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    206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 13:31:12.07 ID:f921u/5j0
    もうひとつ母から聞いた話。
    母が少女時代、昭和天皇の皇女のひとりで今上天皇の姉にあたる人(どの人かは忘れた)は、母と同じくらいの年齢の少女だったが、「ものが言えない障害者だ」という噂が流れていたそうだ。当時は週刊誌なんかなかったのでもっぱら口コミ。母の周囲ではたいていの人がそう信じていたとか。

    戦後、その皇女が話す肉声がラジオで流れて、なんだ、あれは嘘だったんだ」と母は思ったとか。
    後で別の人に聞いたところ、戦前戦中は未成年の皇族の肉声を公共の電波に載せてはいけないという決まりがあったとか。
    そのせいでそんな噂が流れたんだろうとのことだが、
    それなら他の未成年皇族も全員そうなのに、なぜその人だけそんな噂に
    なったのかはわからない。

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    104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 11:45:34 ID:kEDzoS3h0
    祖父は明治40年の生まれだが、小学校出て商家に丁稚奉公。
    盆や年末の小僧さんの仕事に遠隔地のお得意さんの売掛金の回収がある。

    田舎だから金を持っての峠越えには山賊が出ると言っていた。当時は姿形で商家の小僧さんだと一目で分かるしね。山賊から自分の身と売掛金を守る方法として、郵便局の局員さんと一緒に峠を越えると言っていた。

    現金書留があるから郵便局員も山賊に襲わる可能性があるので郵便局員は特別に拳銃を携帯を許されていて、発砲訓練や護身訓練も受けていて 局員と一緒なら安全だったので、局員の移動時間を覚えておいて後ろをついて行ったそうだ。

    局員さんの制服姿や拳銃が頼もしくて憧れだったそうで、よく楽しそうに峠越えの話をしてくれたなあ。

    場所にもよるが、大正期一杯ぐらいまで山岳地では山賊出たみたいだよ。
    「ああ野麦峠」にも中山七里の山賊の話が出ている。あれは明治末頃の話だな。





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    3 :携帯からカキコ:2010/09/12(日) 23:36:13 ID:ehdVx1R3O
    広島城の駐屯地に兵隊として勤務してたじいちゃんの話。

    昭和20年6月下旬に山で炭を焼いてこいとの命令を受けて、10名程の隊員と馬一頭で県北の吉田の山に行った。

    着いた山の中は宿舎なんぞあるわけもなく、雨風をしのげるものもない。
    まずは木を切り倒して、それを元に簡易宿舎を造ることから始めたそうな。

    で8月6日の朝。ようやく炭ができて確認のため、窯をフタをしていた土を取り除く作業中に遠くで爆発による雲が上がったそうだ。その時は三次の飛行場の燃料タンクがやられたのだと思ったそうだ。

    10時に広島城の本部と定例の無線通信を試みたが応答なし。
    10時の次は15時だ。しかし応答がない。

    なにかおかしいということで隊長が馬に乗って下山し、様子を見てくることになった。
    2日後、隊長が戻って来た。

    全員下山して本部に戻ることになった。鉄道は運行していたそうだ。
    民間人は広島駅には降りられず、一駅前の矢賀で降ろされたらしい。

    じいちゃんたちは軍属なので広島駅へ着いた。それが8月9日の晩のこと。
    建物がなくなってるので駅から宇品の海が見える状態だったそうだ。
    そこから徒歩で浅野庭園の脇を通り、本部に戻った。
    その場には軍属がいたそうだ。

    原爆が落ちた時はたまたま出張中であり、九死に一生を得たようでした。
    その日はそこに泊まることになったが建物は吹き飛んで仕舞っているので野宿したそうだ。
    転がっていた便所の踏み板を枕にして寝たそうだ。

    翌朝から片付け作業開始。辺りを歩いているとまだ建っている建物(鉄筋コンクリ?)があり、中を覗くと部屋の中央に人骨の山ができていたそうだ。
    それらは日光を浴びキラキラ光っていたらしい。

    熱線を避けるため、窓から離れた部屋中央に人々が集まってきて亡くなったのではないかとじいちゃんは推測している。
    広島城の堀にも死体が浮かんでおり、回収して福屋の一階に運んだとのこと。

    またある時は、アズキを見つけたこともあった。
    上部は黒焦げになっていたが、すくってみると下の方は問題なさそうだったので赤飯を作って食ったらしい(現在の感覚からすると考えられないことだが)。でそのおかげで下痢が治ったらしい。

    そんなこんなで3週間程広島で勤務した後、命令で岡山に転勤になったとのこと。
    その時に検査を受けたら白血球の数が通常の半分にまで減っていたそうだ。

    じいちゃんは今も存命です。ガンにも白血病にもなったことがないです。
    ただしかなりの数の同僚が体調を崩したり病気で早くに亡くなっているそうです。
    直撃を避けられたこと、3週間程で転勤することができたのが大きいと言ってたおります。

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