502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 03:01:34.37 ID:yX3BeTMn0
義父の目撃談。
敗戦の日、北海道の軍都旭川にいた少年だった義父が、駅前に行ってみたら、
朝鮮、韓国、中国人たちが大暴れしていた。
「日本は負けた。俺たちの時代だ」と叫んで。
警察も放心状態で手がつけられず暴れ放題。
最後は消防自動車で放水して解散させたそう。
その後も暴動を起こしていたらしい。
中国人はまだわかるが、なぜ朝鮮、韓国人が「戦争に勝った」と言えたのか俺には理解できない。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 03:04:42.00 ID:yX3BeTMn0
明治43年生まれの曾祖母の話。
曾祖母は福島県の阿武隈山地の村の生まれ。
曾祖母が子供の頃(大正)でも「丑の刻まいり」ってのがあったらしく、
どこぞのばあさんが夜中に神社に行っていたとか、
神社の境内の木にわら人形が打ち付けられていたとかあったらしい。
それで、実際に死人も出たと言っていた。
真偽はわからんが怖い話だった


504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 03:18:36.65 ID:yX3BeTMn0
友人の祖父の話。
友人の祖父は医者だったが「トリカブト」の研究者だった。
いつの頃かわからないが、中国に行って満洲で軍に入り研究をしていたそうだ。
何をしていたのかは、日本へ帰ってきてから一切無言だったので、
誰もわからないそうだ。
なお石井部隊ではないことは確かだそうだ。



505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 03:24:31.55 ID:yX3BeTMn0
曽祖父は大正時代から横浜で手広く会社をやっていた。
関東大震災で被災した。
曾祖母の話を母から聞いたが、ものすごいゆれで、
工場の工員たちが畳をもって竹やぶに置いてくれ、そこに避難した。
竹やぶは根が張っているので、地割れが起こらないらしい。
服に火がついた人が川に飛び込んだら、川には重油などの油が流れ込んでいて、
そのまま焼け死んだ人も多かった。
曽祖父は「製氷工場」も経営していたので、怪我人のために氷を横浜市に提供して
ずいぶん感謝されたらしい。
ちなみに祖母は「お女中」付きで育てられたと聞いた。
そのひ孫の俺は出世どころかwww


506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/01(火) 14:08:39.15 ID:YcJQ7iOy0
以前朝生に従軍経験者のじいちゃんが出てたが、
出征当初は遠足気分で行ってたそうだが、戦争が激化して南方に飛ばされてからは地獄だったと語ってたよ

やっぱ南方はそうとう酷かったんだな


507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 19:15:20.70 ID:+THdzebK0
>506
引揚者の祖父母と、父から聞いたことだが、朝鮮前羅南道では、日本人は韓国人と仲良くしており、
決して差別はしなかった。父は、釜山中学と、内地のネームスクールに通って、帝国大学を卒業した
が、韓国人の両班の金持ちも多くが帝大に行き、戦後は、韓国=南朝鮮の大学教授になっていたと言
う。思うに、彼らは、加害者意識は全くないし、被害者意識もなかったようで、戦後のドサクサで、
「天皇はモヤイだ。」を忘れて、被害者意識ばかりを教育の中に、入れ込んでしまった為に、現在
のような歪な感情になってしまった。




508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/03(木) 07:45:19.73 ID:IMyDOOw40
俺の曾祖母は福島県三春町(一本桜で有名)の生まれだが、
戊辰戦争で三春藩は途中で会津藩を裏切って薩長についた。
だから今でも会津若松あたりじゃ「三春からは嫁をもらうな」といわれているらしい。












512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/09(水) 03:31:26.35 ID:D0D8sXBaO
うちの爺さんから聞いた話。
玉音放送後、やはり暴れたり騒いだりする輩が少なからずいたらしく、
爺さんもこれはチャンスだと、訳の分からん衣装着て、えっじゃないかやろうぜー!!
と喚きながら街を練り歩いたが、賛同者が現れず、何とか取り繕って家に帰ったらしい。
それ以来爺さんは、
「わしは街の衆にハブられた」


513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/15(火) 22:05:54.86 ID:MRBgA3N30
>>512
作り話だろwww
ネタとしては秀逸だが老人が「ハブられた」とか使うかよw


514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/16(水) 09:17:26.55 ID:y4+L9dvi0
>>513 はぶる は村八分からきた言葉で戦前からあるスラングです。



516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/19(土) 11:52:14.03 ID:AxdOAQd30
老親の祖父母とも長命で、随分色々な話を聞きました
他愛も無い話から、驚くような話まで様々ありました
ボツボツ投稿させていただきます

*日曜の銀座・デパート
昭和初期の銀座は日曜ともなると大層な人出で、喫茶室2階の窓際に座っていると
皆の下駄で歩く音が「ゴ~~~~」と、地鳴りのような響きだったと・・・
デパートには「下足番」が居て、下駄にはカバーを被せてくれた
三越・高島屋は「高級」松屋・松坂屋は「中級」白木屋は「普通」だったと
白木屋は東京駅から「送迎バス」を出していたとも・・・
各デパートの呉服太物売り場には、所謂「二枚目店員」がずらりと並んでいたと・・・
でも「役者のような美男」は、お得意周りだけで成績が上がり、店頭には出ては
いなかったとも・・・当時の貧困家庭で「眉目秀麗な男子」が生まれると、呉服屋の
番頭さんに・・・と言うのが褒め言葉だったとも・・・
★以下エロ話
お得意周りの「美男呉服店員」と、得意先の夫人・令嬢間の醜聞は度々耳にしたと・・・
それも「○○様ご療養で○○温泉にご逗留らしい・・・」といったように伝わる事が
多かったとも・・・出産の為に身を隠した・・・と理解したようです
中には「大奥様・ご隠居様」といった方々の醜聞もあったと・・・
無駄話で失礼

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 00:42:16.90 ID:uEXORg0k0
>>516
面白い! 次も頼むぜ。








521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 14:44:54.70 ID:Hlvupi0C0
>>520
本にも映画にも取り上げられない、当時の常識や生活などが、特にヤバイね。
たとえば、両親の世代のこともすでにあやふやだ。
チッキのことやら、お米を買うのにチケットが必要だった(配給の名残?)とか、
ぐぐったところで、うまくイメージできないもんな。

ジジババもそうだが、父ちゃん母ちゃんにもちゃんと聞いとこうぜ。


522 :無駄話で失礼 :2012/05/20(日) 19:58:44.07 ID:q5DtDshf0
*戦前の衣類
昔は「馬子にも衣装髪形=まごにもいしょうかみかたち」と言ったそうですが
身形で身分が一目で判ったとも・・・男女を問わず「仕立て下ろし」を着られる
人は少なかったと・・・特に女性は「芝居見物や花見園遊会」で一度着た着物は
二度着るのは「恥ずかしい」と言って、女中や出入り職人の女房や娘に、節句に
下げ渡していたと・・・そんな方々は「輿入れ時には10年分の着物を持って行く」
というような人も居られたそうですが、流行もあり「化粧料」を持って行ったり
実家から節句に届けたりしたそうです
★以下エロ話
戦前は女性が髪を洗うのも大変で、女中さん達などは「月に一度」といった
間隔だったそうです。髪油や香油も使わないので、とても臭かったそうです
それが欲情をそそるのか、家の当主と女中の「不倫=姦通」が多かったとか・・・
逆に芸妓衆は週に一度は髪を洗い、週に二度は髪を結いなおし、耳の後ろまで
石鹸で洗い上げたそうで、髪油もたっぷり使って結い上げた、元結が緩んで
いない髪型が「清潔感を漂わせていた」と聞きました



523 :無駄話で失礼 :2012/05/20(日) 20:21:32.47 ID:q5DtDshf0
*明治の男
曾祖母の実家が木場で、祖母も度々遊びに出かけたそうです
昭和初期の話です
木場には筏師がおり、下町の娘たちには人気の職業だったそうです
深川彫り=刺青と、正座など不可能なほど体にピッタリした股引が特徴で
喧嘩っぱやくて酒には目が無い・・・といった「粋な兄さん」達だったそうです
そんな人たちも出征したり軍需工場に動員されたりで、戦後は全く様子が
変わってしまったそうです。祖母の初恋の相手もその一人だったそうですが
戦死してしまったそうです。総身の刺青のなかで右脇腹に「金魚」の刺青が
あったそうで「煮ても焼いても食えない男」と意気がっていたそうです
祖母の貞操に関しては、何も尋ねませんでした。しかし「熱い恋」を経験して
いてくれたのなら、それはそれで良い様に思いました

524 :無駄話で失礼 :2012/05/21(月) 21:35:37.22 ID:A20vGD9x0
*明治の男のその後
これは大叔父から聞いた話ですが、戦後曽祖父が疑獄事件に巻き込まれ
一時拘引されたそうなのですが、身の潔白は証明され、晴れて釈放された後
曽祖父が信頼していた方も同様に取調べを受ける事になったのだそうですが・・・
★以下は下品な話題です
「その方」が「のめり込んでしまった」のは、金でも女でもなかったそうなのです
それは「青々ショウ」という見世物だったそうです
青々ショウというのは、刺青を入れた男女の交合を見せるものだそうです
「見るだけ」で指一本触れられないショウだったそうなのですが、その出演者の
「刺青の男」が、木場の筏師崩れだったらしい・・・というのです
戦後間も無くの話ですから、皆が生きるのに精一杯の時代だった訳で、非難など
出来ようはずもありませんが、本当に木場の筏師の「中年以降の生業」であったと
するなら、時代とは言えお気の毒で可愛そうで、気持ちが沈みます。その後の人生が
幸せであったと信じるのみです


525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 16:16:36.27 ID:Zgk4Bu9d0
私のばあちゃん(大正15年生まれ)のお兄さんはニューギニアで戦死されました。
最近そのお兄さんの友人からの手紙が見つかったのですが半分程度しか解読できませんでした^^;
なんて書いているのか気になります。
昭和15年6月とあるので、大東亜戦争が開始される前のものかと思います。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 22:26:42.79 ID:oROBN8vt0
>>525
市の図書館とかで相談してみたら?


527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 23:03:21.71 ID:5twFVdxi0
>>526
ありがとう!田舎町なんで埼玉戻ったら図書館いきますw

あと明治時代の戸籍謄本も出てきたんだけど、先祖で
父と息子が同じ名前の人がいるんだけど昔はよくあったことなのだろうか・・・

詳しい方いたらおしえてください><





530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 08:13:39.40 ID:PD5WO/Ks0
>>527
名前が同じってのは、あとで名を変えた結果なんじゃなかろうか?
お互いが同時期に同じ名前はさすがに相当珍しい。
いわゆる襲名であったり、海外でいう○○sonやjr.、二世、みたいな感覚なら
無いともいえない。

でも謄本てことは両名存命のままで同じ名前だったのかなあ?



532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 22:29:51.46 ID:keU+NboG0
>>530
ありがとう!亡父とあったので恐らく名前を継いだのかと思われる。
興味がある人いれば謄本の画像(名前は住所は伏せるけどwww)アップしたいけどさすがにいないかw
ちなみにコピーのスキャンだから多少汚い^^;





536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/30(水) 00:18:46.84 ID:FULju0hoO
大叔母が生まれたとき、曾祖父が役所に向かう途中に名前を度忘れし、適当に書いて提出したらしい。
数年後に学齢期になって発覚。みんなで誰のことじゃと大笑いしたとか。
おおらかな時代だね。


安政に生まれた高祖母は昭和8年まで生きていたが、大正に生まれた大叔母も大叔父も、昭和初期に生まれた親戚も皆名前すら知らなかった。明治に亡くなった高祖父なんて勿論誰もわからない。
昔は祖父母なんて遠い存在だったのかな。




538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/31(木) 22:28:41.78 ID:ljdK9V0zO
明治生まれのひいばあさんは何やるにしても姿勢が綺麗だった、品があるというか。

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 03:38:22.72 ID:jBXl5igvO
うちの爺さんは明治生まれだったが、品が無かったぞwww
マクドナルドで暴れたり、ケンタッキーで雑炊注文したり大変だったwww
最終的にはピザハットを裏切り者呼ばわりしてwwwww
でも必ず最後は若い人にチップを渡してた。
これで雑炊でも食べなさいってwww
お前が食いたいだけだろwwww
その辺が俺が爺さんを尊敬する理由かなぁ。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 11:28:33.03 ID:DYawHtO60
>>539
高度成長以後は良くも悪くも店員の扱いなんてロボットだからなあ。
チップといわずとも心付けだって日本にはあったけれど、
いまはすっかりそういうのは欧米の習慣としてしか見られてないよね。


541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 16:46:19.23 ID:ZtyJzgG70
明治生まれの祖母が
電車に乗る時でも草履を脱いで座席に正座して
微動だにしなかったのを覚えてる



544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 10:23:01.47 ID:HkKh6k8T0
実家に帰った時に、押し入れあさってたら発見した写真が面白かった

http://myup.jp/p/NQQIn6qs

写真張った事ないがこれでうまくいくのかな…


545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 11:43:08.49 ID:5SYMwnfS0
>>544
ザギンのサムネイルは「十字屋」かな? 
ググったら「銀座十字屋」が出て来た。
最初は本屋、いまは音楽教室だって。
和装に日傘だね。

写真一枚からいろいろわかっておもしろい!


546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 12:14:05.05 ID:udaLWVFo0
>>544
ツェッペリン号?

このスレじゃなかったら、「なにこのプラモのミサイル」
としか思わないところだったぞw


547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 12:32:00.25 ID:HkKh6k8T0
>>545
ほんとだよく見ると蔵書って書いてあった、まだあるとか凄いわ

>>546
ショボい写真だよねwよく見ると今のやつより細長いから、結構大きそうなかんじ

ばあ様の遠足写真もあったw
http://imepic.jp/20120603/387970

先輩に伊勢ではないかと言われた

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 13:22:52.63 ID:udaLWVFo0
>>547
専ブラで見たらツェッペリン号しかみえてなかったが、
リンク先にはいろんな写真があるのね。
堪能させてもらいました。
写真からデータを読み取るだけでワクワクします。


「戦勝記念」
『明治38年1月16日 (上野)不忍池に於いて』
とあるので、これはかの有名な旅順入城を記念してのことだね。


「画像6」
横浜の根岸競馬場を連想したが確固たる根拠なし。
画像の雰囲気、他の写真の地域、年代から連想。
ただの工廠や軍事施設かもしれない。

「わからないどこか」
『日新(?)上町(丘町?)小学校屋上より東方を望む』
と書いてあるから、おそらくは他の写真などからも考えると府中市日新ではないかと思うが
自分にはそのへんの地理歴史がわからないので特定できず。
現行では上町という地名も小学校もなく、日新小学校は昭和50年代に新規に作られているので
そこに記された旧小学校が東京府中市にあったのかが不明。
もしかしたら東京ではない府中ということもあるしね。

もしスレタイどおりにばーさんがまだ存命で話を聞けるなら、
簡単に特定に至れると思うから聞いてみて欲しい。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 13:26:19.39 ID:udaLWVFo0
言っておいてなんだが、写真の年代を考えるとばーさんが生きてても
そのばーさんにとっても昔の写真なんだね。世代こえすぎw

ただ、「わからないどこか」の小学校の歴史なんかは
親族が継続して地元で暮らしているなら、親御さんや親戚の人でもわかるかもね。

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 14:12:06.70 ID:5nfFRf310
>>547
子孫がまた戸惑うといけない。
判明した分には、メモ添付しくべし。

それはそうと、絵はがきも何枚かまざってそう。
風景とか戦勝記念の絵はがきって、かなり出てて、
神田にいくと、段ボールに突っ込まれて一枚50~200円だったりするよ。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 15:13:37.18 ID:udaLWVFo0
画像を見る限りだと、ペラい写真を別の台紙に貼り付けてあるから
絵葉書とはまた違うようには見える。
絵葉書は結構厚いのと、写真のふちに段差とかないはずだからね。
他からの切り抜きの判別まではわからなないけども。


552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/05(火) 03:55:03.74 ID:Hz132p0m0
>>548
>>550

ばあ様どころか両親も既に他界

とうじ一族は上野動物園の裏あたりの台東区池ノ端三丁目に住んでました
その頃は清水町と言ってたそうです

クシかんざしなどを扱った上州屋という小間物屋をやっていたそうです

なので小学校から撮った写真はそのあたりかも

ほとんどの写真は引き延ばしてなくてベタ焼きのような小さいのばかりで、携帯で撮ったときにピンボケになってしまいます

じい様(ニート。人生で、ただの一円すら稼いだことがないという伝説をもつ)
http://myup.jp/DKticaOO

ばあ様(ニートと結婚してしまうほど世間知らず、自分の貧乏も理解してなかったもよう)
http://myup.jp/X3oXZjPL

じい様の妹(生涯独身、人形作家となる)
http://myup.jp/TugCJqkJ

じい様の妹(惚れた!!残念ながら二十歳で死亡らしい(;つД`))
http://myup.jp/cy2rFkAu



553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/05(火) 22:53:38.52 ID:LpGe3K0z0
>>552
人形作家、流行ってたんだよな。
谷崎の細雪にもあったし、中原淳一もイラスト以前はたしか人形作家だったような気が。

いちばん下のかた、ぴんぼけのせいかもしれんが、ほんと絶世の美女!


554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/06(水) 03:41:13.90 ID:JhNIMHt30
綺麗な花ほどはかないのか、はかないからこそ美しく見えるのか。

にしても、じーさまもそうだけど今でも十分通る顔立ち。
80年代の太眉女性とか、化粧や描き眉が必須な最近の女性とは素が違いそう。


556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/07(木) 23:03:24.01 ID:rsspHJak0
人形作るのはやってたんだ…知らなかった

ばあ様
http://myup.jp/gszlBeav

妹は水棹さんといいました
http://myup.jp/WEWF0tAJ

母似で物静かだけど独自な姉、父親似でいつも明るいミサちゃん
http://myup.jp/pXNdO52X

ミサちゃんの結婚相手…許さん!!
http://myup.jp/nBTrKYlz

多分結婚ごまもなく病気になったと思われる、そして実家にかえされて療養ののち…(;つД`)くそ旦那許さん!

そして今も家の墓に眠ってます


557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/08(金) 01:50:07.11 ID:+RD5tLEO0
水の棹でみさおかな?
漢字も読み(音)も日本的で綺麗だね。

時期的には大正~戦前くらいなのかな?
そのころにそんなに日常的な写真を残したんだから
けっこうな家なんだなと思いながらもじーさまの事考えると
どうなってんだと思うw


559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/30(土) 18:03:25.21 ID:LoChjuQq0
>>544
上から2つ目の「兵庫製薬工場」は、アース製薬の赤穂工場だな。