人もの
日本人同朋をソ連に
売り渡し
七万人もの日本人を死亡させた
関東軍総司令部の
軍官僚どもの悪行を
あきらかにせねばならない。

この事実はロシア国防省公文書館にある
資料でソビエト崩壊後
あきらかになっている。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 21:29:00.70 ID:BKna+nrYO
一、在留邦人をソ連人からの虐殺から
守らなかったこと。

一、部下であり同朋である
関東軍将兵をソビエトに売り渡したこと。

関東軍総司令部の軍官僚達の二つの大罪は
当時日本のエリート中の
エリートと言われた
軍官僚達が最後に晒した正体として
忘れてはならない出来事である


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 22:11:48.44 ID:EuU2Y4pM0
>>76
それは関東軍ではなく参謀本部の意向だからな。
ソ連の捕虜になるも良し、中国人となって現地で暮らすも良し
自分等で身の振り方を決断しろという事だから。
国家としての機能を失ってる時に、今の常識や理屈で語っても
全く当て嵌まらない。
国が滅びるというのは、それほど惨めで悲惨な事なんだよ。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 23:57:34.40 ID:1R62KoIF0
確かにな。平時と有事の状況を同一視している時点で思慮が浅い。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 11:43:51.82 ID:yzR0XpWs0
>>78>>79に同意だ。
単に有事と言っても並の有事ではない
国家崩壊という断末魔の状況下で、人間にまともな思考を求める事自体
現実を無視した机上論に過ぎない。
自分がその状況下に居たとして、はたしてどのような思考ができるのか?
戦争も知らない人間が、軽々しく論じれる事ではあるまい。

歴史を考察するというのは、歴史を知る後世の人間が
後出しジャンケンで偉そうに能書きたれる事ではない。
現代人がモノクロの画、映像でしか見た事のないその時代、その瞬間に
カラーの人間が居た事をしっかり認識、考慮すべきだ。







85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/27(日) 16:21:23.67 ID:2i8PUh8M0
特急あじあは確か当時の列車の中では世界最速


特急あじあ号

9 ajiagou


あじあ号(あじあごう、特急「あじあ」)は、日本の資本・技術で経営されていた南満州鉄道が、1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを、連京線・京浜線経由で運行していた特急列車である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/あじあ号





100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/30(水) 19:49:56.32 ID:THm7K0fM0
現在の日本に石原莞爾ほどの逸材がいればなぁと思う。



石原莞爾

10 ishiharakanji

石原 莞爾(いしわら かんじ[1]、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、昭和の陸軍軍人
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/石原莞爾