1 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 16:12:31.78
本業の場合は除外で(剣豪にとっての剣術とか、俳諧師にとっての俳諧とか)。
趣味と本業の境界が難しい場合もあるが。

とりあえず有名な所では
徳川家康=鷹狩り、薬の調合




2 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 16:14:27.70
ここら辺は趣味というには余りにも本格的か。

源実朝=和歌
足利義輝=剣術


3 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 16:45:23.88
宇多天皇=ぬこ

4 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 17:13:22.57
>>2
足利義輝は武士なんだし、剣術というのは本業じゃないの?




6 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 17:53:22.22
>>4
でも、実際に剣術を熱心にやり込んでいたのって
自身は前線に出て戦うことが求められていない殿様クラスが多くないか?
当時の剣術=現在の警察官や自衛隊員にとっての格闘競技みたいなもんでは?
ほぼ全員が一応修行はするが、
やり込むのは専門家(警視庁所属の柔道選手とか自衛隊所属のレスリング選手とか)や
正課ではない趣味の領域になる。



8 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 18:03:42.74
>>6
将軍はお抱えの剣術指南役がいたくらいだから
やっぱり剣術は将軍の職務だよ
趣味とは違う



9 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 18:07:35.83
11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 22:22:06 ID:nLTRs3vy
当時の剣術は和歌なんかと同じ『芸』だから身分の高い人間がよく学んでいる

に言えば実戦派の中・下級クラスの武士にはあんまり縁が無く、不用と笑う雰囲気すらあったそうだ


12 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 18:17:55.27
>>9
だから剣術は将軍の本業だろ
江戸時代の将軍なんて嫌でも剣術やらされてたんだ
嫌でもやらされるものを趣味とは言わない



5 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 17:18:32.32
冷泉天皇=蹴鞠
一条天皇=笛
織田信長=幸若舞
徳川家定=菓子作り




14 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 20:36:36.04
>>5 冷泉帝の蹴鞠は趣味というより人生だな


51 :日本@名無史さん:2012/05/29(火) 12:29:11.41
>>14
いいこと言うな


10 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 18:10:48.49
あまりにも有名だが、
北条高時=田楽、闘犬鑑賞



15 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 21:14:35.98
高時の田楽は超有名だが、自身が踊るのが好き?それとも観る方?

11 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 18:16:55.72
後白河天皇=今様



13 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 19:17:13.00
>>10
実は茶や絵画も嗜んでいる






16 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 21:41:38.35
麻生太郎 射撃

17 :日本@名無史さん:2012/05/08(火) 23:13:27.34
麻生は、漫画も読むが活字もそれ以上に読む、という触れ込みだったけど、超絶馬鹿、と判明したからな。
射撃の方もゴリ押しなんじゃね


18 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 08:33:06.27
>麻生は、漫画も読むが活字もそれ以上に読む、という触れ込みだったけど、超絶馬鹿、と判明したからな。

あの騒ぎは、どう考えても国会で漢字テストをやらかす民主がバカそのものだっただろ。
麻生は皮肉交じりに石井一が出したパネルのうちで一番難しい字をさらりと読んで見せたし。
単に読み方を間違って覚えてたってのは誰にでもあることだろうに、それを今の防衛大臣の
田中なみの馬鹿扱いは、むしろ言ってる奴の方が超絶だろう。

民主支持者は、ペテンそのもののマニュフェストにものの見事に騙された今でも、
自分の頭で物を考えることができないのか?


19 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 11:11:40.77
小沢一郎→小鳥の飼育
鳩山邦夫→蝶のコレクター
岡田克也→蛙の置物
谷垣禎一 ソムリエ
石破茂→プラモデル作り




20 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 11:38:29.93
信長や秀吉は茶の湯好きで知られるが、
それは自分で茶をたてるのが好きだったということ?
それとも利休とかがたててくれた茶を飲むのが好きなだけ?


21 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 12:54:40.54
>>20
信長は能力主義だろ、茶の湯の精神に共感したんだ。秀吉を取り立てているくらいだからな。
波長が茶の湯とあったんじゃねえか。秀吉に茶道はほぼ政治の道具だった。それでも自分が天下を盗ると
その茶室に入ると人皆平等思想が邪魔になった。千利休にそれで切腹を命じた。
て処でどうかしら?


22 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 13:13:19.38
信長や秀吉は自分で茶をたてるというより茶道家のパトロンだろ。
まあ、信長本人の茶への興味はせいぜい茶器収集程度だった。
秀吉になると北野大茶会を開いたり、社交の場となる。
行く先々で茶の湯を立てるように命じたり(自分が立てるのではないが)、
茶そのものを楽しんでいたようだがな。


23 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 14:43:42.69
信長は酒をあまり飲まず
茶のほうが好きだったと聞いたが。


24 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 14:49:26.15
>>23
信長は酒を飲まなかったというのはルイス・フロイスの「大日本史」に描かれてあるが
代わりに茶を飲んでいたとも書いてないな
合戦前に湯漬けをかっさらうのは「信長公記」によく出てくるが

25 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 14:59:15.92
島津久光=囲碁
西郷隆盛=犬、温泉、狩り


26 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 19:21:53.98
綏靖天皇=食人

http://ja.wikipedia.org/wiki/綏靖天皇

27 :日本@名無史さん:2012/05/09(水) 22:46:33.01
大久保利通=無趣味

28 :日本@名無史さん:2012/05/10(木) 12:59:20.37
ペット好きで有名な人は
既出の西郷以外に誰がいる?


29 :日本@名無史さん:2012/05/10(木) 13:51:40.08
>>28
一条天皇=猫(三位のおもとという猫を飼っていた)
篤姫=狆(結婚前複数の狆を飼っていたが夫家定が犬嫌いのため大奥入り後は猫を飼った)
徳川家茂=白文鳥(気に入って入手、その後和宮にプレゼント)




31 :日本@名無史さん:2012/05/10(木) 14:40:41.99
綱吉は自分自身では犬を飼ってはいなかったの?

32 :日本@名無史さん:2012/05/10(木) 14:46:15.01
確か秀吉も猫好きだったはず。

33 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 01:18:48.89
東條英機→ゴミ箱あさり


34 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 16:29:41.88
武士、僧兵以外の人で
武芸を本格的に嗜んでいた人はいない?
武士階級が確立する鎌倉時代以降で。


35 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 17:37:08.40
>>34
後光明天皇の剣術好きは有名。
余りに熱心に稽古するので京都所司代板倉重宗が
「関東への聞こえがよろしくありませぬ。おやめにならぬようなら
この重宗、切腹せねばなりませぬ」といさめると
「未だ武士の切腹を見たことがない。南殿において切腹せよ」
と言い捨てたので重宗も閉口したという話がある。


36 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 17:59:10.59
北畠氏とかも

37 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 18:02:48.88
>>36
北畠は公家出身だが鎌倉末期以降完全に武装化してただろ
南朝の主要武力の一つだし


38 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 18:35:37.99
西郷隆盛→陰毛ファイヤー

39 :日本@名無史さん:2012/05/13(日) 00:33:26.36
さすがに料理が趣味だったという歴史上の人物は
男はもちろん女でもいないよね。


52 :日本@名無史さん:2012/05/29(火) 12:31:01.87
>>39
徳川家定がそうじゃないか?
下手くそで食べさせられる方はかなわなかったらしいが。


53 :日本@名無史さん:2012/05/31(木) 08:55:10.61
>>52
ジャイアンみたいだなw



40 :日本@名無史さん:2012/05/13(日) 00:39:56.97
>>39
伊達政宗


46 :日本@名無史さん:2012/05/15(火) 23:50:28.06
細川藤孝もそうじゃなかったけ>趣味料理

41 :日本@名無史さん:2012/05/14(月) 14:38:51.09
政宗が料理に関心があったことは知ってるけど
自身が実際に包丁ふるったの?


42 :日本@名無史さん:2012/05/14(月) 18:54:36.99
「人をもてなす際に一番重要なのは料理であり、
そのメニューを管理するのは主人の仕事。
ごちそうとは、たくさんの種類の料理を振る舞うことではなく、
自ら料理したこだわりの品を一、二品だすことだ」

伊達政宗


43 :日本@名無史さん:2012/05/14(月) 19:57:14.84
伊達正宗様だけど、家光様がいたく感心なさったそうだ
凝り性で白鳥から何から料理の素材でトイレにこもってメニューを考え、西洋料理
得意、何でもござれ! チーズ、牛乳、自分でうどんを打った
光圀様の上をいったかもなあ


44 :日本@名無史さん:2012/05/14(月) 22:41:57.22
お茶の席での懐石料理は
献立を考えるのは立主人の仕事だろ





45 :日本@名無史さん:2012/05/15(火) 23:31:54.75
徳川光圀

辻斬り




47 :日本@名無史さん:2012/05/21(月) 00:09:22.38
多趣味といえば後鳥羽上皇

48 :日本@名無史さん:2012/05/22(火) 07:40:37.66
>>47
くわしく


49 :日本@名無史さん:2012/05/25(金) 23:10:49.80
>>48
武器づくり、歌集づくり、幕府転覆


50 :日本@名無史さん:2012/05/29(火) 11:44:13.34
>>48
武術(流鏑馬、弓、水練等)、和歌、管弦、蹴鞠、囲碁、双六等









56 :日本@名無史さん:2012/06/01(金) 13:09:13.87
子供の頃に読んだ『決戦 三方ヶ原』という子供向けの歴史ものでは
築山殿が徳姫を苛める際に
「鷹狩りは武士の嗜みといっても、しょせん田舎者の道楽。
武家といっても公家の相手が出来なくてはならない。
叔父上(義元)はよく歌をよみ、茶を嗜んでおられました。」
といって名門の出であることを鼻にかけ
信長や家康を見降している描写があった。


59 :日本@名無史さん:2012/06/02(土) 10:25:41.02
>>56
確かに今川家出の彼女には徳姫は敵の出で、いじめはあったと思うし
ああした事件つうの、起きたわけで。ただ皆資料の元は徳川が安定してからの
いわば徳川家にとって言いように編集されている。
大久保彦左衛門の三河物語ではふれられていないからね。
築山殿=悪女は後世で作り上げられたんじゃないかな



58 :日本@名無史さん:2012/06/01(金) 20:10:16.28
信玄風呂あれは趣味に入るのか?



60 :日本@名無史さん:2012/06/10(日) 13:28:03.81
>>58
実用


61 :日本@名無史さん:2012/06/14(木) 22:40:21.97
上杉謙信 酒

62 :日本@名無史さん:2012/06/16(土) 01:59:10.57
>>56
家康は茶の嗜みがあったようだがな。お抱え茶人もいた。
晩年には健康おたくが高じて茶の銘柄や煎じ方まで指定していた。
信長・・・茶器を愛した
秀吉・・・茶道(千利休をはじめとする侘び茶)を愛した
家康・・・茶そのものの効用を愛した
という感じだが


63 :日本@名無史さん:2012/06/17(日) 21:58:17.18
家康は無趣味で鷹狩のみって記憶が

64 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 13:23:15.67
薬作りも

65 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 17:04:39.81
家康は晩年自分で薬作りに没頭したが薬の原料に大量の水銀を使っていた
水銀は当時梅毒に効くという迷信があり、家康は梅毒だったらしい
家康の二男結城秀康も梅毒で死んだとき鼻がもげていたらしいし



66 :日本@名無史さん:2012/06/20(水) 23:29:55.13
明智光秀と徳川家康は鉄砲の腕が凄いと何かで読んだ

67 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 18:28:14.44
「明智軍記」には明智光秀が鉄砲の腕を買われて朝倉に仕えるようになったという記述がある
だけど徳川家康は織田信長に命じられてようやく自軍に鉄砲を持たせたんじゃなかったのか
家康は関ヶ原でも大坂の役でも鉄砲軍を重用したが本人の射撃シーンはない


68 :日本@名無史さん:2012/06/22(金) 11:48:44.88
家康って粗食・腹八分を心がけ鷹狩りとか運動も欠かさなかったのに
なんで太ったわけ?
自分で帯を締められなかったなんて話もあるけど。


69 :日本@名無史さん:2012/06/23(土) 00:14:57.01
貫禄が必要だったんだろう



71 :日本@名無史さん:2012/06/23(土) 13:43:32.11
>>69

>>69がいうような生活をしていれば普通太りようがないって話なんだけど。


72 :日本@名無史さん:2012/06/23(土) 22:02:05.96
あのでっぷりとした家康像って、家光の夢に出てきた権現様のイメージを
狩野探幽に描かせたのが元だったような気が。


73 :日本@名無史さん:2012/06/25(月) 16:19:36.73
>>68
秀吉の治世になり戦に出なくなったら途端に太り始めたらしい
鷹狩りってそんなに運動するんだっけ?
秀吉主宰の仮想茶会では家康は太った体で源義経に扮したところ
女たちの笑いものになったらしい


74 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 09:59:33.10
>>73
『戦国武将の健康術』では、
鷹狩りの運動量はむしろトライアスロンに近いものだったと考えられる、
と書いている。


75 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 12:23:53.90
>>74
家康なんか大勢のお供連れて鷹狩に出て
お供が家康の歓心を買おうと獲物のありかを探し回って報告
家康本人は野山を駆け回って獲物を探さず
ただ鷹を放つだけだったろうから
一人でやる鷹狩とはわけが違うぞ


76 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 14:30:26.47
>>73
そんなことまでやっていた(やらされていた)のか?
上司のお供でキャバクラ行って腹の出た体で女装とか裸踊りして(させられて)
ホステス達の笑いものになるようなものじゃん。
なんか家康情けないなあ。いくら「鳴くまで待とう」でも。


77 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 18:07:33.85
>>76
何に扮装するかは個人の自由だったみたいだから・・・
当時家康はいい年(50代)だったし、
若くすでに美青年扱いされていた義経に扮したら
たとえ太ってなくても笑われてた可能性大


78 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 21:58:32.15
頼朝に扮すればよかったのに。尊敬していたんだし。

79 :日本@名無史さん:2012/07/03(火) 00:12:58.90
五条大橋の牛若丸のコスプレはしやすそうだが頼朝は分かんないだろ

80 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/07/03(火) 06:56:09.25
>>34
後鳥羽院については>>49-50にある通りですが、弓術・馬術をたしなまれた
上に怪力で、目の前に盗人が逃げ出して来た際、扇代わりに船の櫂を振るっ
て「あれを捕えよ」と指揮をとられたので、盗人が驚いて降伏したとか。

またこの時代には平安中期以降は鷹狩り中心であった貴族社会の狩猟に弓射
によるものが復活し、鹿や猪も獲るようになっています。
後鳥羽院も猪狩りを好まれ、神泉苑に猪を放たれたものですから、眷属であ
る蛇を食べられた善女竜王が怒っているという風説が立ちました。

>>75
>ただ鷹を放つだけだったろうから
鷹狩りの場合、普通鷹が獲物を捕えたら興奮して傷付ける前に、放った本人
が現場まで全力疾走して鷹と獲物を確保した筈。


81 :日本@名無史さん:2012/07/03(火) 10:37:21.45
>>80
>放った本人が現場まで全力疾走して鷹と獲物を確保

大名や将軍はそんなことしません
鷹が捕えた獲物と鷹を取り押さえるのは従者たちの仕事
捕えた獲物をその場でさばき腹に塩を詰めて
保存して持ち帰るといったことまでしていた